第246話 ガリラヤニンでの一幕 前編*

 壮麗な庁舎の一室で、ガリラヤ連合副統領であるフリッツ・ロニーは、窓から外を見ていた。

 わずかに塩気を含んだ風は、西方の大海とは少し違う、黒い海の薫りを運んでくる。港ともいえない岸辺から、繋いであった小さい漁船が漕ぎ出し、漁師が縦帆を張るのが見えた。

 港には、帆が一際目立つ紅色に染められた見慣れない船が停泊している。


 ガリラヤニンは、かつてシャンティニオンと呼ばれていた都市である。ここには昔、長い耳の種族だけが暮らす、大きな国の首都があった。

 その頃のシャンティニオンの姿は、様々に言われている。教皇領は掘っ立て小屋ばかりの蛮族の国だったと主張しているし、トット語の古文書を読める一部の学者は、ヴァチカヌスを凌ぐ壮麗な大都市だったという記述を知っている。

 シャンティニオン時代の建物というのは、このガリラヤニンには残っていないので、どちらが事実なのかは分からない。

 しかし、建物は残っておらずとも、その土台は残っている。シャンティラ大皇国の技師たちは、重量のかさむ大きな建築物の土台には、大きく頑丈な切り石を使うのを好んでいた。

 そういった基礎は破壊することも難しく、現在も都市中に残っている。それらは、今も利用されている。

 彼らの遺した基礎は高い技術で水平が出ており、沈下も起こさない。紙一枚入り込む隙間がないほどキッチリと並べられた石の基礎を見ると、壮麗極まる都市かどうかまでは知らないが、掘っ立て小屋ばかりの広いだけの都市だったということは無いのだろう。


 現在、フリッツ・ロニーが執務を行っている政庁も、土台はシャンティラ大皇国時代のものをそのまま流用したものだ。

 大皇国が滅びた戦争のあと、教皇領の北部辺境領となったガリラヤニンには、北部一帯の布教を目的として、都市中央部の城の跡地に大聖堂が建設された。

 早速、新たな管区を統べる大司教座が設置され、ヴァチカヌスからは信仰の中心となるよう、オルタの聖顎という重要な聖遺物が運び込まれた。


 しかし、それから三百年の時を経ると、十字軍初期からの植民都市では本国への不満が高まり、独立心が芽生えた。

 ガリラヤニンの総督がそれらを束ねて反乱を起こすと、最初期の植民都市はガリラヤ連合の旗の下に集い、独立してしまった。

 当たり前だが、母国はそれに激怒して軍を起こした。だが、クルルアーンの海峡は閉鎖されており、陸路は妨害工作で使えず、結局討伐軍がガリラヤニンに到着することはなかった。

 それでも怒り冷めやらぬ教皇領は、聖職者を引き戻すという手段を取る。

 ガリラヤ連合内で秘跡及び説教を行う聖職者は異端とするという声明を出すと、ルールー大聖堂は放棄され、オルタの聖顎は持ち帰られた。


 今、フリッツがいる政庁は、そのルールー大聖堂を改修した建物である。十字架の形をしたメインホールは、現在ガリラヤ連合の連合会議が開催される大会議場となっている。

 結局、教皇領との国交が正常化したあとも、彼らはこの地に司教座を置き直すことをしなかった。ガリラヤ連合の反乱は六百年以上も昔の話だ。恨みがまだあるわけではないのだろうが、彼らなりに態度を表明し続けているということなのだろう。

 現在、ガリラヤ連合と都市国家地帯を合わせた巨大な教区には、大司教がいない。ゲリジムという教皇領植民市にある司教座聖堂が、教区全体を取り仕切っていることになっている。


 シャンティラ大皇国が基礎を築き、教皇領が建物を作り、最後にガリラヤ連合が改修した建物で、フリッツ・ロニーは今、紅色の帆をした船で到着した、教皇領の使者を待っていた。


 *****


 教皇領からの使者は、ボタンのない筒のような円筒マントを着ており、詰められた襟の上から大きな首飾りをつけていた。

 ひし形をした紺色の布地に、銀糸によって縁飾りと十字架が刺繍されている。

 教皇領の督戦隊であった。


「ガリラヤ連合への要望書は、こちらになります。お受取りください」

「どうも、ご苦労さまです」


 フリッツ・ロニーは、家族以外の人間に対しては基本的に敬語を崩さない。

 この国では政治家は世襲貴族がなるものではない。政治家は身分が保証されているわけではなく、足元を掬われればすぐにでも転落してしまう、儚い存在だ。

 元々が傲慢な気質でないのもあるが、フリッツは常に他人に敬意を表し、襟を正した態度でいるのが、この国で政治家で居続けるコツだと思っていた。


 受け取った要望書の蝋封を剥がし、中身を確認する。

 フリッツの現在の肩書は、ガリラヤ連合副統領というものである。統領コンスルであるオラーセム・ハトランは現在高齢で、最近は急激な呆けの進行でまともな判断能力がないので、フリッツが統領の仕事を全て代行している。


 教皇領からの要望書というものを読む。


「ふむ……なるほど。要するに、援軍を送るなということでしょうか」


 エピタフ・パラッツォからの要望書には、来る決戦の時に備えて戦力を温存し、時来たらば出し惜しみせず兵を出してほしい、というような内容が礼儀正しい文章で書いてあった。

 要するに、今援軍を送ることはするな、ということだ。

 それは、フリッツからしてみると意外な内容だった。


「その通り。フリッツ閣下に於かれましては既にご存知のことかと思いますが、フリューシャ王国が五千の援軍を出したにも関わらず、先日ノイニナレスが滅ぼされました」

「存じております」


 植民都市は、母国の都市名を引っ張ってきて、ノイなんとかと名付けられる場合が多い。

 この場合は新しいニナレスという意味で、ニナレスという大きな都市が教皇領にある。


 教皇領の都市名なのに、現在フリューシャ王国の植民都市になっているのは、百何十年か前に移譲されたからだ。

 母国にとっては、小麦をばら撒いたようにバラバラの場所に離れて領土があるよりは、捏ねたパンのようにひと塊になっていたほうが統治上都合がいい。

 十字軍のたびに分けられる新領土をくっつけるために、都市の移譲というのは良く行われていることだった。

 当然、住民にとってはいい迷惑となる。強制移住させることもあれば、そのまま国籍が変わることもあるが、どちらにせよ国の事情に激しく翻弄されてしまう。


「このように個別に援軍を少しづつ送っても、各個撃破され諸国の軍力が削がれるのみ。と、エピタフ様はお考えです」

 それは理屈としては一理あるのかもしれないが、そんなことはフリューシャ王国とて分かっていたことだ。

 フリューシャ王国は、社交界サロンで厄介者となった出来の悪い王族の一人を、十三年前島流し代わりにノイニナレスに封じた。

 彼は問題だらけの人物だったが、血筋だけは王になっても不思議ではない最高のものを持っていたので、援軍の要請があれば見捨てるわけにはいかなかったのだ。

 もちろん、フリューシャ王国としては本気で助けたいとは思っていない。形ばかり救うポーズをしたいだけだったので、送ったのは低練度のならず者や、食い詰めた傭兵団といった連中の寄せ集めだった。

「植民都市は見捨てろとおっしゃる?」

「有り体に言えば、その通りです」

「……なるほど。ですが、ゲリジムはどうするのです? もうそろそろ軍勢が近づいてくるのでは?」


 フリッツはそこが不思議だった。

 他の国の植民都市など、教皇領にとってはどうでもいい些事だろうが、ゲリジムに関しては強い執着があるはずだ。

 地域の信仰の中枢とするため、大司教座聖堂ほど立派ではないものの、街の規模に不釣り合いな大きさの聖堂も建てた。

 フリッツはむしろ、ゲリジムを守るために援軍を出せ、と言われるものだと思っていたのだ。


「他の都市と同様にお考えください」


 ゲリジムも見捨てるということか。

 教皇領にしては、思い切った施策である。


「私どもとしては構いません。ただ、連合都市ユニオン・シティが脅かされた場合、法律に従って我々は軍を出します。それはご理解願いたい」


 ガリラヤ連合は、本国に愛想を尽かした植民都市が反旗を翻すことで成立した。

 連合都市ユニオン・シティはそれぞれが独立性の高い都市国家であって、普通の国の地方都市とは少し意味合いが違う。

 そもそもが相互扶助を理念として設立されたので、国家の骨格となっている”鉄則”と呼ばれている基本法によって、攻撃された加盟都市を何もせずに見捨てることはできない仕組みになっている。

 もちろん、なにがなんでも総軍で迎え撃たなければならないというわけではない。だが、大なり小なり援軍を出す必要はある。


 鉄則を作ったオランセム・ハトランは、都市を取り返すために送られてきた本国軍との戦いを義務化することで、安心して連合ユニオンに加入できるように配慮したわけだが、この条項が本来想定された敵に対して発動したことは今まで一度もない。

 歴史的には、むしろ略奪しにきたカンジャルの騎馬部族に対して発動してきた条項であり、実際に今まで数え切れないほどの回数、発動が宣言されてきた。その宣言をしなかった統領のほうが少ないくらいだ。

 もちろん、シャン人との戦いには適用されない、などということはない。


「なるほど……まあ、それは致し方ないでしょう。ただ、エピタフ様の意向といたしましては、やはりいたずらな戦力の消耗は避けていただきたいという要望なのです」

 そんなことは言われずとも分かっている。こちらは戦争の矢面に立って心を砕く当事者で、教皇領は安全な場所にいる部外者だ。部外者に訳知り顔で指示されるのは不愉快であった。

「それならば、我々の最初の都市が攻撃される前に、しっかりとした形で援軍が到着するようにして頂きたい」

「もちろん、それはそうさせていただきますとも」

「……そもそも、都市国家地帯のことを心配するよりも、ティレルメの内乱をどうにかするほうが先決では?」


 ティレルメが内乱をしていることは、様々な面で問題がある。

 そもそも、戦争の正面にあって最も粘り強く戦うはずの国が、身内同士で争っているせいで脆弱というのは、言うまでもなく大問題である。


 都市国家地帯の植民都市が易々と攻略されていったのも、ティレルメの内乱の影響という部分が大きい。

 内乱の影響で地域全体が混沌としているので、道中には野盗やならず者の傭兵集団が跋扈している。そういった連中は無防備な荷駄を見ればすぐに襲ってくるので、極めて通過がしにくい。

 いちいち斥候をだして安全を確かめなければならないし、側面から攻撃を受けないためには隊列全体を守らなければならない。有り体に言えば、戦場を歩いているのと同じ警備体制が必要となる。

 また、内乱で相争っている二勢力のほうも、武装した軍隊が軍事的な要地に近づくのは好まない。不確定要素になるからだった。通行許可の申請を出したとしても、蹴られることは多く、思い通りの街道は使えない。

 植民都市に援軍を送ろうと思った場合、ティレルメは当然通行路になるので、そこが通りにくいというのは大きな問題だった。

 ノイニナレスはガリラヤニンから近かったので、援軍は船でガリラヤニンまで来て、残りは陸路で向かった。

 だが、去年降伏した数々の西方の植民都市は、陸路も使えず、海路も船を燃やされるので使えず、援軍や補給を受けられなかったため、碌に抵抗ができなかった。

 ティレルメが正常に機能してさえいれば、麦を大鎌で刈るが如く都市国家地帯が攻略されてゆくこともなかっただろう。


「それが、どうにかならないのですよ」

 督戦隊の男は、困ったような顔を作った。

「……ここだけの話、どちらかを暗殺してしまえばそれで済むことでは?」

 教皇領ならば、優秀な暗殺団を持っているはずだ。

 エピタフ・パラッツォはアンジェリカ・サクラメンタがお気に入りなので、どちらかで言えばアルフレッドのほうを暗殺するだろう。

 アンジェリカが戦場から逃げ出したという話を信じていなければ、の話ではあるが。

「ここだけの話、それは既に実行したのですよ。ですが、アルフレッド王は自身が暗殺に精通しているからか、とても用心深く、報告によると成功の見込みは殆どないようです」

「……なるほど」

 としか言いようがなかった。既に実行していたとは。

「アンジェリカ王のほうも、彼に何度も暗殺者を送られていたので、暗殺の手口についてはよくよく心得ているようですね」

「いやはや……」

 とんでもない兄妹だ。という以外に感想が出てこない。

「今の話は秘密にしておいてください。公的には存在すらなかった話です――。まあ、ということで、ティレルメについてはただ待つ以外に方法がありません」

「どちらかに大量の援軍を出して、早期に決着をつければいいのでは?」


 普通、こういった内乱の場合、誰が言わずともどちらかの勢力に肩入れをするものだ。

 例えば、アンジェリカ・サクラメンタなどは妙齢の女子なのだから、王族を夫として送り込み政略結婚させれば、次の王となる子は自国の王族と近しい親戚となる。大国に対して大きな影響力を持つことができるわけだ。

 だが、今回の場合対価として求められるのはもちろん、援軍や軍事的な支援となる。今はどの国も前回の十字軍で消滅した軍の再建で手一杯なので、それを提供することはできない。

 そういった事情があり、この内乱は長い間純粋に二つの旗だけで争っている。


 しかし、教皇領が先頭に立って軍を出せば話は別だろう。

 この内乱で得をしているイイスス教国は一つもない。長引く内乱でティレルメが使い物にならなくなる前に、一気にケリをつけてしまったほうが長期的には利益になる。


「それは、本当に最後の手でしょうね。もちろん、検討はしておりますが、そうなった途端、ユーリ・ホウは傍観を切り上げティレルメを攻める可能性があります」

「なるほど」

 ユーリ・ホウが内乱状態のティレルメを攻めていないのは、内乱による弱体化が進行するのを待っているからだ。というのが大方の見方である。

 彼にとってみれば、流血が続いて出血死寸前になったところでトドメを刺すのが一番良い。止血が終わり、あとは治るだけとなったら、攻めるかもしれない。

「そうなったら、確かに問題ですね。寝ている虎を起こす必要はないということですか」

 実際はただ寝ているわけではなく、植民都市が切り取られているわけだが、フリューシャ王国あたりはティレルメ神帝国が壁となっているので、下手な手出しはしないで欲しいと思っている可能性はある。

「以前から要請してまいったことでございますが、くれぐれもクルルアーンとの友好関係は崩さぬようお願い致します。もしティレルメが攻撃された場合、東部から圧力を掛けることが重要となりますので」

「むろん、それは承知しております。クルルアーンとの盟約は崩れません」


 当然の話だが、地中海との海上貿易はクルルアーンの海峡を通らなければ行うことができない。

 クルルアーンの海峡は狭く、両岸から攻撃が届く上、防鎖の設備まであるので密貿易は不可能であった。


 ガリラヤ連合はクルルアーン竜帝国に対して太い外交を持っている。海峡を渡る際の通過税も払い続けており、これはガリラヤ連合にとっては大きな負担だが、クルルアーンにとっては労なく大金が入ってくる甘い蜜となっている。

 現在のところ、それが破れる兆候はない。

 西の大洋に面した港湾都市がアルビオ共和国による攻撃により機能停止に陥り、商船が軒並み焼き払われた現在、ガリラヤ連合による貿易は再び比重を増し始め、海峡を通る船は増えている。

 当然、クルルアーンも通過税の増加で潤っているはずだ。そのことを考えると、むしろ関係は強化されているとさえ言えるだろう。

 突然、教皇が狂を発してクルルアーン竜帝国に対して聖戦を仕掛けでもしない限りは、唐突に盟約が破れるということは起こり得ないことだった。


「フリッツ様がそうおっしゃるのであれば、東は安泰とエピタフ様にご報告させていただきます」

「そうしてください」


 あの男がココルル教に対してどのような外交をするのか見てみたい気もしたが、無縁でいるのが安全だろう。

 ガリラヤがクルルアーンと仲良くしていられるのは、皮肉なことにルールー大聖堂が引き払われ、聖職者が撤退したからという側面が大きい。

 現在は聖職者の活動は再開しているが、信仰の中心が存在しないことで、ガリラヤ人の信仰心はそこまで高い水準にはない。


 ガリラヤニンほどの大都市で大司教が不在の街というのは、イイスス教圏には他にない。宗教に熱心でないから、ココルル教の人々と交流しても軋轢が起きにくい。

 ガリラヤニンには、国交を持っている関係上、ココルル教の信徒がそれなりの数在住している。例えばこれがヴァチカヌスであれば、異教徒を見つけ次第石を投げるといった人々が大勢いるので、彼らは暮らせないだろう。

 それでは親交など結べようはずもない。


「援軍の件も、合わせて報告してください。ガリラヤ連合が潰れれば、あなた方も困るでしょう」

「分かっております。我々とて、ゲリジムを捨てるのは苦渋の決断なのですよ。今は機を伺っているのです」


 日和見主義者の常套句だった。

 ただ、南にある諸国とて、軍の再建にはもう少し時間が必要だろう。

 回復を待って、国土防衛に軍を残したまま、援軍はその余力で出したいというのは統治者の人情ではあるが、悠長に構えてもいられない時期なのも事実だ。


「……それでは、そろそろおいとま致します。実りある会合でした」

 会合というほどの会合であった気がしない。

「はい。お気をつけてお帰りください」

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