第22話[幕間] いいから、大丈夫

 ターゲットの護衛をつむぎにやらせるとの兄からのメッセージに、羽伊ういは呆然とした。

 矢凪やなぎの部屋のベランダで、着物の袖にスマホを隠しながら二度見する。そうして息をつき、返答した。


〈羽伊:倉本さんはまだ不完全なのでは? 頼んで大丈夫なんですか〉

〈櫂:完全にかぎりなく近いから、大丈夫〉


 そうなのか? しかし、紬と過ごす時間が自分よりも多い兄が言うのだから、きっと大丈夫なのだろう。微妙なひっかかりを覚えたものの、羽伊は自分を納得させた。

 それはそれとして、問題はほかにもある。

 ターゲットである矢凪が、紬の想い人だということだ。

 自分の感情にはいまいち疎くても、他人の機微には敏感だ。矢凪の影になって護衛をするようになり、彼を目で追っている存在に気づくのにそう時間はかからなかった。その相手が身近になるなんて、あのときは思ってもみなかったのだが、気づけばこんなことになっている。

 まるで、運命のいたずら。儚い縁が招いたいたずらのようだ。


〈羽伊:美月と倉本さんが憑依先で、兄さんが本体担当。俺が護衛のままっていうのはナシですか〉

〈櫂:なんでそんなターゲットにこだわるの。え、まさか好きなの?〉


 そうじゃない。羽伊は半眼になった。

 クセの強い兄に伝えるつもりは毛頭ないが、矢凪に恋心を抱いている紬に護衛をさせるなんて、少々どころかかなり酷だ。

 矢凪に恋人はいないものの、想いを寄せている相手はいる。紬にとってはたったひと晩の護衛なので、そのことまでわかることはないだろうが、なにかの拍子に知ってしまったらおそらく傷つく。

 傷ついたとて、紬は護衛をまっとうするだろう。それに、そのことすらも忘れるのだからどうということもない。どうということもないのだが、それでも、できるだけ傷つかないようにしてやりたいと羽伊は思う。

 だって、普通の人が想像もしないような目にあっても、紬はけっして弱音を吐いたりしなかった。むしろ、羽伊が驚くほど自主的に行動していた。そういった言動ができるのは、過酷な状況を自力でのりこえたことのある者だけだ。

 あのときよりはマシ――そんなふうに思える者だけなのだ。

 老齢の者ならそれもわかる。けれど、若い女性ならあまりにせつない。だから、できるだけ味方でいてやりたいと思ってしまう。

 かばえるものなら、陰ながらそうしてやりたい――が、しかたのない状況であることもわかっていた。

 兄の配置は確実で正しい。羽伊は自分を納得させた。


〈羽伊:なんでもないです。わかりました。倉本さんと変わります〉

〈櫂:なんか、気づけなくてごめん。でもこれ仕事だから〉

〈羽伊:なにを言ってるんですか。違いますよ〉

〈櫂:いいから、大丈夫〉


 なにが大丈夫なのだ。羽伊はさらに目を細めた。

 完全に誤解している。だが、いま強く否定をしてややこしくなるのは勘弁だ。

 まあいい。誤解はあとでとけばいいことだ。

 呆れ顔でアプリを閉じた数秒後、通知バッジが表示された。


〈美月:落ち着いたら相談のるから、なんでも言ってくれ!〉


 兄からなにか聞いたらしい。っていうか仕事しろ。

 身悶える思いで目を閉じた羽伊は、袴紐にスマホを差し入れ、風に消えるような吐息をつく。そうして眼下の公園を見下ろしたとき、こちらを見上げている紬に気づいた。


 ――あなたには、幸せになってほしい。


 なぜかそう思う。思いながら、コンクリートの手摺を風のように越えた。

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