第198話 コツラハ*

 ボフ家の屋敷は、盛り土をして作った高台の上にある。

 五百年前、ムーラン家は本家の建て替えの際に、シビャクの王城のように都を一望し、敵が迫ってきたら見渡せる城のようなものを作りたいと考えた。


 まず井戸を堀り、その井戸穴を伸ばしながら五メートルの盛り土をし、その上に四階建ての建物を建てた。

 だが、当時のシヤルタ王国の土木技術は、シャンティラ大皇国の時代より大幅に衰えており、重要な知識がいくつも失われていた。


 技師は盛り土が沈下することをよく理解しておらず、建物は完成後四年で全体がひずみ、屋根が割れたことで作り直しを余儀なくされた。


 現在のボフ家の屋敷は、年数経過により締まって安定した盛り土の上に建っている。ただし石垣はなく、盛り土は樹木の根で支えられていた。

 四階建てといっても、四階は一つの部屋で、部屋の一辺は階段になっている。

 言うなれば、物見台が大きくなったような部屋だった。


 ただし、その部屋は城壁よりも高く、設計通り都市の四方が良く見渡せた。


 そこに今、オローン・ボフの妻であるクラリーヌ・ボフをはじめとした三人が集まっている。


「クラリーヌ様、いかがなさるおつもりか」


 ティグリス・ハモンが言った。

 ハモン家は、ボフ家の分家筋で、代々藩爵を賜る家柄だ。


 ボフ家領のなかでも屈指の名家で、山あいに位置するメスティナという都市を自領としている。

 メスティナは金鉱山で栄えた鉱山都市で、金の産出では国内第二の規模を誇っていた。


 宣戦布告と電撃的な侵攻を受けたボフ家の諸都市と支城は、次々と降伏してしまった。

 それを受けたクラリーヌは、各都市に触れを出し、急遽軍を起こしコツラハに集まるよう命令をした。

 ティグリス・ハモンは、そうしてコツラハに入った一人であった。


「今、考えております」

「エイノラ様、何かご意見は」


 エイノラ・ボフは、オローン・ボフのたった一人の嫡男だ。


 オローン・ボフには数多く子がいるが、正妻であるクラリーヌが産んだのはエイノラただ一人だった。

 他は庶子として、他家に押し付けられたり、市井で暮らしていたりする。

 クラリーヌは旧姓をアツトと言い、アツト家という昔は中堅であった家の産まれで、その見た目の麗しさをオローンに気に入られ、ボフ家に嫁いできた。


「分からぬ。考えている……」


 と、エイノラは巨大な体で腕を組み、まるでけたように言った。


 オローン・ボフは、生きているとも死んでいるとも伝えられていない。

 つまりは生死不明の状態で、エイノラは暫定的に頭領という扱いになっていた。


「考えている、ではないのです! 住民は今や、爆発寸前だ! なぜ城門を開いて逃してやらないのですか!」


 敵軍は、北側の門にルベ家軍が三千、南側の門に、ホウ家軍が三千、門を抑えるように展開している。


 コツラハに残っているボフ家軍は四千いるが、北か南、どちらかに兵を集め攻撃をしかければ、反対側の門が破られてしまうだろう。

 そういう意味で、絶妙な戦力分配と言えた。


 コツラハは、今や完全な孤城と化している。

 もはや救援の見込みもない。


 そして、ホウ家の現頭領であるユーリ・ホウは、この攻城戦を十字軍が来るまで続けると公式に伝えてきた。

 それまでは攻めない、と。


 どうせ戦って死ぬなら、十字軍と戦って死ね。というわけだ。


 ただし、それでは民が犠牲になるので、南門から出して逃がせ、と付け加えた。

 民に対しては決して悪いようにはしないし、その間に攻撃するようなことはしない。


 厄介なことに、その内容は小さな紙に書かれ、ボフ家が国を売った魔女の一味と共謀していたという内容とともに、街中にバラまかれてしまっている。

 民衆が、さっさと門を開けて出してくれと怒るのも、当然であった。


「期を待つのです」


 クラリーヌ・ボフが言った。


 そもそも、クラリーヌが軍事に口を出す事自体がおかしい。

 若いとはいえ、エイノラはもう三十二歳だった。

 なぜ、母親に口を出させておくのか。


「期とはなんです。まさか、十字軍が助けに来てくれるとでも?」


 ティグリスは、あざ笑うかのように言った。


「馬鹿にするでないッ!!」


 クラリーヌは、その細身からは考えられぬほどの大喝をした。

 ティグリスは、一瞬身が竦む思いがした。


「では、なんなのです。私にも分かるように指針をご教示願いたい」

「……兵糧の備蓄はまだ十分にあります。ホウ家からの会談の申し込みがあってからでも、遅くはないのです」

「交渉をするおつもりですか」


 ティグリスは、窓の外を見た。

 ホウ家軍は、門から矢の届かない位置にギッチリと馬防柵を張り巡らし、三分の一をそこに張り付け、三分の二は練兵をしている。


 市壁を迂回するようにして、ルベ家領から逃れる民が、列になって移動していた。

 明らかに兵数に対して量の多い天幕は、彼らに貸し出されているようで、市壁の上から見るに、どうやら炊き出しも行っているようだった。


「そうです。焦ることはないのです。まだ包囲が始まって一週間にもならぬ。まずは、一ヶ月ほど様子を見ましょう」


 ユーリ・ホウから会談の申し出があったのは、二日後だった。



 *****



 天幕に入ると、そこには打ち合わせ通り、八人の男たちがいた。

 少し長い机に座っているのは、ユーリ・ホウとキエン・ルベだ。


 ティグリスは、ユーリ・ホウを初めて見たが、驚くほどに若かった。

 騎士院出の新兵を見ているようだ。


 ユーリ・ホウは、傲岸か不遜か、太星勲章を賜ったキエン・ルベを差し置いて、上座に座り平然としている。


「遅いな。待ちくたびれた」


 天幕に入ってきたボフ家の面々を見て、ユーリ・ホウが口を開いた。

 その言葉の通り、ボフ家側はクラリーヌの着付けに手間取り、三十分ほど遅刻していた。


「それは失礼」


 クラリーヌは淑女の礼儀に則って、楚々そそとした所作で椅子に座る。

 上座はエイノラに譲った。


 椅子は四脚しかなく、ティグリスは立っているしかなかった。

 ただ、向こうの重役と思われる二人も立っている。

 その他に、鎧を着込んだ護衛が二人づつ、四人で机の両脇を固めていた。


 こちら側の護衛四人が両脇に別れ、机の横で対峙する。


 ここは南側の城門から少し離れたところで、双方の合意に基づき設営された天幕だ。

 殺そうと思っても、屈強な護衛を一瞬で殺すのは難しく、暗殺は難しいことのように思える。


 殺してしまえば、殺された側から矢が射掛けられ、無事に戻れる保障はない。


「まずは、こちらの要求を端的に言おう。民を解き放て。降伏したいなら受け入れる」

「では、交換条件を申しましょう。ボフ家を今までどおりの待遇で存続させること」


 クラリーヌが言うと、ユーリ・ホウは、はあ……と、うんざりしたように溜め息をついた。


「あのな……。いや……いいや」


 そうつぶやくと、ユーリ・ホウは再び、はあ……と、ため息をついた。


「……なんでこう、もっと小ざっぱりと話ができねえのかなぁ……キエン殿、なんでだか分かるか?」

「……さあ、分かりかねますな」

「教養院の教育の影響なのかなぁ……交渉学みたいな講義ってあったっけ? ほんと、どこが悪いんだろ」


 ユーリ・ホウは、悩ましげに頭を指先で掻いた。


「あのさぁ……もっと腹を割って話そうや。民衆を解放しろ。単純な要求だろ? お前らにも得になる話だ。その対価が、なんで”ボフ家をそのまま存続させる”になるんだよ」

「だって、あなたは、その市民が欲しいのでしょう? ならば、ただで買おうというのは都合の良すぎる話ですわ」

「盛るにしても限度があるだろ。あんたの亭主には、自ら天爵の爵位を返上して、領を返すのなら地主として家を存続させてやると言った。それでどうだ?」

「受け容れかねます」


 クラリーヌは、ニッコリと微笑んだ。


「ビスレフトの譲渡、そして今後百年の自治権の保障と、独立した軍事権の認可。これで手を打ちますわ」

「分かった。もういいや。帰ってくれ」


 ユーリ・ホウは、しっし、と手を振った。


「帰って、とは?」


 クラリーヌが眉根を寄せ、疑問の声を出した。


「交渉決裂だよ。仕方ない、面倒だがコツラハは攻略する。その時はもちろん容赦しないからな。そうだな……準備に一週間ってとこか。あんた」


 ユーリ・ホウは、クラリーヌをじっと見据えた。


「あと一週間、楽しんで暮らせよ。必ず殺してやる」

「減らず口を……」

「おい、さっきから一言も喋らない、そこの木偶の坊。あんたエイノラって言ったか。お前、かーちゃんの背中に隠れていれば生きていられるなんて思うな。どこに逃げようと、必ず殺す」


 ユーリ・ホウが不機嫌を隠さずに言った。

 ティグリスには、エイノラの顔が不安に歪むのがよく見えた。


 ガンッ! という音がして、机が一瞬浮く。

 ユーリ・ホウが、椅子に座ったまま、机を蹴り上げたのだった。


 護衛が剣の柄に手をかけるが、ユーリ・ホウは気にもしなかった。


「……俺は、余生を穏やかに暮らせる生活をさせてやるって言ってんのにな。わかんねえよ、国を売るような真似をしといて、それ以上を望むとは……最後にもう一度だけ聞く。これが最後の質問だ」


 ユーリ・ホウは、しんと静まった天幕の中で、ゆっくりと言った。


「生活するに十分な年金を貰って、余生を穏やかに暮らすか、無駄な抵抗をして、一週間後無残に殺されて死ぬか。どちらにする。選べ」


 ティグリスは、背筋を凍らせていた。

 この男は、必ずそうするだろう。


 餓鬼の戯言とは思えぬ何かがあった。

 開戦から十日でシビャクを陥としめたのは、他の誰かの手管ではない。この男なのだ。


「どちらも選ばない。あなたは、私の都市を攻撃すれば、市民が手に入ると思っているのでしょう。ならば、私は軍に市民を攻撃するよう命令を出します」


 馬鹿な。

 ティグリスは、耳を疑った。


「クラリーヌ様、お待ち下さい。それは一体……エイノラ様も同じ考えでおられるのですか」


 始めて口を開いたティグリスがそう問いかけると、エイノラは口をすぼめ、答えに窮した。

 不機嫌そうな顔をつくり、黙りこくるのは、オローンにその無能を怒鳴られながら生きてきたエイノラの処世術の一つであった。


「……ん、うむ」


 かろうじてそう返事をする。


「馬鹿なッ!」


 キエン・ルベが怒号を発し、机を叩いた。


「騎士とは民を守るもの! それを、民の尻に隠れるだけでは飽き足らず、刃を向けるとは! ボフ家の名が――」

「キエン閣下ッ!」


 ティグリスは、大声を発しキエンの言葉を遮る。


「なんだ、貴様。爵位さえ握っておれば騎士だとでも言うつもりか」

「いえ、おっしゃる通りです」


 ティグリスは、そう言うと腰の剣に手をやった。

 短刀というには長すぎる家伝の刀であったが、ティグリスはこれを愛用している。


「お覚悟ッ!」

「なっ!」


 エイノラが、驚愕に目を見開きながら、抜き打ちざまに首を撃たれた。

 一太刀で首が七割まで断ち切られ、切り口から血が溢れ出す。


「なにをっ! 気でも狂ったかっ――」


 ティグリスは、椅子を蹴りながら立ち上がったクラリーヌに一足いっそくで近づくと、勢いのまま腹に剣を突き刺し、横に凪いだ。


 横っ腹を引き裂かれたクラリーヌは、その場に崩れ落ちる。


 クラリーヌが先程言い、エイノラが同意した言葉は、ティグリスにとり容認できるものではなかった。

 たとえそれがユーリ・ホウを騙るための方便だったとしても、騎士には口に出して良い事と悪い事とがある。


 クラリーヌの言葉を聞いた瞬間、ティグリスの心の中では、主家に誓った忠誠が霧散してしまったのだった。


「ぐッ――おまえ……」


 クラリーヌはこぼれ出ようとする内臓を抑えながら、ティグリスを仰ぎ、睨んだ。


「騎士とは王に槍を捧げ、民を守りし者。それをやめた者を騎士とは言わぬ。忠節もこれまでよ」


 ティグリスはそう言い、護衛として続いていた四人と、自分と同じく立っていたもう一人の藩爵を見た。

 中間にいた護衛の騎士二人に刃の切っ先を向け、言い放つ。


「異議があるならば来い。ただ一人の騎士としてお相手つかまつる」


 だが、誰一人として動かなかった。

 五人の騎士がいても、我こそはと短槍を構え、懐の刀を抜く者は、一人も居ない。


 惨死を覚悟して主君を斬ったティグリスからしてみれば、拍子抜けであった。


「ハハハッ」


 机の向こうで、ユーリ・ホウが楽しげに笑っていた。


「時代がかった奴だ。活きのいいのがいるじゃないか」

「そのようですな」

「おい、あんた、名は?」


 ユーリ・ホウがティグリスの名を問うた。


「ティグリス・ハモン」

「コツラハの兵どもを従えることはできるのか?」

「恐らくは」

「そうか。じゃあ、降伏してくれると助かる。ちなみに、オローンは俺が殺した」


 やはりか。

 ティグリスは、腑に落ちる思いがした。

 この男なら、殺してしまっているだろう。


 ユーリ・ホウは、顔に作った笑みを消すと、ティグリスの目をじっと見た。


「その上で、興が乗るなら軍に加われ。国を憂い、民の不幸を憂うなら、幕下ばっかに参じるがよい。キャロル殿下に槍を捧げよ」


 ティグリスの中の美学が、それに即答するのを拒んだ。


 ティグリスは、剣を振り、血を払ったのち懐紙で拭うと、無言のまま天幕をくぐり、その場を去った。

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