69話 父の背中
「───ただ、もちろん反発の声もありますよ。ウルツ様については、英雄を最前線に置いて王国への威圧にするとの事でウィルフリードを認められた訳ですが……」
残念ながら、一つの反乱を鎮めた程度で国を守った英雄と肩を並べることはできない。それは父の一番そばにいる私が嫌でも知っていることだ。
「それゆえの妥協点が五割の税率です。少々厳しいでしょうが、きっと乗り越えることができると陛下は信じています。……さて、ここにレオ様が直筆のサインを…………」
そうしてファルテンは後ろの棚から箱と取り出し、綿詰めされた赤いフェルト生地の上に置かれた分厚い羊皮紙を広げる。ファリア領土の所有者についての権利書だ。
「ちなみにですが、バルン=ファリアを筆頭とするファリア一族は全員即刻打首となりました。その他のファリア関係者は取調べの後、反乱に無関係である者だけ残してあります。もちろん彼らをどうするかもレオ様のご自由なので、その点はご安心を」
さらっと言いのけたが、それは血で赤黒く染まった一族滅亡の話だった。陛下はファリアの処遇を私に考えさせたが、やるべき事は既に済ましてあった訳か。
そして、ここにサインすればそんな中残されたファリアの人間を全て私が引き受けることになる。
陛下からの期待、ファリアの人々に対する責任。十歳の子どもには到底受け入れられるはずもない重圧だ。
だが、私ならできる。
いや、私にしかできない。
私の脳裏には、歳三や孔明、そしてまだ出会っていない新たな英雄たちの顔が浮かび上がっていた。
「───ペンをお借りしても?」
「ええもちろん」
ファルテンから手渡された羽根ペンに、底が見えないガラス容器に満たされた黒のインクを浸す。
紙の上に垂れないよう、しっかりと余分なインクを落とた。
そして、私はゆっくり、それでいて力強く、名前を書き記す。
『ファリア領主 レオ=ウィルフリード』
手は震えていた。だが文字には一切の迷いが見えない。美しく鋭く、私の名前が刻まれた。
「お上手ですね」
「いえ……」
ファルテンは私の名前を確認し、インクが乾くのを待ってからまた箱の中に権利書を戻した。
「これで名実ともにレオ様がファリア領主となりました。……おめでとうございます」
ファルテンは箱を後ろの棚に丁寧にしまった。あそこには帝国の領土全ての権利書があるのだろう。
「母と考えていたよりもずっと早くこうなったな。……流石は我が息子よ!レオ!おめでとう!」
「はい……!ありがとうございます!」
父に背中を叩かれると、涙が出そうになった。
まだどうなるか決まった訳ではないが、父と母はウィルフリード、そして私はファリアへ、と離れ離れになるだろう。
あまりに早すぎる息子の独り立ちに、父も少し涙ぐんでいるように見えた。
「他にもいくつか署名をお願いします。明日の朝一番でファリア領土の行く末について公布される手筈です。それまではご内密に」
「分かりました」
それ以降はファルテンから次々に渡される書類を片付けていった。
改めて帝国に忠誠を誓う誓約書や、誰かが勝手に本文を書いた掲示用の決意表明書。
こんな形式上のものはどうでもいい。評価は構成の歴史家に任せればいい。大切なのはこれから何をするかなのだから。
「───はい、確かに。ではこれで全ての手続きが完了しました。後はこちらで処理しますので」
「よろしくお願いします……!」
私は最後の書類をファルテンに渡す。
「ちなみに、皇都にはどれほど滞在のご予定で?」
「うーむ、用が済めばすぐにでも戻ろうと思っていたのだが」
父はさらりと嘘を吐いた。本当はちょっと遊んでから帰るつもりのクセに。
「明日発行される領土の証明書をお持ち頂いてからお帰りになった方がよろしいかと。今日のうちに各地へ早馬を向かわせますが、現地で何かトラブルがあってもいけませんので」
「そうか!それでは帰還は明日以降にしよう!」
しょうがないなぁ!なんて口振りで父がそう言う。一日遊べる口実を手に入れたって訳だ。
「それでは明日、お泊まりの迎賓館まで必要書類をお持ちしましょう」
「助かる!」
「はい。……少々忙しくなりますのでお見送りができず申し訳ありません。どうかお気を付けてお帰りください」
ファルテンは立ち上がり扉を開けてくれた。
「ありがとうございました」
私と父はファルテンと握手を交わし、部屋を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
広すぎる皇城を、出口を目指して父と歩く。
「何とかなって良かったです」
こうして父と二人だけで話すのは久しぶりかもしれない。
父の北方遠征以来、ウィルフリードには慌ただしい時間が続いた。それもやっと一区切りつく。
「陛下は先見の明をお持ちになっている偉大な王だ。我々の功績をきちんと評価してくださる。……それだけに、周りのつまらない人間が心配だな」
正直、「帝国への忠誠」だとか「愛国心」だとかっていう曖昧な行動原理は分からない。私にとっては、身近なほんの少しの人が幸せでいてくれたらそれでいい。
だが、あのような立派な君主なら、仕えている人間の気持ちも少しは理解出来た。
「私たちにどうにかできますか?」
「ううむ……」
それは意地悪な質問だった。
「───まぁ、なるようになるとしか言いようがないな。だが、どのような状況になっても最後まで陛下と共に戦う。それだけは確かだ」
父らしい答えだ。
その愚直なまでの熱意を前に、私は少し頬が緩んでしまった。
今回の旅で何度も見かけた、父に魅了された兵士たち。
男が惚れる男とは、まさに父のことを言っているのだと確信した。
不謹慎かもしれないが、もし何かのために戦う時は、父と背中を合わせて戦場に立つのも楽しみに思えてしまった。
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