【2章 - 4】一週間が経ってもうた


 ――糀谷萌美が学校に来やんくなって、一週間が経ってもうた。

「おい金子、ウソのナレーションを読者に言うな」

 佐藤は帰り支度の手を止め、振り返った。ポンパドールがすぐ見下ろせる位置にある。緩くねじり上げた髪を止めるゴムのアクセサリーが、いつしか小枝だけになっている。

「ウソってなんや、ウソって」

 金子が雨滴のついた窓から、佐藤のほうに顔を向け変えた。軽く頬を膨らませている。

「もえちゃん、あの時から話しかけても挨拶しても全然相手にしてくれへんねんで? さっきかて、ひとりぼっちで帰っていってしもうたし、日中もずっとレンガみたいな参考書覗き込んでるし、一人で弁当食べてるし、授業中に居眠りもしとる。あんなんもえちゃんとちゃう、偽もんやで。ええ子やったもえちゃんは、どっか行ってしもたんや」

「……まぁ、確かにそうかもな」

 佐藤もこの一週間の糀谷には、少なからず気にかけていた。ツーサイドアップの均整は変わらないにしても、そこに宿る自信とか自負とかいうものはまるで感じられない。ただ単に義務として、その形を保っているような趣さえあった。

 少なくとも、糀谷萌美の本当ではないというのは正しいだろう。そして、そうなってしまった責は自分にもあるのだ。心痛まないわけには行かない。

「なぁなぁ」金子の声に我に返る。「佐藤くんやったら、今のもえちゃんになんて声かける?」

 金子の表情は一見すると気遣わしげだ。が、まん丸な瞳にはいつものように、あらゆる物事を楽しんでいるかのように光が踊る。期せず佐藤の眉間に皺が寄る。

「おはようやろか、それかさいならっ? おやすみ、とかでもええと思うんやけど」

「おやすみはないだろ」それは夜にする挨拶である。「何でも良い、お前の思うようにやれよ」

「うわぁ、責任の放棄や、無責任や。やっぱ佐藤くんと付き合わんでよかったわ」

「うるさい」

 佐藤は金子から視線をそらし、帰り支度を再開する。教科書を入れノートを入れ、普段は持って帰らない辞書も収める。とにかく手を動かしながら、徐に口を開く。

「……ほんとにさ、好きなようにやれよ金子。それでこそ金子実智ってキャラだと思うぜ」

「うちってキャラ?」と金子。「それ、暗にうちのことバカにしてへん?」

「バカにしてるつもりはないが、意味不明で面倒なやつだとは思っている。けどな、周りなんて気にせずに、とかく開けっぴろげで楽しそうにして、全部自分のペースに巻き込んじまう。それでこそ金子だ。そうじゃなきゃ、転校二日目に切り捨てられたお前の髪が泣くぜ」

「せやなぁ、長い髪は友だちゆーてやってきたのに……ううっ無情や、せめてかつらにでもしてくれぇ……って、髪の毛は泣かへんがなっ! 理髪店が阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図んなるでっ」

 佐藤は肩をすくめて、金子のノリツッコミを受け流した。

「ま、明日にでも糀谷に声をかけてやったらどうだ? その内、応えてくれるさ」

 ちょうど荷造りを終え、バッグのジッパーを閉める。振り向くと、金子はなぜだかふいと視線を逸らした。頬がわずかに朱色づいている。

「……また佐藤くんに言い寄られるとは思わんかったわぁ」

「どういう誤解だ、それは。俺は別に言い寄ってなどいない!」

「否定するところが怪しいぞ、佐藤」

 その低い男声と同時に殺気じみた雰囲気を感じ、佐藤は咄嗟に腕を挙げた。

 振り下ろされてきた手刀を、上腕でかろうじて受け止める。

 東が一歩引く。「ちっ、完全に仕留めたと思ったのに」

 佐藤も腕を下ろした。「お前、部活に行かなくて良いのか」

「手洗いから戻ってきたら金子ちゃんとお前が話してたんだ。気にならないわけがあるか」

「あぁそうかい、ご苦労さん」

 もはや反応することすら面倒くさい。佐藤はバッグを担ぎなおして、辞去の挨拶をする。

「あ、ちょっと待て、佐藤」と東はその肩を掴んで来た。「少し、話があるんだ」

 佐藤は顔だけを振り向かせる。東はわずかに視線を逸らして、坊主頭を一撫でする。

 妙なそぶりに、佐藤がどうしたかと口を開きかけたとき、

「そ、そんな嘘や……っ」

 金子のわななくような声。一・二歩よろめくようにして、近くの机に寄りかかる。

「ひ、東くん、うちとのことは遊びやったん? ほ、ほんまは、ホ……」

「金子ちゃん誤解しないでくれ、俺はそんなんじゃない!」

「……お前ら、そういうのをネタにするのはやめておけ。世間を敵に回すぞ」

「「ごめんなさい、世間の皆さん」」

 二人同時に窓の外に向かって頭を下げた。ガラスの表面を水滴が流れていく。あえてもうツッコミはいれず、「それで話ってなんだ?」と東に問うた。

「あ、あぁ。……まぁ、なんだ、歩きながら話すか」

「ヤダよ、そのまま剣道部に連れ込むつもりだろ」

「バレたか」と東は舌を出した。かわいくはない。

「ほな、うちは先に帰るわ」と金子がその場で一回転半。「また明日なっ」

 荷物を背負った金子が教室から出て行くのを視認して、東は佐藤のほうに目を戻した。

「それで」と佐藤。「どうしたって言うんだ、金子を追っ払ったりして」

「いや、まぁな……」

 東が手近な机に腰掛ける。もう教室内に人影がないのを改めて確認し、なお声を潜める。

「……今度の日曜、金子ちゃんとデート行くだろ? それで、俺が行き先決めて良いってことになってるんだけど……。どこに行きゃ良いのか、さっぱり分からねぇんだよ」

「はぁ……」佐藤の口から気のない相槌が漏れでた。

「金子ちゃんは俺の好きなところで良いって言ってはくれてるけど、そうしたら俺は彼女を模型屋に連れて行くだろうな。それでドン引きされるってのが筋だ」

「ふーん。お前、まだ趣味のこと秘密にしてたんだな」

「そうだよ、悪いかよ! 言っとくけど、俺はお前を一生恨んでやるからな」

「それは悪かったが、俺もまだ幼かったんだ」佐藤は肩をすくめる。「それに、お前だって俺が清花さんに言い寄ってたのを、変態だの何だの言って笑ってただろうが。それで相子だ」

「は? いきなり何の話だよ」今度は東が眉を動かす。「清花さんって、あの少年クラブにいた糀谷先輩のことか?」

「そうだよ。うちの店の常連でさ、今でも俺が告白したことを笑いぐさにしてくるんだ」

「お前、告白までしてたのかよ!」

 東の大きな声に、佐藤は耳を塞いだ。

「うるさいっ、東。何驚いてんだ?」

「お前が告白までしていたとはなぁ。よく一緒に稽古してんのは知ってたが」

 佐藤は東の顔をじっと見る。何をとぼけているんだと、疑いを視線に込めて。

 だが、次第に東の表情はにやけたそれに変わっていく。「お前の髪フェチも筋金入りだなぁ」などと横目で言ってくる始末。本当に知らなかったらしい、あるいは憶えていないのか。

 どうやら不覚を取ったらしい。佐藤は奥歯を少し噛む。イヤにむしゃくしゃしてきた。

「……帰る」と東に背を向ける。

「いや待てよ、まだ話は終わってな……」

 東が佐藤のバッグをひっつかもうとした、その時――

 廊下からの悲鳴が二人の耳に刺さった。




【次回更新は、11/2(火)の予定です】

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