第110話 書き残された手紙
日が暮れ始めた時分、俺達はようやくニッカ村に辿り着いた。
ほうほうの体でニッカ村の入り口に立つと、十二日ぶりに来た村は、まるで時が止まったように、そのままの姿でそこにあった。
家々のまんなかにある広場には、観戦隊が作った焚き火場があり、燃え残った黒い炭木まで、出て行った時そのままに残されている。
俺たちが出撃した時と違うのは、人や馬、鳥がおらず、荷馬車の類が持ち去られていることくらいだ。
「誰も……いない」
キャロルが、気が抜けたように言った。
「……だな」
「そうか……誰もいない、か」
キャロルは同じ言葉を繰り返した。
なんとも掛ける言葉がみつからない。
俺の方も、程度の差こそあれ、落胆を味わっていることには変わりなかった。
希望的観測とはいえ、ここに味方の騎兵隊の一群でもいれば、明日にはリフォルムの清潔なベッドで眠り、もはや生死の危険に晒されることなく、帰国を待つだけの身分になれたかもしれない。
キャロルも、そういった妄想に心から
たんに程度の問題で、俺のほうが立場上突き放した考え方をしていて、そのせいで動揺が少ないというだけの話だ。
「……どうした、もう歩けそうにないか」
「いや……」
「ほら、家はまだ残ってる」
俺が考えていた最悪の状況は、村が既に敵の集団の拠点になっており、全ての資源が利用不可能で、村に近づくことも危険というケースだった。
その次は、敵はいないが村が焼けている。つまり、略奪後焦土化されているというケース。
それらに比べれば、家が残っているというのは、かなりマシな部類だ。
「暖炉も、ベッドも、布団もある。少し頑張れば、風呂にだって入れる。温かい飯を食って、風呂に入って、柔らかいベッドでぐっすりと眠れるんだ。悪くない話だよ」
本当に悪くない話だ。
骨の芯まで凍るような寒さの中で、火にも当たらず夜を過ごすというのは、本当に辛いものだ。
「あぁ、いいな」
キャロルは、かつて当然のように享受していた人間らしい生活を思い出したのか、ほっとしたような声で言った。
気休めにはなったようだ。
「歩けるか」
「うん、元気がでた」
***
「一応、待ち伏せを警戒して、外縁部を回って村長の家まで行くぞ」
「わかった」
この状況では、石橋を叩いても意味がない、という考えもよぎるが、やはり心理的抵抗があった。
他人の目がない一人暮らしでも、最低限の行儀を守るのと同じで、こういった事は戦場での作法として、やっておかないときまりが悪いし、やらないと運に見放されるような気がする。
こそこそと村と森との境界線を通って、各家の様子を見ながら村長の家まで辿り着いた。
村長の家にも、別段変わりは見受けられない。
物音もなく、人の気配もない。
大人数の追っ手が家の中で罠を張っている。というのであれば、余程の手練揃いでなければ、なかなかこうは行かないだろう。
大丈夫そうだ。
表に回ると、正面玄関があり、その前には馬留め兼鳥留めがあった。
腕の高さに太い横棒が渡され、その両端は掘っ建てに杭を打ちこんである。
出て行った時のままだ。
閉じられた玄関のドアノブに手をかけた。
鍵がかかっておらず、あっさりと開く。
見覚えのある大きな玄関があり、その右には集会場がある。
出て行った時より雑然とはしているが、大方戻ってきたとき作戦会議でもしたのだろう。
片付けをする必要性がないので、散らかったままなのはむしろ自然だ。
俺は、組んでいた肩をほどいた。
家の中であれば、手をかける場所が幾らでもあるし、動くのにそれほど難儀はしない。
「……まずは、書き置きを探そう。物を動かしたりする前にな」
「書き置き、か。あってもおかしくはないな」
今はリフォルムに撤退しているにせよ、一度はここに帰ってきたのは明らかなのだ。
何かしらメッセージを置いていく時間はあったはずだ。
「いや、絶対にある。なんせ、ミャロがいるんだからな」
「あぁ……」
そこらの気の利かない阿呆ならともかく、ミャロは絶対にこういうことは怠らない。
どれほど混乱した状況にあっても、寸暇を作って手紙を残す。
それに関しては、余程の確信があった。
「それは、そうだな。探してみよう」
「まぁ、軽く探して見つからなかったら、また……」
と言いながら、周囲を見回した時だった。
ふと横を見ると、靴箱の上に違和感のあるものが置いてある。
角笛だった。
立派な牡羊の角笛だ。
牡羊の角笛は、もはや考古学的な価値のある象牙の角笛と比べれば、安物なのは否めないが、丁寧にくり抜いて作られたものは、全体が飴色に光っていて、とても美しい。
実用品としても使われるが、基本的には地方の土産物的な性格が強い。
欠点は匂いで、酷いものは吸口を咥えると、獣臭の
非常に嫌な思い出だが、これは丁寧に中と外が削られているし、なにより古いもののようなので、匂いはほとんどしない。
あの時は、一日くらい頭痛が後を引いた。
箱を開けた状態で既に匂いが漂っていた物を、口に咥えようと思った俺のほうが馬鹿という説もあるが。
角笛は、長さが八十センチほどもあり、十分に目立つ。
二つの腕で掲げあげるような飾り台に置いてあり、台ごと靴箱の上にあった。
これ自体は問題ない。
宝飾品というわけではないので、玄関に置いてあってもおかしくはないものだ。
だが、問題は、これは俺が使っていた二階の書斎に置いてあったものである。ということだ。
それを知っている俺からすると、ここにあるのはまったく異常だった。
幾ら慌てて撤退するにしても、持ってくる意味がない。
号令に使おうと玄関まで持ってきて、その後置き捨てたにしても、台は持ってこないだろう。
良く見ると、角笛の台の下に、紙の端が覗いている。
角笛をどかすと、メモのようなものが置いてあった。
『―・
―・
―・』
と書いてある。
なるほど。
俺はすぐにピンときて、靴箱を開けて天板の裏を見た。
四枚の手紙が、画鋲で貼り付けてあった。
『―・』は鷲に乗った時のホイッスルの符丁で、下、という意味だ。
教本にもこのように書かれる。
角笛の下に置いてあれば、鷲乗りなら普通に気付く符号だ。
「あったぞ」
「もう見つけたのか? 早いな」
「探すのに苦労しないところに隠してあった」
俺が前に羊角の角笛を口に咥えた時には、ミャロもいた。
他の誰かだったら見逃したかもしれないが、羊角の角笛に印象深い思い出のある俺なら、見逃す可能性は極微といってよい。
事実、ミャロの目論見通り、すぐに気づいたわけだ。
「じゃあ、先に読んでいてくれ。私は食事の用意をしてこよう」
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫だ。家の中なら、手をつく場所が幾らでもあるし……」
大丈夫そうだ。
「明日にでも、新しい杖を作るからな。飯は頼んだぞ」
と、俺はポケットからライターを取り出して、キャロルに渡した。
「使い方は分かるな。火傷するなよ」
「わかってる」
右と左に分かれて、俺は集会場の椅子に座った。
背もたれの深い、座り心地の良い椅子で、これはリャオが別の家屋から持ってきて、気に入った様子で使っていたものだ。
座ってみると、やはり木板の尻置きに直角の背もたれがついただけの椅子よりは、だいぶくつろいだ気分になった。
四枚の手紙には、封字がわりに番号が振ってある。
当然だが、どれも開封されてはいない。
一番と書かれた封筒を手で破き、読み始める。
***
あなたへ
万一の時のため、あなたの素性が露見することを避ける必要があると考え、このような書き方にします。
>状況
会戦での敗報は”彼”が伝えたようですが、実は現時点で我々も詳細な被害状況は分かっていません。
今、筆を執っている現在は、あなたが消えてから二日目です。
会戦では、機動戦を取った我が軍が敵陣を破りきれず撤退、という展開になったようです。
全体の損害はそこまで多くないようですが、衝突の後撤退まで支援した機動軍は、かなりの消耗を強いられたようです。
歩兵軍の一部は大要塞に篭もりましたが、士気は劣悪と聞きます。
また、シヤルタ王国の将家は大要塞に入ることを拒否し、リフォルム方面へ撤退しました。
かいつまんだ報告になりますが、これが現在我々が把握している状況になります。
>隊の現状
1:
我々は、昨晩から幹部協議をして、リフォルム方面への撤退を決めました。
協議の結果、隊員たちを救助に使っても、まず確実になんの実りもなく全滅するであろう、という結論に至ったからです。
また、隊内には陸上しか移動できない兵が相当数いることから、この撤退が遅れれば、彼らを致命的な窮地に立たせてしまう可能性が高く、待機による状況の悪化は看過できないと判断しました。
2:
現在、最終的な指揮権は”彼”が持っています。
現状、隊上層部での意見の衝突はありませんが、むしろ部下との衝突が激しく、”あなたと同室の彼”などは、離反して現地に赴く可能性すらありそうです。
また、”もう一人”への敬意甚だしい三名が、撤退について強硬に反対しています。
彼らについては、”彼”が説得に当たるようです。
3:
つい先程、”剣”がわたしに接触してきました。
事情を全て説明したところ、遭難地点へ急行してみる、ということでした。
再度の接触があるかは不明ですが、”剣”は独自の救助活動を行う模様です。
そのことを交渉材料に、”あなたと同室の彼”を説得してみたいと思います。
4:
あなたの遭難は、”貴婦人”、”その夫”、そして”彼の父”へと報告することにしました。
現状で、手を貸してくれそうなのは彼らくらいである、という判断からです。
>最後に
本隊は当村を去りますが、特別な障害がない場合、”わたし”は三日後、またここに来ます。
現状で大要塞は陥落していないので、鷲を使っての飛来であれば、さほどの危険はない、という判断からです。
その時、あなたがいれば、手助けができると思いますので、この手紙を読んだ後は、可能であれば、この場に待機してください。
なんらかの事情があり、早急にここを離れなければいけない場合は、台をそのままに角笛を壊すか、外に投げておいてください。
”地底”には”火種”を隠しておきます。
”火種”は重く、撤退の邪魔になるので、使いかけのほうは置いてゆきます。
了
***
やはり、本隊はリフォルム方面へ撤退したらしい。
リャオも、ミャロも、そつなく事を運んでくれたようだ。
隠された手紙ですら名前を秘しているのは、手紙を敵方に奪われ、シャン人の奴隷に翻訳されてしまった時のためだろう。
手間から考えて、こういった手紙を一々翻訳するなどというのは少し考えにくいことだが、万が一にもキャロルや俺の素性が推察された場合、非常に面倒なことになるのは確かだ。
キャロルは言うまでもないが、俺も肩書はなかなかのものなので、俺単体でも連中が目の色変えて捕らえに来るのに十分な価値がある。
これが書かれたのは……五月二十九日か。
遭難が二十七日で、今日は、俺が余程ボケてなけりゃ六月八日だ。
まあ、二枚目を読むか。
手紙は全部で四枚ある。
***
あなたへ。
協議の結果、捜索隊は海岸沿いの道を主に探索することになりました。
私も、あなたがここにもう一度来る可能性は低い気がします。
とはいえ、あなたが立ち寄りそうな拠点はここしかないので、手紙を書き残すことは、無意味ではないでしょう。
わたしは、また三日後に来ます。
余白を埋めるため、意味のない文章を書きます。
忙しかったら、読む必要はありません。
あなただったら、遭難から五日もあれば、馬を奪うなりしてリフォルムまで来てしまうだろう、と、わたしは思っていました。
もしかしたら、わたしが帰る頃には、あなたはもう捜索隊に発見されているかもしれませんね。
そうだったらいいな、と思います。
そうだったら、この手紙が誰にも読まれないことを願います。
”彼”の話によると、あなたは木登りが出来るほど元気だったそうなので、無事を疑ってはいません。
ただ、もしかしたら”もう一人”の不調によって仕事が著しく困難になっている、という場合もあります。
余白がもうないので、これで終わります。
あなたは今どこで何をしているのですか?
***
これは、本当に三日後に来たのであれば、6月1日の手紙になるだろう。
手紙は一枚に収められていた。
次の手紙は、6月4日ということになる。
ほんの四日前の手紙だ。
***
あなたへ
未だにあなたが見つからないということは、何らかの困難に直面しているのでしょうね。
大要塞について、怪しくなってきました。
実のところ、敵方は包囲するばかりで弓の射程内にも入ってこず、戦闘は一度も行われていないようです。
敵が現地で大量の金属を溶かし、盛大な煙が上がったのは一昨日のことです。
昨日の偵察で、それが大型の攻城砲であることが判明しました。
今のところ、鋳込んだ砂型を崩し、冷えるのを待ったり台に載せたりする作業をしているようですが、周りは馬防柵で囲まれ、たくさんの兵が配備されているので、破壊は難しいそうです。
それでもどうにか破壊しようということで、あなたが持ち込んだ”びん”について、わたしと”彼”に情報の提供が求められました。
拒否すると救助支援が滞る可能性があるので、協力することにしました。
材料については幾つか残りがあったので、実演してみました。
興味を持たれ、中身について質問を受けましたが、製造方法については知らないと言っておきました。
提供を求められたので、”臭い水”を七割ほど供出しました。
ここからでは砲声は聞こえないようですが、今頃は激戦が始まっていてもおかしくありませんね。
陥落しないことを祈ります。
大要塞が陥落するということは、この村が危険になるということです。
正直なところ、あなたがこの村に立ち寄るかどうか不鮮明な現状では、このように手紙をしたためるのも心もとないというか、宙に浮いたような気分ですが……。
大要塞が陥落したら、この村にこうしてやってくるのも危険になるかもしれません。
状況に応じてですが、次の三日後にも、ここに来たいと思います。
了
***
なるほど。
やっぱりそんなこったろうと思ったんだよな。
あの石弾を飛ばす装置となると、よほど大きなカタパルトか射石砲ということになる。
カタパルトであれば、わざわざ丸く削った石を持ってくる必要はないわけで、やはり射石砲だろうな、とは思っていた。
おそらく真鍮か青銅を鋳込んだものだろう。
何トンもあるような巨大な大砲を現地まで運んでくるのは現実的ではないが、分割された金属のインゴットを馬車に乗せて持ってくるのは、それほど難しいことではない。
鉄を溶かしこんで鋳鉄砲をつくることもできるのだが、鉄は青銅と違い、溶かしたものを冷やすと、金属というより結晶質に変化し、衝撃に対し粘るのではなく割れる性質になってしまう。
ぐにゃりと曲がる展延性を持った物質にするには、熱した状態で叩いて鍛える必要があり、これは大砲のサイズでは非現実的な作業となる。
まあ、どうやって作ったかなどは、どうでもいい話だ。
問題は、その大砲が要塞を崩せたかどうかだ。
それについては、考えても意味がない。
なにしろ、手紙はあと一枚残っているのだから、おそらくそこに書いてある。
それにしても、三日後に来たとすると、ちょっと考えたくないが、これは昨日書かれた手紙……ということになるんだが。
***
あなたへ
昨日、要塞が陥ちたという報が入りました。
詳細や経緯は分かりませんが、岩山の上に十字の旗が翻っているのは、確かなことのようです。
もう、この場所は安全な地域ではありません。
今日、この手紙を届けに行くのも、”彼”に止められました。
冷静に考えて、読まれない可能性の高い手紙を置きにゆくことは、危険を犯すほど価値のある行為ではないそうです。
確かにその通りかもしれず、わたしは最早冷静ではないのかもしれません。
あなたがこれを読んでいるのか、わたしにはわからないのです。
だから、このような紙上に本来書くべきでない感情を綴ることを、どうかお許しください。
お願いです。
帰ってきてください。
あなたの居ない日々は、毎日が不安です。
目を瞑ると、心の中が荒れ狂う夜の海のように波うって、眠ることもできません。
あなたは、今どこでなにをしているのですか?
状況は刻々と悪くなり、生存を信じる声は、日に日に弱くなっています。
ですが、わたしは、たとえ一ヶ月たっても二ヶ月たっても、あなたが死んでしまったとは考えられないでしょう。
敵がリフォルムに迫ったら、わたしは頭巾を被って、あちら側に潜入し、あなたを探すつもりです。
隊を捨ててこのような行動に出ることは、あなたは望まないかもしれませんね。
でも、わたしは勝手にそうするつもりです。
苦労してテロル語を学んでいてよかった、と、今は心から思います。
了
***
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