07. 庶民的聖女の善行
まだ窓の外が薄暗い時分に、部屋のドアをノックする音で私は目覚めた。
「ザターナ嬢、ご起床されておりますか?」
廊下から、女性騎士さんの声が聞こえてくる。
「……おはようございます。何事ですか?」
「お休みのところ恐縮ですが、伝令を受けましたのでお伝えします――」
伝令? 駐屯所からかしら。
と言うことは、何か進展があったのね。
「――拉致犯が、依頼主について口を割りました。これより緊急の会議を開きますので、協力の意思が変わらぬ場合はご同行ください」
「わかりました。少しお待ちいただけますか」
私はそう言いつつ、隣のベッドで寝ているヴァナディスさんを揺さぶる。
「あ、ダメです、アルウェン様っ」
……今の、寝言?
アルウェン様が夢に出てきているのかしら。
「……はっ!」
「おはようございます、ヴァナディスさん」
「だ、ダイアナ!? ……私、今何か言っていた?」
「あー。別に何も」
余計なこと、だと思うから黙っておこう。
◇
駐屯所に戻って早々、私は女性騎士さんに動きやすい庶民服を要望した。
ドレスやヒールのままだと動きにくいし、狙われている本人がバレバレの恰好ではいられないものね。
「取り急ぎ、こんなものでいかがでしょう?」
「ありがとう。これで十分ですわ」
騎士さんが用意してくれたのは、地味な色のワンピースに、フード付きのローブ、それにサンダルだった。
これなら目立つこともなくて良さそうね。
服を着替えた後、私は会議室へと向かった。
「ザターナ……かい? 見違えたよ」
会議室では、
やっぱりそういう反応になるわよね……。
「驚かされたが、その姿も悪くないな」
「美人は何を着ても似合うって言うけど、本当だな!」
「ですね。とてもよくお似合いですよ」
ルーク様、アトレイユ様、ハリー様からお褒めの言葉をいただいたわ。
貧民街上がりの私が、庶民服を着て褒められるなんて変な気持ち。
「さて。全員揃ったところで、今後の方針をお話します」
アルウェン様が、会議室のみんなへと話し始めた。
今回の件は、彼が指揮を執るみたいね。
「拉致犯には仲間がおらず、雇い主から1500エルでザターナ嬢の髪を切るよう依頼されていました」
「……1500エルか。一般的な労働者の賃金は1000グロウ弱だ。聖女を狙うにしては、安すぎると思わないか?」
「そう思います。しかも、髪の毛以外には絶対に傷をつけるなと、ずいぶん念を押されていたようです」
「風の噂で聞いたことがあるが、聖女の
「その可能性も考慮し、そちらは別口で当たらせています」
と言うかルーク様ったら、アルウェン様と事件について平然と話してるわね。
普通に王国騎士のお一人のようだわ。
「そもそも、拉致犯が警備の手薄な道を選んで、中央から抜け出せたことも解せないな。舞踏会が行われる中、通常以上に騎士団が警戒してるっていうのに!」
アトレイユ様も会議に加わってきたわ。
こんな理知的なお話もできる方だったなんて、ちょっと意外。
「御者の入れ替わりも妙ですよ。来客の馬車が侯爵邸を出入りする時間だって、細かく決められているのに。なぜ、トバルカイン子爵の雇った御者だけが入れ替わっていたんでしょうか」
ハリー様まで。
ダンスはお下手だけど、聡明な方だったのね。
「アトレイユ様、ハリー様のおっしゃる通り。それらから推測するに、舞踏会の情報を得られる人物が黒幕、あるいは加担していると思われます」
「舞踏会の来客に、彼女を狙う者がいるということか?」
「……残念ですが、そう考えざるを得ません」
ルーク様の核心をつく質問に、アルウェン様も苦い顔を見せる。
「今から一時間後、ある場所に依頼主が現れます」
「なぜわかる?」
「拉致犯が舞踏会の翌日早朝、報酬を受け取る場所を指定していました。可能であれば、そこで依頼主を押さえます」
「ある場所とは?」
「聖都の北西にある職人街です」
……職人街かぁ。
ザターナ様のドレスや、お屋敷の家具も、そこの職人さん達に造られた物だって聞いたことがあるわ。
とても興味深いわね。
「今から現場へ向かうメンバーを決めますが――」
「私が参りますっ!」
アルウェン様が言い終える前に、私は意気揚々と挙手した。
「さすがに、ザターナ嬢に現場まで赴いていただくのは……」
「構いませんわ! 後学のためにも職人街を見ておきたいですし、捕り物に参加せずでは何のために着替えたのかわかりませんもの」
「……わ、わかりました」
断られても食い下がるつもりだったけど、あっさり承諾が得られたわ。
見れば、
「メンバーは、ザターナ嬢に、ルーク様、アトレイユ様、ハリー様、そして私を含めた騎士団四名の計八名とします。配置と組み分けは――」
「ザターナの護衛は私が務めよう」
ルーク様のあまりにも早い挙手。
となれば、この後は――
「おいおい、そりゃないんじゃないか!?」
「抜け駆けですか、ルークさん!」
――こうなるパターンよね。
その後、興奮気味の
依頼主を監視する班に、アルウェン様と騎士さん①。
依頼主を確保する班に、アトレイユ様と騎士さん②
周囲の見回り班に、ハリー様と騎士さん③、そしてルーク様と私。
職人街の様子も見たかった私には、ベストな配置だわ。
アトレイユ様とハリー様は悔しそうな顔をしてらしたけど、仕方ないわよね。
◇
職人街へと到着した私達は、すぐに各々の配置についた。
私とルーク様は、ハリー様の班とは逆側の路上を見回っているところ。
「職人街か……。相変わらず雑多な街だ」
私の隣を歩くルーク様がポツリとこぼした。
彼は私に合わせて、チュニックにズボン姿という、侯爵家子息とは思えない庶民的な恰好に変装している。
「この街、お嫌いですか?」
「いや。何もかも綺麗にあつらえられた社交場より、よっぽど人間的で落ち着くよ。ここの連中は口は悪いが、憎めないやつばかりだからね」
「お詳しいのですね」
「仕事柄、平民と接することもあるからね」
ルーク様のお仕事って、何かしら。
以前お屋敷にいらした時、ソロさんを秘書と言っていたから、事務的なお仕事をしているものだと思っていたけど。
「ルーク様はどんなお仕事を?」
「嬉しいね。私のことに興味を持ってくれたのかい」
「後学のためにお聞かせ願いたいのです」
「蔵書管理局だ。聖都にある国立図書館の運営や、寄宿学校や修道院への供給、国外から持ち込まれる本の検閲を行っている」
本を取り扱うお仕事だなんて、すごいわ。
私が読んできた本も、ルーク様が検閲したものだったりするのかしら。
「大変そうなお仕事ですね」
「そうでもないさ。まだこの国の誰も読んだことがない本を真っ先に読めるし、世界の知識を得られる。きみも本は読むかい?」
「はい。……と言っても、恥ずかしながら物語ばかりですけど」
「小説がお好みか。女性には恋愛小説が好まれるそうだが、きみも同じかな?」
私はニコリと笑うだけで、答えなかった。
冒険小説や官能小説ばかり読んでいたなんて、とても言えない。
「本は良い。事実であれ創作であれ、情報を何十年も残すことができる。本に興味を持てば、国民の識字率や道徳も上がる。問題は、平民が手にするには金がかかり過ぎるという点だね」
その時、ルーク様の手元の青い石が揺れ動いた。
これは通魔石と言って、見えない魔力の糸で結ばれた石同士で声を伝え合うことができる魔法の道具。
ここから声が漏れたと言うことは、アルウェン様が
【依頼主らしき人物を発見。七番通りの聖女像裏手……手元に布袋を持った猫背の男。黒いフードで顔を隠している】
その場所はちょうど今、私達が向かっている先だわ。
目を凝らすと、聖女像の傍にたたずむフード姿の人物が見える。
【アトレイユ班は、男の死角から接近を。他の班は、周囲に仲間がいないか確認を頼む】
指示通りに周囲をうかがうものの、怪しい人物はいないわね。
そう思った矢先、思いがけないことが起きた。
フードの男が、持っていた袋を小さな女の子にひったくられてしまったのだ。
「コラァッ! 待てガキッ!!」
男が血相を変えて、逃げる女の子を追いかける。
しかもよりによって、私達の方へ向かってきたわ……!
きっとあの袋の中身が拉致犯に払う報酬なのね。
この状況、どう動くべきかしら?
「……!」
悩んでいると、ルーク様がそっと私の肩へと手を置いた。
あくまで待機――それがルーク様の判断なんだわ。
私達の横を通り過ぎてすぐ、女の子はつまづいて転んでしまった。
フードの男が追いつくや、袋を取り上げて、彼女を蹴りつけ始める。
「ガキがっ! 舐めた真似しやがってっ!!」
……酷い。
いくら罪を犯したからって、あんな小さな子供に!
「ゆ、ゆるしてっ。ごめんなさいっ」
「俺からモノを
私の肩を押さえるルーク様の手が、小刻みに震えている。
耐えていらっしゃるのね。
あの男が、依頼主本人とは限らない。
もしも他に仲間がいれば、黒幕への繋がりが断たれてしまうかもしれない。
彼は、私のために怒りを押し殺しているんだわ。
……でも。
私には、あんな光景を黙って見ていることはできない!
「ルーク様、アルウェン様。ごめんなさい」
私は人混みを掻き分けて、男のもとへと走った。
そして――
「天・罰っ!!」
――その横面をビンタで思いきり張ってやった。
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