その人は、とうとうお米を口にした。

 ナハティガルさんと別れ、旅籠に帰る途中、ユウは言葉少なげだった。

 なにごとか考えながら歩く、ユウの横顔を見ながら、わたしの中でも考えがめぐっていた。


 「……びっくりしたね、ライラ」


 ジーナが言う。


 「あの人、アンバランサーの子孫だったなんてね……あれ? ということは、あの人、ユウの親戚?」

 「違うよ、ジーナ。むかし昔に、この世界にきた、別のアンバランサーの子孫ってことだよ。だから、ユウさんとは、血の繋がりはないの」

 「そっか……」


 ジーナは思いついたように


 「でもさ、子孫がいるってことは、そのアンバランサーの人は、この世界のだれかと結婚して、子どもができたってことになるよね」

 「うん、そうなんだよね……」


 わたしは、ナハティガルさんと話し合うユウの様子を、じっとみていたのだ。

 何を話しているかは、この土地の言葉で話していたから、そのときはよくわからなかったのだけど、話の途中で、おどろいたユウが思わずつぶやいた「この世界で生きたアンバランサーがいたんだ」という言葉だけは、わたしにもわかった。

 考えてみれば、この世界に使命をもって送り込まれたアンバランサーが、使命を終えたとき、どうなるのか、ということを、わたしたちは知らない。

 ユウの口からも、それは聞いていない。

 みんなでヴリトラ神様の意図について話をしたときに、わたしは、旅人のたとえを使ったのだけれど、ユウが旅人だというのならば、ユウはやがて、わたしたちを置いて、自分の故郷に帰っていくのだろうか?

 そのつもりだったから、ユウは、この世界で生きたアンバランサーがいるということに、おどろいたのではないか?


 ユウが、いつか、わたしたちのもとから去っていってしまう!


 そんな可能性を考えると、胸がきゅっと苦しくなってしまう。

 もし、そんなことになったら……わたし……どうしたら……?

 気づくとユウが、わたしの顔をじっとみている。

 まるで、わたしの考えがぜんぶ、わかっているかのように。


 ユウさん、あなたは、どうするの……?


 聞けばいいのだろうけど、そうしたら、きっと、ユウは、いつものように答えてくれるのだろうけど……。


 (心配するな、娘よ!)


 「うゎっ!」


 またも、いきなり頭の中に響いた声に、わたしは飛び上がった。


 ヴ、ヴリトラ神さま?


 (娘よ、お前の心配はもっともだ。だが……)


 と声は続く。


 (われわれが、そうはさせないから安心するがよい)


  


 (わたしや、ガネーシャだ。ユウは面白いやつだから、この世界にずっといてほしい。その点では、わたしとガネーシャの意見は、完全に一致しているのだ)


 ヴリトラ神さまの、ふくみ笑いが頭にひびき、


 (ま、われわれがどうこうしなくても、たぶん、だいじょうぶだろうがな……)


 そのとき、頭にルシア先生の顔がちらっと浮かんだのはどういうわけなのか。

 そのことばを最後に、ヴリトラ神さまは、またどこかに去っていった。

 まったく、驚かせてくれる人、いや人ではなくて、神様である。


 「ねえ、ユウさん」


 ジーナが、屋台を見ながらユウに話しかける。


 「なんだい?」

 「あのめっちゃくちゃ甘いお菓子さあ、わたしたちのところでも作れないかなあ?」

 「そうだなあ、小麦粉はあるし、砂糖もなんとかなりそうだな……あとは、あの甘いシロップと、スパイスか……」

 「じゃあさあ、ここで、材料たくさん、買って帰ればいいんじゃない!」

 「そうだね、みんなも喜ぶかな。甘くてびっくりするだろうなぁ、きっと」


 ジーナとユウは、わたしの気も知らず、そんな会話をつづけている。

 ユウのその様子をみていると、とても、この人が、いつかわたしたちのところからいなくなるとは思えない。

 思えないのだけど……。


 ————————————————————


 「ああ、とうとうついに……」


 ユウが、感極まった声を出した。

 旅籠の夕食である。

 わたしたちの前には、いろとりどりのこの国の料理が並んでいる。

 何かの肉を、スパイスにひたして焼いた、真っ赤な料理。

 いい匂いのするスープ。

 以前、ユウが作ってくれた「かれえ」。「かれえ」は、種類を変えて、何皿もならんでいる。黄色いものから、緑色のものまである。

 焼きたての、平らなパンのようなもの。これはびっくりするほど大きく、バターと蜂蜜がたっぷり塗られている。

 素焼きの容器に入った、冷えた白い飲み物。

 前にユウが作ってくれた、ぷりんに似た何か。

 みんな、とても、とても美味しそうである。

 しかし、ユウがもっとも興奮しているのは、大きな緑の葉にもられた、黄色い粒々の山で。

 粒々は細長い形をしている。茹でてあるのか、温かい。

 これこそが、ユウのいうところの「おこめ」と言うものらしい。

 みたところ、そんな特別な雰囲気のあるものではなくて。

 ジーナも、なにこれ、という期待外れな顔をしている。

 しかし、ユウは目を輝かせているのだった。


 「どれどれ?」


 ジーナが、いきなり、そのお米なるものを匙ですくって、口に入れた。


 「ん? んん? んんん?」


 かなり、微妙な顔だ。


 「どうなの、ジーナ?」

 「うーん、それはさあ……まずくはないけど、なんというか……しょうじき、そんな特別な味はしないというか……うう、ユウさん、ごめん!」


 ジーナは、ユウにあやまった。


 「あやまらなくてもいいんだよ」


 ユウは、にこにこしている。


 「これは、そういうものなんだから。これだけを食べるんじゃなくて、こんなふうにね」


 ユウは、そういって、右手で直接、お米をつまみとると、かれえにちょっとつけて、そして口に運んだ。


 モグモグやっていたが


 「ああ……やっぱり、お米はすばらしい……」


 それを見たジーナが


 「よし、わたしも!」


 お米を手掴みにすると、カレーにつけるが、うまく口にできず、ぼろぼろとこぼれてしまう。


 それでもなんとか、口に運んで


 「あ! なるほど! 確かにこうやると……このお米のつぶつぶが口の中で、かれえとジンワリからまって……そしてほどけていき……口中に広がるその複雑な香りと辛み、それはまったりとして、それでいて……」


 ジーナの感想をきいて、


 「えっ? か、?」


 と、またユウがわけのわからないことを言いだす。

 わたしも、ユウのまねをして、食べてみた。


 「うん、こうやって食べると、いくらでも食べられそうだね」

 「そうだね、ぼくの国でも、これだけで食べるんじゃなくて、おかずと一緒にたべるんだよ」


 どんどん口に運びながら、ユウが説明してくれる。


 「ぼくらの国のお米は、すこしこれとは種類がちがって、もっともちっとしているんだけどね」

 「あっ、こっちのパンみたいなのも、美味しいねえ! 蜂蜜が甘いよ!」


 ジーナが声をあげた。ジーナはやはり、甘いのが好きなようだ。

 こうして、わたしたちはシンドゥーの国の夕食を堪能したのだった。



 そして、お休みする時間となって。


 「ぼくは、こっちの長椅子で寝るからね」

 「だめです! そんなことはさせられません、ライラもそう思うでしょ」

 「まあ、ユウさんだけそんなところで寝てもらうわけには……」

 「だから、今から三人で、このベッドで寝るのです!」


 異常にはりきって、場を仕切るジーナ。


 「うーん……いいのかなあ」

 「いいのです。あっ、ユウさん、なんでそんな隅っこにいくんですか?」

 「えっ、それはそうなるでしょ」

 「なにいってるんですか、ユウさんは、真ん中です!」

 「まんなか? それはちょっと……」

 「だめです! 真ん中でないと不公平です!」

 「いや、不公平ってなにが?」

 「ライラ、これはあんたも賛成するでしょ、ユウさんは真ん中!」

 「……まあ、それはそうなんだけど……」

 「いやいや」

 「はい、ここ。さあ、ユウさん、ここにどうぞ!」

 「うーん……いいのかな」

 「ジーナ、なんであんた服脱ぐの?」

 「そうだよ、ちょっとまってジーナ!」

 「えっ、ふつう、寝るときは、脱ぐでしょ。あたしはいつもそうだよ、獣人だし」

 「いや、やっぱり、それはまずいんじゃあ」

 「そうかな、えーっ? そうかなあ?」

 「まずいって」

 「服着たままなんて、あたし、寝れるかなあ?」

 「ねてもらわないと困るよ……」


 というような会話が交わされて、さて、わたしたちがけっきょくどんなふうに、シンドゥーの国の夜をすごしたのか、それは、ヴリトラ神さまだけがご存知なのです。

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