64話 狗猛酒酸

「お上がそんなんじゃァ、地方で反乱もおこるわな」


「幸い、陛下はまだまだご健康ですので今回の王国との同盟延長はなんとかなるでしょう。しかし、次はまたどうか分かりません……。いずれ皇位継承の時は来るのですから……」


「その時にヴァルターのような悪臣が残っておれば、今度のファリア程度の混乱では済まないだろうな」


 父も腕を組み難しい顔をしている。


「現状でさえ彼らが力を持っています。中には彼らに排斥され下野した者もいました……」


 団長だってそれなり、いや軍でいえば帝国の中でもトップレベルの役職のはずだ。そんな団長にあのような暴言を吐くヴァルターの奢りは火を見るより明らかだった。


「事を用いる者猛狗たらば、主安んぞ壅がるる無きことを得んや、国安んぞ患い無きことを得んや……」


「ん?何か言ったか孔明?」


 突然孔明がポツリと呟いた。


「晏子春秋あんししゅんじゅうの一節です」


「うーん……、それはどういう内容なんだ?」


 元は名士という学者のような者をやっていた孔明。その博識な知識を披露してくれるようだ。


「景公という王に政治で注意すべき事を問われた、名宰相の晏子は韓非子を用いてこのように例えました」


 孔明は目を瞑り、思い出すように噛み砕きながら説明してくれた。


『ある所に美しく綺麗な器を用意し立派な旗を掲げる酒屋がありました。しかし酒は腐ってしまうまで売れませんでした』


「ほう」


『そこで店主はある客になぜ売れないのか尋ねたのです。彼が言うことには店先で飼っている猛犬が客に噛みつき、酒が零れてしまうそうです』


「確かに、それでは誰も酒は買わないだろうな」


「はい。ですが店主は自分の犬を簡単には捨てられないでしょう」


「えぇと……、それとこれがなんの関係が?」


 団長は困惑した表情で孔明にそう問うた。この世界には故事にまつわる言葉はないのだろうか。

 例え話による教訓など面白いと思うのだが。

 ……これは後々役に立ちそうだと思った。


「もちろん、これはただの例え話です」


「ではその真意をお聞かせ願えますか?」


 孔明は微かに頷いて、言葉を続けた。


「つまり、どんなに良いもの出会っても周りにそれを邪魔するような存在があればなんの意味もないということです。晏子はこれを、悪臣によって賢臣が虐げられるが、可愛さゆえにその悪臣を裁く事ができない君主、というように当てはめました」


「つまり、酒屋の店主が王で、猛犬が悪臣。客は賢臣で失われた酒と器が国という訳ですか」


「その通りです。これらが変わらぬ限り進む道には困難が立ちはだかり、国が安定することもないと晏子は説いています」


 孔明の説明に、団長も納得したようだ。


 媚びを売るのもある意味では才能として評価されるかもしれない。特に営業が重要な職種ではもてはやされることだろう。

 しかし国の運営において、ただ君主に取り入れられその権力を欲しいままに悪用するような人物は最悪の存在である。


 かのナポレオンも、真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方、という言葉を遺している。


「私はどうか猛犬は飼わないようにしたいな」


「大丈夫ですよレオ。私や奥様がいるのですから」


「あァそうだぜレオ!……だが、万が一の時は、汚れ役は俺に全部任せればいい。その為に俺は鬼なんて呼ばれるようになったんだからな」


「ふふ、頼もしいな……!」


 敵を一瞬で倒せる最強の能力。そんなもの要らない。

 私が目指すべき天下には彼らの力が必要だ。それだけでいい。きっとなんとかなる。


 皇都での散々たる様相を目の当たりにしてから錚々(そうそう)たるたる英雄の面々を見ると、私はそう確信せざる何かを強く感じた。




 ほんの少しばかり私の気分が楽になったところで、突然ドアがノックされた。


「失礼します。軽食をお持ちしました」


「……さて、暗い話はこのぐらいにしてどうぞお召し上がりください。───入ってくれ!」


 どこぞのヴァルターとは違いまともそうな執事の男が運んできたのは、ケーキやらクッキーやらのスイーツだった。

 正直空いた腹に甘いものは胸焼けがしそうではあったが、子どもの体にそんな心配は不要だろう。


「頂きます!」


 私は真っ先にクッキーを一つ口に放り込む。

 サクッとした食感。バターの程よい甘さが口の中に広がる。


「俺はこの白い綿みてェなやつを食ってみるか……」


 歳三はクリームをたっぷり乗せたスポンジケーキを頬張る。


「……おお!コイツはスゲェ!!!」


 口と指を真っ白にしながら笑顔で私の方を見る。歳三の生きていた時代にこんなものはなかっただろう。

 初めてのケーキに感動するのは歳三だけではなかった。


「ほう……!………ううむ!…………あぁ!」


 孔明は唸り声を上げながら黙々と食べ続けている。古代中国にはそもそもデザートという概念はあったのだろうか。


 歳三はその黒いジャケットを砂糖で白く染めていた。

 孔明は元々白い服なのでよく分からないが、多分こぼしている。本人は気が付いてもいなさそうだ。

 そんな私たちの様子を眺めながら、お茶を口にする父も思わず笑顔がこぼれていた。


「はは!お口に合ったようで何よりです!」




 またまたほんの少しばかり和んだところで、遂にその時がやってきた。


「失礼します。陛下の御用意が出来ました。謁見の間までご案内致します」


 アクセサリーを付け、帽子を被り杖を持ち、一文官であるファルテンがついさっき会った時より威厳のある格好でやってきた。

 彼も同席するぐらい立場が上の人物だとはっきり分かった。


「それでは行こうか……!」


 父はナプキンで手を拭いながら立ち上がった。

 歳三も立ち上がり、全身にまとわりつく白い粉を叩き落としている。

 孔明は慌てて口を拭き、まだもごつかせる口元を羽扇で隠した。

 私は最後に一気にカップを空にし、緊張で乾ききった喉を潤す。


「それでは私はこれで。……健闘を祈ります」


 団長の言葉に私たちは力強く頷いた。

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