第8話: そりゃあ、早い者勝ちですから


 ……。


 ……。


 …………さて、途方に暮れていても問題は解決しない。


 大黒柱である己が迷えば、その分だけ皆が不安を覚えることになる……嫁に来てくれたミエの為にも、頑張らねば。



(えっと……とりあえず、今の俺がやらないと駄目な仕事は……)



 大まかに分けると……三つだ。



 1.『実らず三町の開拓』(重要)


 これは急ぎではないが、無視して良いものでもない。何せ、やる気が有ろうが無かろうが、上が正式に放り投げてきたモノだ。


 向こうも、予算無しの人員無しであるのは分かっているはずだ。ていうか、自腹を強制されたうえに最優先でやれと言われたら、さすがに逃げるけれども。


 まあ、全くの手付かずだと何を言われるか分からんので、『いちおうやってますよ』と言える程度の最低限はしておく必要があるだろう。


 というか……先ほど佐野助より聞きそびれていたが、仮に放置された農具とかが盗まれた場合、それは白坊の責任ではなくなるのだろうか。


 まあ、好きに使えって事だから、盗まれてしまったのは仕方ない。とりあえず、無事なやつは『はたけ』の隅にでも置いておこう。



 2.『新規の販売先の開拓』


 唯一かつ最大の太客である佐野助たちが駄目になった以上、新たに売り出し先を見付ける必要がある。


 これに関しては、出来るならば急いだ方が良いと白坊は考えている。


 食料こそ『じたく』の箪笥より得られるし、『はたけ』にて野菜が取れる。これまでの取引により現金を得ているのに、今すぐ困窮する事もない。


 けれども、それはあくまで『じたく』による超常現象を前提にした話だ。


 米と味噌が箪笥より得られなくなれば、途端に白坊たちは困窮する。少なくとも、これまでのような暮らしは出来なくなると思った方がいい。



 3.『新たに商売を始める』


 これは、鶏をどうするべきかという佐野助からの提案。正直、リスク云々は抜きにして、白坊にとってこの提案はある意味では目から鱗であった。


『2』にも関係する事柄ではあるが、それとは別に、何かしらの商売を始めるのは選択肢の一つとして考えれば、けして悪くはない。


 理由は幾つかあるが、何と言っても狩りは危険を伴うからだ。出来る事ならば、安全に金を稼ぎたい。


 これまで怪我らしい怪我を負わずに何とかやってこられたが、今後はどうなるかは分からない。以前の、『赤毛熊』の時も、そうだった。


 あの時はお互いに不意の遭遇だったし、運良く熊の方が動揺したおかげで無事に仕留められたが……あんなのと真正面から2度3度と遭遇していたら、命が幾つあっても足りない。


 土竜(ミミズ)だって、対処法をすぐに見付けられたのと、出現位置がこちらにとって有利だったから勝てたようなものだ。もし、足場の悪い山の中で遭遇していたら……止めよう。



 ……。


 ……。


 …………とにかく、だ。



 パッと考えた限りでは、販売先を探すのを優先させたいところだが……ふむ、としばし考えた白坊は……まず、『実らず三町』の見回りを行う事にした。


 理由としては、そう複雑なモノではない。単純に、販売先の開拓に関しても、新たに商売を始めるにしても、ミエと相談してから……と、思っただけで。


 そのミエが……まあ、色々あって疲れて寝入っているので、起きるまでは違う事をしていよう……と、考えたわけである。



 ……単純な腕力云々は白坊の方が上でも、ここで生まれ育ったミエの方がはるかに実情に精通している。



 どちらを選ぶにしてもミエの助言は絶対に手助けとなる。というか、江戸に住んでいるとはいえ、町民たちとまともに交流していないのに商売を始めるようとするのが、滅茶苦茶な話である。


 現代だって、マーケティング調査に数億と費やし、時間を掛けることもあるのだ。


 いくら『剣王立志伝』……江戸時代風味な世界とはいえ、無策で挑めば敗北は必至。


 だいたい、今の白坊が出来る商売なんて、どうせ誰かが既に始めている商売だろうし……っと、話を戻そう。




 ──とりあえず、三町ってどれぐらいの広さだっただろうか。




 ぐるりと『実らず三町』を見回した白坊は……『畑イベント』検証の為に引いた、何時ぞやの鍬の跡が地面より消え去っているのを見て、軽くため息を零す。


 まあ、しっかり掘り返した後ではなく、本当に軽く擦った程度。人の手が入らなくとも、雨風にさらされれば自然に消えて当たり前だ。


 特に、ここには遮蔽物となるモノがほとんど無い。むしろ、こんな状況でそのまま残っている方が怖い……ん? 



 ──ふと、白坊の視線が、彼方にて横に伸びている……木の柵へと向けられる。



 今まで気付かなかったが、アレは……『実らず三町』を囲っているのだろうか。気になって小走りにそこへ向かえば……やはり、木の柵が設置されていた。


 近くで見た感じ、木製のフェンスといったところだろうか。


 広さは……正確には分からないが、見間違いや錯覚でなければ、ぐるりと『実らず三町』を囲うようにして並んで設置してある……ように見える。


 高さは白坊の頭より少し高い位置ぐらいだが、それよりも目に留まるのは柵の長さ。ほとんど隙間なく建てられたそれは……やはり、大きく囲うように設置されているようだ。



 ……佐野助たちが、こっそり設置していったのだろうか? 



 いや、さすがにそんな事はしないだろう。というより、これだけ広くて背の高い柵をどうやって……それも、全く気付かれないうちに設置したのだろうか。


 そんなの、科学技術が発達した現代だって不可能だ。


 夜の間にこっそりやるにしても、それだけの大人数で動けば……いくらなんでも気付くはずなのだが。



(すごく表面が滑らか……たかが柵に、これだけ綺麗にヤスリを掛けたりするのか? これ、もしかして『じたく』や『はたけ』と同じ分類のナニカ……か?)



 判断しようにも、こんなイベントは白坊の記憶にはない。


 立志伝の1,2,3のどれにも、こんなイベントは無かった……何度考えても、その結論が出てしまう。


 では……いや、あるいは……止めよう、考えても答えなんて誰も教えてくれないのだから、今は考えるだけ無駄だ。


 とりあえず、そうして思考を切り替えた白坊は……改めて、柵を調べる。


 まあ、調べるといっても強度を見るぐらいだ。真新しいそれらは分厚く固く、軽く叩けば頑強さが拳より伝わってくる。


 軽く押してみれば……なるほど、相当に地中深く芯を入れているようで、白坊の力ではビクともしない。思いっきり蹴ってみても結果は──っ!? 



『陣地を取得しました。現在、空き地となっています』



 ピコン、と。


 擬音にすればそんな音声が、白坊の脳裏に響いた。


 それは、『はたけ』にて水が足りないだの何だの言っていたアレと、同じであった。


 と、同時に──ふわっ、と。


 おそらく、『実らず三町』に入り込んでいた野生動物だろうか。


 まるで弾き飛ばされたかのように、視界の端にて次々に宙を舞って柵の外側へと……あ~、これって、まさか。



(もしかして、『実らず三町』そのものが『じたく』や『はたけ』と同じ状態になった……のか?)



 確証はないが、可能性は高い。しかし、いったいどうして……もしや、先日のレベルアップが原因なのだろうか? 


 ……反射的に引いていた手を、再び柵へ……すると。



『現在、空き地。変更する場合は、柵を強く蹴ってください』



 ……。


 ……。


 …………え~っと、と、とりあえずは、だ。



 一つ、蹴る。


『現在、はたけ。変更する場合は、柵を強く蹴ってください』



 もう一度、蹴る。


『現在、じたく。変更する場合は、柵を強く蹴ってください』



 もう一度、蹴る。


『現在、空き地。変更する場合は、柵を強く蹴ってください』



 あ、一巡した……じゃなくて、だ。



(……何これ、いったいどうすればいいんだ? 何がどう変わったんだ?)



 相変わらずの、説明足らずな脳内音声……それでも、じっくり考えれば、ある程度の想像は出来る。


 この柵が『じたく』は『はたけ』の周囲を囲う柵と同質のモノであるならば、要は柵の内側が同じ状態になった……という事なのだろう。


 それならば、外敵……か、どうかは不明だが、侵入していた異物が弾き飛ばされた事にも、いちおうの説明がつく。


 ただ、気になるのは、このよく分からん『陣地』とか言うの。


 それがいったいどのような影響を後々に残すかがさっぱり分からない……それに、場合によっては『じたく』の中に『じたく』があるという変な状態……いや、止めよう。


 只でさえ色々と考える事があるというのに、ここで新たな問題を増やしたくない。そういうのは、もっと落ち着いてからゆっくり調べるべきだ。



 ……。


 ……。


 …………とりあえず、区分けの柵が出来たという程度で納得しよう。



 これが『じたく』と同じ機能であるならば、防犯機能はバッチリだ……と、思いたい。とりあえず、柵が有るだけ無いよりははるかにマシだから。


 そう、納得した白坊は、そのまましばらくウロウロと柵に沿ってグルリと一週した後で、放置されている開拓跡を見やってから……『じたく』へと戻った。







 ──で、しばらくして。



 その頃には起きて身支度を終えていたミエより、用意されていたお茶を貰い……一口ごくり。少し遅れて、ミエたち3姉妹もお茶をごくり。


 そうして、ホッと一息入れた後……白坊は、佐野助より告げられた諸々の事を話し始めた。



「……なるほど、佐野助様のお話を聞く限りですと、おそらく御殿様の『御用聞き』に睨まれる事を考慮して、手を引いたのでしょう」



 しばし思考を続けた後で、ミエは白坊とは違う感想を零した。


 どういう事かと首を傾げて尋ねれば、その中身は……まあ、現代でも通じている縄張り争いみたいなモノであった。



 ……というのも、だ。



 まず、『御用聞き』とは、定期的にやってきては必要な物を確認し、注文を受け付け、用意してくれる商人の事。


 現代で言えば宅配サービスみたいなもので、小さい個人店ならまだしも、規模の大きいお店などではだいたい専属の御用聞きが居るとのこと。



 なるほど……白坊はようやく納得した。



 電話やネット等の通信サービスが発達した現代とは違い、ここでは店の在庫一つを確認するにも、使いの者を走らせるか、手紙を送るかしか方法がない。


 そして、規模が大きい店ともなれば、扱う商品だけでなく、必要な小道具の量も種類も、その分だけ大きくなる。


 と、なれば、いちいち使いを出すよりも、そういった全般の取引の伝手(つて)を持っている商人が間に入って取引全般を担ってくれた方が、色々と効率が良い場合もあるわけだ。


 当然ながら、幕府や諸藩(しょはん:色々な藩の事)に出入りして、物品の納入等を行う馴染みの御用聞きも居る。


 そして、そういうのは一般的な御用聞きとはかなり違う……らしい。


 事情が無い限りは先代、先々代より繋がっている……言うなれば、長い付き合いの商人が張り付いている……とのことだ。



「言ってしまえば、信用が足りないのでしょう。そういう話は、よくあることですよ。両親から、聞いた覚えがあります」

「でも、これまで上も喜んでいたって佐野助さんは言っていたけどなあ……」

「だから、最初は軽く見ていたのだと思います。でも、何時までも取引が続けば……さすがに、自分たちの縄張りに踏み込んできたと思っても不思議ではありません」

「……そ、そうか?」

「そうですよ。税として納めるならば何も言っては来ないでしょうが……仮に鶏まで取引するとなっていたら、いよいよ動いていたかもしれません」



 今一つ納得がいかない様子の白坊に対して、ミエは神妙な顔で頷いた。



「特に、江戸の御殿様は目新しい物が好きだと私もお聞きした覚えがあります。なので、『御用聞き』たちも、御殿様の何時もの事だと最初は静観していたのだと思います」


「むう……」


「それに、御殿様の御用聞きともなれば、横の繋がりも半端ではございません。御殿様自身がどのようなお考えなのかは分かりませんが、隙間から生えてきた雑草との仲に固執するより、痒い所をサッと掻いてくれる老舗との付き合いを優先した方が良い……と、家臣様が動くのもまた、不思議な話ではないと思います」


「いきなり出てきた見知らぬ店よりも、昔からの馴染みの方が良いって事か」


「そういう事です。むしろ、老舗の方々に目を付けられて嫌がらせをされる前で良かったと私は思いますよ」


「……そうだな」



 そこまで言われて、ようやく納得した白坊はため息を零した。


 とりあえず、状況は理解出来た。あくまで推測の域を出ないが、間違ってはいないだろうなあ……と、白坊は判断した。



 ……で、だ。



 白坊としては、『実らず三町の開拓』は空いた時間の片手間程度に抑え、まずは作物をそのまま売る事から始めた方が良いのでは……そう、提案した。


 もちろん、拙いながらも根拠はある。それは、白坊には佐野助以外に何一つ伝手を持っていないからだ。


 ミエの件で白坊の事を知っている者はいても、その白坊が育てた作物を佐野助たちに下ろしている事までは、知られていない可能性が高い。


 何せ、侍である佐野助たちが絶賛したぐらいだ。


 値段も相場と変わらない事が分かれば、ミエを頼りにして、売ってほしいと訪れる者が現れても何ら不思議ではない。というか、白坊が逆の立場だったら、一度は絶対に様子を見に行く。


 それすらこれまで無かったのは、佐野助たちは黙秘を続け、情報が漏れないよう固く口を閉ざしていてくれたに違いない。


 それが結果的に良いか悪いかは別として、だ。


 少なくとも、知名度0の、そのうえ常識知らずの男といきなり取引を行いたいと思う者は……まあ、中々現れないだろうなあ……というのが、白坊の意見であった。



 ……そして、その意見に対してミエは……しばし考えた後、同意見だと頷いた。



 ミエ曰く、最初はとにかく顔を覚えて貰った方が良い……との事。あと、小金を溜め込んでいると周りに思われるのも、出来るなら避けた方が良い。


 だから、仮にお店を開くにしても、ある程度は間を空けた方がいいと思う。ある程度上手くいって、お金を溜められた……という形ならば、目を付けられにくいかもしれない。


 新たな取引先が見つかるかどうかは別として、『はたけ』より採れる野菜などは質が良いから、全く売れない事はない。


 加えて、狭い範囲ではあるが、自分の顔はある程度知られている。その自分と一緒に売れば、顔を覚えて貰いやすい。



 そこから、その作物を使って新たな商売を始めるのも良い。


 または、そのまましばらく同じ販売を続けるのも良い。


 あるいは、全く別の商売を始めるのも良い。



 最終的にどれを選ぶのは白坊に任せるけれども、だ。出来る事ならば、狩りのように危険を伴う仕事は避けてほしい。


 お金は有った方が良いけれども、その為に白坊が怪我を負っては本末転倒だから……と、話を締めくくった。


 ……。


 ……。


 …………しばらく、考えた後。



「……うん、顔が売れるまでは作物なり何なり売ろうか」



 と、白坊は決断した。


 これはミエの意見が後押ししたのも理由の一つだが、白坊自身も狩りはリターンは大きいが比例してリスクも高いので、回数を減らした方が良い……と、思っていたからだ。


 ……で、だ。


 そんな感じでひとまずの方針が決まったわけだが……それならそれで、『何を売れば良いのか?』という一番重要な事を決める必要があるわけ……なのだが。



「野菜は売るとして、そういえば果物は売れると思うか?」

「売れると思いますよ」

「お店とかに売るのは?」

「売れるとは思いますが、足元を見られて買い叩かれると思います」

「……買い叩かれるの?」

「よく、売り込みに来ていた商人さんから両親が買い叩いていましたよ。後ろ盾が無い物売りなんて、そんなものです」



 思いの外、世知辛い言葉がミエより飛び出した。



「佐野助様は……おそらく、後ろ盾には成ってくれないと思います。あの人、そういうのは嫌う方でしょうから」

「……ああ、うん、そうだね」


 ──何だろう、油断しているとそのうち尻に敷かれそうな気がする。



 脳裏に浮かぶ予感に軽く身震いしつつ、「……つまり、コツコツ売って評判を上げていけってことだな」白坊はそのまま話を続けた。



「はい、それと、売るならば相場を意識した方が宜しいかと……あと、その場合は『稀人』である事を隠さない方が良いかもしれません」

「え?」

「ご気分を悪くさせるつもりはありません。私にとっては好ましい旦那様だとは思いますが、どうにも商人らしくないというか……」

「……いっそのこと、『神通力』のおかげだと思わせた方がいいってこと?」



 言葉を濁すミエにはっきりと尋ねれば、ミエは苦笑と共に頷いた……いや、まあ、否定は出来ないけれども。


 でもまあ、客観的に見たら怪しいのは確かだ。


 風貌もそうだが、他の商人との横の繋がりが一切無い商人など、怪し過ぎて普通は警戒される。無難なモノならともかく、いきなり果物なんて売り出したら……無用な誤解を与えかねない。



 ……それならば、だ。



 どんな『力』を持っているかは不明でも、『稀人』という存在は『神通力』という不思議な力を持っている場合が多い……というのは、佐野助も前に話していた。


 そう考えれば、逆転の発想として『稀人』だからで押し通した方が……ある意味、物事がスムーズに進むかもしれない。


 そう、白坊は納得し……次いで、佐野助からの助言を思い出し、尋ねた。



「ところで、鶏の肉とか卵とかは?」



 現代では当たり前に有る精肉やパック詰めされた卵。


 この世界ではどちらもそんなに簡単には手に入らないだろうし、元手ほぼ0の鶏と卵を売れば、手堅く稼げるのではと考えた……けれども。



「……鶏肉はすぐには難しいかもしれません。いえ、というより、肉の販売はまだ早いと思います」



 ミエの方から、待ったが掛けられた。


 話を聞けば、鶏の鳴き声は吉兆を告げるモノとされていて、取り扱いが認められた店は江戸でもそう多くはない……つまり、禁止されている可能性が高いから……とのこと。



 それに、だ。



 曰く、猪などの獣肉ならば比較的食されている。しかし、それでも忌避感を抱く者はいるし、米や野菜や魚とは異なり、買ってくれる層がはっきり分かれている。


 宗教的な教えとは別に、それらに比べて肉が高いからだ。


 仲間内とはいえ、『赤毛熊』を丸ごと一頭買い取ってくれたという話も、高給取りに分類される佐野助たちだからこそ……の、一面もある。


 なので、飲食店で出されるならともかく、だいたいは味噌漬けか塩漬けか日干しかの状態で薄切りにして、一個当たりの値段を下げて販売するのが一般的らしい。


 さらに、鳥肉ともなれば……特に、鶏の肉ともなれば、祝い事の日ぐらいしか食べられていない……らしい。


 この、らしい、というのも、ミエたち3姉妹は鳥肉を食べた事が無いから。


 いちおう、卵はセーフ。『吉兆より産み落とされた縁起の良い物』という扱いらしく、精を付ける食べ物という認識……あ、うん、この話は止めよう、腰がむずがゆくなる。



「……売れるって話じゃなくないか?」


 ──もしかして、口から出まかせ……誤魔化されたのだろうか? 



「いえいえ、佐野助様は御侍様ですから……仕方ありません」



 そう思って首を傾げると、「それに、あながちウソというわけでもございません」すぐさまミエより訂正の言葉が入った。



「実際、捌いてしまえばこっちのモノです。まさか、貴重な鶏の肉を獣肉として売っているなんて誰も思いませんし……けれども、念には念を入れて……で、行きましょう」

「……なるほど、分かった」

「あと、卵は……様子見しながらでしょうか。正直、どれぐらい売れるか私には分かりません」



 それを聞いて、白坊は頷いた。



「──よし、それじゃあ最初のうちは野菜が主で、果物が少量……卵も少量ずつ売り始めるか。鶏肉に関しては、もう少し様子見してから決めよう」



 そう話を進めれば、ミエは笑顔で頷いた。


 と、なれば、後は中身を詰めていくだけだ。でも、そこまで難しい事ではない。


 許可に関しては準備が出来たら言いに来いと佐野助が言っていたわけだし、そういった部分はすぐに終わるだろう。


 なので、白坊たちがすることは……売る商品を見繕う事と、必要な小道具を用意することと、販売方法だ。


 店を持っていないので、路上販売か棒手振ぼてふり(移動販売のこと)が、白坊たちが取れる手段だが……これは、特にこだわる必要はないというか、どちらでも良いとのことだ。


 ただ、路上販売を行う場合は大店が立ち並ぶ『日本橋通り』は避けるのが無難。やっぱり、名の知られたお店の方へ客の足が動いて手が伸びてしまうから。


 加えて、人通りによって売り上げが激変するうえに、良い場所は既に取られている(暗黙の了解だとか)場合が多いので、あまりおススメはしない。



 なので、やるとしたら棒手振り



 棒手振りとは、時代劇などでよく背景に登場する、天秤棒(両端には、商品を吊るしたザルなど)などを担いで街中を歩いている人たちの事だ。


 店で雇われた棒手振りと、個人でやっている棒手振りの二種類があるらしい。基本的に、どちらも長屋などの住宅街を練り歩いて訪問販売しているとの事だ。



(天秤棒……町で買う必要があるわけか)



 ──と、いうわけで、白坊がやるのは棒手振りとなった。



 そうなれば、まず必要なのは天秤棒。白坊としては山で適当に枝を切って使えばとも思ったが、ミエより『それは止めた方が良い』と待ったが掛かった。


 天秤棒は棒手振りの証でもあるらしく、それを代用品で誤魔化してしまうと、『天秤棒すら用意出来ないのか?』と軽く見られてしまうから……らしい。


 ……なるほど、それは避けた方が良い。現代だって、商売はまず見た目が大事なのだ。


 質が良くても見た目が貧相なら売れない事が多々あるが、質が普通でも見た目が良かったらモノは試しにと手が伸びてしまうのも、多々あるわけだ。



「じゃあ、天秤棒を買いに行くとして……売っている場所は知っているか?」

「はい、ですが、天秤棒はちょっと私では重くて……出来ることなら一緒に……」



 それは当然なので、白坊は二つ返事で了承し……ついで、傍でぽけ~っとお茶を片手に呆けているミエと、茶柱を真剣な眼差しで見つめているサナエを見やる。



(もう少し落ち着いたら寺小屋へ二人が通うのを再開して……販売は、サナエと一緒に行くか。ミエとモエも、行きたかったら交代すればいいか)



 知能に問題があるサナエだが、それぐらいなら問題はない。


 落ち着きのない面はあるけれども、しっかり言い聞かせれば大人しく言う事を聞いてくれるから。それに、サナエは3姉妹の中では特に美形だし……さて、と。



「ついでに、長屋とかの道を知っていたら教えてもらっていいか? 表通りぐらいなら知っているけど、長屋の方になると全然だから」

「はい、分かりました。私も、顔馴染みの人達に会うかもしれませんし、先に下見だけでもしておきましょう」



 気持ちを改め、心機一転。


 財布を手にした白坊は、サナエとモエに留守番を頼み……その際、外に出てもいいが、すぐに『じたく』へ戻れる位置にいることを告げると。



 ミエの手を引いて……町へと向かった。






 ……。


 ……。


 …………とまあ、そんな感じで意気揚々と下見に出た2人であったのだが。



 出発してから2時間後に、2人は戻ってきた。



 だが、出発前とは異なり、天秤棒を肩に担いだ白坊と、その手に引かれたミエの顔色はあまりよろしくなかった。


 いったい、どうして……それは、長屋の方へと下見に行った際、たまたまミエの実家が有った時からの顔馴染みの人とばったり出くわした時に、雑談がてら教えられて発覚した事。



 ──それは、長屋などの台所事情。



 白坊はすっかり忘れていて、ミエは環境ゆえに気付いていなかった事なのだが……江戸では、そもそも自炊という習慣があまり根付いていなかったのだ。


 どうしてかと言えば、江戸の男女比は圧倒的に男が多い。そして、江戸の男たちの大半は独身であり、出稼ぎの労働者で占められている。


 そして、江戸は木造建築の関係から火の取り扱いに対して非常に厳しく、また、薪に火を点けるだけでも相当に時間と労力が掛かる。


 それは、『剣王立志伝』のこの世界でも、同様で。


 冷蔵庫など無いこの時代、長屋等に住まう独身の男たちは日中留守にしており、食事は外で済ませてくるのが基本であった。


 まあ、そりゃあそうだろう。


 よほど金に困っているならまだしも、現代ですら、一人分作るのが面倒だからと外食なり弁当なりを買って済ませるのが珍しくはない。


 便利な現代ですらそうなのだから、それよりもはるかに手間暇掛けないと駄目な時代ならば、外で済ませた方が速いし楽と思うのは当然の話である。


 そして、これまた当たり前といえば当たり前な話だが……既に、長屋には朝や夕方に朝食や夕食を売りに来る棒手振りが居るとのこと。


 つまり、そこで売り込むとなれば、他の棒手振りと確実にぶつかるわけだが……う~ん、中々に判断に迷う所だ。


 妻が居る場合は……まあ、たいてい子供が居るので、さすがに子供の分も合わせれば自炊した方が安い場合が多いわけだ。


 そうなると、大店の店などにその他諸々を合わせて買いに行っている場合が多く、買い忘れた場合を除けば既に購入済みな事が多いだろう……と、教えられたわけで。



「……練り直しだな」

「そうですね。考えが足りていませんでした」

「それを言ったら、俺もそうだよ」



 お互いに、色々と甘い考えでいた事を痛感し……作戦の練り直しをすることになった。


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