第51話 絶体絶命

 爆弾は爆発した。最早状況は私の手に負える域を越えてしまった。


 これからすぐさま上がって来るだろうゴリラたちに対抗する術を私は持っていない。逃げるしかないが、赤ちゃんたちが泣き続ける限り、どこに逃げてもどこに隠れてもゴリラは追って来るだろう。


(まずいまずいまずいまずいまずい)


 階下から怒号と、それに続けて機関銃のようなドラミングの音がする。向こうはもう完全にこちらを捕捉していると見て間違いない。


 終わりなのか……?私はこんなところで終わってしまう……?


 ふと“現夢境において、引き込まれた迷い人は死ぬことはない”と、攻略ノートの現夢境概要のページに記されていたことを、何故か思い出した。


 しかし現夢境での迷い人の死は、例えるなら断崖絶壁の途中現夢境でワイヤーに吊られているところでいきなりワイヤーを切られるようなものに近いらしく、結局は奈落の底夢の世界まで真っ逆さまらしい。


 つまり夢霊ゴーストが原因だろうとそうで無かろうと死ねば片道切符で夢の世界行きということだ。この世界でも、やっぱり死は終わりなのだ。


 そして、そんながすぐそこまで迫っている。それを実感した途端に、赤ちゃんたちの泣き声が大きく耳を打った。このままでは後1分もしないうちに、しかも最も歓迎出来ない手段で以てこの命の叫びは止まってしまう。


 ……それを、良しとするのか?


「ふざっけんなッッッ!!」


 思いっきり吐き出す。最早声をひそめることもない。


 しっかりしろ階来宵。お前が今すべきことは絶望に屈して膝をつくことか?違うだろう?


(逃げ切ることは出来なくとも……時間稼ぎするだけならまだ手はある……!)


 外界に存在を伝える試みはもうやった。あれを暁兄妹が受け取ってくれたと信じて、とにかく今は時間を稼ぐしかない……!


 通路の奥を見る。あの先にあるトイレなら、ゴリラたちも狭くて入りにくいのではないか?


(多分壁はすぐ広げられちゃうし私たちも逃げ場は無くなるけどここより数十秒くらいは長生きできるはず……!)


 もう考えるための時間もない。気付けば唸り声がすぐ近くにあった。というか、ゴリラたちはもう目と鼻の先にいた。


 2つの白い巨体が突撃して来る。私たちに――正確には今尚泣き続けている赤ちゃんたち目掛けて。


「させるかッッ!!」


 勢いよく突き出した私の指が壁の消火設備に付いていた黒いボタンを叩いた。瞬間、けたたましい非常ベルの爆音がフロアを満たし、ゴリラたちは苦悶の唸り声を上げながら耳を押さえて突進を止める。


 “聴覚に優れている分、極端に大きな音は逆に弱点としている”とノートに書かれていたのを覚えていたのが、ここで効いた。ゴリラたちは理性を失い、2頭で同士討ちさえし始めている。


 逃げるなら今しかない、と、私はワゴンを押して通路の奥へ駆け出そうとした。


 だが、私は1つ致命的な見落としをしていた。


「ッ!?」


 頭上を飛び越えて、白い影が私たちの進行方向に降り立つ。咄嗟に急ブレーキを掛けた私の目の前で、先の2頭に遅れてやって来た3頭目のゴリラが勝ち誇ったかのようにドラミングをしていた。私がボタンを叩いたタイミングでは仲間の2頭から離れていたのか、非常ベルが効いているような様子は……ない。


 退路、そして進む道の両方を断たれ、頭の中が真っ白になった。ゴリラが豪腕を振りかぶり、私に掴みかかろうとしている様子がスローモーションのようにゆっくりと映る。もう、回避する猶予すらありはしない。


(ごめん……)


 妙に停滞した時間の中、ワゴンの中の小さな命たちと目が合った。


(お姉ちゃん……約束、守れなかった……!)


 せめて私を先に連れて行けと、赤ちゃんたちを庇うようにワゴンに覆い被さる。


 ……だが、予想に反して、いつまで経ってもは訪れなかった。それどころか逆に、悲鳴じみたゴリラの叫び声が聞こえて来る。


 恐る恐る顔を上げると、そこには目にも止まらぬ速さでゴリラの身を斬り刻む、何やら異国情緒溢れる衣装で身を飾った1人の少女の姿があった。


「せ……やぁああああ!!」


 少女はひとしきりゴリラの巨体にダメージを与えて防御を崩した後、ガラ空きになったその太い首に跳び回し蹴りを叩き込む。まるで鋭利な刃物の一閃を受けたかのように、ゴリラの首はその一撃で跳ね飛ばされた。


 その正体は……もちろん。


「日向ちゃん!!」


「せんぱい、お待たせ!」


 消滅していくゴリラの残骸をバックに、日向ちゃんは口元を隠すフェイスベールの奥でニヤリと笑った。


「こっから……逆転するよ!!」

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