第131話 迫りくる敵

 鷲に乗ったのは、墜落以来のことだった。

 頬で風を切り、空中を自由に泳ぐ感覚が、なんとも言えず懐かしい。


 上流から海を目指す魚のように、川沿いのみちを下ると、川の幅が徐々に広く、川べりの崖が浅くなっていくのがわかる。

 植生が急激に変化するほどの高度差ではないので、木々の様相はそう変わらない。


 注意深く下を見ながら低空を飛行すると、遠目に街道を黒っぽい何かが覆っているように見えた。


 一旦街道からずれ、高度を上げる。


 地上から米粒ほどにしか見えない高度に上がってしまえば、人間の遠近感の限度を超えるので、よほど見慣れた人間でなければ、それが王鷲なのか普通の鳥なのかは判断できない。


 その高さに上がってから、太陽の方向から地上を観察できる位置を取った。


 徐々に低空にうつると、姿がはっきりしはじめた。


 確かに、俺たちが通ってきた道を、登ってくる一団がある。

 馬車を交えた、割りと本格的な軍団だ。


 大型船舶が接舷できるような港はここらにはないが、馬や馬車もボートで上陸させたのだろうか?

 並々ならぬ執念だ。


 だが、馬に乗っているのは……さすがに一割ほどだな。

 他の兵たちは、なんと、小走りに走っている。


 そのお陰で、全体でいっても、徒歩を交えているにも関わらず馬車が少し急ぐほどの速度が出ているようだ。


 言うまでもなく、長続きしない強行軍だ。

 遠目には武装までは分からないが、鎧も武装も装備したままで走っているのだろう。

 これは兵の練度が高い低いというより、ただの行軍で走らせるというのは、訓練以外では普通やらない。


 やはり、どう考えたって軍事行動的におかしい。

 後背を脅かす、だとか、恐らく次戦となるであろうシヤルタを荒らす、だとか、そういった目的があるのかとも思ったが、そうであれば継続不可能な強行軍をする意味がない。


 それに、敗れたとは言ってもルベ家の領内には数千から万くらいの兵はあるわけで。

 連中が最高にアホと仮定しても、ルベ家の領内に二百や三百しか兵がいないと見込んでいるわけではないはずだ。

 幾ら勝勢といえども、背中に数に勝る軍勢が出現する恐れがある地域に、指揮官が誰だかは知らんが、突っ込んでくるというのは、意味が分からん。


 無謀すぎる。

 よっぽど尖った作戦意図があるのか。


 どっかから漏れたな。

 やはり、どう考えてもキャロルとテルルくらいしか要素がない。

 時間差があるのが気になるが、ひょっとしたら、リフォルムが速攻で陥落したのかもしれない。


 しかし、幾らあの二人が高価値目標といっても、ここまでするもんなのか。

 恐ろしく偏執的な何かを感じる。


 妄執、いや、渇望……。

 分からないな。


 どのみち、俺はやれることをやるだけだ。


 俺は鷲を返して、再び上昇した。

 初めて乗る名前も知らない鷲に反応の悪さを感じながらも、千人の軍団の最後尾につく。

 馬車は真ん中あたりにあった。


 まあ、走ってる最中だから当たるかどうか解らないんだけどな。

 俺は、上半身を鷲に押し付けるようにしながら、ライターを取り出し、火炎瓶の導火線を手に挟んだ。


 ライターを覆う革手袋を焼くようにして、導火線に火をつける。

 素焼きの瓶から飛び出た油布に燃え移らせると、俺は鷲を真っ逆さまに落とした。


 道に沿う軌道をとりながら、ぐんぐんと降下していく。


 星屑でやったときより、かなり控えめなところで上昇に転じつつ、俺は火炎瓶を結えつけている縄をほどいた。


 手綱を引き、上昇しながら、身をよじって下を見る。

 瓶が四つついた塊が、赤い火を尻尾のように流し、放物線を描いて、ほぼ馬車があったところに落下した。

 ぼわっと炎が広がるのが見えた。


 命中していればいいが。

 水や食料を奪えれば、あの行軍だ。

 気軽に崖を降りて水を飲みにいける川ではないし、腹が減っては戦は出来ぬと言うが、飲まず食わずで一日走った後に戦うなどできるものではない。


 とはいえ、馬車が全て壊れたと考えるのも、希望的観測が過ぎるな。



 ***



 戻ってきた時には、既に陽は陰り始めていた。


 俺が上空で滞空を始めると、気の利いた者がいたのだろう。開けた土地から物がどかされ、応急に小さなスペースが作られた。


 バサリバサリと風圧を作りながら降りると、ミャロが駆け寄ってきた。


 着陸場所を作ったのは、ミャロの指図か。

 降下場所として俺が目をつけると思って、待ってたんだろうな。


 俺はベルトを外して鷲から降りた。

 先に周囲を探すと、鷲乗りのギィもそこにいた。


「悪いな。助かった」


 借りていた鷲の手綱を渡す。

 俺はギィの鷲を貸してもらっていたのだ。


「いえ、むしろ光栄で……」

 謙遜が過ぎる男だな。

「良い鷲を持っているな。乗りやすかった」

「ありがとうございます」


 頭を下げたギィから目を外して、ミャロの方を向く。


「ミャロ」

「ご指示通り、本日の移動は終了して、皆は炊事の準備に入っています」


 滞りはないようだ。


「幹部で話したいことがある。集められるか」

「既に」


 既に集めてあるらしい。

 流石というかなんというか。


「じゃ、行くか」



 ***



「集まっているな」


 森の中の木々に、布を渡しただけの簡易なしつらえだったが、一応は陣幕といっていいだろう。

 そこに、キャロルとリャオが居た。


 小さい焚き火が立ち、簡素な折りたたみの椅子が四つ、焚き火を囲っている。


「………」


 リャオはむっつりと黙っている。

 キャロルのほうも、見るからに機嫌が悪く、眉間に皺を寄せている。

 何か変な雰囲気だ。


 喧嘩でもしたのか。


「どうだった」


 キャロルが言った。

 既に事情は承知しているのだろう。


「逃げ切るのは無理そうだ」

「……っ」


 キャロルが痛ましげに顔を歪めた。


 俺は、折りたたみの椅子に座った。

 ミャロもすぐ横の椅子に座る。


「連中、どうも精鋭部隊らしい。部隊全員で走りながらこの道を駆け上がっていた。接触は……明日の朝か昼ごろ……、希望込みで、午後の二時か三時ってところか」


 正確な時間は分かりようがない。


 途中、リャオの指図で木が倒され、何箇所か道が塞がれていたのを見た。

 だが、あれも脇を抜ければ時間稼ぎにしかならない。


 馬車については通れなくなるが、街道沿いという土地は伐採するにも向いているので、樹齢百年以上の大木みたいなものはない。

 高値で売れるほど育った木は、切り倒されて売られてしまうからだ。

 木を倒して道を塞いだ。といっても、力自慢が数十人もいれば、どかせてしまうだろう。


「先に言っておきたい。俺は、この仕事で死ぬつもりはない」


 リャオが言った。

 前も言っていたな、そんなこと。


「じゃあ、貴様は民を押しのけて橋を渡って、橋の向こうで虐殺が起こっているのを指を咥えて見ているのか。それで将家を名乗るとは、大した騎士ぶりだ」


 キャロルが何か言い出した。

 表情を見るに、これはかなり苛立っている。


「だから……っ、何度も言っただろう。俺には俺の立場があるんだ。俺の命はルベ領のためのものであって、ここで使っていい命ではない。それはあんたも同じだろう」


 さっき険悪だったのは、こんな口喧嘩をしていたからなのか。

 どうでもいい。


「だからといって……」

「やめろ」


 俺はキャロルの言を遮った。


「リャオ、言い分はもっともだが、お前、キャロルがさっき言ったような状況になっても構わんのか」

「構わなくはないが、仕方がない」

 リャオは、不機嫌を顔に滲ませて、むっすりとしている。

「兵どもの心には傷がつくぞ。俺たちの評判も地に落ちる」


 軍事的合理性はどうあれ、民たちは自分たちを守らない軍を嫌うものだ。

 戦っても勝てないし、そもそも戦うために来たわけじゃないから、と言ったところで、腰抜け扱いは免れまい。


「それに、俺が護衛を引き受けてしまった以上は、お前の生来の役目がどうあれ、この隊としては民衆を守るのが仕事だ」


 千人以外は引き受けていないが、その千人が最後尾になってしまうのだから、現実には同じような意味になる。


「じゃあ、ユーリ殿は戦うつもりなのか。精兵千名を前に、俺たちに何ができる。槍の前の紙っぺらみたいなもんだ」


 上手い例えだった。


 つまりは、民を置いて逃げろ、ということだろう。

 どうせ紙っぺらなら、置かないほうがマシ。

 将来に成長の余地がある紙っぺらを、紙っぺらのまま消耗してしまうのは愚策でしかない。


 正論だ。


 だが、軽々かるがるしい。

 リャオは馬鹿ではないから、虐殺を看過することによって起きる、将来的な不利益は分かっているはずだ。


 戦っても勝てないから、引く。

 その犠牲になるのがゴミみたいな何かならいいが、今回は人間なのだ。


 目の前で大勢の民を見捨てて、虐殺を目の前にしながら、橋を爆破する。

 それをした後に、兵たちは日常に戻れるだろうか。

 酒でも飲んで憂さを晴らして気が済めばいいだろうが、それで済むとは思えない。


 それに、民衆にそっぽを向かれた軍隊というのは、弱い。

 リャオが頭領になった時、過去の行いにより人気がなくなれば、ルベ家は脆弱になってしまう。


 リャオが、安易な判断をするのは、最高責任者ではないからだろう。

 避難民の連中を見捨てるか否かの選択肢はリャオにはないし、従って責任もない。


 立場の違いだ。


「槍が刺されば破れる紙っぺらなら、刺さらないようにすりゃいい」


 と、俺は端的に考えを述べた。


「なに」

 俺はリャオの発言を手で制止し、

「ミャロ」

 と呼んだ。


「はい」

「順調に難民どもが橋を渡ったとして、俺たち全員が渡り切るのは、いつごろになりそうだ」


「かなり大雑把ですが……、明日の夕方頃、でしょうか。昼まで……となると、かなり無理があるかと」


 そんなもんか。

 夜中までかかるようだったら、どうにもならないが、それくらいなら何とかなりそうだ。


「このままで行けば、まあ、半日かそこら時間を稼げば無事渡れるって寸法か」

「そうですね。半日、彼らが遅れてくれれば、まず安全と思います。橋を壊す手段にもよりますが」

「そんくらいなら、なんとかなるかな」


 どうするにせよ、リスキーなことに変わりはないが。


「どういうつもりだ」

 リャオが半ば詰問するように言い迫ってきた。

「まさか、本気で戦うつもりなのか」


「戦うとは限らん」


 むしろ、戦わなくて済むならそれが最上だ。

 それは間違いない。


「だが、敵はやってくる。どうやって戦わずにいられる。それに、戦わないのなら、先に向こうに行ったとしても同じだろう」


 敵が来た時にこちら側に居残っていたとして、戦わず民を押しのけて逃げる方針なのであれば、最初から向こう側に渡ったほうが利口だろう、と言いたいのだろう。

 俺たちは武器を持っているわけで、難民に横入りし、橋を渡ってしまうのは難しいことではない。


「いいや、兵は必要だ。兵がなければ敵の脅威にならない」


「脅威……だと?」


 リャオは訝しげだ。


「紙っぺらを鉄板にはできないが、槍を刺さらないようにはできる。槍を操っているのは、人間なんだからな。今から、それを説明する」

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