第67話 Fall over
某月某日 AM5:30
カーテンを開けると外は光に満ちていた。
遠く山の上には薄い雲がかかっているが、俺には分かる。
今日は晴れる。
気温も上がる気配を感じる。
(行くしかねぇ)
食パンを牛乳で流し込み、装備を整え、外に出る。
そして確信する。
最高の天気、最高のコンディションだ。
キュキュッ、ドウゥゥゥ…
(良し、行こう)
向かう先はビーナスラインだが、いつも使う道は路肩が崩落したとかで通行止めになっている事が分かっていたから、向陽坂を上り、霧ヶ峰から美ヶ原に行く事にした。
下諏訪の市街地を抜けて、諏訪大社秋宮を横目に向陽坂に差し掛かると、一台の軽自動車が脇道から、きわどいタイミングで俺の前に入って来た。
(おっと)
目の前で割り込んで来る車は往々にしてゆっくり走るという俺統計があるのだが、この車も、ご多分に漏れずゆっくりと走り出した。
こういう時俺は、逸る気持ちを抑えろという忠告を受けたと思う様にしている。
イラついても意味は無いし、無理して抜いた所で到着時間にさほど差は出ない物だ。
しばらく走ると、その車はパターゴルフ場のパーキングに入っていった。
パターゴルフ場に隣接するキャンプ場から煙が立ち上るのが見え、いい匂いが漂ってくる、いくつかテントが設営されていて、煮炊きしているキャンパーが見えた。
(キャンプも良いね)
その先の池では、何人か釣りをしている人達が居たので、邪魔にならない様になるべく静かに通り過ぎていると、路肩に止まっていた車が俺の前を塞ぐように動き出した。
(おっと、またか)
この短時間に二回もある事は珍しい。
俺は何となく流れが良くないなと感じた。
その車はすぐに俺に気付いて、ウィンカーを出して路肩に寄って道を譲ってくれた、譲ってもらってその前をゆっくり走るのも
とは言えこの道は路面が荒れているし、砂利も撒かれている様な道だ。
路面の状態に注意しながら走っていると、俺の目の前に通せん坊をするようにT字路が現れた。
俺が行きたいのは左。
左に行くには鋭角にUターンする様に曲がらなければならない。
右に傾斜した短い坂を上り、左に鋭角に曲がる途中で一時停止する必要がある。
こういう合流になる事は知っていた。
だが、この時の俺は他の事に気を取られていた。
最高のコンディションで気が逸っていた事。
ペースカーに二度、道を塞がれ少なからずイラついていた事。
直前に道を譲られ、後ろの車が気になっていた事。
行く先ではなく、路面状態ばかり見ていた事。
いや、今となっては全てが言い訳だ。
左に向きを変える暇もなく坂を上り切りそうになる。
右傾斜のせいで車体は右に傾き、止まれる体勢ではない。
徐行しながら左に曲がるしかないと思い、右に目を向けるとジャストタイミングで車が走ってくるのが目に入り、ブレーキをかけた。
バイクは完全に停止し、咄嗟に右足を伸ばすも地面に届かずに空を切る。
一瞬の間を置いてつま先がアスファルトを捉えたが、時すでに遅し。
車体は右に大きく傾き、支えられる限界を超えていた。
ガシャン!
バイクは右に倒れ、俺の体は投げ出された。
俺の前を通り過ぎていく車を感じながら、倒れても、かかったままのエンジンを慌てて止める。
(やっちまった…)
本当に久しぶりの立ちゴケだ。
右傾斜で右を下にしての立ちゴケ、起こせる気がしない、どうする?
途方に暮れる俺の横を今度は、先ほど道を譲ってくれた車が無情に通り過ぎていく。
(とにかく一回起こしてみるか…)
ハンドルとグラブバーに手をかけ、車体の下に膝を入れる様にして体重をかけて持ち上げるべく力をかけていく。
(くっ、重…)
その時、
ぐきっ!
俺の腰が周囲にも聞こえる様な大きな音をたて、激痛がはしった。
力が抜けてストンとへたり込む。
(やばい!)
体に汗がドッと流れる。
恐る恐る動くと、動けない程ではないが腰がズキンと痛む。
もう、このまま持ち上げるのはどう考えても無理だ。
だからと言って、倒したままにしておく訳にもいかない。
まずは、この右下がりの状態をどうにかしなくては…
やりたくはないが、倒れた車体をそのままガリガリとカウルを削りながら180度回転させるしかないか…
痛む腰に顔をしかめながら立ち上がると、
バイクの排気音が聞こえ、俺の前を通り過ぎるとハザードを出しながら路肩に止まった。
そのバイク乗りは、慎重にサイドスタンドを下ろすと、メットのバイザーを上げこちらに走って来た。
「大丈夫ですか!?」
「すいません、立ちゴケしちゃって…」
「ケガは!? 体は大丈夫ですか!?」
「いや、起こそうと思って腰をやっちゃって…」
「分かりました、バイク、起こしましょう」
俺はその人の手を借りて何とかバイクを起こす事が出来た。
「ありがとうございました。助かりました」
ざっとバイクを見ると大きな損傷はなく、走るのに支障はなさそうだ。
「バイクは大丈夫そうですね、運転は出来そうですか?」
「はい、大丈夫です。本当にありがとうございました」
「いえいえ、それじゃあ、お気を付けて」
そう言ってにこやかに笑うと、突然俺の前に現れた救世主は走って行った。
(はあ… マジ助かった…)
しかし、起こしてもらったは良いがこの場所からの坂道発進は今のオレにとってはキツ過ぎる。
腰の痛みに耐えながらつま先立ちで車体を支えられる自信がない、サイドスタンドを払い、慎重に坂の下、道路の端まで下がった。
そこで再度バイクの状態を確認しながら、腰の痛みが落ち着くのを待っていると、一台のバイクが俺が通って来た方から走って来た。
(あ! この道は気を付けないと…)
と、俺の心配をよそに、そのバイク乗りはピタリと一時停止を決め、颯爽と走り去った。
(はは… そうだよな…)
俺はその後、一時停止を右に下り、そのまま家に帰った。
そして、何度も、何度も、後悔した。
なぜあの時…
あの車が割り込んで来なければ…
路面が荒れてなければ…
先を見て走っていれば…
あの時、車が来なければ…
当然だが、いくら後悔しても、立ちゴケした事実も、腰の痛みも、消えてなくなりはしなかった。
不幸中の幸い、バイクはステップの先端が折れ、各部にキズが付いた程度だったし、腰も二~三週安静にしていれば治ると思う。
時間の経過と共に、だんだんと気持ちが落ち着き、普段の精神状態に戻ってきた気がする。
そして思う、考える。
自分の、なんと未熟な事か。
運転技術の未熟さもさることながら、自分以外に責任転嫁する、
その幼稚な精神。
恥ずかしい、情けない、格好悪すぎる。
俺の事を気遣い、バイクを起こすのを手伝ってくれたあの人。
運転が難しい局面でも、ピタリと一時停止を決め、スマートに走り去ったあの人。
あの時の、あの2人こそが、バイク乗りだ。
バイク乗りとは、こうあるべきと身をもって示された気分だ。
俺自身、バイク歴の長さの上に
慢心があったのかも知れない。
バイクと体が完治したら、もう一度同じルートでビーナスラインに行こうと思う。
無様に立ちゴケしたあの場所を、
今度は、一発試験場の一本橋に臨むがごとく挑むつもりだ。
また同じようにコケたら、おおいに笑って欲しい。
これは『立ちゴケ』という悲劇に立ち向かい
抗い
打ちのめされ
挫折し
それでもなお、立ち上がり、走り出す
一人の男の物語である(笑)
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