【2章 - 6】そもそも、吹奏楽部に罪はない

 

「おい、いったいどういうことなんだよ!」

 放課後の天文観測室に入るなり、佐藤竹寿は叫んだ。

 だが、中から返答はなかった。三人はすでに、四角にいすを並べて腰を下ろしている。茶髪の山田は腕組みしてやや俯き、糀谷はツーサイドアップの左に髪房をいじっている。

 一方、海場は【柏原さん】と呼ばれていたあの長髪女子の姿そのままだ。黒髪の麗しさは健在だが、どこか得体の知れない不気味さすら今は覚える。

 暗幕の引かれた室内は薄暗く、夕べになって急に冷え込んできた。その中でも、吹奏楽部は熱心な練習の音を響かせている。

「なぁ、黙ってないで説明しろよ」

 佐藤は荷物を空席の傍らに下ろした。背もたれを掴んで前のめりになる。

「ユキは女装してクラスに通ってるのか? それはお前らがグルでやってることか? なんでそんなこと……」

「うるさい、黙れ」と山田が顔を上げた。「耳に響いて、かなわん」

 佐藤は口をつぐみ、遮蔽物しゃへいぶつのない山田の睨みを真正面に受ける。その鋭い視線は、一方でどんな感情をはらんでいるのか判然としない。

 やがて、山田は再び目線を床に落とした。

「……先に言っておく」とおもむろに口に出す。「この話は、変装部の存在そのものにも関わってくる最大級の秘密だ。当然、他言されると大いに困ったことになる」

「要は聞いた話は漏らすなってことだろ」と佐藤は焦れて言う。「そんなの分かってる。けどよ、俺にまで黙ってることはないだろ? 俺だって変装部の一員なんだ。一人だけハブにするとか、それこそアンフェアだぜ」

「良いから静かになさい」糀谷が面を上げた。「今から話すって言ってるじゃない」

「萌美の言う通りだ。人に話を催促する前に、まずお前が人の話を聞く耳を持て」

 佐藤は口をへの字にした。ちらと海場に目をやる。少女姿の彼は汚れのない上履きを見つめたまま、微動だにしていない様子だった。見事な黒髪は小揺るぎもしていない。

「……だが、黙っていることがアンフェアとは、なかなかに箴言しんげんだな」

 山田がそんなことを呟く。まるであたしの人生だ、とさらに続けるのを、佐藤はいぶかし気に見返した。妙な言いをするが、口を閉じていろと先に言われたので問いかけはしなかった。

 そして、山田の視線が佐藤のそれと重なる。今度は覚悟のようなものが見て取れた。

「まずは、お前の質問に答えよう。ユキは女装してクラスに通っているのか?」

 佐藤は首肯を返した。山田が顎を引く。

「答えは、二点を除いて、イエスだ」

 その回答に、思わず息を吐きだす。大方予想通りだったが、驚きがないわけではない。

 が、同時に眉根も寄せた。

「……二点を除いて?」

「一つ目は、主語だ」山田が欧米式に親指を立てる。「これはユキだけがやってるんじゃない。あたしもやってるし、萌美もやっている」

 佐藤は瞬きを数度、それから糀谷に目を向けた。彼女も真顔で佐藤を見つめ返してくる。

「そしてもう一つ」と山田が人差し指を立て、すぐに拳を握って膝に置く。「ユキを含め我々はただ女装してクラスに通っているのではない。ある一人の女子生徒に変装し、彼女の名『柏原』を名乗って、彼女が生前に在籍することになっていた二年二組で授業を受けている」

「……生前?」佐藤はつい声を出してしまった。「じゃぁ、その柏原は、もう死んで……?」

 山田は何も答えを口頭に上らせず、ただ前髪でわずかに目元の影を濃くしただけだった。

 糀谷もふいと顔を背けて、髪先を指でいじり始める。海場に至っては完全に項垂れてしまった。黒長髪に隠れてその表情すら窺い知れない。

 それらの所作こそが、答えを雄弁に物語っていた。佐藤はいすに腰を下ろした。

 階下から響いてくるティンパニのリズムに、鼓動がシンクロしている。

 やがて、その妙な沈黙の中で、山田が近くのテーブルからスマートフォンを手に取った。

「……写真がある。高一の春の遠足で撮った」

 スマホを手渡された佐藤。見れば、四人の少女たちが私服姿でピースサインをしている。どこかの公園で自撮りしたものだろう。画質はやや粗いが、だれもが満面の笑みを浮かべている。

 四人のだれが『柏原』かは、すぐに分かった。今の海場の姿に似た少女を探せば良いだけだ。

 と言うよりも、今の海場の姿は、まさに写真の中にいる『柏原』の風貌そのままだった。

 小さな画面の中で見ても、その黒のロングヘアの見事さは格別だ。春の陽射しの中できらめき、光のリングのような反射光を放っている。丸みのある頭部から風にそよいでいる毛先に至るまで、乱れも痛みもなく、シルエットにブレが見られない。きっと人混みの中に紛れたとしても、彼女と知れたことだろう。

 だが、写真だけですでに見とれていた佐藤は、山田の手がそのスマートフォンを取り上げた瞬間に、ある事実に思い至る。

 ――彼女はすでに、亡くなっているのだ。

「……イジメは、この一年後に始まった」

 山田がひそかな声で語りだす。スマホはいつしか暗黒のような世界を映している。

「きっかけまでは詳しく知らないし、たぶん些細なことだったろう。だが無視や陰口がクラスで横行した。純粋な育ちだった彼女は、それによって心を病み、やがて不登校になった」

 それが去年の夏頃だ、と山田が補足する。後の二人は特段のリアクションを示さない。

「それから丸一年、彼女は学校に来なかった。途中、留年という扱いを受けて、今の二年二組の生徒として名簿には載ったが、それでもだ。……そして今年の夏頃、どういう引き金があったかはこれも知らないが、彼女は自ら、首を……」

 山田はそこで唇を強く引き結んだ。

 佐藤は何度も、スラックスで手汗を拭う。

 言い知れぬ間が、四人の真ん中で漂う。冷たい空気が足下を徘徊はいかいする。

 吹奏楽部も演奏を止めている。どこかでホイッスルが二度、長く吹かれた。

「……その、柏原とお前らには、どんな関係があったんだ?」

 佐藤が口を開いた。苦い味のする唾液を飲み込む。

 あたしは、とまず山田が答えた。

「イジメがあった時の同級生だった。言い訳がましいが、イジメに荷担していた訳ではない。だが、当時から素顔を隠していたわけもあって、黙りを決め込んでいたんだ。未必の故意ということもある、結果的にイジメに関わっていたと言っても、過言ではない」

 あぁだからか、と佐藤は内心で溜息を吐く。黙っていることはアンフェアだと言ったのに反応したのは、それがあったからか。

「……わたしは」と次に糀谷が語りだす。「一時期、塾で一緒だったの。この五月か六月くらいだから、たぶん学校復帰も視野に入れて勉強していたんだと思う。たまに教えてもらったことがあって、すっごく親切で分かりやすかった。なのに、ある日ぱったりと来なくなって……」

「そうか……」

 佐藤はいたたまれなさに、また掌をスラックスに押しつける。

 そして、視線を項垂れたままの海場のほうに転じる。

「ユキ、は?」

「……従姉いとこ、だった……」

 海場はそう答えるだけで、顔を手で覆ってしまった。道理で姿が似ているわけだ、と納得してしまう。納得したからこそ、佐藤は二の句が継げなくなる。

 唐突に金管楽器のファンファーレが階下から響いてきた。場違いに明るい音色だ。佐藤は床を踏みならして黙らせたくなった。だが、吹奏楽部に罪はないのだと思い直す。きっと一人の女子生徒の死など、頭にすらないのだ。

「……おい、おかしくないか?」

 佐藤はハッと思いつき、顔を上げる。

「その柏原ってのは、亡くなってるんだろう? それがどうして、変装して授業に出るなんて話になるんだ? 死んだのなら、それが学校にも伝わるはずだろ」

「柏原の両親は」と山田。「彼女がいなくなったことを未だに認めておらず、届けも出していない。結果、柏原はまだこの世に存在し、この学校に在籍していることになっている」

「なんだよ、それ……。違法じゃねぇか」

「娘を突然に失ったんだ。それと向き合えない家族だって、いないとは限るまい」

 佐藤は口を閉ざした。それは、確かにそうかもしれない。父も、被害者の心を思えば事件を解決しても空しい、とぼやいていたことがあった。

「あたしたちも、遺族と似た思いを抱いている」

 山田の目が、左右の糀谷と海場を一瞬だけ捉えた。

「それぞれに、彼女の死を素直に受け止められなかった。ましてやイジメのせいでなんて最期は、あまりに不幸すぎる。……あくまで普通の女子高生として、その生きる道を歩ませてやりたい。せめて普通に学校に通い、卒業させてやりたい」

 もちろんだが、と山田が緩く首を横に振る。

「これが、我々の自己満足に根ざした考えに過ぎないということは重々承知だ。しかし、罪を償い、恩を返し、あるいは哀悼を捧げるため、我々は理論と黒髪と名を装うしかないのだ。豪華列車の乗客たちが一人の男を私刑に処したように」

 部長の目が佐藤をまっすぐに見据えた。その瞳には涙が光っているようだ。

「かくして、ただのあたしの巣穴だったここは、変装部として生まれ変わった。……もうこの世にいない柏原に代わって、あたしたちが彼女を卒業させてやるための、秘密のクラブへと」

「……そのために、柏原に変装し、二年二組に通っている」

 確認のように呟いた佐藤。部長は一つかくとして頷いた。糀谷も目線を上げて佐藤を見つめ、海場は未だに手で顔を覆っている。

「あたしたちは交代交代で柏原となり、授業に出席し、考査をこなしている。留年しないギリギリのラインを見極めながら、出席点や課題点を積み上げていっている」

「十月くらいからわたしがたまに休んでたのも、このためだったの」

 糀谷が口を挟んだ。佐藤は両の掌をこすり合わせた。

「……つまり、それがここの秘密だってことか。確かに、バレるわけにはいかない」

 ここに初めて来たとき、部長は何と言っていたか。はたを織る鶴とか、何とか。それはこういうことの暗示だったのかもしれない。戸を開けて覗き見たのは、なるほどタブーだった。

 奥ゆかしき努力を水の泡としてしまうところだったのだ。

 そうだ最後に、と部長が一本指を掲げる。

「お前がこの話を聞き知ったからと言って、お前も手伝えとは言わない。お前は、豪華列車にたまたま乗り合わせた私立探偵に過ぎないのだ。とても脳細胞が灰色だとは思わないが」

 バカにされている気もするし、それは一種の優しさであるような気もした。

 いずれにせよ山田はいすにもたれ、話は終わりだと言わんばかりに再び腕組みをする。

 ――佐藤は立ち上がった。

 三人の顔が同時に佐藤を見上げた。山田は片眉を顰め、糀谷は髪から手を離し、海場は手の形はそのままで瞳を赤くさせている。

「お前らの話はよく分かった」佐藤は拳を握る。「それでだ、必要なら俺にも手伝わせてくれ」

 山田の眉がさらに吊り上がり、視線に鋭さが戻る。

「バカ言うな、これはお遊びじゃない。あたしたちの使命の問題なんだ」

「分かってますよ、遊びじゃないことくらい」と佐藤は食い下がる。「だからこそ途中でやめるわけにもいかないだろ? 部長が卒業しても、柏原が卒業するまであと一年ある。今度はこの二人の卒業が危ないぜ」

 部長は口を閉ざした。佐藤はたたみかけるように言う。

「俺も変装部の一員なんです。秘密を知ったからには死なば諸共みたいなもんだ。ここにいる以上は……その、なんだ……、同じ蓮の……」

「……もしかして一蓮托生?」

 海場がフォローを挟んだ。佐藤は頷きを返す。

「勝手にあたしたちまで死ぬとか言わないでよね、不謹慎よ」

 糀谷も眉間に皺を寄せている。

「ふん、好きにしろ」部長が腕組みのまま鼻を鳴らした。「どうせお前一人で出来る話じゃないしな。いずれそんな機会があれば良いとだけ、今は言っておく」

 絶対的な拒絶ではない。「あぁ」と佐藤は小さく頷く。

 ちょうど、定例の五時のチャイムが鳴りだした。


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