第270話 教会での会話

 シャンティニオンに無事に入市した俺は、その日、町中にある教会を訪れていた。

 その教会は小さいものではないが、街の規模からすると大きいとはいえない。

 建っている場所も街の中心部ではない。一等地とも言えない、市街地のような場所にぽつんと建っている。

 だが、これがガリラヤニンという都市で一番大きな教会であるらしい。


 その教会の真ん中に、本来なら国葬が相応しい男が、侵略者の統治下にあって、所在なさげに棺に収まっていた。


「……はあ、本当に死んじまっていたとはな」


 俺の目の前にあるのは、フリッツ・ロニーの死体の入った棺だった。

 鼻を覆いながら顔を見ると、多少は腐敗して崩れてはいたが、確かに少し前に見た彼の顔である。


 使おうと思っていたのにな。


「お会いしたことはないんですが、優秀な方だったらしいですね」

「クルルアーン竜帝国からあの速さで軍を引っ張って来れるような奴が、優秀でないわけがない」

「そうですね」


 返す返すも勿体ない。

 まさか愛人宅で強盗に殺されるとは。


「鍛えてないやつは、ちょっとしたことですぐに死んじまうな」


 軍人ではなかったのだから仕方がないが、少しは鍛えておけばよかったのに。

 こんなご時世なんだから。


「まあ……でも三人と戦って倒したっていうんですから、少しくらい心得はあったんじゃないですか」

「そりゃそうか」


 普通以上には強かったのかもしれない。


「それにしても、問題は問題ですね。ベルビオ・ハトランさんは、市民からは嫌われているみたいですし」


 ベルビオという男は、こちらの軍がこの都市に近づくなり速攻で白旗を揚げて降伏をし、こちらを歓迎して媚びてきた。

 まあ、言ってみれば根性なしなわけだが、その行動は市民から反感を買った。フリッツのやろうとしていたことと真逆で、政治家として指導力を一つも示さなかったからだ。

 元々悪い条件を飲ませて市民に辛い思いをさせる、というつもりはなかったので、当初用意していた条件を提示したが、ベルビオはそれを自分が交渉で勝ち取った成果なのだと喧伝している。

 軍部は、反乱こそ起こさなかったものの不満アリアリで、他の地域にいる残党は今も徹底抗戦の構えを続けている。


「ああいうごみには信念がない。反乱を企てたりすることはないし、無能だから企ててもすぐにわかる。その点は便利だな」

「はい。そう思います」

「まあ……適任者が登場するまで、せいぜい頑張ってもらうか」

「そのあとは?」

「こちらに寄り掛かってくる馬鹿を失脚させるなんて、造作もないだろ」


 いちいち指示しなくても、ミャロだったらその方法の十や二十、ものの数分もかからずに思いつくだろう。


「そうですね。用済みになったら不祥事でもでっちあげましょうか」

「ああ……問題は、そのあとの後任のほうか」

「そこそこ有能な人なら他にもいるでしょう。ベルビオさん叩きが本格化したら、その活動の旗手にやらせてみるとかでもいいのでは? 市民は歓迎するでしょうし、こちらの好感度も増すでしょう」


 無能な不人気者を引きずり下ろし、それを叩く人気者を押し上げる。

 一時的に統治者への信頼度は増すだろう。代わりとなった人間が統治者として適切な能力を持っているとは限らないが、そもそも民意で指導者を決めていくというのは、そういうことの繰り返しなので、むしろ通常運転と言えるのかもしれない。


「そうだな。あとは、まあ……気長にやるしかないな」

「まずは、あの大きな教会を取り壊すところから始めましょう」

「ああ……そうだな」


 古い都であるはずのシャンティニオンは、九百年の間に、往時の遺構を探すのが難しいほど変化してしまっていた。

 複雑な経緯から、現在は役所として使われているらしい大教会は、かつて女皇の住まいであった王城を破壊して築かれたものだ。


 シャンティニオン――ガリラヤニンの市民たちは、その大教会を都市のシンボルとして敬っている。

 かといって、こちらとしては、かつての侵略の屈辱的な痕跡でしかない大教会をそのままにしておくわけにはいかない。


 こういったことは、征服してすぐ、反論の弱いうちに一気にやってしまったほうがよい。

 時間が経つと、どうしても市民たちの声に耳を傾け、協調するような流れができてしまうし、そうなってしまうと必ず大教会を保存したいという流れになるだろう。


 その時、「破壊して城を建て直す」と強硬な態度で挑めば、改めて衝突することになる。

 結局、今のうちに素早く決断を下してちゃっちゃと壊してしまうのが、のちのちのことを考えると最も穏便に済むし、こちら側としても楽なのだ。


 そもそも、こちらの計画としては、数百年後には人種を置き換える予定なんだしな。


「……ん?」


 そのとき、後ろのドアが開いた。


「失礼します」


 護衛をやっている近衛師団の男が、扉を開けて入ってきた。

 この教会は、俺とミャロが来る関係で、厳重に警備されている。


「なんだ?」

「あの……なにか子連れの女性が入りたいと」

「縁者か?」

「言葉が分かりませんのでなんとも……ですが、恐らくそうかと思います」


 フリッツ・ロニーの縁者か。

 子連れということは愛人のほうだろうか?


「武器がないかだけ調べて、通せ」



 *****



「こんにちは」


 テロル語でそう挨拶したのは、子連れの未亡人だった。

 喪服を着て、顔には黒いヴェールを被っている。


「こんにちは。彼に用事なら、どうぞ」


 そう言って通した。


「ユーリくん、じゃあ……ボクたちは帰りますか?」

「護衛を半分連れてお前だけ先に帰れ。俺は少し話をしてみたい」

「……そうですか。まあ、ユーリくんのことですから、大丈夫でしょうけど……お気をつけて」


 ミャロはそう言って、教会から出ていった。

 未亡人は、棺の前で祈りを捧げている。同じく黒い服を着ている娘のほうは、父親を失ったばかりで哀しそうな顔をしていた。


 そのあと、未亡人はしばらく祈りを捧げていた。

 俺は信者が座る礼拝用の長椅子に腰掛け、その祈りを邪魔することなく待っていた。


 終わって、もし話がなにもなければ、軽くお悔やみでも言って帰るつもりだった。


「……ふう」


 未亡人は、祈りを終えて立ち上がった。

 帰るつもりだろうか。


 しかし、未亡人は、なにか話があるのか、俺の近くまで歩み寄ってきた。


「あなたは? どのような立場の人ですか?」


 と、俺を見て向こうから話しかけてきた。


「僕は、シヤルタ王国の摂政です」

「摂政……というと、あなたはユーリ・ホウということになりませんか?」


 それなりに教養がある人なのだろうか。

 摂政という言葉は、庶民にとっては身近なものではない。

 教養のある母語話者なら解って当たり前という感じもするが、俺の名前まで繋がって出てくるということは、シヤルタ王国の王室の事情についてもある程度理解しているのだろう。


「そうですね。それは僕の名前です」

「では、あなたが……魔王?」


 未亡人は、イイスス教圏で俗に俺に名付けられているらしい渾名あだなを口にした。


「僕は王であったことはありませんが、たぶんそれで合っていますね」


 俺がそう言うと、未亡人は少し驚いたような顔をしていた。

 そりゃ、こんなところで偶然に国家指導者と出くわしたらびっくりするよな。


「……それで、なぜここに?」

「彼とは、戦う前に一度会ったのでね。お悔やみに参ったという次第です」

 本当は顔を確かめに来たわけだけどな。

 死んだと見せかけて、本物がどこかで抵抗運動でも企んでいたら面倒なことになる。

「なるほど……そうなんですか」


 未亡人は気落ちしているようだ。金だけの愛人というわけではなかったんだろうな。


「彼はとても優秀な人材でした。できれば生きていて欲しかった」


 そう俺が言うと、未亡人は少し目を尖らせて俺を見据えた。


「生きていて欲しかったのなら、攻めてこなければ良かったでしょう」


 どうも彼女は俺を責めているらしい。

 まあ、殺したのは強盗だが、元をたどってみれば治安が悪化したのは俺のせいだしな。

 根本的な原因は俺にあると言っても過言ではないだろう。


「それはそうですね。僕に生きていて欲しかったなどと言う資格はない、のかもしれない」

「はい。あなたにはありません」

 やはり怒っているようだ。

「訂正します。失礼しました」

「素直に謝るのですね……それなら一体、あなたはなぜこのような侵略を?」


 侵略か。

 まあ、この人たちにとっては侵略に違いないわな。


 遥か昔、この土地は我らシャン人の持ち物だったのだ。などと主張しても、そんなものは彼女たちの産まれる遥か昔の出来事だ。

 彼女は理由が知りたいわけであって、歴史的な正当性を聞きたいわけではあるまい。


「なぜでしょうね。やられた恨みを晴らしている。というのが実情なのかもしれません」


 十字軍の侵略行為は、この人とは縁遠いところで行われていて、この人にとっては実感などないし、過去にもなかったに違いない。

 だが、シャン人にとっては違う。

 侵略された憎しみ、奴隷にされた屈辱。そういったものは根強く残っている。


 俺もまた、キャロルとルーク、スズヤを失った恨みを忘れたわけではない。


「そのために、なんの関係もない善良な人を殺めても?」

「そうですね。加害者というのは、どんな時でも無自覚なのかもしれません。この戦争で、善良に生きてきただけの様々な人が迷惑を被ったと思います」


 それは事実だろう。

 あえていえば、無批判にシャン人を奴隷化する社会制度を許容していた大人たちについては、許しがたい罪を抱えているという理屈は通るかもしれないが、なにも知らない子どもたちは無垢だ。

 この未亡人の足元に寄り添っているような、なんの罪もない子どもたちが、こうして不幸を被っているのだろう。


「そうでしょう。そのことについて何も考えないのですか?」

「考えていますよ。ただ、僕にとっては他人なので、どうでもいいというのが実際です。僕たちの国があなたの国に侵略されていたとき、あなたがどうでもいいと思っていたようにね」

「……確かに、私はそう思っていたかもしれません。でも、あなたは実際にここにいるではありませんか」


 まあ、ここにいて、死体も見ているかもしれないが。

 そもそも、この人は何か勘違いしていないか。


「あの、もしかして、貴方はそこにいる棺の主が、その善良な人に含まれると思っているのですか?」

「……はい?」


 さっきから目でチラチラと棺を見ていたが、本当にそう思っていたのか。

 フリッツ・ロニーが善人? とんでもない勘違いだ。


「知らないのですか? 彼は、第十五回と第十六回の十字軍でガリラヤ連合軍の最高指揮官だった男ですよ」

 と、俺は言った。

「惨敗に終わった第十六回では奴隷を獲得できませんでしたが、第十五回では、ガリラヤ連合は数十万人のシャン人の奴隷を獲得しています。あなたは、その人たちに家族がなかったとお思いですか?」


 俺がそう言うと、未亡人は少し驚き、めまいを起こしたような顔をした。


「彼が、その行いについて自覚的だったかどうかは分かりません。ですが彼の行いによって、十万人以上の家族が引き裂かれ、そこにいる貴方の愛娘と同じような子どもが、大勢奴隷として連れ去られたのですよ。彼女たちは今もどこかで娼婦として客を取らされているのかもしれない。そういったことは想像できませんか?」

「………それで、貴方はなにがいいたいの? 彼が、貴方と同じような悪人だと?」

「悪人? 別に。ただ、僕が行いについて無自覚であるというなら、彼も貴方も同じだということです。時代に翻弄されていたとか、悪意はなかったとか、お国のためだったとか、そういった修飾をすることは可能でしょうがね。それはこちらにもできる。ここは何百年前の侵略で奪われた土地なのだから、返してもらっただけだ、出ていかないほうが悪い、とかね」

「…………っ」


 黙ってしまった。

 俺の悪い癖だな。なんだか、論破のような形になってしまった。


 夫を失ってから一週間も経っていないのだから、怨敵を見つけたら絡みたくもなるだろう。

 溜飲を下げさせてやったところで、こちらがなんの不利益を被るわけでもない。

 別に、言いたい放題言わせてストレス発散させてやる義理があるわけでもないが。


「あなたもそう思っているの?」

「はい?」

「この土地を取り返すのが当然だと」

「いいえ、思っていませんよ」


 俺には愛国心などというものはない。シャンティラ大皇国だの、シヤルタ王国だの、そういった国の仕組みに愛着があるわけでもない。

 単に、国民の大多数にとってシャンティニオンを取り返すことは悲願であったから、彼らを率いる身として願望を叶えてやっただけだ。


 俺の個人的な目的に付き合わせて血を流す、人々への報酬と言ってもいいかもしれない。


「僕は、自分の個人的な復讐と、大切な人々を守るために戦っているだけです。そのためになら、どれだけの怨嗟の声を叫ばれようと気にしません。あなたが僕を憎むのも当然でしょう。ですが、いくら恨まれても僕はなにも気にしません」

「……そうですか」


 未亡人は呟くように言った。


「私は、あなたを恨んでいます。ですが、夫があなたに殺されたとは思いません。夫は、この国に殺されたのだと思っています」


 ……?

 どういう話だ。

 まあ、強盗はこの国の底辺層だったんだろうし、そいつに殺されたってことは、この国に殺されたという見方もできるだろう。

 そういう意味の話か?


「話が逸れてしまいましたが……あなたに声をかけたのは、夫の遺灰をいくらか分けて貰いたかったからです。私たちは、それを持って南の国に行こうと思っています」

「そうですか……別に構いませんよ。そういうことなら、正妻の奥さんには内緒にしておきましょう。反対されると少し面倒なことになります。それとも、正式に許可をとったほうがいいですか?」

「……いいえ、私は、彼女と話したくありません」


 そうなのか。

 まあ、愛人の身としては正妻とは話したくないものなのかもな。

 それは理解できる。気まずいだろうし。


「しかし、南ですか。あまりおすすめできませんがね」

「……は? それはなぜです」

「僕が征服するつもりだからですよ。教皇領はもちろん、ペニンスラ王国までね。なにも、住んでいたところと逃げた先で、二度も戦災に見舞われる必要はないでしょう」

「……呆れますね、あなたの戦争好きには」


 俺は戦争が好きなわけではないのだが。

 まあ、そう見えてしまうのは仕方がないだろう。俺が彼女を理解できていないように、彼女も俺を理解してはいない。

 語り合う時間も、それをする必要もない。


「宗派に拘りがないのなら、アルビオ共和国に渡ることをお勧めします。特に小アルビオ島は最も安全な場所の一つですよ」

「……考慮してみます」

「ええ。遺灰は、後日貴方の自宅に届けさせます。それで構いませんか?」

「はい……それでは、失礼します」


 もうこれ以上話したくない、とばかりに、未亡人は端的に別れを告げると、形ばかり頭を下げた。

 そして踵を返したとき、未亡人の足元にくっついていた幼女が未亡人から離れ、こちらに走り寄ってきた。


「――ミュセット!」

「おにーさん」


 幼女が喋りかけてくる。

 可愛らしい女の子だ。こんなのがいたのに死んじまったとはな。


「なんだい?」

「おにーさん、おしごとがつらいの?」


 は?

 どんな質問だ。


「べつに、辛くないよ」

「おとーさんと同じ。元気がなさそうにみえるのよ」

「そうか……お父さんも、僕と同じで向いていない仕事を続けていたのかもしれないね」


 向いていないというか、俺の場合は能力はあっても性には合っていない仕事という感じだけど。

 戦争に勝ったら素直に大喜びできるような、単純な性格ならよかったんだろうが、俺はそういう風には思えない。


 自分が殺した死者の人生も、それで起こる不幸も想像できてしまう。

 顔をしかめながら戦争をして、勝ったら負けなくてよかった、と安心するだけだ。勝っても嬉しさも充実感もない。


「向いてないおしごとなら、やめたほうがいいのよ」


 ………。

 いったい、どういう子どもだ。


「お父さんは向いてないおしごとを続けて死んじゃったの……だから、おしごとは好きなことをするのが一番だとおもうの」


 フリッツは過労死をしたみたいに伝えられているのだろうか?

 例の現場にはいなかったのかもしれないな。幸いなことに。


「ミュセットはね、いつかコックさんになって、お料理屋さんを開くの。お料理のお手伝いが好きだから」

「そうかい。そりゃ、いい将来の夢だな」

「その時は食べに来てくれる?」


 食べに?

 うーん……。


「ああ、食べに行くよ。約束だ」


 食べに行けるとは思えないが、適当にこう言っておこう。

 アルビオ共和国で店を開くんだったら食べにいけなくもないだろうが。


「うん。お願いね。またあいましょう」

「ああ。さようなら」


 適当に手を振ると、未亡人は困ったような顔をして、ミュセットと呼ばれた幼女の手を引いて去っていった。

 本当に馬鹿なやつだ。あんな子どもを置いて死んじまうなんて。


 馬鹿なことをやっているのは俺も同じか。と思いながら、椅子を立った。

 向いていない仕事をしている俺には、占領したばかりの大都市で、やることが山ほどあるのだった。

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