第245話 結婚式

 皇暦2322年7月31日、キャロルの三回忌がつつがなく終わった半月後、俺は結婚式に来ていた。


 シャン人……というより、シャンティラ大皇国を祖にした聖沼信仰の文化圏では、結婚式は沼の前で行うことになっている。

 王都にはそのための神殿があり、その神殿の後ろには池がある。

 これは池ではなく沼ということになっていて、実際に王都霊沼れいしょうと呼ばれてはいるのだが、まあ澄んでいるので沼という風情ではない。


 聖沼せいしょうというのは黒海のことを指しているので、こういった沼のことは聖沼とは呼ばない。この場合の霊沼というのは、黒海の水を移植する特別な儀式をして、聖沼の分家のようになった沼のことであるらしい。

 自由に黒海に行けた大皇国時代には、もちろん黒海から直接海水を採ってくるのが当然だったわけだが、崩壊後に黒海に自由にアクセスできなくなってからは、新設の神殿には第一次の移植沼から分家のような形で移植をする文化ができた。

 大昔に黒海の水を直接移植した沼というのは格式が高いものとされており、王都の神殿はその格調高い沼の一つである。

 黒海の水なんぞ、今は輸入しようと思えばそう難しいものではないのだが、やはり長い歴史で固着した文化を引き剥がすようにして壊すのは抵抗があるのか、聖職のほうからはそういった要請は来ていない。


 それにしても、王都の池は綺麗だった。

 カラクモなど将家の文化は粗野……というと聞こえが悪いか。まあ、朴訥なものなので、大した工夫もなくただの池だったりするのだが、魔女たちの趣味に合わせて作られたシビャクの池はさすがだった。

 池の中に石造りの橋で渡っていける島のようなものが作られ、背景には様々な種類の木が植えられた木立が立っている。

 池は、生活排水など一切流入しないように配慮されているのだろう。もう夏も半ばだというのに、富栄養で濁った感じはまったくなく、澄んだ池だった。

 計算しつくされた背景の雰囲気と相まって、シビャクの中にありながら、この場所だけは古い森林の中のような空気になっている。


「――富める時も貧しき時も、病める時も老いた後も、手を取り合い共に歩むことを誓いますか」

「……はい」

「……誓います」


 と誓いあったのは、ドッラ・ゴドウィンと、たった今シャルトルという姓を捨て、テルル・ゴドウィンになったテルルだった。

 テルルは嬉しそうだ。まさに人生の絶頂にいるような顔で、感極まって目尻に涙を浮かべている。


「うぅ、ぐすっ、うえぇっ……」

 もちろん俺は上座なのだが、最前列で直接見られるようにとの配慮の結果、俺の右隣に座っているヒナミ・ウェールツは嗚咽混じりに涙を流していた。

 キルヒナ脱出からずっと、テルルの身の回りの世話をし、付き従ってきた少女だ。

 感動もひとしおなのだろう。手にハンカチは持っているが、もうぐちゃぐちゃだ。

「……これやるよ」

 と、俺は小声で言いながら、自分のハンカチを手渡した。

「……ふぇ?」

「ハンカチ、一枚じゃ足らなそうだ」

 俺は世にも奇妙な出来事を見物している気分でしかなかったので、涙を拭く必要はありそうになかった。

「……ありがとうございます」

 ヒナミは鼻を挟むようにして、最後に鼻水を取ると、俺のハンカチを受け取って新たに出てきた涙を拭いた。


「……ひっく」

 そこで、聞こえるはずのない音が聞こえたので、左隣を見てみると、ミャロがハンカチを目にやっていた。

 おいおい、嘘だろ。

 耳がおかしくなったのかと思ったが、目にしてみると確かに目が潤んでいる。

 ヒナミほどの号泣ではないが、ミャロは確かに感涙しているようだ。

 ミャロは二人が婚姻を誓い合うシーンを一心に見ており、俺が顔を見ていることにも気付いていない様子だ。


 目の前では、新郎新婦が誓いの口づけを交わしていた。

 うーん……。


 *****


「はーっ、疲れた」


 祝賀会を途中で抜けた俺は、ホウ家別邸に場所を移すと、さっそくタイを緩めた。


「いい結婚式でしたね。ボク、感動しちゃいました」


 ついてきていたミャロが言う。


「それにしたって、泣くようなところあったか?」

「えっ、見てたんですか?」

「見てた」


 ミャロは結婚式に出ると大して思い入れがなくても無条件で涙を流してしまう系女子だったろうか。

 まさか。そんなわけがない。


「ボクはテルルさんの献身的な努力を良く知ってますからね……その、会戦の直後はドッラさんずいぶん荒んでいましたし」


 キャロルが死んだ後のことだ。確かに、ドッラは嫌な想いをかき消すように、躍起になって軍を率いて追討戦をしていた。


「一時期は、ドッラさんがテルルさんを遠ざけて、半年くらい会わないこともあったんですよ。あれでも、あの二人は色んな障害を乗り越えてきたんです。その結実が今日だったんですから」


 へー。

 まあ、ドッラにしても、金髪のテルルはキャロルを思い出す要素だっただろうしな。

 繊細な時期にテルルのほうからアプローチしすぎたとか、そんな理由で仲違いしたのかもしれない。なんか知らんが色々あったようだ。

 かなりどうでもいい。


「まあ、収まるところに収まったってところか。それで、ジーノは結局来なかったのか?」


 ジーノ・トガは、今はキルヒナ地域の平定というか管理に当たっているが、多忙で来られないということになっていた。

 ジーノは鷲に乗れるので、それは嘘だと俺は見ていた。


「来ませんでした。仕方ないんじゃないでしょうか。まあ、あんまり邪推するのはよくないですよ」

「何かしら思うところがあったんだろう。憧れの存在があんなアホとくっついたんだから。結婚式なんて見たくもないと思うのは普通だ」


 わかるわかる。

 幾らなんでもアレが相手じゃな。


「ドッラさんはアホじゃありませんけど、ユーリくんに辛い失恋を味わわされたドッラさんが、今度はジーノさんに同じような思いをさせるというのは、ちょっと複雑な運命を感じますね」

「…………」

 ミャロが意地の悪いことを言った。

「とにかく、これでキルヒナ人たちの心も、一層分離から統一に傾くでしょう。ジーノさんには悪いですけど、国としては綺麗に収まりがついた形になりましたね」


 それはそうだよな。

 当のテルルは何も考えてないんだろうが、彼女にはキルヒナ王国という国のシンボルとしての働きがある。

 元将家のジーノとくっつけば、正統後継者という色が強くなりすぎてしまう。キルヒナの国粋主義者というか、分離独立派というのは今となっては殆どいないが、全く存在しないわけではない。

 彼らを刺激するのはよくない。

 ドッラと結婚して、キルヒナの王家は正式に終わったので、燻っていた火種も完全に消えるだろう。ゴドウィン姓になるのを誰よりも歓迎しているのはテルルなので、問題も起きようがない。

 アホとくっついたのは自然現象のようなもんで、誰が指図したわけでもないが、歓迎したい流れではあった。


「そうだな。まあ、そろそろ都市国家地帯も片付く。ガリラヤ連合は、さすがに今までのようにはいかないだろうしな」

「二年目を迎えて、クラ人たちを統治する方法も板についてきた感があります。とりあえず、今年の税収では幾らか余剰生産分が産まれそうですから、少しは安定するでしょう」


 軍の行動には、言うまでもなく大量の物資と食料が必要だ。

 それを補給するためには、後方がしっかりしていなければならない。すぐ背中が統治の効いた母国で、国境から少し足を伸ばした程度ならいいが、占領してすぐの土地が背中に増えてくると、軍の行動は重くなってしまう。

 穀物庫は当然カラなので、軍隊に食料を供給する補給地として機能するには、いくらかの期間養生して穀物庫に食料を増やしておかなければならない。

 それと同時に、盗賊や山賊のような輩どもを討伐して、道中の輸送路も安定して使える状態にしておかなければならない。

 戦争中に後方地で反乱軍が蜂起すると困るので、そういった芽も摘んでおかなければならない。それでやっと安定した補給体制が整い、軍隊の行動を支える後方地となる。


 俺とミャロが考えた統治方針は、端的に言えば「土地は一代に限り引き続き所有を保障する。税金は以前より少なくする。その代わり、子どもはこちらで預かって教育をする」というものだ。

 土地の所有権は譲渡を認めないだとか、カソリカ派の聖職者は逮捕だとか、過去の十字軍が侵略をした事実を否定するのは犯罪だとか、他にも小さな法律は色々あるが、大方針としてはその三つだ。

 一番軋轢を生んでいるのは最後の一つだが、百分の七税が無くなったことによって税率が実質下がったことで、とりあえず反乱が起こらない水準に不満を抑制することには成功している。

 占領した当年の税金を免除する方針も効いているだろうし、また罪を着せて土地に縛っているわけではないので、嫌なら勝手に出ていって南の土地に移住したらいいじゃん、という理屈を展開しているのも効いているのだろう。

 借金で縛った農奴を酷使していた地主からは土地を取り上げ、農奴に配って耕させている。自作農の人々は土地を離れて南に行ったところで、待っているのはより高い税率となにもないところからのスタートだ。結局、残る連中が多いらしい。


 シャン人の数は、シャンティニオンからシビャクまでの間、大皇国の旧土を満たすには足らない。

 東を攻め終えたあと、南の土地を攻めることを考えると、旧シャンティラ大皇国の統治を今のうちに安定させておくのは重要だった。

 いずれはシャン人が満ちるようにしなければならないが、あと五十年くらいはクラ人に土地を耕してもらわないと困る。


「そろそろ、また戦争の季節が来るな」

 軍はガリラヤ連合の直前まで進んでいる。今年中に衝突することになるだろう。

「そうですね。ガリラヤ連合は都市国家のような烏合の衆ではありませんから、本腰を入れる必要があるでしょう」

「いい加減、本格的に戦略を練っておいたほうが良さそうだ」

 二年前からガリラヤ連合を次の標的とは定めていたので、アルビオ共和国の有能な人間を一人雇い、スパイではないが潜入させ詳しい内部事情を探らせている。

 その報告も上がってきているので、そろそろ本格的に読み込んで戦略を立てていく必要があるだろう。

「その前に、一つ済ませておいてほしい仕事があるんですけど」

「ん? なんだ?」


「新設するホウ社の工学研究所なんですが、リリー・アミアンさんから、就任を固辞するって連絡が来てましたよ」

「えっ」

 初めて聞いた。

「兵器研究の拠点にするんでしたよね? 結構重要な案件だと思うんですが、どうするんですか?」

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