第24話 勇気がいること

 マリアはビアトリスの姿にぎょっとした表情を浮かべると、隣のシリルに食ってかかった。


「シリル、ちょっとどういうこと? なんでこの人がここにいるのよ!」


 思ったよりも元気そうでなによりだ、というのがビアトリスの率直な感想だったが、むろん口にはしなかった。


「さ、さあ、僕も何が何やら」

「俺が勝手に連れてきたんだ。シリルは関係ない」

「つまりメリウェザー先輩が私をはめたんですか? 私はただ、告白ならちゃんとお会いしてお断りするのが礼儀だと思ったから、わざわざこうして来てあげたのに!」

「はめたとは人聞きが悪いな、俺は『君と会って話したい』としか言づけていないはずだが」

「だって普通、このシチュエーションならそう思うじゃないですか! もういいです、帰ります!」

「待ってください。アドラーさん、単刀直入にうかがいます。アーネスト様は、私が不正をしたという貴方の意見に賛同していたんじゃないですか?」


 ビアトリスの言葉に、部屋を出て行こうとしていたマリアは動きを止めた。

 そして警戒心に満ちた表情でゆっくりとこちらに振り向いた。


「……なんでそんなこと言うんですか?」

「あのときの貴方の態度、そしてアーネスト様の様子から、そうではないかと思ったんです。貴方は生徒会室でアーネスト様と一緒に順位表を見て、これは不正じゃないかとお二人で話し合ったんじゃないですか?」

「今さらそんなこと聞いて、どうするつもりなんですか?」

「確認したいだけです。自分の婚約者が自分のことをどう思っているのか興味あるのは当然でしょう?」


 知りたいのはむしろ「アーネストがどういう人間か」だったが、今それをマリアに言う必要はない。あくまでアーネストの自分に対する気持ちが知りたいのだ、という風に持ち掛けると、マリアはようやく口を開いた。


「そうです。アーネストさまが、トリシァがいきなり一位なんておかしい、不正の可能性があるっておっしゃったんです。だけど自分は王族だから、王立学院の不正について口にしたら大ごとになり過ぎるっておっしゃったから、私が代わりに言いに行ったんです」

「そうですか。不正を言い出したのはアーネスト様だったんですね……」


 アーネストは単に賛同したのではなく、むしろ言い出した側だった。

 それは十分に予測できることではあったし、実際にビアトリス自身も、その可能性を考えていないわけではなかった。しかしこうして事実として突きつけられると、言いようのないおぞましさに、心をえぐられるようだった。


(アーネスト様はマリア・アドラーに対して、自分から私の不正を言いたてた。そしてマリア・アドラーを使って存分に私を貶めてから、今度はマリアを侮辱する形で私を皆の前で庇って見せた――完璧な王子様の顔をして)


 アーネストが自分にした仕打ちがショックなのか。あるいはマリアにした仕打ちがショックなのか。判断する暇もなく、野太い声がビアトリスの思考を断ち切った。


「ちょっと待てよマリア! それっていったいどういうことだよ!」

「レ、レオナルド? なんでここに……」


 ビアトリスとカインはもちろん、シリルとマリアにも完全に予想外だったようで、二人とも目を丸くしたままぽかんと口を開けている。


「お前がその、告白されるかもしれねぇって言うから、気になって様子を見に来たんだよ。それよりマリア、どういうことだよ。試験の不正は殿下が言い出したことなのか?」

「そうよ、だけど私は」

「それなのに、みんなの前でお前のことを責め立てたのかよ。そんなの最低じゃねぇかよ! 今すぐ俺がみんなに言って――」

「やめてレオナルド!」


 マリアが悲鳴のような声を上げた。


「違うの! 私が悪いの! 私が勝手に勘違いしてたの! 殿下は表立って騒ぐべきじゃないってお考えだったのに、私が間違えて暴走しちゃっただけなの!」

「だけどマリア」

「とにかく私が悪いんだから、レオナルドは変なこと言いふらしたりしないでね!」

「だけど……」

「絶対よ!」


 マリアに怒鳴りつけられて、レオナルドは叱られた犬のように項垂れた。

 マリアはビアトリス達の方に向き直ると、傲然と顔を上げていった。


「私は今でも不正を疑ってますけど、皆の前で言ったのは軽率でしたし、あの場を収めるにはアーネスト様がああ言うしかなかったことも納得しています。ウォルトンさんも、アーネスト様が私より自分の味方をしてくれたなんて思わないでください。それじゃ、いきましょうレオナルド」


 マリアはそう言い捨てると、レオナルドを引っ張って部屋を出て行った。




「信じられないな、あんな目に遭わされてもまだアーネストを庇うのか」


 カインが呆れた声を上げた。


「私は彼女の気持ちが分かるような気がします」

「そうか?」

「ええ、慕っている相手から理不尽な目に遭わされたとき、相手が酷い人間であることを認めるよりも、自分が相手から大切にされていないことを認めるよりも、自分の行動に非があったせいだと考える方が楽なんです」


 それはビアトリス自身にも覚えのある感情だった。

 本心から好きだった相手の正体を認めるのは、とても勇気がいることだ。


「それにしても、よりによってレオナルドに知られてしまうとは、これは生徒会崩壊の危機ですね」


 シリルがやれやれとばかりに嘆息した。


「アーネストの自業自得だろう」

「今殿下は少々不安定なんですよ。仲間をこんな風に扱うデメリットはわきまえておられるはずなんですけど、最近はちょっとたがが外れてきていると言いますか……そういうわけでビアトリス嬢、アーネスト殿下といい加減に仲直りしていただけませんか?」

「はい?」


 話の流れが見えなくて、ビアトリスは怪訝な声を上げた。


「前に申し上げたでしょう? 貴方が生徒会を辞めた頃から殿下の様子がおかしいって。いえあえていうなら、貴方が殿下と一緒に昼食を取らなくなった辺りから、かもしれませんけど。いずれにしても殿下の変調の原因はおそらく貴方にあるんです。貴方さえ殿下と仲直りしていただければ、もうこんな無茶な真似をすることもなくなると思うんですよね、僕は」

「仲直りと言われましても、別に喧嘩しているわけではありませんので」


 そもそも仲直りとは何だろう。自分にとってのアーネストとの「仲直り」とは、入学前の幼いころにまでさかのぼる。いつの日かあの頃の関係に返ることを夢見て、長い間ひたすら関係改善を試みて来た。アーネストが振り返ってくれさえすれば、あの日々に戻れると信じていた。


 しかし実際問題、アーネストがかつてのように優しく振舞ったとしても、今の自分はあの頃のような感情を彼に抱くことができるのだろうか。


 八歳のときにアーネストと婚約して以来、いずれアーネストの妃となることはビアトリスの中で確定事項になっていた。

 幸せな花嫁になるにせよ、不幸な花嫁になるにせよ、彼と結婚すること自体は微塵も揺らぐことはなく、ビアトリスの前に厳然と存在し続けた。

 それ以外の未来なんてまるで考えもしなかった。


(だけど……それでいいのかしら)


 自分はどうしたいのか。今後アーネストとどうなりたいのか。あるいはなりたくないのか。アーネストに、そして自分自身に、本気で向き合う覚悟をきめるときが来ていた。

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