第272話 東と西を繋ぐ都市

 秋晴れの晴天の下、俺は船の上にいた。

 遠くには、テリュムウールが見える。海上からなので城壁しか見えないが、遠くまでずうっと続いている高く長い城壁だけ見ても、大きく立派な都市であることが分かる。


「よぉし、敵が何かしてくるまで待ってろよ」


 俺は、従軍させていた船員たちに言った。船は徴発したものだが、船員はホウ社で雇っている連中である。

 船というのは一種の閉鎖空間なので、さすがにクラ人の操る船では安心して寝られない。


「何かして来ますかね?」

 船に同乗しているミャロが言った。

「さあ……まあ、してこなかったら防鎖塔でも破壊して帰るさ」

 この船はさほど大きくないが、甲板に会戦で使った大砲を載せてある。シャンティニオンにあった港湾施設のクレーンで持ち上げることができたのだ。

 今は甲板の中央に、ロープとボルトで固定されている。砲手も乗っているので、一応射撃をすることはできるだろう。

「それは危険です。ここから先は海峡が狭すぎますよ。城壁から弓矢が届いてしまいます」

「そうだな……」


 俺とミャロの分、二羽の鷲はこの船に乗っているので退路は確保しているわけだが、向こうには万を超える兵がいるのだろうし、両岸から何千もの矢を一斉に射掛けられたら飛び立つどころの話ではない。


「まあ、もう少しだけ進んでみよう」

「はい」


 周囲には徴発した五隻の船しかない。俺たちがシャンティニオンに入市したとき、既に大型船は出ていってしまっていたので、残っているのは中型船ばかりだった。

 そのうち三隻には鷲が四羽ずつ乗っており、他の船には兵隊を乗せている。鷲のほうは道中で海賊や残党海軍と戦う羽目になったときのために連れてきたのだが、テリュムウールを爆撃しようとすれば竜が出てくるだろうから、爆撃には使えない。

 兵隊は、もし竜が出てきて鷲を封じられ、通常の海軍が大挙して迫ってきたときは盾になってもらうために連れてきた戦力だ。

 実際に積極的な攻撃力としてあるのは、大砲一門だけである。


「戦う気なら、そろそろ矢を射ってきそうな距離だがな」

 船は徐々に城壁の突端に近づきつつある。

「あっ」


 城壁の突端から何かが発射され、弧を描いてこちらに落ちてきた。

 弓矢だ。五十メートルほど先に落ちた。


「よし、ただちに投錨しろ」

「錨を下ろすので?」


 と、船長が言った。


「ここには流れがあるからな。知らないうちに流れていっちまったら問題だ」


 ここは海なので、川ではないのだが、この狭い海峡には川のような一定方向の流れがある。


 河川から黒海に流入した淡水が、川のような流れで一方的に出るばかりでは、黒海は淡水湖になってしまう計算になるが、そうはならない。

 それは、塩分濃度の差が関係している。淡水が流入して薄まっている黒海の海水より、地中海の海水は塩分濃度が高い。

 海水は淡水よりも重いので、底のほうに沈む。その結果、軽い黒海の水は表層を滑って流出することになり、地中海の海水は底のほうで逆方向の流れを作り、黒海に流入する。


 つまり、この海峡で行われているのは海水の交換であって、一方的な流出ではない。

 だが、船上で感じる現象の表向きの振る舞いは、川のそれと変わりない。おだやかな流れではあるが、放っておけばゆっくりと流されてしまうだろう。


「危なくなったら、錨鎖びょうさを切っちまえばいい。ここからシャンティニオンまで戻るだけなら、どうとでもなるだろう」

「あいさ。――おい! 投錨しろ!!」


 船長が大声で叫ぶと、船員がただちに動いて鎖の留め具を外し、ジャラジャラと音を立てて錨が落ち始めた。


「砲手! 砲弾を込めて砲撃の準備をしろ」

 と、俺は大声を張って命令を下した。

「船が止まったら測距をして、狙いをつけろ。目標は弓を放ってきた城壁だ。どこかには着弾するように、広い所を狙え」

「はい!!」


 船の中央部に据えてある大砲で、準備が始まる。まず向きを調整し、砲弾が装填された。

 簡単な測距儀によって、城壁とのだいたいの距離が測定された。計算表を用いて仰角を調整し、ややモタモタとした作業だったが、一応の狙いが定まった。


「砲撃準備完了!」


 砲手長がこちらを向いて、敬礼をしながら言った。船員たちは、かなり遠巻きになって大砲を見ている。


「よし、発砲しろ」

「了解!」


 砲手たちが大砲から離れて、砲手長が縄を引いた。その縄の先は大砲後部の発射薬の中に入っており、思い切り引っ張るとチューブ状の発火具が擦れ、ライターと同じような仕組みで火花を激しく撒き散らして点火をする仕組みになっている。

 縄が引かれた瞬間、大砲が咆哮をあげた。


 ズドン! という轟音がし、その瞬間に大砲を船体に固定していた留め具が全部外れ、固定していたロープが生き物のように飛び跳ねたのが見えた。

 それと同時に、尾門の方向に船体がぐわんと揺れた。


 揺れたことによって、甲板に傾斜ができた。すると、大重量の大砲が自分の重さを忘れたかのように、いともあっさりと滑りだし、舷側の手すりの部分に勢いよく衝突すると、板を突き破った。


「…………」


 動揺が収まると、船上に息を呑むような奇妙な静けさが流れた。

 皆が大砲を見ている。大砲は、一番出っ張った基部の部分で一番下から二枚分の板をブチ破ったが、残った二枚でなんとか支えられていた。


「――いったぁ……」


 近くでミャロの声が聞こえ、そちらを見ると、揺れた拍子に転びでもしたのか、腰を打って座り込んでいるミャロがいた。

 音で耳がキーンとしていて気付かなかった。


「大丈夫か?」

「……はい」


 手を差し伸べると、ミャロは手をとって腰をさすりながら立ち上がった。



 ◇ ◇ ◇



 怪我人の確認の後点呼が行われたが、ロープが頭を打って脳震盪を起こした船員が一人いただけで、重傷者はいなかった。


「会長、できたらこのまま板を切って、この大砲は投棄しちまいたいんですが」


 と、船長は言った。


「このままシャンティニオンまで戻ることはできないのか?」

「それは気が進みませんね。船の復元性が悪くなるんで、荒波でも来たら簡単に転覆しちまいます」


 この船は今の所沈む気配はないが、大砲が片方に突き刺さってしまっているため、なんだか少し傾いている。

 口ぶりからすると、このアンバランスは船乗りにとっては大問題なのだろう。


「そもそも、なんでこんなに傾いてるんだ? 重量的には余裕のはずだろ」

 出発する前に確認したが、別に過積載というわけではない。

「そりゃ、会長。重い荷物は普通、船底にある船倉に積むもんです。今は一番重いもんが一番高い甲板の端っこにあるんですから、こうもなりまさぁ」


 そりゃそうか。船の重心から一番高い場所だからな。

 ああ、だからあんなに揺れたのかもしれん。そもそも帆船は木でできているから、重いっちゃあ重いが、鉄で作られた船ほど重いわけではない。


「バラストも重量分降ろしましたしね。もうポンコツで使わないんだったら、捨てていっちまったほうがいいですよ」

「しかし、引き揚げられたら困る」


 先程砲手長と一緒に軽く調べたところ、どうも復座機が衝撃でぶっ壊れているようなので、別に捨てるのは構わないのだが、拾われるのは大問題だ。

 敵がこんな重量物を引き揚げられるとも思えないが、俺ならいくつか方法を考えつくので、やはり不安なことは不安である。

 例えば巨大船の両端に強靭な滑車をつけて、太い鎖を横断させ片方を水中の大砲にくっつけ、片方に重しを乗っけていく。そうすれば、鎖と大砲の重量と摩擦の抵抗を重しが超えたところで、大砲は浮かび上がってくるだろう。


「でも、このまま帰るのはちょっと危険すぎます」

「捨てるにしても、海峡は困る。探しやすいからな。海に出たところで捨てよう」

「ああ、そういうことなら了解です。まあ、そのくらいならなんとかなるでしょう」


 艦長が小気味よく請け負った時、


船影せんえいあり!」


 鋭い声が、マストの上の物見台から響いた。


「白旗掲揚――エンターク竜王国の国旗を掲げています!」


 エンターク竜王国?


 思いもしない国名が出てきた。

 エンターク竜王国は、かつてアルビオ共和国に出張した時、大使と仲良く酒を酌み交わして以来、悪くない国交を築いている国だ。

 なんせ距離があるので、大使館の設置と大使の常駐のような国交までには至っていないが、通商条約を結ぶところまではいっている。


「仲介を頼んだのでしょうか? なるほど、良い手ですね」

 ミャロが俺が考えていたことと同じことを言った。

 こちらにとっての友好国の旗を掲げていれば、仮にこちらが怒髪天を衝く激高状態にあったとしても、さすがに攻撃するわけにはいかない。

「だが、いくらなんでも早すぎる」


 皇子を奪われた関係上、クルルアーン竜帝国がエンターク竜王国に仲介を頼むのは至極合理的な判断だ。

 だが、それを実現するためには、クルトスでの会戦で皇子が奪われた後、誰かがその急報を伝令として本国に飛ばし、恐らく龍帝が仲介を頼むという判断をして、エンタークの竜王まで勅使を飛ばして、返答を貰って……という、気が遠くなるほどではないが、やや迂遠なプロセスが必要なはずだ。

 そして、それらのプロセスは、伝令が長距離を往復して一段階ずつ進んでいくものだ。

 二つの国は隣国ではあるが、首都と首都の距離は相当開いている。

 クルトスでの会戦から一ヶ月程度しか経っていないのに、もう話が纏まっているというのはおかしな話である。


「聞いたことがありませんが、二つの首都の間に櫓が繋いである……とかですかね。伝統的に繋がりの深い二国ですから、そういうのがあってもおかしくはありません」


 ミャロが言っているのは旗振り通信のことで、櫓の上に人が登って、隣の櫓まで旗を振って信号を伝えるという通信方法だ。

 原始的な方法ではあるが、旗の動きは光の速度で伝わるので、訓練された要員が晴れた日に信号を正確にリレーすれば、鷲より早く情報が伝わる。

 シヤルタ王国でも、船の到着を迅速に知るために魔女が活用していた。シビャクとシビャク河口のエルインまでの間に、短いながらも整備されていて、現在も利用できるはずだ。


「距離的にちょっと考えづらいけどな……まあ、白旗を揚げているんだ。会ってみてから聞けばいいことだ」


 この世界には大きな枠組みの条約のような決まり事はないが、攻撃されたくないから敵の友好国の旗を揚げてみました、なんてことは、国家の威信を傷つけるというか、幾らなんでもありえないことだ。

 国旗を掲げている以上、エンターク竜王国のそれなりの政府関係者が乗っていなければおかしい。


「そうですね。でも、この船で会談をするのであれば、ちょっとあの大砲のありさまは恥ずかしいと思いますよ」


 そうだった。


「船長、急いで布かなにかを持ってきて、あれを隠してくれ」


 俺がそう指示をしながら舳先の向こうの海を見ると、既に白旗を揚げた船が視界に姿を現していた。

 そこから右に視線をやると、砲撃によって破壊され、一部が崩れた城壁が見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る