第69話 町はずれの会員制クラブ(ナイジェル視点)
ナイジェル・ラングレーが転落したそもそものきっかけは、最愛の婚約者、フランソワーズの病死である。
二人の婚約は家同士の政略によるものだったが、社交的でお調子者のナイジェルと、真面目で慎み深いフランソワーズは不思議なほどに馬が合い、周囲からは熟年夫婦と揶揄されるほどに親密だった。
このまま結婚して年を重ね、本物の熟年夫婦になるのだと信じて疑わなかった相手の突然の死。魂の片割れとも言うべき相手を失って、まだ成人したばかりだったナイジェルは荒れに荒れた。
朝まで深酒を繰り返し、賭け事で羽目を外し、相手かまわず喧嘩を売って、挙句に決闘騒ぎを起こす。業を煮やした両親から自由に使える金を制限されると、今度は友人たちから金を借りては踏み倒す。そんな放蕩の果てに行きついた先が、あの奇妙な会員制クラブだったのである。
それは町はずれの屋敷を根城としており、漂う香や赤い緞帳がいかにも秘密めかした雰囲気を醸し出していたが、入ってしまえば何のことはないただのチェスクラブだった。ただ変わっているのは紹介者がいないと入会できないこと、そして勝負のたびに高額な金をやり取りしていることである。
誘ってきた男の「貴方ならすぐに稼げますよ」という言葉通り、ナイジェルはそこで瞬く間に連勝し、たっぷりと遊興費を手に入れることができた。
会員にはナイジェルのような高位貴族もいたが、富裕な商人や芸術家など、今まで付き合ったこともない階層の者たちも大勢いて、交わされる会話はなかなかに刺激的だった。
また無料でふるまわれる酒や煙草はどれも質のいい高級品で、経営者の趣味の良さを感じさせるものだった。やがてナイジェルは、すっかりそこの常連となり、両親が引退して爵位を継いだ後も、そのままクラブに通い続けた。
通い始めた数年間、収支はいつも黒字だったが、いつの頃からか、ここぞという大勝負になると決まって大敗するようになっていった。取り返そうと勝負を仕掛け、さらに大敗して借金を重ねる悪循環。
それでも小さな勝負なら気持ちよく勝利できるので、一発逆転への希望を捨てきれないままずるずると続けているうちに、気が付けば屋敷も領地も抵当に入れられ、没落の恐怖が間近に迫って来た、まさにそのとき、救いの手を差し伸べてきたのが、他でもない王妃アメリアその人だった。
王妃の提案は彼女が借金を引き受ける代わりに、ナイジェルが「ちょっとした仕事」をするというもので、最初のうち、それは誰かを誰かに紹介したり、誰かを特定の場所に連れて行ったりという、しごく他愛ものないものだったが、次第に犯罪まがいの際どいものへと変わっていった。
(それにしても、この前の案件は無茶にもほどがあったけどな)
ナイジェルはつい最近請け負った「仕事」を思い出しながら、目前の駒を動かした。
思えば最初から――知り合ったばかりの男に「面白いクラブがあるんですよ」と誘いを掛けられた当初から、何もかもが仕組まれていたのかもしれないが、ここまで来たらもはや後戻りする術もない。道を誤りそうになるたびに、たしなめてくれたフランソワーズはもういない。今のナイジェルにできるのは、せいぜい搾取する側に回ってやることくらいである。
「チェックメイト」
ナイジェルが宣言すると、相手はがっくりとうなだれた。
今日の対戦相手は、とある作曲家の紹介で入会したフィリップ・アーヴィングという青年で、なんでも隣国の田舎貴族であるらしい。目にかかるほどのもっさりした茶色の髪にあか抜けない服装、背中を丸めて隣国訛りで話す姿はいかにもさえない印象だが、金払いは抜群にいい。
元は貧窮していたが、領地で良質な鉱山が見つかったことで、一気に富豪の仲間入りをしたと得意そうに語ってくれた。
指し方は単純そのもので、ここ数日間はクラブの常連客のいい鴨になっている。ナイジェルもご多分に漏れずしっかり稼がせてもらったが、何故か妙に懐かれてしまい、今日もこれで三度目の対戦だ。
「どうしますか? もう一勝負いたしましょうか」
ナイジェルが誘いをかけると、相手は「ええ、お願いします。負けっぱなしでは帰りませんから」と神妙な顔つきで頷いた。
「ただよろしければ、対戦場所を変えたいのです。どうもこの雰囲気にのまれてしまって、調子が出ない気がするんです」
「構いませんよ。どこへでも」
ナイジェルは内心ほくそ笑んだ。敗北を環境のせいにするのは、弱い人間の常套句である。
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