糾弾せし若き咎人

 クローネは、ダルタンから贈られてくるもの全てに感激し、興奮している。

 ダルタンのはりつけの杭に似て容赦のない視線。そして声。そこに怒りがあろうと憎しみがあろうと、クローネにとっては全てが愛おしい。ダルタンの声を思い出すたび、クローネの脳天から歓びが噴き出す。

 クローネは身をよじり、悶え、打ち震える。

「覚えていてくれてありがとう! 皆、聞いたか? 拍手を! 盛大な拍手を!」

 クローネの叫び声は通信端末によって全隊員の耳に入った。近辺の捜索に当たっていた巨人部隊は、同時にクローネが居る方角に向かって歩き出す。

 到着した巨人部隊は円を描くように整列し、二人を取り囲む城壁となった。彼等は両手を胸の高さまで掲げると、大仰な身振り手振りで拍手喝采の祝砲を放つ。そこには敵意など微塵もありはしない。

 ただひたすらに拍手を続ける巨人のことを、ダルタンは呆然と見上げる。

「なんなんだ、こいつら」

「祝福だよ。だって、ダルタンの中に私が生きていたんだもの。お祝いしなきゃ」

「故郷を灰にしたお前のことを、忘れるはずがないだろう!」

「そう、私たちはルクセンブルクで出遭った。あの任務がなかったら、私たちは互いの存在すら知り得ることなく、ダルタンもただの人間として一生を終えていた。こうして思い返してみると、運命というものを信じてみたくなるよね」

「僕はただの人間で良かったんだ! 死んでも良かった! リオラさえ助かれば、それでよかったのに!」

 リオラ。

 その名を耳にした途端、クローネの表情が不愉快の雷雲らいうんを纏った。額から眉間にかけて血管の稲妻が疾走はしる。

 クローネがおもむろに持ち上げた右腕は、断頭の刃、そして合図だ。

 ダルタンの背後に立つ巨人も、クローネと一寸違わぬ動作で右腕を振りかざす。

 アーマーの駆動音を耳ざとく聞き取ったダルタンは、前方に跳躍ちょうやくすることで振り下ろされた鉄拳を回避した。しかし、着地した隙を別の巨人から狙われ、痛烈つうれつなショルダータックルをくらう。

 ダルタンは吹き飛び、転がり、地面の上を滑る。彼の手から冷蔵庫が――リオラが離れた。

 巨人は落とし物を見つけた幼子のようにリオラを拾い上げる。

 遂にリオラとダルタンを引き剥がすことに成功したクローネは、満面の笑みを浮かべた。そして得意げに人差し指を伸ばし、リズミカルに両手を振るう。優雅ゆうがに、かつ妖艶に、まるでオーケストラの演奏を導く指揮者のように。

 巨人部隊はクローネが描くリズムに沿ってリオラを投げ合う。

「やめろ! やめてくれ! リオラに手を出すな!」

「やめないよ。だって、君はちっとも理解してくれないんだもの」

 クローネはまぶたを下ろし耳を澄ませた。ダルタンの懇願をコーラスに見立て、彼の言葉をリズムに落とし込んでいく。

「さあ、より速く、より美しく、より禍々しく」

「リオラは何の罪も犯していないだろ! 傷付けるなら僕にしろ!」

「いいや、この女は不潔だ。存在そのものが罪深いのだよ」

 そう吐き捨てたクローネは、指先で豪快に空を切り、軍服をたなびかせる。

 巨人部隊は呼吸を合わせ、更に速く、リズミカルに、リオラを天高く放り投げる。彼等は無邪気に笑い声を上げ、クローネも釣られて頬を緩める。

「ゲームはもうすでに終わっているんだよ、ダルタン。この演奏はフィナーレだ。私が宣言をしていないだけなのに、君は敗北したという事実に気が付いていない。逃げ場は封じて、キングの首には刃を添えた。残された選択肢は一つだけだよ、ダルタン。ほうら、盤面をよく見て……」

 クローネの挑発が何を言わんとしているのか、ダルタンは即座に理解した。

 こうべを垂れて命乞いをし、従えと、アムリタを諦めろと、クローネはそう言っている。

 ダルタンは怒りを噛み殺す。歯茎から流れ落ちていく赤い命の奔流を眺めながら、彼は必死に知略を巡らした。

 クローネは自分に執着し、好意的な態度を崩さない。ならば、表向きだけでも要求に応じさえすれば、リオラは解放されるのではないかと。

 だが、感情の噴火を抑えられたのはほんの一瞬。

 ダルタンは、心底楽しそうに指揮者を気取るクローネが許せない。無邪気に笑う巨人たちが許せない。リオラを傷つけて楽しそうにしている姿が、憎くて憎くて堪らない。

 ダルタンの理性は憤怒の炎で灰塵かいじんと化した。彼の体は業火であぶられた鎖のように熱を帯びる。

 決死の覚悟を決めたダルタンの喉から、人ならざる声が発せられた。

「アムリタは渡さない。あれはリオラのものだ……!」

 ダルタンの頭髪がひとりでに揺らめき、瞳の湖面から血涙が氾濫した。頬を伝った赤黒い血の河川は禍々しい湯気を立ち上らせる。地面に流れ落ちた一滴の血涙から、ダルタンの原罪げんざいが小さな茨の槍となって出現した。

 かつてダルタンは、アムリタの影響を色濃く受けた葡萄ぶどう――青の知恵の実を食らっている。彼の血肉に宿ったそれは、ダルタンに強大な力と戒めの苦痛を与える。

 全ての愚行ぐこうは、最愛のリオラを救うがために。

「うおおおおおおおおお!」

 ダルタンは天を仰ぎ雄叫びを上げた。彼の叫びに呼応するかのように、五本の茨の槍がダルタンの脇腹を貫いてこの世に現れる。

 鮮血と共に内臓が飛び出し、それらを覆っていた肋骨はねじ曲って体の外側に飛び出した。ダルタンは迸る激痛に意識を奪われかけるものの、リオラへの想いが痛覚を一時的に遮断する。

 槍の内一本、一際長く鋭いものが、油断していた巨人の頭部を貫く。だが巨人部隊の戦力は失われない。ヘカトンケイルアーマーが自動操縦に切り替わるだけだ。

 四本はかわされるかアーマーに呆気なく防がれ、絶望的な状況は一変もしない。だがダルタンの戦意は衰えない。

 体から槍を引き抜き、振り回し、クローネに向かって投げつける。しかし、投擲された槍は手刀で軌道をらされる。ダルタンは再び投げつける。今度は上半身を左に反らしてかわされる。再度投げつける。狙いが逸れて当たらない。諦めずに投げつける。今度は飛距離が足りない。

 最後の一本を握り締め、ダルタンは力なく振りかぶった。穴だらけになった体は彼の意志と治癒能力で塞がっていくが、痛みが癒えることはなく、消耗は激しい。一方で、自戒を込めた腹部の傷だけは、どうしても治らない。彼の潜在意識が決して治そうとしなかった。

 見かねたクローネがあわれみ深く眉根を寄せて涙を流し、ダルタンをさとそうとする。

「もうやめて! これ以上、君が傷付く姿を見たくないよ……」

「黙れ!」

 力を振り絞って投擲とうてきされた最後の槍を、クローネは軽々と片手でつかみ取った。

 茨の棘が手を貫通してもクローネは意に介さず、手首を伝う流血をゆっくりと舐めとって見せる。

「わかったよ、ダルタン。君がそのつもりなら、私も手段を選ばない。どんなことがあっても、もう手放さないから」

 クローネは妖艶ようえんな笑みを浮かべてそうささやくと、赤黒く染まった舌を伸ばし、自らの原罪を顕現けんげんした。

 その場に居合わせた者たちが一様に息を呑んだ瞬間、クローネの背後から閃光がほとばしり、わずかに遅れて雷鳴が轟く。

 神々こうごうしい逆光は偶像ぐうぞう光背こうはいを模して、クローネの姿を陰のベールで覆い隠した。

 クローネのシルエットが縦に裂け、その境目から人ならざる巨大な手が出現する。

 ダルタンは、異形と化した宿敵の姿を睨み続けた。

 ゆっくりと、クローネの大いなる手がダルタンに覆い被さろうとする。

 しかし、巨大な指先は空を切った。指と指の間から、薄灰色の煙幕だけが溢れ出る。

「あれ……」

 クローネは大いなる手を収納し、人間の姿を得て視覚を取り戻した。

 そうしてようやく、地面を転がるスモークグレネードの存在に気が付く。

「離反軍の連中か……全体に告ぐ! 一帯に潜む鼠を炙り出せ!」

 そう吐き捨てたクローネの面持ちは、この世のものとは思えないほど歪んだものだった。


 ダルタンは息を潜めて瓦礫の山にもたれかかる。

 彼の隣には、軍服を着た赤毛の女。

 煙に紛れてダルタンを担ぎ上げ、彼の窮地を救ったのはこの赤毛の女である。

 彼女は首に下げた双眼鏡を覗き込んだ。 

「大した時間稼ぎにはならないな」

 女はそう言うと、双眼鏡を手放して無線の信号を確認する。

 ダルタンは困惑する思考を必死に巡らし、女の背中に声をかけた。

「あの……どうして、貴女は……」

「詳しい説明は後だ。今はここから離れるぞ」

 ダルタンは彼女の冷静な様相を一目見て、只者ではないと確信する。

 女は細身でありながらおびただしい装備品を身に着けており、それでいて立ち振る舞いに重さは感じられない。

「まずは名乗っておこう。私はガルダ。離反軍を率いている」

「離反軍……!」

「要求はシンプルだ。命が惜しいなら私と来い。信用できないなら好きにしろ。さあ、どうする」

 唐突な選択と状況に混乱しながらも、ダルタンは即決した。

 彼は眉を潜めて、厳かに頷く。生きて、リオラを救うために。

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