第261話 四者の天幕
鷲で戦地にやってきてから三日後、その日は敵の首脳との面会日だった。
やってくるかどうかは半々、といったところだったが、報告ではどうやら本当に来たらしい。
ガリラヤ連合は、東西に細長い国だ。実のところ、シャンティニオンから前線までは、そう遠くない。
移動時間がそれほどかからないことに加え、最初に敵陣営に近い森の中の小村を会合地に指定したので、俺を暗殺できる好機ありと見てやってきたのだろう。
もちろん、そんなところで会合をするわけはないので、直前で場所の変更をし、見晴らしのいい草原地帯を指定しなおした。
それでも来たのは、一度足を運んだものを、諦めて帰るというのはなんとなく勿体ない感じがしたのかもしれない。
「よう。掛けてくれ」
あちら側の護衛に伴われて入ってきた二人の男は、俺の軽口に応じるふうでもなく、観察するような目でじっとりと見てきた。
彼らの目に、俺はどう映っているのだろう。異人種の青年か、あるいは偽者かと疑っているのかもしれない。
「どうした? 座れよ」
続けてテロル語で言うと、
「おい、言葉が全然わかんねえぞ」
と、隣に座っているドッラが言った。
「いいじゃねえか。敵さんの総大将に睨みを効かせとけよ」
「……わかった」
そう言うと、ドッラはむっつりと押し黙る姿勢を見せた。
腕は組まず、
「座りましょう」
と、フリッツ・ロニーらしき男が言った。
表向きは、事前に調べていた
フリッツ・ロニーともう一人の男は、そのまま机の向こうの椅子に座った。
うーん……この男が嫁さんほっぽって愛人と不倫しまくりのムッツリスケベ野郎なのか……。
見た限りでは誠実そうな印象しか受けないが……人は見た目によらないものだ。
密偵からの調査報告によれば、恩人の前大統領の娘さんを嫁に貰っておきながら、裏で若い愛人と浮気しまくり、子作りまでして二つ目の家庭を作っていたやべーやつという話だったんだが。
「そちらは、ガートルート・エヴァンスか」
そう俺が言うと、二人は少し驚いた顔をした。ほぼ無名のはずの男の名前を知っていたのが意外だったのだろう。
情報は隠さなければ伝わる。教皇領兵は酒場の飲み話でも、実績のない頼りがいのない大将の話を喋っているのだ。
二種族が入り混じった地域が生まれたことで、スパイを育成しやすくなったのは、あちら側だけの話ではない。
こちらもアルビオ共和国に頼り切りにならなくとも情報を収拾できる仕組みは整いつつある。
「はい。お初にお目にかかります」
小太りのガートルートは、席から立ちこそしなかったが、慇懃に頭を下げた。
本来、こいつからしてみれば、俺に挨拶をする必要などないわけで、襟を正す義理もない。
教皇領生まれの凝り固まった人間にしては、おかしな所作だ。少なくとも、こちらを魔族と見下げているクラ人、特に教皇領の捕虜で、俺にこのような態度を取ってきた者はいない。
例えばエピタフ・パラッツォなんかは絶対にしないだろうし、このあいだシビャクまで乗り込んできた軍属の男なども、絶対にこのような態度は取らないだろう。
あまり宗教に拘りのない人間なのかもしれない。
「本来なら茶など出すところだが、口に入れるのも抵抗があるだろうな。ここは話し合いだけにしておこう」
「そうですね」
フリッツ・ロニーが言った。
「少し尋ねたいことがあるのですが」
デブが言った。尋ねたいこと?
「なんだ?」
「あなたは、仮にガリラヤ連合を平定したとしたら、その後どうするつもりなのです?」
デブはまっすぐにこちらを見て問いかけてきた。
「十字軍各国には、宣戦布告の文書が届いているはずだが?」
「それはそれ、改めて和平をすればいいことです。恐れながら、我々の都市国家をたいらげ、ガリラヤ連合も平定すれば、いにしえの大皇国の旧土は取り返したも同然では?」
「いや、ティレルメ神帝国に取られた分が残っているだろう」
「ああ、そうでした。神帝国の北の部分も取り返したとして、そのあとのことです」
まー、言いたいことは分からないでもないが。
「当然、カソリカ教皇領まで侵略するつもりだ」
「大義名分は? 旧領は取り返したはずですが?」
なんだこのぽっちゃりデブは。しつこいな。
「現在のカソリカ教は歪められた邪教だからだ。ガリラヤ書5章35節の解釈はどう考えても正しくない」
「それは、イーサ・ウィチタ独自の解釈ですね」
あー、めんどい。
「ハフシュレカ」
唐突に俺が奇妙なアクセントで意味不明な単語を放つと、二人は顔に疑問符を浮かべた。
「トット語で書かれた聖典の原書で、貴殿らが悪魔と誤訳している単語だ。これは聖窟版も古典版も使われている単語は変わらん。アーン語がトット語を祖語とする言語であることは知っているか? フリッツ殿はご存知だろうが、アーン語では異邦人のことを”アクシュレニ”と呼ぶ。語源的にはハフシュレカから変化した言葉だ。
「……なるほど。それを変えるのが目的だと」
「ああ。未来永劫、馬鹿げた解釈に振り回されるのはつまらん。俺の時代で決着をつけるつもりだ」
「では、我々がイーサ・ウィチタの教えを認めれば、侵略するつもりはないと?」
「はぁ?」
あまりにつまらん問いに、呆れた声が出てしまった。
「貴殿がまともな政治感覚のない馬鹿なら、これ以上の問答は控えさせてもらいたいものだ。戦争なくして達成可能な条件ではあるまい」
「例えばの話です」
「例えば」
ここまで不毛でくだらん会話をするのは、久しぶりな気がする。
「例えば、各国がカソリカ派を違法として、独自の捜査権を認められた我らの種族の調査団を受け入れ、誤った教えを広める聖職者を処罰する権限を与え、国中を闊歩させることを許すのなら、場合によっては侵略は必要ないかもしれんな。君はそれが戦争と制圧という
俺がそう言うと、デブはやや考えたあと、
「それは、難しそうですね」
「なら、少し黙っていてくれるか? つい昨日まで我々を奴隷種族として扱って根絶やしにしようとしていたような連中に、非難めいたことを言われるのは気分が悪いのでな。ああ、昨日ではなく、今もか。さんざん好き勝手やってきておきながら、侵略される側になった途端、恨み節のようなことを言い出すのはよくない」
「まあ、それはそうですね」
と、デブは気にするふうでもなく、話しはこれで終わりとでも言いたげに、野営用の簡素な椅子の背もたれに背を預けた。
なんなんだこいつは。
「それで……フリッツ・ロニー殿。用件は君にあるのだ」
「はい」
フリッツ・ロニーはすぐに頷いた。
「知っての通り、俺はガリラヤ連合を滅ぼしても人々まで駆逐するつもりはない。超長期的にはゆるやかに人口を置き換えて、シャン人の国にしたいと思っているが、それは百年以上後の話になる」
試算では、旧国土を簡単に取り戻せたらという仮定があった上で、新大陸に割く人間を考えると、必要とされる期間は百年では効かず、十分な人口になるまで百五十から二百八十年ほどかかると見積もられている。
「もちろん、支配者はシャン人になるわけだから、それなりに窮屈な思いをしたり、誇りを抱きにくい気持ちになったりするだろう。だが、俺は概ね君たちを厚遇するつもりだ。土地を腐らせておくのは勿体ないからな」
「植民都市の人々と同じ扱いということですね。その辺りのことは、我々も調べがついていないわけではないので、説明は不要ですよ」
説明は不要らしい。
「それはそうだろうな。だが、今まで征服した植民都市と比べると、シャンティニオンは比較にならないほどの大都市だ。俺は、シャン人と君たちを繋ぐ橋渡し役のような者がいると便利だと考えている。経歴や支持率、能力からいって、それは君が適任だろう」
見た感じ、幸いなことにチャラ男ではないみたいだしな。
「……はぁ、そうですか」
「もちろん、戦いもしないうちに降れという意味ではない。だが、戦いに負ければ、君は責任を取らされると思い国外脱出を急ぐのではないかと思ったのでね。こういう席を設けさせてもらった。まあ、厚遇するつもりだから、脱出せずにシャンティニオンに残っていてもらえると助かる、ということだ。給料は弾むぞ」
「勝ちもしないうちから、そんなことを考える余裕があるのですか?」
「必ず勝つとは限らないが、こういったことは勝ってからでは伝えられないのでね。先に先にとやっておいて損になる話でもない」
今日の目的はそれではないんだけどな。
物わかりが良さそうなタイプに見えるし、手駒になってくれると便利なのは確かだ。
「なるほど。まあ、お断りさせていただきますよ」
「そうだろうな。だが頭の片隅にでも入れておくといい」
そう言ったあと、黙っていると、少しばかり沈黙が流れた。
順番から言って、フリッツ・ロニーから話があるならさせてやろうと思ったが、特にはないようだ。
「――さて、ガートルート・エヴァンス君、実は先日、我が国で事件があってな」
「……ほう」
「教皇領の暗殺者が俺の王都まで侵入してきて、信頼できる技術者が一人殺された」
フリッツ・ロニーが眉を少し動かしたのを俺は見逃さなかった。どうも、初耳の話らしい。
小デブのほうは、顔を少しも動かさなかった。初めて聞く話であるのだとしたら、大したポーカーフェイスだ。
「結構な手練だったようだ。暗殺者二人の遺骸を棺桶に入れて運んできた。外に置いてある。そちらで引き取ってくれ」
「三人いたはずですが?」
知っていたのか。
そういった秘密作戦は、知る者を少なくするのが成功の秘訣だが、こいつは知っている立場の人間ということか。
しかし、それを言ってくるとは。
「残り一人は、洋上で消えた。貴殿の国に逃げ帰っていないのであれば、溺死して海の藻屑となったのだろうな」
本当のところはエンリケのおもちゃになってるんだけどな。
エンリケの報告によると、やっぱり単純な痛い拷問では素直にならなかったので、彼は地下の感覚遮断室のような場所に閉じ込められることになったらしい。
三週間ほど放り込んだあとにネズミを一匹与えてやると、孤独に精神が狂いかけていたのか、彼はまたたく間にネズミに依存し、自らの愛娘かなにかのように可愛がりだした。
一週間愛を育ませたあと、エンリケはネズミを丸い筒に入れ、紐のついた重い石を用意し、彼の手足を縛った。
石を丸い筒の上に配置すると、紐を彼の口に咥えさせ、放せばネズミが潰れるようにセッティングをした。
彼はなんと十一時間も紐を咥え続けたらしいが、最後には落としてしまった。「あの時の彼ったら、物凄い顔で絶叫しちゃって、私ひさしぶりにちょっとゾクゾクしちゃいました」とエンリケが満足そうに言ったくらいだから、よほどの顔だったのだろう。
「なるほど……」
「君はやけにあの作戦について詳しいようだが、関与していたのか?」
「あれは私が立案させていただきました」
……こいつが考えたのか。
ふーむ……だが、なんでこの場でそれを正直に言うんだ?
こちらを揺さぶっているつもりなのか?
リリーさんの生死について真偽を推し量ろうとしている?
ていうか、こいつが考えたのか。
ふつうに、危うくリリーさんが殺されるところだったんだが。
苛つくな。
「そうか……まあ、それならそれでいい」
俺は席から立ち上がった。
「話は終わりだな。それでは――」
そこで、俺は腰帯に引っ掛けていた短刀を引き抜くと、抜刀の勢いそのままに投げ込んだ。
短刀は、斜めのまま空中を
ドッ、と鈍い音がして胸に当たった。
突然の凶行に、向こうの護衛が気色ばみ、剣の柄に手をかけた。
……運が良かったな。
「ご足労願った礼だ。死体共々、土産に持っていけ」
一触即発の空気が流れる中、俺は残った鞘を引き抜き、向こうに投げた。
ガートルート・エヴァンスの胸には、刃は刺さっていなかった。短刀は刃でなく柄のほうが当たり、胸をしたたかに打って、下に落ちただけだった。
厄介そうな奴だし、この場で争いになってでも処分しておいたほうがいいかと思ったが、失敗に終わってしまった。
「帰るぞ」
シャン語に切り替えて、ドッラに言う。
「いいのか?」
「造りはいいが現代刀だ。高いもんじゃねえよ」
「違う。やるなら、やれないこともないぞ」
ドッラは微動だにせず二人を睨み、手の中の石を握っている。
ここで暴れれば、今からでも殺せないことはない、ということだろう。
机の向こうを見ると、二人は刀を拾うでもなく、戦慄したような、あるいは非難しているような眼で、こちらを見ていた。
「いや、いい。帰るぞ」
俺は運命論者ではないが、結構な確率で刺さったものが刺さらなかったのだから、今日の彼は運がいいのだろう。
折角の機会に贈り物をしたかったが、ちょっと乱暴な投げ方になってしまったという形も作ったことだし、この場は帰るとしよう。
「では、次は戦場で
俺はそう言って一方的に会合を打ち切り、陣幕から去った。
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