第53話 待ち伏せ

「さて……おにぃはどこにいるのかなっ、と……」


 日向ちゃんがおもむろにチャクラムを窓に向けて振った。瞬間、私が中途半端に穴を開けた窓に残っていたガラスが細切れにされて地上に落ちていき、フレーム部分だけが綺麗に残される。


「今さらだけど……日向ちゃんは私が空けたその小さい穴から入って来たの……?」


「そうだよ?映画みたいに窓を突き破ってド派手に登場!……は、せんぱいたちにガラスが降りかかると危ないから流石に止めた。もし穴が空いてなかったらくり貫くつもりだったよ」


「あの速さで動きながらそんな精密に……すご」


 多分私が窓に空けた穴は乗用車のタイヤくらいの直径しかなかったはずだ。しかもガラスが割れた跡なので当然ながら縁が尖っている部分もあった。日向ちゃんの精密な体さばきには驚嘆するしかない。


「それじゃ、せんぱいたちを地上に下ろすよ」


 日向ちゃんの言葉に続いて、窓の外につむじ風が巻き起こる。これに乗って下りればいいのかな……?


「……これ、ホントに乗って大丈夫?」


 流石の私も躊躇した。今まで色んな目に遭っている私だが、それでも“風に乗る”なんて経験はない。踏み外しでもしたら遥か下の地面まで真っ逆さまだと思うと足がすくむ。


「あはは、大丈夫大丈夫!でも不安なら一緒に乗ろう?」


 このままでは多分踏ん切りがつかないと思ったので、私は素直に差し出された手を取った。高所恐怖症という訳じゃない――バンジーとかもしたことあるし――けど、下手すると命の危険がある今回のような場合は別だ。


「じゃ、行くよ?」


「う、うん」


 せーのっ!とタイミングを合わせて、日向ちゃんとつむじ風に飛び乗る。まるでスポンジケーキのような、ふわふわの感触が足の裏に伝わって来た。


「お、落ち着かない……なぁ」


「慣れればどうってことないよ」


 フェイスベールの奥でにこやかに笑う日向ちゃんは、チャクラムをまた一振りして2つ目のつむじ風を発生させ、そこに圧縮空気か何かで窓から押し出したワゴンを乗せた。あとはこのまま下ろして貰うだけ……のはずだったのだけど、


「……その前にちょっとお掃除が必要かな」


 声のトーンを落としながら、日向ちゃんが地上を睨む。眼下の路上には、先ほども見かけた朽チ熊フラジールベアの他に、バイク大のアメンボのような姿をした夢霊ゴーストの群れが集まって来ていた。


(あれは確か……【滑走蟲ランドストライダー】だっけ)


 攻略ノートを頭の中で紐解く。その名の通り、地上を素早く滑走するスピードタイプの夢霊だ。移動が滑走である都合、地上があまり荒れていない――つまり現夢深度が浅い――場合によく現れるらしい。


 本物のアメンボは水面に落ちた獲物を尖った口で襲う虫だが、こいつらの武器は口ではなく真ん中2本の足先の鋭い鎌だった。鎌のある足は上下逆さまに付いており、獲物に向けて振り下ろせるようになっている。


 そんな奴らが十数匹待ち伏せる地上へ、日向ちゃんはチャクラムを構えて弾丸のように突っ込んで行った。着地時に振り下ろされたチャクラムが一直線上に風の刃を放ち、巻き込まれたアメンボと熊が一瞬の内に寸断される。


 やはり日向ちゃんの動きを捉えることは出来ず、私の目にはアメンボたちが独りでに細切れになっていくというデタラメな光景だけが映った。


「終わったよー!」


 ものの十数秒でアメンボの群れを殲滅し、日向ちゃんはこちらに手を振りながらつむじ風を降下させてくれる。ちょっと恋しくなっていた硬い路面の感触を足裏で感じ、私は安堵の息を吐いた。


「待ち伏せのつもりだったのかもしれないけど、残念ながら相手が悪かったねぇ……」


 消えていくアメンボの残骸に目を向けながら日向ちゃんが言う。


「せめて開幕にやった時と同じくらいの数を揃えておくべきだったよ」


「開幕……?」


 どういう意味だろうと思った私が聞き返すと、日向ちゃんは肩をすくめた。


「いやぁさっきね……ここに突入した瞬間邪ノ眼イビルアイの大群に囲まれてさ」


「えっ!?」


「だいたい3桁はいたと思うなぁ……いや、4桁かも?流石に焦ったよー……」


「そんなに……!?」


 いかに戦闘能力評価が最低クラスの夢霊とはいえそれ程の数に囲まれては2人もさぞや苦労したことだろう……と思ったけど、敵が多いということはそれだけ大量の夢力を回収出来るということでもあるため、案外必殺技であっさり片付けてしまったかもしれない。


「あー……でも今思い返すとあいつらは待ち伏せって感じじゃなかったかもな……私たちが偶然群れのど真ん中に飛び込んじゃったのかも。かなり慌てふためいてたし」


「確かに……待ち伏せなら2人を見て慌てふためくのはおかしいか……」


 でも待ち伏せでないとなると、邪ノ眼イビルアイたちは何故そんなに群れていたんだろうか。彼らは獲物を探して屋外を単独あるいは少数のグループで哨戒しているのが普通らしいので、上空でたむろしているのは不自然なような……。


 昼間に開いたことと言い、今回はイレギュラーが多い気がするな……?


「まあ……とにかく、まずはこれだね」


 日向ちゃんが右手のチャクラムを空に向け、赤い光を打ち上げた。光は上空で音高く炸裂し、花火のように飛び散って消える。


 数秒後、北の空で似たような光が弾けた。


「おにぃの返事あった!こっちに来るって!」


「良かったぁ……」


 私は心より安堵した。これで赤ちゃんたちを還してあげられる。ワゴンの中に目を向ければ、赤ちゃんたちも心なしか安心したような顔で眠っていた。


 その時、日向ちゃんが鋭く警告の声を出した。


「せんぱい、夢霊が来るよ!早く物陰に!」


「わかった!気をつけて!」


 瞬時に臨戦態勢に入る日向ちゃんの指示でワゴンごとビルの陰に身を隠すと、タッチの差で例のゴリラが5体、日向ちゃんを取り囲むように通りへと躍り出た。花火の音を聞いて集まって来たのかもしれない。


「おにぃが来るまで……なんとしても保たせて見せる!」


 勇ましい掛け声と共に、日向ちゃんは再び一陣の風と化した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る