第66話 メアリー・ブラウンの過去

「偽の証言というのは、まさか」

「そのまさかだよ。彼女はアレクサンドラ王妃と赤毛の護衛騎士を二人きりにしたことがあると証言したんだ。しかし実際には母は一度たりとも護衛騎士と二人になったことはないそうだ。グレイス・ガーランドは実家の弱みをアメリアに握られていて、従わざるを得なかったと言っている」

「そうだったんですか……」


 ビアトリスはあまりのことに眩暈がした。


 ――彼は王子なんかじゃないわ。護衛騎士の子よ。ねえ、私が髪の色だけでこんな風に言っているなんて思わないでちょうだいね。ちゃんと侍女の証言もあるし、他にもいろいろとね。


 あのときアメリア王妃が言っていた「侍女の証言」とは、王妃自身がでっち上げたことだったのである。


「その後アメリアは監視を兼ねてグレイス・ガーランドを自分の侍女に抜擢した。グレイスは言われるままにアメリアに仕えていたものの、王家をたばかり、正統な王位継承をゆがめたことが恐ろしくてたまらなかったそうだ」


 カインは話を続けた。

 そんな折、メリウェザー辺境伯が証言をした侍女を探しているという噂を耳にするようになり、それと同時にグレイスの周辺で不可解な出来事が頻発した。突然上から物が落ちてきたり、階段に滑りやすい液体が撒かれていたり。口封じに殺されるのではと恐ろしくなったグレイスは、結局そのまま失踪することを選択した。


 そして身分を隠して市井で暮らしていたものの、慣れない下町暮らしに身を持ち崩して、しまいには救貧院の世話になっていた。そこにたまたま慰問に訪れたフィールズ夫人が彼女を発見したのである。夫人はかつてグレイスと同じピアニストに師事していたことがあり、グレイスとは姉妹弟子の関係だった。


 もっともグレイスは長年の貧乏暮らしですっかり老け込んでいたため、フィールズ夫人も最初は分からなかったという。しかしグレイスが院に寄付されたピアノを弾いているのを耳にして、その正体に気が付いた。そして何があったのかを問いただした上で、自分の家に来て娘たちにピアノを教えることを彼女に提案したのである。


「当初グレイスは今の境遇は自分の罪の結果であると言って断ったんだが、フィールズ夫人は『王太子の座が決まる前にクリフォード殿下は病気で亡くなったんだから、貴女のしたことは王位に何の影響も及ぼさなかったし、そこまで気に病むことはない』と彼女を説得したそうだ」

「だから彼女はカインさまを見てあんなに怯えていたんですね」


 ――まさかそんな、生きておられたのですか、クリフォードさま。


 それはグレイスにとって青天の霹靂だったことだろう。

 第一王子クリフォードが生きているとすれば、亡くなったことにされたのは、穏当な方法で「不貞の子」を追放するためだったとしか考えられない。そこでグレイスは改めて己の罪深さを思い知り、ショックで卒倒したのである。


「まあ俺としても彼女のしたことに思うところがないではないが、結果として今の立場に満足しているし、あえて過去を蒸し返すこともないと思っていた。しかしこうなった以上、話は別だ。幸いグレイス本人は俺に償えるなら何でもすると言っていることだし、独立系の新聞社で洗いざらい証言してもらうつもりだよ」

「この件を公表するのですか?」

「ああ。世間で騒ぎになれば、王宮からも正式に調査が入る。国王を欺いて王位継承をゆがめたとなれば、さすがのアメリアも一巻の終わりだ。ああ、もちろんフィールズ家には迷惑が掛からないようにするから安心してくれ。グレイス・ガーランドは今までどこぞの修道院にでも潜んでいたことにしよう。うちが援助している修道院で協力してくれるところはいくらでもある」

「ですが……」

「何か、まだ気になることでもあるのか」

「はい。この件を公表した場合、アーネスト殿下の立場はどうなるのでしょう」

「アーネスト?」

「はい。この件が世間の知るところとなれば、王太子の座にも影響が出るのではないでしょうか」

「俺は別に継承権を主張するつもりはないぞ? もう王座に興味はないからな。くれると言っても辞退する」

「それは分かっております。しかしアーネスト殿下の手にした王太子の座が汚い手段によるものだと分かれば、殿下とてただでは済まないのではないでしょうか」


 むろん過去の一件はアメリア王妃がしたことであり、当時生まれてもいなかったアーネストには何の責任もないことである。しかし国王を欺いた大罪人アメリアからその「成果」を取り上げるためにも、王家はアーネストを廃嫡せざるを得ないのではないか。世間はそれを望むだろうし、貴族間でも今アーネストの周囲には味方が少ない状況だ。カインが固辞したとしても、アーネストの従兄が代わってその座に就くだけではないのか。

 そうなったら、アーネストはもう立ち直れまい。


「それは……仕方のないことだろう。王太子の座は本来アーネストのものではなかったんだ」

「分かっております。しかしアーネスト殿下は王太子になって以来、その立場にふさわしくあるために、必死で研鑽を積んでこられたんです。それなのに、今になってその努力が全て無になってしまうのは、あまりにも……。何かもっと穏便な方法はないのでしょうか。例えば王妃さまにグレイス・ガーランドの存在を知らせて、もうこちらに手を出さないように警告するとか」

「それは甘い考えだ。警告なんてしたら、グレイス・ガーランドが殺されるだけだ。事情を知っている俺や君にも刺客が来る。いや、もしかしたら犯罪がでっち上げられるかもしれない。ことがことなだけに、アメリアは死のもの狂いでつぶしに来るぞ。この件は一気呵成にやるしかないんだ」

「分かりました……。それでもやはり公表は控えてください」

「それでは、どうしろというんだ」

「なにもなさらないでください。お気持ちだけで十分です」

「君は学院を辞めることになってもいいというのか」

「はい。残念ですが、仕方のないことだと思います」

「……ビアトリス」


 カインは今まで聞いたことのないような、ひどく冷たい声で言った。


「君はもしかして、まだあいつに心を残してるのか?」

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