25(挿絵)

 その後、ノイエンはすぐさま彼の愛馬である黒毛の馬の姿を騙った、民間伝承に残る不死者アンデッド種の魔獣『告死の曳手コシュタ・バウアー』のゲファター・トートを駆り、急ぎ帝都へと向かった。



 ────事もあろうに、とももつけずに一人で、だ。



 彼が言う事には、”足手まとい”は必要ないらしい。

 その愛馬ゲファター・トートに追いつける持久力と速度を持つ馬が他にいないため、どう足掻あがいても足を引っ張られてしまうのだ。


 疲れを知らず宙すら駆ける不死者アンデッド系統の魔物に、普通の馬が追いつけと言うのも土台無理な話だ。

 追いつけないのも当然だろう。


 乱暴な理論ではあるが、結局のところ一人の方が身軽で早いというのは、英雄級の身体能力を持つごく限られた人間だけに許される特権であるとも言える。


 あの、人の良さそうな商人のトマソンをはじめとした普通の人間は、いつ何時なんどき魔獣や魔物に襲われるとも知れない場所を一人で旅する事など出来やしない。

 魔獣、魔物から見れば人間など、生態系最底辺の”ただの歩く肉”なのだから。


 戦うすべを持たない者が自分の身を守る為には、たとえ人数が増えて商隊キャラバンの足が遅くなったとしても、護衛をしっかりと雇い、多人数で旅をするしかないのだ。


 だが自分一人でも魔獣が蔓延はびこる外界を踏破できるほどに強ければ、そんな心配は不要と感じるのも分からなくはない。

 なまじ護衛よりも自分の方が強いという自負のあるノイエンならば尚更だろう。


 ────ヴァラーハ公爵、征東軍総司令官、そして今はリェルヴァーデ臨時首長。


 そんなどれをとっても軽いものではない複数の肩書きを持つ彼にとって、時間というのは値千金あたいせんきんの替えの効かない貴重品だった。

 彼の公爵らしからぬ単独先行は、一分一秒の無駄をはぶき、浮かせた時間で次の策を、という彼の心中の現れなのだろう。



 だが一番可哀想なのは、置いていかれる護衛よりも、彼の道中で一晩の宿として使われる下級貴族たちとその屋敷の使用人だろう。


 先触れもなく、ともも付けずに現れた四公の一人が、突然「一晩泊めろ」などとのたまうというのだからたまらない。


 ────果たしてその恐怖や如何いかばかりか。


 当然、ノイエンは「突然押しかけたのはこちらだ」と大したもてなしは求めないが、そんなことでは「粗相そそうがあれば自分の首が飛ぶかもしれない」という使用人たちと木端貴族こっぱきぞくの恐怖はぬぐえない。


 彼らからすれば雲の上の存在である四公の一人だ。

 そんな、事前に連絡があれば借金をしてでも最高級のもてなしをせねばならないような相手を、普段の自分たちの夕飯の同席させるなどとんでもない事だ。

 彼らは生きた心地がせず、もはや小茴香フェンネル丸齧まるかじりしても何の味もしないレベルだった。


 ……ご愁傷様でした、と言う他ないな。




 ノイエンは道中、そんな哀れな被害者を数家すうけ出しつつも、当然のごとく無事に帝都へと辿たどり着いた。


 この世界、この時代、行商ですら安全に次の街に辿り着けるか分からないと言うのに、だ。


 東部方面の辺境都市から帝都への移動など、平民からしてみればまさしく命がけだ。

 そこを”当然”辿り着ける人間など、そう多くはない。


 ……とは言え〈アインガルド帝国〉は、”平均的には”、世界的にもとても安全な、治安の良い国だ。

 大きな街道は綺麗な石畳により整備され、定期的に休憩所と宿場しゅくばが設置されており、街道では軍や地方領主による定期的な巡回もある。

 それらの働きで、山賊や盗賊も他国とは比べ物にならない速さで討伐されるのだ。


 それだけ聞くと素晴らしく安全な国に思えるが、アインガルド”帝国”である以上、その内部では宗主国と従属国、属州という格差があり、それらは経済格差や福利厚生格差と言った形で顔を覗かせる。

 危険な地域は確かに存在するし、〈アインガルド帝国〉本国に対して反抗的な従属国、属州に対しては制裁の一環として経済封鎖や嫌がらせに近い特例法の適用などもある。


 ”平均的には”安全で治安が良い、と言うのはそういう事だ。




 さて、帝国全体の話はそこまでとして、そろそろノイエンの眼前に壮大にそびえる帝都の威容いようへと触れておこう。


 ここは世界にその名をとどろかせる軍事大国にして、人によっては『七大国セブン・シスターズ』筆頭と評する者もいる超大国────〈アインガルド帝国〉の首都、『焔都』〈フラムベルグ〉だ。


 この都市は、その背に巨大な山脈を背負っており、そこは帝国の心臓部の背後を守る天然の要害である。

 そして同時に、それは良質な金属資源を産出する鉱山でもあるのだ。

〈フラムベルグ〉はその金属資源を溶銑ようせん、加工する熔鉄ようてつ施設が長い年月をかけて発展し、とんでもなく巨大化した首都けん製鉄所だと言っても過言ではない。


 その性格は都市の外郭がいかくの構造────いわゆる市壁スタッドマウアーにも如実に現れている。

 素材こそ石材ではあるものの、その至る部分が鉄により補強されており、銃眼じゅうがん、もとい砲門の数も尋常ではないのだ。

 その上、その尋常ではない数の砲門からは、これまた尋常ではない数の砲台が外を睨み付けており、まるで砲台で出来た雲丹うにのようだった。


 この都市を落とせと言われた将軍が居たとしたら、きっと頭を抱えて動かなくなる事だろう。

 正直、どんな手を使っても近づける気がしない。

 それほどの火力を持った城塞都市────それが帝都にして焔都〈フラムベルグ〉なのだった。


 しかも前述の通り、その背後に抱えた鉱山が尽きることのない金属資源を提供し続けるために、”弾切れ”などと言う事態はあり得ない。

 昼夜を問わず、その眼前の敵が跡形なくなるまで砲を撃ち続けられるこの都市の前には『敗北』の二文字はないのだ。


 他国の将軍には、それを畏敬いけいの念と共に揶揄やゆして『無敵要塞インヴィンシブル』と呼ぶ者もいるらしいが、あながち間違いでもないだろう。



 ◇◇◇



 その帝都の貴族街に持った屋敷へと辿り着いたノイエンは、早速その日のうちに先触れを出して皇帝の約束アポイントメントを取り付けた。


 彼は、帝国で未だに多くの貴族に恐れられる『血の粛清ブラッディ・ガラ』の立役者であり、現皇帝カイゼル・アインガルド・ガルシアことカイゼル・フォン・ファルケンバーグ=ガルシアを、”本当の意味”で最初に支持した筆頭貴族であるからして、その権力は帝都でも絶大だ。


 彼にとっては皇帝の予定を空けさせる程度の調整は、特段難しい事ではない。

 おおやけの場を除き、皇帝であるカイゼルに対してへりくだらない気安い友人のような会話を出来るのも、帝国広しと言えど彼を含め数人だろう。



 翌日、ノイエンは正装に身を包むと、屋敷にあった高級そうな馬車────全くもってノイエンの好みではなく、儀礼上必要なので仕方なく保有している────に乗り登城した。

 今日ばかりは彼の愛馬である黒毛の名馬も欠席らしい。


 城門を通る際には、遠目からその紋章を確認されただけで門番は敬礼を行い道を開けた。


 彼は四公の一角、ヴァラーハ公爵家だ。

 当然、その紋章を掲げた馬車が城門で止められる事などあり得ない。


 馬車はそのまま速度を落とすこともなく、天をもその手中に収めようとするかのような尖塔群────帝城ていじょう内部へと消えていった。



 ◇◇◇



「────……現状は概ね理解出来た」


 そう答えた青年は、おもむろに右のこめかみに軽く曲げた指を突くと、わずかに前にかしぎ、何事か考える仕草を見せた。


 その青年の外見から受ける印象は、貴族らしい、ぜいの限りを尽くした悪趣味な豪華さとは程遠いものだ。

 黒を基調とした高級感ある装いに身を包み、その右側頭部からは巨大な片角かたつのがこれでもかという迫力でそびえている。

 彼の角は魔族の身体的特徴であり、その巨大さはその青年が格の高い魔族の系譜に連なる者であることを示唆しさしていた。

 そしてその鶖青色ジェイブルーの髪は、ノイエンの持ち込んだ問題に懊悩おうのうする怜悧れいりな横顔に、カーテンのように覆いかぶさっている。



 彼こそがこの〈アインガルド帝国〉の現皇帝、『鉄血皇帝アイザネ・カイザー』カイゼル・アインガルド・ガルシアだ。



「……最悪の場合、そのまま〈魔女の森ウァラシュラトフォーク〉との開戦となるか。周辺各国の情勢はどうだ?」


 今はちょうど、ノイエンがヴェルナーから献策されたくだんの”反則行為テロリズム”についての相談が終わった所だ。

 内容が内容だけに、カイゼルも即断即決とは当然行かない。


 この国が各方面で常に戦争をしているのは確かだが、無秩序に戦火を広げれば、最終的に最も派手に燃えるのは”自国”だからだ。

 軍拡主義を採るこの国が各方面で恨まれているのは、赤子でも簡単に分かる事だった。


「最悪の場合が開戦なのは間違いないが〈ウルクス王国〉の動向次第だ。帝国領〈ジャリエ州〉からは旧〈オレル王国〉領のオレル山脈を挟み〈ウルクス王国〉、その先にあるのが〈魔女の森ウァラシュラトフォーク〉の国境だ。……である以上、あの国からの帝国への先制攻撃はあり得ない。また、こちらからの先制攻撃も〈ウルクス王国〉領土通過のための折衝せっしょうを開始した時点で筒抜けになるだろうな。どちらにしろ〈ウルクス王国〉に干渉し始めた時点で相手に知れる。故に、どう足掻いても奇襲はないと俺は踏んでいる」


 現在、〈アインガルド帝国〉と〈魔女の森ウァラシュラトフォーク〉の間には、〈ウルクス王国〉という国がある。


 正直に、飾り気なく言えば、現代の地球の人々が『王国』と聞いて真っ先に想像するような、素朴な国だ。

 王がいて、貴族がいて、石造りの城があって、平野が広がり、森があり、程々に魔獣の危機がある。

 前述の個性の塊のような二国と比べれば、国全体が素朴な田舎カントリーのような────そんな国だった。


 だがそんな無個性で平凡な国だからこそ、帝国が侵略を急がず、片手間でしか対処しなかったために今の今まで生き長らえてきたのだ、とも言えなくもない。

 いつでも潰せるような平凡な国は後回しにして、〈魔女の森ウァラシュラトフォーク〉、〈リェルヴァーデ〉、〈神聖アスタリア帝国〉属州〈ネヴェリゴロド〉と言った厄介な国が優先的に対処されてきたのだから。


成程なるほどな……」


 そう呟くと、カイゼルは手元に、現時点で帝国が制作できている限りの世界地図を引き寄せた。


 広大な────広大と言う言葉でも足りないような領土を持つ、巨大な帝国。

 その巨大さ故、大小様々な国々とありとあらゆる場所で国境を接しており、数多あまたの国境で紛争を抱えている。


 ……と言うのは、戦争を仕掛けられた国に失礼か。

 ほとんどの領土紛争は帝国側が仕掛けたものなのだから。


 皇帝である彼が危惧きぐするのは、どこかしらで〈アインガルド帝国〉がそれなりの労力を払って相手をしなけらばならない国と戦争をしている最中に、第三国が別方面からの侵攻をかけてくること、またはその隙を狙って内乱が起きることだ。


 敵の多いこの国は、常に『弱り目にたたり目』を狙ってくる相手への警戒をおこたることはない。

 ましてや、その漁夫の利を狙う第三国が他の七大国セブン・シスターズであれば、一気に国家存亡の危機となるだろう。

 超大国同士の全面戦争の隙を突かれれば、弱小国家ですら脅威になりうるのだから。


 四公はそれぞれが自身の計画に沿って各地方での侵略を行っているが、その際に他の方面軍の配慮を行うことはあまりない。

 彼らはみな皇帝に仕える貴族であるため、四公同士は同僚であると言えるが、それは決して”仲良しこよしのお友達”という事ではない。


 自分の計画を皇帝に共有するのは当然の事だと考えているが、四公同士での計画の共有は行わないのだ。

 ……まぁ、どこから計画が漏れるかわかったものではないし、それも当然だろう。


 故に、四公同士の計画の競合や相乗そうじょうなどをかんがみて、各人の計画の交通整理を行うのは皇帝の責務となる。

 広すぎる国土を治めようと思うと、皇帝の単独ワンマンでは足が遅すぎてありとあらゆる局面きょくめん後手ごてに回ってしまう。

 そのために各地域での政治は有力貴族に任せ、皇帝は彼らの監督と国家全体で足並みを揃える業務をになう、というのがこの国の皇帝のスタンスだった。


 ノイエンが皇帝のもとへと訪れたのは作戦実行許可の取得と言う面もあるが、南公であるベルネラ大公の計画の邪魔にならないかの確認という意味合いが強い。

 味方同士での足の引っ張り合いなど金貨一枚の得にもならないし、その被害がこちらに帰ってきては溜まったものではないからだ。


「ベルネラ大公は現在、帝国南東部へは然程さほど力を入れてはおらん。〈ジャリエ王国〉併合から此方こっち、〈ローザンジュ帝国〉からの南部諸国への干渉が強まっていて、そちらへの対処にかかりきりのようだ。……これは南部も『大抗争グレート・ゲーム』に入ったと言えるな」


 大抗争グレート・ゲームと言うのは、先に触れたがシェンゲン地方の小国家を七大国セブン・シスターズである〈アインガルド帝国〉と〈神聖アスタリア帝国〉がお互いに取り合い、自分の陣営に編入させようとありとあらゆる手を使って繰り広げている武力衝突の少ない”戦争”のことだ。

 それが南部で始まったと言うのは、〈ローザンジュ帝国〉との小国の陣取り合戦が始まったと言うことに他ならない。


「その作戦の実行は許可しよう。ただし、万が一にも戦端せんたんが開くようであれば、貴様は〈神聖アスタリア帝国〉の抑えに回って貰うぞ。戦争自体は貴様の部下か別の将軍に任せる事になるが構わんな?」

「あぁ、それで構わない。では本日中にヴェルナーに……」


 ────トントン


 その時、突如として鳴り響いたのはノックの音だった。


 皇帝が会談の最中に呼びつけるなど、とんでもなく不敬ふけいな行いだ。

 それが何かしらのミスで起きた事ならば、最悪、担当者の首が飛ぶほどの事態である。



 ……だが、特例としてそれが許される場合もある。

 それは、皇帝の所用を差し置いても一刻も早く耳に入れるべき、途轍とてつもなく深刻な火急の用件の場合だ。



 その可能性が脳裏をよぎった二人は、怪訝けげんな顔で重厚な樺桜バーチ材の扉をめつける。


「入れ」


 カイゼルとノイエンは、兵士に見せるべきでない資料を手早く片付けると、彼を部屋へと招き入れる。


「はっ! 会談中、誠に申し訳ありません。ヴェルナー・アイゼンクレー様の────ハイゼンベルグ伯爵の使い魔が、火急の用件だとおっしゃっておりまして……」

「ヴェルナーが……?」

「ふむ……。許す。連れて来るが良い」


 カイゼルの許しを得た兵士が扉を開けて客人を迎え入れると、その隙間から飛び込んできたのはノイエンが帝都まで連れてきたヴェルナーの骨鴉だった。

 からすは優雅に羽ばたくと空中で静止し、ノイエンとカイゼルの座す円卓に置かれた椅子いすの一つ────その豪華な背もたれの上に留まる。


 そこで二人の顔を見回すと、この骨鴉特有の器用なお辞儀ボウ・アンド・スクレープを見せ、それからすぐに鴉はその慇懃いんぎんさを発揮し、流れるような美辞麗句をまくし立てた。


『皇帝陛下にかれましては、益々のご清栄せいえいお喜び申し上げます。このような姿での御目通り、誠に恐縮の極みでは御座いますが、陛下とヴァラーハ公爵に一刻も早くお耳に入れねばならぬ事案があり、急ぎせ参じた次第で御座います』

「それだけの事だ、ということか?」

『えぇ。詳細は此方こちらも現在確認中では御座いますが……』

「ふむ、言ってみるが良い。ハイゼンベルグ伯爵」


 カイゼルは骨鴉から視線を外す事なく、あごをしゃくって先をうながす。

 だが、それから骨鴉ことヴェルナーが告げたのは言葉だけでは到底信じられないようなとんでもない事態だった。



 ────────────

 登場人物立ち絵:https://kakuyomu.jp/users/nekomiti/news/16816700429401591258

 ・カイゼル・アインガルド・ガルシア - Kaiser Eingard García

 ・ベルンハルト・シュミット・ボルツブルグ - Bernhard Schmidt Würzburg

 ・ゾフィー・ヴィスコンティ・ベルネラ - Sophie Visconti Bernera


 https://kakuyomu.jp/users/nekomiti/news/16816927860731102191

 ・ヴィンフリート・カレンベルグ・ドレスデン - Winfried Calenberg Dresden

 ・ヴァシリーサ・ペトローヴナ・ロマノヴナ - Vasilisa Petrovna Romanovna

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