第133話 斥候がみたもの*

 デラロ・フィーザーは、挺身騎士団第三軍団、第一騎兵大隊において、四十騎長を任されている壮年の男性であった。


 挺身騎士団の古式ゆかしい軍制では、騎兵は8騎をくみとし、それを5つ揃えた40騎を大組だいくみとするという法がある。

 対して歩兵は10名を組とし、10組を大組という具合に編成されてゆく。

 騎兵がすなわち貴族と呼ばれていた時代の名残りで、元々は神聖四文字テトラグラマトンに由来があるのだ、と言う者もいる。


 デラロは、その四十騎の大組の一つを任される立場にいた。

 騎兵一騎にかかる費用は、歩兵一人の比ではないことを考えれば、中々の大役と言える。


 だが、デラロは、現在はわずか7騎を率いて遥か北の地を進んでいた。

 自分を含めて8騎だ。

 四十人長の地位にありながら、7騎しか連れていないのは、部下が死んだり、降格を受けたわけではない。


 この異様な上陸作戦において、隊が縮小改編されているためだ。

 そのため、他の32名は大軍のいる前線に置いてきている。


 四十人長に任ぜられてから十年以上、鍛え上げてきた隊を割るのは不本意ではあったが、大司馬の命であれば否やはなかった。



 ***



 今、デラロは斥候として本隊から先行して敵を探していた。


 馬はそれほど速度を上げず、早足程度の速度で駆けている。

 全速での偵察を命ぜられてはいるが、これ以上急ぐことはできなかった。


 敵地に突出しての作戦であるため、十分な飼料が与えられていない。

 更に悪いのが、道がずっと登り坂であることだ。

 これ以上急げば、馬が潰れてしまう。


 馬の調子を見ながら、デラロはじっくりと周囲を警戒・観察していた。


 本来、斥候の仕事というのは、常に目を皿にしつつ耳をそばだて、緊張感を維持するのが肝要である。

 だが、趣味で詩歌を吟じているデラロは、目に入ってくる風景から、何かを感じずにはいられなかった。


 冬に凍てつき、生命の気配が絶えた大地から、初夏となり草木が芽吹いてくる様は、始原の地から生命が生まれた原初の清浄を連想させる。


 空気が澄んでおり、遠くの風景まで良く見えるのも、そのイメージの醸成に一役買っているのかもしれなかった。


 故郷とはまた違う植物相の森。

 その中で馬を歩かせていると、まるで異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えた。


 時刻は正午に近く、夜の間に溜まった寒気が払われきった頃合いのこともあり、敵地の真っ只中だというのに、デラロは清々しい気分でいた。


 その空気の中で、スン、と臭うものがあった。


 炭めいた匂い……煙の匂いだ。


「煙の匂いがしないか?」


 デラロは言った。


「します」

「わずかに」


 部下たちが、口々に答えた。

 やはり、勘違いではないようだ。


「難民どものケツが近いのかもしれんですなあ」


 と、年長の部下が言う。

 確かに、この状況では、この時間まで出発に手間取っている難民の焚き火、あるいは消し忘れかもしれなかった。

 あるいは、昼食の炊事という可能性もある。


「警戒しておけ」


 デラロは馬の速度を緩めずに、気を引き締め、言った。

 デラロは、実のところ専従的に偵察任務をこなしてきたわけではないが、その勘所は心得ている。


 偵察、特にこのような斥候の任務においては、敵に気付かれぬ状態で、かつ先に発見するのが最も望ましいわけだが、場合によっては遭遇戦になることもある。

 それはある意味では失敗なわけだが、見晴らしのいい平原というわけでもない、こういった森の中では、致し方なく遭遇戦になってしまうということは、ままある。


 最も危険で避けなければならないのは、敵が予め偵察の襲来を予期していて、生かして帰さないことを意図している場合。

 つまりは伏撃だ。


 閉じ込め式の罠にかかる獣のように、自分から罠に入ってしまえば、伏撃を意図している敵は、すっぽりと後背を塞いで斥候を殲滅してしまう。

 そうやって帰らなくなった連中を、デラロは何組も知っていた。


「ハッ! 了解しました」


 隊員たちが口々にそう答えた。


 その後、隊はさらに歩を進めてゆく。


 匂いを嗅いだ所から、さほど進まないうちに、その場所にたどり着いた。



 ***



 その場所は、川に沿う直線の道が、崖に穏やかな角度で突き刺さる場所だった。


 もちろん、そのまま崖に突っ込んでは仕方がないので、道はそこで”くの字”に曲がっている。

 なので、右手は見通しの悪い森になり、先行く道を隠してしまっていたが、デラロが注目していたのは、そこではなかった。


 崖に向かう道の先は視界が開けており、その先には川が削った崖があった。

 どうも景勝地の展望台のような格好になっており、ちょうど谷と遙か先の山脈が合わさって見える。

 谷は、もはや渓谷と呼んだほうが正しいほど深くなっていた。


 そして、その先には、作戦の重要な要素であるところの、橋が見えていた。 

 恐らく、作戦会議でさんざん説明された上流に架けられた橋というのは、あれのことだろう。


 


 橋は、もうもうと煙を吐きながら、全体が炎上していた。

 白っぽい灰色の煙がゆるやかな風に吹かれ、今は東のほうにたなびいている。


 匂いがしたのは、風向きが少し変わって、一時的に下流側に煙が流れたのだろう。

 デラロは、風光明媚な絶景をぶち壊しにする、ショッキングな情況に目を奪われながらも、



 橋が燃えているということは、もはやこちら側には誰もいないのだろうか?



 と思った。


 敵が来たので、橋を落とす。

 そこまでは古今東西、どこの戦場でも行われることだ。


 乾燥した木橋であれば、斧で叩き壊すより、燃やしたほうが手っ取り早いだろう。


 だが、それはあくまでの話だ。

 敵は、まだ来ていないのだ。

 正確に言えば、自分たちが今まさに接触したところなのだ。


 その時点で橋を落とす――。

 民を大切にしない非情な指揮官は数多いが、いくらなんでも脅威が迫ってもいないのに橋を焼き落として通れなくする、というのは臆病にすぎる。


 ごくごく常識的に考えて、敵が攻め上がってくるのを待ってから、つまり脅威が差し迫ってからやるだろう。

 ということは、敵はもう渡ってしまって、今から橋のところまで行っても、人っ子ひとりいない。


 渡河が完了したので、用済みとばかりに橋を落とした。

 それが最も考えられるケースとなる。


 デラロは、そういったことを考えながら、漫然と馬を進めていた。


右方うほうに敵!」


 そう叫んだのは、部下であった。


 デラロは、炎上した橋と、それに対する考察に気を取られ、”くの字”の屈折点のところまで進んでしまっていた。


 デラロが慌てて屈折した道の先を見ると、二〇メートルほど先に、木材で出来た簡易な防壁のようなものができていた。


 そこには、少勢――三十人ほどだろうか――の、少年少女と言って良い年齢の長耳たちがおり、槍を突き出しながらこちらを見ている。

 なんというか……少し統制の効いた野盗団などが、お手製の防壁を作り、防衛戦の真似事をしている感じだ。


 が、ただそれだけで、鉄砲どころか矢を射かけてくる様子もない。

 また、陣地からまろびでて襲い掛かってくる、という様子でもない。


 デラロは、ひとまず攻撃がないので、巻乗りをして円形に馬を運びながら、彼らの様子を伺った。

 巻乗りに移ったのは、矢の狙撃を防ぐためだ。

 さすがに、弓矢の一つも持っていない、ということはあるまい。


 敵が見えているのに矢を射掛けない、というのは、消極的な敵にあってはよくあることなので、不思議ではなかった。

 矢というのは意外と高価で、かつ使いたいときに数がないものだ。


 あの小勢では、百本も持っていないかもしれない。

 斥候と分かっている連中のために、貴重な矢は使えない。そういう意図で惜しんでいると考えれば、おかしいことではなかった。


 それより気になるのは、小勢の中から聞こえる指図の声が、女のような声であることだった。


「……女の声がするな。しかし、あれは……」


 デラロは目を細めた。


 金髪の女が、惜しげも無く髪を晒して、例の飛べない鳥に乗っている。

 そして、堂々と大声で指図を出している。

 とぎれとぎれにしか聞こえないが、むろんデラロには言葉の内容はわからなかった。


「おい、ディーチェ。珍しい女が見えないか」

 ディーチェというのは、隊内でもっとも目がいい若者だ。

「確かに金髪です……というか、もう一匹いますよ。金髪が二匹か」


 たった二〇メートル少しの距離なので、デラロにも見えていた。

 もう一人の少女は、なんだか猫背のような具合で、弱々しく馬にまたがって、なにもしないでいる。


「とんでもねえな」


 隊員の一人が言った。

 確かに、金髪が二人目の前にいるというのは、とんでもない。


 市場で一角獣ユニコーンのツノと言われるものは見たことがあっても、金髪の長耳などという存在は、見たことがない。

 目の前に幻獣が二匹現れた。というような感覚がある。


 敵は、この期に及んでも仕掛けてくる様子はない。

 いつ仕掛けてくるか、という臨戦態勢ではあったが、この様子であれば遠眼鏡を取り出して、じっくりと観察してもよいかもしれない。

 この距離で遠眼鏡を使えば、顔の表情までくっきりと分かるだろう。


「どうしましょう。突っ込みますか」

 部下の声には熱が入っている。


 ここで金髪の姫を捕らえれば、値千金どころではない名声を手に入れられる。

 デラロとて、一瞬それを考えないではなかった。


「……いや、我々の任務は斥候だ。それに、連中それなりに数が揃っている。万に一つの見込みもあるまい」

「了解」


 と、部下が言ったその時だった。


「グゥッ――!」


 妙な声が聞こえ、そちらを見ると、森の際にいたディーチェが、刺されていた。

 刺しているのは、柄の長い槍。

 その槍の持ち手は、体中に腐れて濡れた枯れ葉をくっつけながら、今まさに土中から現れ、馬上にあるディーチェの脇腹に槍を突き立てていた。


 刺した男は、持っているのは槍だけで防具もつけておらず、土の水気でじっとりと濡れていた。

 土に隠れて伏していたのだ。


「×××!!!」


 意味不明の号令がかかると、周囲から同じような格好をした者達が一斉に現れ、槍を構えて突っ込んできた。


「撤退ィ!!!」


 デラロはそう叫びながら、馬の頭を返した。


 くそっ、曲がってしまっている。


 道の先を見て、歯噛みする。


 道は、目の前で少し屈折していた。

 下り坂であるから、本来であれば馬は一目散に徒歩の人間を撒けるはずだ。

 だが、道が曲がっているせいで、ほんの若干ではあるが、速度を乗せるのに手間取る。


 それは、生死を分ける違いだった。


「ウグッ!」


 隣で、耳慣れた古参の兵の声が聞こえた。

 自分は馬を操りながら、そちらを見る。


 横っ腹の防具の隙間から、槍を生やしていた。

 彼は、流石は歴戦の猛者らしく、とっさに槍を掴んだ。


 捻られて傷が広がるのを防ぐためであり、槍を抜かれるのを防ぐためでもある。


「クソがっ!」


 曲刀を抜きざまに、槍の柄をすぱっと切り落とした。


 が、その行為に手間取った数秒が命取りだった。

 刃圏の外から次々に槍が襲いかかり、ざくざくと体中を刺した。


 デラロは凄惨な現場から目を外し、馬を操り速度を乗せながら、カーブを曲がった。

 カーブの先には、体中に腐れた葉をかぶせて潜伏していたのだろう。同じような連中が、これも槍をこちらに構えていた。


「撤退、撤退ィ!」


 デラロは叫び声をあげながら、槍と槍の間隙につっこんだ。


 そこを抜けられたのは、僥倖としか思えなかった。

 そして、あとは一目もくれずに、一目散に道を戻った。

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