25(挿絵)
その後、ノイエンはすぐさま彼の愛馬である黒毛の馬の姿を騙った、民間伝承に残る
────事もあろうに、
彼が言う事には、”足手まとい”は必要ないらしい。
その
疲れを知らず宙すら駆ける
追いつけないのも当然だろう。
乱暴な理論ではあるが、結局のところ一人の方が身軽で早いというのは、英雄級の身体能力を持つごく限られた人間だけに許される特権であるとも言える。
あの、人の良さそうな商人のトマソンをはじめとした普通の人間は、いつ
魔獣、魔物から見れば人間など、生態系最底辺の”ただの歩く肉”なのだから。
戦う
だが自分一人でも魔獣が
なまじ護衛よりも自分の方が強いという自負のあるノイエンならば尚更だろう。
────ヴァラーハ公爵、征東軍総司令官、そして今はリェルヴァーデ臨時首長。
そんなどれをとっても軽いものではない複数の肩書きを持つ彼にとって、時間というのは
彼の公爵らしからぬ単独先行は、一分一秒の無駄を
だが一番可哀想なのは、置いていかれる護衛よりも、彼の道中で一晩の宿として使われる下級貴族たちとその屋敷の使用人だろう。
先触れもなく、
────果たしてその恐怖や
当然、ノイエンは「突然押しかけたのはこちらだ」と大したもてなしは求めないが、そんなことでは「
彼らからすれば雲の上の存在である四公の一人だ。
そんな、事前に連絡があれば借金をしてでも最高級のもてなしをせねばならないような相手を、普段の自分たちの夕飯の同席させるなどとんでもない事だ。
彼らは生きた心地がせず、もはや
……ご愁傷様でした、と言う他ないな。
ノイエンは道中、そんな哀れな被害者を
この世界、この時代、行商ですら安全に次の街に辿り着けるか分からないと言うのに、だ。
東部方面の辺境都市から帝都への移動など、平民からしてみればまさしく命がけだ。
そこを”当然”辿り着ける人間など、そう多くはない。
……とは言え〈アインガルド帝国〉は、”平均的には”、世界的にもとても安全な、治安の良い国だ。
大きな街道は綺麗な石畳により整備され、定期的に休憩所と
それらの働きで、山賊や盗賊も他国とは比べ物にならない速さで討伐されるのだ。
それだけ聞くと素晴らしく安全な国に思えるが、アインガルド”帝国”である以上、その内部では宗主国と従属国、属州という格差があり、それらは経済格差や福利厚生格差と言った形で顔を覗かせる。
危険な地域は確かに存在するし、〈アインガルド帝国〉本国に対して反抗的な従属国、属州に対しては制裁の一環として経済封鎖や嫌がらせに近い特例法の適用などもある。
”平均的には”安全で治安が良い、と言うのはそういう事だ。
さて、帝国全体の話はそこまでとして、そろそろノイエンの眼前に壮大に
ここは世界にその名を
この都市は、その背に巨大な山脈を背負っており、そこは帝国の心臓部の背後を守る天然の要害である。
そして同時に、それは良質な金属資源を産出する鉱山でもあるのだ。
〈フラムベルグ〉はその金属資源を
その性格は都市の
素材こそ石材ではあるものの、その至る部分が鉄により補強されており、
その上、その尋常ではない数の砲門からは、これまた尋常ではない数の砲台が外を睨み付けており、まるで砲台で出来た
この都市を落とせと言われた将軍が居たとしたら、きっと頭を抱えて動かなくなる事だろう。
正直、どんな手を使っても近づける気がしない。
それほどの火力を持った城塞都市────それが帝都にして焔都〈フラムベルグ〉なのだった。
しかも前述の通り、その背後に抱えた鉱山が尽きることのない金属資源を提供し続けるために、”弾切れ”などと言う事態はあり得ない。
昼夜を問わず、その眼前の敵が跡形なくなるまで砲を撃ち続けられるこの都市の前には『敗北』の二文字はないのだ。
他国の将軍には、それを
◇◇◇
その帝都の貴族街に持った屋敷へと辿り着いたノイエンは、早速その日のうちに先触れを出して皇帝の
彼は、帝国で未だに多くの貴族に恐れられる『
彼にとっては皇帝の予定を空けさせる程度の調整は、特段難しい事ではない。
翌日、ノイエンは正装に身を包むと、屋敷にあった高級そうな馬車────全くもってノイエンの好みではなく、儀礼上必要なので仕方なく保有している────に乗り登城した。
今日ばかりは彼の愛馬である黒毛の名馬も欠席らしい。
城門を通る際には、遠目からその紋章を確認されただけで門番は敬礼を行い道を開けた。
彼は四公の一角、ヴァラーハ公爵家だ。
当然、その紋章を掲げた馬車が城門で止められる事などあり得ない。
馬車はそのまま速度を落とすこともなく、天をもその手中に収めようとするかのような尖塔群────
◇◇◇
「────……現状は概ね理解出来た」
そう答えた青年は、
その青年の外見から受ける印象は、貴族らしい、
黒を基調とした高級感ある装いに身を包み、その右側頭部からは巨大な
彼の角は魔族の身体的特徴であり、その巨大さはその青年が格の高い魔族の系譜に連なる者であることを
そしてその
彼こそがこの〈アインガルド帝国〉の現皇帝、『
「……最悪の場合、そのまま〈
今はちょうど、ノイエンがヴェルナーから献策された
内容が内容だけに、カイゼルも即断即決とは当然行かない。
この国が各方面で常に戦争をしているのは確かだが、無秩序に戦火を広げれば、最終的に最も派手に燃えるのは”自国”だからだ。
軍拡主義を採るこの国が各方面で恨まれているのは、赤子でも簡単に分かる事だった。
「最悪の場合が開戦なのは間違いないが〈ウルクス王国〉の動向次第だ。帝国領〈ジャリエ州〉からは旧〈オレル王国〉領のオレル山脈を挟み〈ウルクス王国〉、その先にあるのが〈
現在、〈アインガルド帝国〉と〈
正直に、飾り気なく言えば、現代の地球の人々が『王国』と聞いて真っ先に想像するような、素朴な国だ。
王がいて、貴族がいて、石造りの城があって、平野が広がり、森があり、程々に魔獣の危機がある。
前述の個性の塊のような二国と比べれば、国全体が素朴な
だがそんな無個性で平凡な国だからこそ、帝国が侵略を急がず、片手間でしか対処しなかったために今の今まで生き長らえてきたのだ、とも言えなくもない。
いつでも潰せるような平凡な国は後回しにして、〈
「
そう呟くと、カイゼルは手元に、現時点で帝国が制作できている限りの世界地図を引き寄せた。
広大な────広大と言う言葉でも足りないような領土を持つ、巨大な帝国。
その巨大さ故、大小様々な国々とありとあらゆる場所で国境を接しており、
……と言うのは、戦争を仕掛けられた国に失礼か。
ほとんどの領土紛争は帝国側が仕掛けたものなのだから。
皇帝である彼が
敵の多いこの国は、常に『弱り目に
ましてや、その漁夫の利を狙う第三国が他の
超大国同士の全面戦争の隙を突かれれば、弱小国家ですら脅威になりうるのだから。
四公はそれぞれが自身の計画に沿って各地方での侵略を行っているが、その際に他の方面軍の配慮を行うことはあまりない。
彼らはみな皇帝に仕える貴族であるため、四公同士は同僚であると言えるが、それは決して”仲良しこよしのお友達”という事ではない。
自分の計画を皇帝に共有するのは当然の事だと考えているが、四公同士での計画の共有は行わないのだ。
……まぁ、どこから計画が漏れるかわかったものではないし、それも当然だろう。
故に、四公同士の計画の競合や
広すぎる国土を治めようと思うと、皇帝の
そのために各地域での政治は有力貴族に任せ、皇帝は彼らの監督と国家全体で足並みを揃える業務を
ノイエンが皇帝のもとへと訪れたのは作戦実行許可の取得と言う面もあるが、南公であるベルネラ大公の計画の邪魔にならないかの確認という意味合いが強い。
味方同士での足の引っ張り合いなど金貨一枚の得にもならないし、その被害がこちらに帰ってきては溜まったものではないからだ。
「ベルネラ大公は現在、帝国南東部へは
それが南部で始まったと言うのは、〈ローザンジュ帝国〉との小国の陣取り合戦が始まったと言うことに他ならない。
「その作戦の実行は許可しよう。ただし、万が一にも
「あぁ、それで構わない。では本日中にヴェルナーに……」
────トントン
その時、突如として鳴り響いたのはノックの音だった。
皇帝が会談の最中に呼びつけるなど、とんでもなく
それが何かしらのミスで起きた事ならば、最悪、担当者の首が飛ぶほどの事態である。
……だが、特例としてそれが許される場合もある。
それは、皇帝の所用を差し置いても一刻も早く耳に入れるべき、
その可能性が脳裏をよぎった二人は、
「入れ」
カイゼルとノイエンは、兵士に見せるべきでない資料を手早く片付けると、彼を部屋へと招き入れる。
「はっ! 会談中、誠に申し訳ありません。ヴェルナー・アイゼンクレー様の────ハイゼンベルグ伯爵の使い魔が、火急の用件だと
「ヴェルナーが……?」
「ふむ……。許す。連れて来るが良い」
カイゼルの許しを得た兵士が扉を開けて客人を迎え入れると、その隙間から飛び込んできたのはノイエンが帝都まで連れてきたヴェルナーの骨鴉だった。
そこで二人の顔を見回すと、この骨鴉特有の器用な
『皇帝陛下に
「それだけの事だ、ということか?」
『えぇ。詳細は
「ふむ、言ってみるが良い。ハイゼンベルグ伯爵」
カイゼルは骨鴉から視線を外す事なく、
だが、それから骨鴉ことヴェルナーが告げたのは言葉だけでは到底信じられないようなとんでもない事態だった。
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登場人物立ち絵:https://kakuyomu.jp/users/nekomiti/news/16816700429401591258
・カイゼル・アインガルド・ガルシア - Kaiser Eingard García
・ベルンハルト・シュミット・ボルツブルグ - Bernhard Schmidt Würzburg
・ゾフィー・ヴィスコンティ・ベルネラ - Sophie Visconti Bernera
https://kakuyomu.jp/users/nekomiti/news/16816927860731102191
・ヴィンフリート・カレンベルグ・ドレスデン - Winfried Calenberg Dresden
・ヴァシリーサ・ペトローヴナ・ロマノヴナ - Vasilisa Petrovna Romanovna
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