【1章 - 5】ファイターズファンは、この地域では珍しい


 計画決行の日曜日。

 学校からバスで十分ほどのターミナル・メトロ八里中央はちりちゅうおう駅の改札前。

 そこで待ち合わせした海場之也、もとい【湯島こより】は、実に本人とそっくりだった。

 長めのワンレングスヘアが薄い肩を越して胸元までまっすぐに流れ下り、少し焦げ茶色がかった髪に紅葉色のカチューシャがいかにもマッチしている。白のブラウスに薄黄色のカーディガン、深緑のマキシスカートも相まって、いかにも夏に出会った湯島こより本人がそのまま秋バージョンに衣替えしたらしく思えた。特徴的な垂れ目も、アイメイクで再現されている。

「おーい、お兄ちゃん、また見とれちゃってる?」

 海場が目の前で手を振るまで、佐藤はぼーっとその姿を見つめていたのだった。

「……あぁ、悪い」

 ようやく我に返った佐藤は、日本ハムファイターズのキャップをかぶりなおす。夏合宿で先輩がかぶってきたのと同じデザインのものだ。この地域でファイターズファンは珍しいので、いくらかはやしたてられていた。あばた面はメイクで、身長はインヒールスニーカーで再現し、その上にこのキャップという記号があれば、充分【湯島宏大】と思わせられるだろう。

「それじゃ行こっか。ちゃんとエスコートしてね、お兄ちゃん」

 そう言って首を傾ける仕草がまたかわいらしく、期せず右手と右足が同時に出てしまった。

 当駅始発の列車に乗り込み、進行方向右側のドア前に陣取る。後から来た野球少年たちに囲まれ、やがて駅を出発。商業施設の足下から出て、モノレールや高速道路と直交する。

「空、真っ青だねー」と【こより】が窓外に目を向けている。口調までそれっぽい。「絶好のお出かけ日和だよー」

「そうだな」と【宏大】は簡潔に応じた。お出かけ日和だからと言って、変装して出かけることはないだろうとふと思った。

「ねぇ、お兄ちゃん。今日は何をするの?」

「特に決めてなかったが……そうだな、服でも見に行くか?」

「あ、良いね。ハロウィンにみんなでお出かけするしね」

 海場の瞳が青空を映して輝く。それは期待の表れだろうか。

 ハロウィンに変装部員でお出かけしようというのは、【メアリ】が発案したものらしい。部長は、部の趣旨と違うだの人混みは苦手だの言っていたものの、先日ついに了承したのだという。無論、海場と佐藤も乗り気だ。

「かぐやちゃんは、何かやってみたい装いとかある?」

「いや、まずどういう格好をするのが良いのか、見当もつかんな」

 逆にアイデアはあるか、と佐藤が尋ねると、海場は自分のスマホを取り出して、「こういうの、二人でやってみたいな」と画面を見せてくれた。

 そこには、フリルやリボンの多い衣装を身にまとった少女たちが集結している画像が表示されている。その上には、ポップな字体のタイトルロゴ。

「……『スターライト・ステージ』って、これスマホゲームか?」

「そう。地下アイドルを育てたり、単純に音楽ゲームとしてもおもしろくって、最近はまってるの。この間なんか五十曲連続フルコンボで、特典イラストもらっちゃった」

「……お前、ゲームとかやるタイプの人間だったんだな」

「と言うよりかは、一つのをやりこんじゃうタイプかな。マインスイーパーとかも得意だよ」

 それで、どう? と話がハロウィンの衣装のことに戻ってきて、佐藤は異論なく頷きを返した。衣装の素材を見に行くことにしようと決まったところで、列車が次の桃埜台もものだい駅に滑り込む。

 ふと、視界の端を既視感のある姿がかすめた。佐藤は思わず振り向く。電車が止まり、ドアが開いた。そして、二人の立つ二つ後ろのドアから――

「げっ!」佐藤は咄嗟にファイターズのキャップを頭から取った。

「ど、どうしたの、お兄ちゃん?」と、【こより】の口調になって海場が訊いてきた。

「後ろのドアのところ」と佐藤は指さしながら、「本人がいる、先輩とこよりちゃん」

「え?」

 二人で恐る恐るそちらに目を向ける。

 ファイターズのキャップをかぶった男がドア近くのシートに座っている。隣には髪の長い女の子の姿もちらと窺えるが、磨りガラス風の衝立ついたての陰で判然とはしない。それでも、湯島兄妹本人であることに間違いはあるまい。ファイターズファンはこの地域に少ないのだ。

 手汗が出てきた。心臓も早鐘を打つ。早くも列車はドアを閉めた。まさか同じ列車、同じ車両で本物と偽物が一緒になるとは。喉の奥でうなる。

「今日も部活じゃなかったのかよ」

「……あ、もしかしたら」

 海場が小さく声を上げた。佐藤は目線をそちらに向けると、海場は口のところに手を立てて、耳打ちの姿勢をしている。

「前に、ニュースでやってたんだけど。先生の負担軽減とか生徒の健康管理のために、部活の時間を減らすようにって教育委員会が言ってるんだって。そのせいじゃないかな?」

 佐藤も「そういや、俺も憶えがあるな……」と漏らして、額を押さえた。「どうしよう? 次の駅で乗り換える?」

「あぁ、そうしようか……」

「ねぇねぇ」と別の声。「おにいさんはファイターズファンなの?」

 佐藤と海場は同時に声のした方を見下ろす。

 野球少年の数人が佐藤のキャップに興味津々な視線を向けている。

「めずらしいよな、ファイターズファン」「もしかして、北海道からきたの?」

「い、いや」佐藤はしどろもどろになりながら応じる。「北海道出身でもないし、ファイターズファンってわけでもないぞ」

 つい本音が出てしまい、少年たちが「えぇぇ!」と大きな声を上げる。「こら、電車の中は静かにっ」と引率の女性が注意をしても、熱気は冷めない。

「じゃぁ、どうしてファイターズの帽子なんか持ってるの?」

「お、親父がな、ファンなんだよ。これは親父のお下がりなんだ」

「ねぇねぇ、だれのファンなの?」

「だれっ? だ、だれだろうな、聞いたことないから知らないな」

「おにいさんはどこのファンなの?」

「ど、どこ……。ど、どこでもないな。あんまり野球は見ない」

「「「えぇぇ!」」」「こら、静かにしなさい! 次で下りるよ」

 引率の女性が鋭くたしなめる。その女性の声も充分に車内に響き渡るのだから、心臓に悪い。ただ幸いに、その一喝いっかつで少年たちは諦めたようで、床に置いていたカバンを肩にかけ始めた。女性が頭を下げてきたので、二人も会釈えしゃくを返す。

 列車は次の緑園口駅に到着。佐藤たちが立つのとは反対側のドアが開き、野球少年の一団が下りていった。あれだけ質問攻めにしたくせに挨拶無しか、と小言が漏れそうになった。最後に女性が一礼したところで、電車のドアが閉まる。

 【兄妹】は同時に息を吐きだした。

「……マジで焦った」「元気だったね、みんな」

 そんな感想を漏らしあうが、未だに本人たちと同じ車内に入ることに違いはない。改めて見れば、仲むつまじく談笑している様子だった。いったい、どこへ行くつもりだろうか。

「次で下りようぜ」と【湯島宏大】は提案した。「このままじゃ、いつバレるか分からんし」

「そ、そうだね」と【こより】も頷く。「彼女にも伝えておくよ」

 【こより】が素早くスマホを打って、降車の旨を撮影担当に伝えた。どこからかロックギターの着信音が聞こえてきて、二人以外の視線がそちらを向く。

 高架を走る列車は高速道路もオーバーして、やがて上坂こうさか駅に到着した。ドアが開くと同時に【兄妹】はホームに飛び降りて、すかさず柱の陰に隠れる。列車が南に向けて発車していくまで、そのままそこで呼吸を整えていた。

 高架上のホームからは、幹線道路を挟んで商業施設の看板がよく見えた。カラオケや飲み屋のロゴが目立つ。

「下りたわけだけど」と佐藤。「俺よく知らないな、この辺は」

「大丈夫だよ」と海場。「この辺はね、学校帰りに立ち寄ることが多いから」

 家はこっちの方面なのか、と尋ねると、海場は市街中心部にある駅名を答えた。

「だったら、北八高なんて遠くないか?」

「でも成り行きで入っちゃった。……それよりも、えいっ」

 直後に海場が自身の腕を佐藤のに絡めてきた。長い髪が左右に揺れる。

「今日はお兄ちゃんの妹なの。他の人の話はダメ」

「あ、あぁ。済まない」

「ほんとだよ」と少し頬を膨らませる。「変装にビフォーはないんだよ。今日は佐藤竹寿と海場之也じゃなくて、湯島兄妹なんだ」

 ちょっと良心がとがめるけどね、と【こより】は小さく舌を出した。どこかでスマホが鳴る。



 それから、【湯島兄妹】は上坂駅界隈かいわいを気ままに散策し始めた。

 駅直結の商業ビルに入って、雑貨を眺めたりディスカウントショップの服を眺めたりした。移動の間は腕を絡めるのではなく、【兄】が【妹】の細い手首を持って引いていくような体勢にもなった。【こより】が少し赤い顔を俯かせ、いかにも恥ずかしそうだ。

 一通り見て回った後、一度外に出た。南北に続く歩行者天国では、並木のてっぺんがわずかに赤みを帯びてきている。行き交う人の数も多い。佐藤は思わずブレザー姿の女子高生らのグループを目で追っていた。小春日和の陽射しの元で、柔らかなカールがかがよう。

 ふと海場を見れば、こちらも羨ましそうな表情をして彼女らを目で追っている。その後目が合って、どこか恥ずかしげに口元を緩めた。

 それから、道の向かいにある古本市場に入って、店内をぐるりと一周。ゲームコーナーの試遊台でレースゲームに興じた後、顔を寄せて少年マンガを拾い読みしたり、【妹】が【兄】に少女マンガを紹介したり。最後に、ティーンズ向けファッション雑誌をレジに持っていった。

 そして、お昼前のマクドに入店。それぞれにバーガーとドリンク、ポテトは一つを分けあった。海場が小さな口で食べにくそうにバーガーを頬張る姿が、いかにも微笑ましい。

「お前って、ほんと女の子みたいだよな」

 佐藤の率直な言いに、海場は口の中のものを呑み込んでから「ありがとう」と言った。店内はすでに客が多く、騒々しくすらある。代わりに、こちらの会話が聞かれることもないだろう。

「ユキが女装を始めたのって、いつからなんだ?」

「北八高に入ってから」海場はバーガーを下ろした。「たまたま屋上のほうに来たら、部長さんに会っちゃってね。あれよあれよという間に引き込まれて、女装しはじめたって感じ」

「俺みたいに、無理矢理やらされたのか?」

 佐藤が思いだし苦笑を浮かべる。

 だが、海場はポテトを一本つまんでから、首を横に振った。

「無理矢理って気はしなかったかな。もともとぼくは、女の子みたいになりたいって、思うときがあったんだよ」

 なんて言うのかな……、と海場はひとしきり宙に目線をさまよわせ、ゆっくりと話しだす。

「例えば、佐藤くんみたいに運動ができたり力があったりって、そういうのが男らしさだとしたら、ぼくにはまるで似合わないじゃない? 元々がこういう細いなりなわけだし。むしろ、女の子みたいな華奢の雰囲気を身にまとったほうが、よっぽどぼくらしいと思うんだ」

 ドリンクを一度すする。

「だから、割と嬉々として変装部に通うようになったんだよね。……うーん、女の子になりたいっていうか、憧れって言うほうが良いのかな。男らしさってものが限られる一方で、いろんなやり方で女の子らしさとか自分らしさが出せるなんて、とてもステキだなぁって」

「あぁ、俺もそれは思うぜ!」と佐藤は声を大きくした。「特に髪だよな! 髪は女の子の命って言うくらい、そこにはその子の個性や人間としての存在みたいなのが、はっきりと現れるんだ。長いの短いの、結ぶ結ばない、編んだりまとめたり、どんな風にだって個性が出せるのってすげぇよな。染めるやつもいたりするが、俺は個人的に言って……」

 そこで佐藤はようやく、海場が顔を俯かせたまま固まってしまっているのに気づき、口を閉ざした。沈黙を店内の騒々しさが埋めつつも、佐藤を責めるように響いてくる。

「……あぁ、悪い。一人ではしゃぎすぎた。それに……」

「どうして佐藤くんが謝るの?」

 海場が小声でささやく。それから笑顔を持ち上げてポテトを一本、佐藤の口元に「あーん」と差し出す。佐藤は一時戸惑いつつも、【兄】としてそれを口で受け取った。

「おいしい、お兄ちゃん?」

「あぁ、良い塩味だ」

 お返しに【宏大】もあーんをする。【こより】が受けて、細い指で最後まで押し込んだ。

「うまいか、こより」

「うん、いつでもどこでも変わらないおいしさだね」

 どこかでだれかのスマホが鳴った。それに意を介さず、「だけどね」と海場が口を開いた。

「佐藤くんが思ってるほど、女の子の髪って簡単にできあがってるんじゃないんだよ」

「そうなのか?」

「うん。たぶん佐藤くんは長い髪が好きなのかなって思うけど、そうすると絡まりやすいし、毛先は傷みやすいしね。毎日ちゃーんとトリートメントとかブローとかやらないと」

 詳しいんだな、と佐藤。ウィッグも同じだから調べたんだ、と海場。

「素の美しさみたいなこと、文化祭の時に言ってたけど、そう見える女の子ほど実はすっごい努力して手入れしてるんだよ。お金も時間も手間もかけてね。女の子の髪を愛でるんだったら、そこを理解してあげないと、失礼だよ」

「そうか……。髪は女の子の命って、そういう、命懸けてやってるってことだったのかもな」

 佐藤の感想に、「そうかもね」と海場は小さく笑いドリンクを口に含んだ。



 食後、二人は再び表の歩行者天国に出た。人で賑わう通りを当てもなく一往復し、その後イチョウの大木がある公園で気の早い黄葉こうよう狩り。半分くらいが黄色に染まったイチョウを見上げて感心こそすれ、落ちた銀杏ぎんなんの匂いには二人して顔をしかめた。

 公園からさらに北へと通りを進む。駅からは離れつつあり、歩行者天国ではなくなった。だが、ガラス雑貨のお店やエスニックな香り漂う料理店など、気になるものが無いでもない。

 それに、佐藤は遠目にある看板を見つけていた。

「なぁ、こより、あそこ行こうぜ」

「へ? あそこって?」

 初めこそ【兄】の指さす方に興味ありげな【こより】だった。

 しかし、その看板の文字を目に止まった瞬間に、足を凍り付かせてしまった。

「ね、ねぇ……これって……」

 流麗な『HOTEL』の文字、電飾やきらびやかな看板。一方で外壁は薄汚れ、入口は暖簾のれんのようなカーテンで奥を窺わせない。

 怪しさは目に見えて分かる。それでも佐藤は海場の腕を引く。

「あぁ。ここで写真撮れば、シスコンの証拠になるだろ」

「そ、そうかもしれないけど、さすがにそれは……あ、ちょっと」

 引っ張られた海場は、足を踏ん張って留まろうとする。顔は真っ赤になっている。

 佐藤は前進こそやめたものの、それでも引く腕を離しはしなかった。

「良いじゃねぇか、少し入って写真撮るだけ。それで今日はお開きにしようぜ」

「少しって言っても、そもそもこういうとこ入れないんじゃ?」

「大丈夫だろ、年齢なんていくらでも誤魔化るさ」

「そ、そういう問題じゃなくって、あの……」

「細かいことは気にするなよ、ほら」

「いや、わたし、ぼく、えっと……」

「はいストップ」

 腕の引き合いの真ん中に、シルバーブレスレットだらけ手刀が振り下ろされた。

 両者分かれて、それぞれに腕や手首を押さえる。

「ほどほどの意味を知りなさいよ、このシスコン色魔」

 ヴィジュアル系女子にふんした【メアリ】が、特濃メイクを施した顔に侮蔑の表情を浮かべて、佐藤を見下している。髪は黒と白のコントラストが目を惹くメッシュ。手には舌を出したマークのあるカバーをしたスマホ。

「ほんと人の風上にも置けないわね。今すぐ竜巻の真下に行ってきなさい」

「なんでだよ」

「それに」と【メアリ】は佐藤の文句を受け付けず、「これで充分でしょ?」

 彼女が左手に持って示したスマホには、まさに『HOTEL』の看板の方角へ髪長の女の子の腕を引っ張るファイターズキャップの男が写っていた。あばた面には我ながら呆れるくらいの笑みが貼り付いている。

「……そうだな」佐藤は半分くらい満足という気分で、スマホを返した。

「じゃ、今日はこれで解散にしましょう」と【メアリ】。「あたしも早く帰ってメイク落としたいわ、厚化粧は肌に毒なのよ」

 だったら人相不明になるようなことをしなきゃ良いのに、と佐藤が言う前に彼女はきびすを返した。厚底のブーツで地面に踏みしめ去って行く。

 佐藤は海場のほうに振り返った。少し俯き加減なまま、海場は目だけでこちらを見る。

「……帰るか、ユキ」

「……うん」

「さっきは、すまんかったな、無理強いして」

「ううん」

 佐藤が先に踏みだし、海場は後に従ってくる。今度は手をつなぐ必要もなく、言葉を交わすこともなかった。秋風が北の方角より、二人の肩を順に撫でて通り過ぎていった。



 明けて月曜。

 もう昼休みの終わりがけというのに、東の話題は朝からまるで変わらない。

「あの写真はやばかったぜ! 妹をホテルに連れ込もうなんてなぁ!」

 生物実習室前の廊下に、東の笑声が響く。クラスメイトの男子どもの声が続く。

「がちでシスコンってやつだな」「ちょっと気持ち悪いぜ」「お上のお達しで部活休みになったからって、何やってんだろうな」「髪フェチにシスコンって、剣道部じゃなくて変態部だ!」

 一緒にするな、と少し離れた位置で佐藤は内心独りごつ。だが、一人にやけてしまうのを隠せない。生物実習室の扉にもたれて、天井に向け息を吐く。

 それにしても、朝一に部室のドアの隙間から忍び込ませたあれらの写真を――一部、電車内にいた本物の兄妹の写真も混じっていたが――誰も偽造だとは認めなかったのだ。別人になりすますのが、こんなに簡単なことだとは思わなかった。これは確かに、変装部を秘密にしなければならないのだろう。だれが真似をして、世の中に悪いものがはびこるか知れたものではない。

 ともあれ、『変態』の一語さえ聞こえたら、佐藤としては充分だ。すっきりした心持ちで、生物実習室が開くのを待っていられる。

「あれぇ? まだ開いてへんの?」

 真正面の階段を金子が下りてきた。キーチェーンのリングを指に差し入れて、鍵をぐるぐる回している。後から糀谷と中谷と古島も下りてきた。

「見ての通りだ」と佐藤は顔を引き締め、肩をすくめてみせる。

「なんなんやまったく。先生、昼寝してんとちゃうか、知らんけど」

 金子は最後の一段を飛び下りた。ポンパドールの前髪が一瞬だけ跳ね上がる。

「早く座りたいのにー」「あー充電やばい」「二人とも授業前の人の台詞じゃないよ、それ」

 中谷と古島がそれぞれスマホを見てぼやき、糀谷が微苦笑で応じている。

「せや、佐藤くん」

 金子がその三人から離れて、佐藤の目の前まで来た。ぐるぐる回される鍵が当たりそうで危ない。思わず身を仰け反らすと、後頭部がドアに当たる。

「金子、鍵を回すのをやめろ」

「さっきな、佐藤くんの好きそうな、きれーな髪の女の子とすれ違ったで」

「あぁ、そうかい。良いから鍵を……」

「すっごくキレイな髪やったで。長いわ黒いわツヤツヤやわ、ほんでもってカクレクマノミのヘアピンが可愛かえらしかったんよ。ほんま見せたげたかったわぁ」

 頭の中にその姿が想像され、佐藤は思わず眉根を寄せる。

 が直後、背後のドアが勢いよく開け放たれる。

「悪い、ウトウトして遅くな……うわっ!」

「のわっ!」

 若い生物教諭と佐藤の驚きの声が重なった。


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