《十話》昏(くら)い森②

 森林内には、ごくたまに他の生物の姿も見受けられる。


 鹿と猪がまざったような様なその獣は、こちらを見かけるとさっさと逃げてしまった。

 彼らも魔物に生きる場所を追われて数が減っているのかか……見かけたのはその一度だけだった。


 とはいえアキ達にはまだどれが魔物なのかあまり判別できない。


 「《緋化瞳レマレス》になっている奴は大抵魔物だ」、とはマルバの言葉だ。

 太陽や火のような、僅かに黄色味の混じった赤く光る瞳。それこそが魔物の特徴であると彼は言った……瞳の無いような魔物、例えば先日の《粘瘤バブ》のような物でも、核などのいずれかの部位にその性質が現れているのだという。


 ――もっと情報が欲しい。

 鋭い視線を周りに向けながら、アキは思う。自分達はあまりにもこちらの事を知らなさすぎる。

根本的な所では地球とそう変わらないにしても、何が落とし穴になるのかはわからないのだ。

 マルバは必要な事しか言わないし、こちらから訪ねても大したことは答えてくれない。

 

 もうフォールスルキアの森に滞在し始めて、数日が経過した。

戦う魔物に困る事は無かった……何せこちらが森に姿を見せれば仇のように戦いを仕掛けて来る。


 慎重な行動が功を奏してか無傷とは行かないが、大きな傷はこれまで負わずに済んでいるのだが、ひやりとする場面は何度かあり、特に数日前、初めて蜘蛛ルパ栗鼠ケスの連携に遭った時は危なかった――。



 葉の影に音も無く潜んでいた五体の蜘蛛が一斉に樹上から飛び降り、亜樹に粘着糸を浴びせかけがんじがらめにしたのだ。その時は前方にいた栗鼠の集団に気を取られていた。


 糸で行動を阻害される中、左手だけが自由だったのが幸いし、頭部を盾で庇って連続した投石から身を守りながら叫ぶ。


「イツミ、ククールを呼んで栗鼠ケスを狩らせろ! カホ、こっちは気にするな! 攻撃しようとしている栗鼠の気を逸らせ!」


 この強靭な糸は多少引っ張った位では切れることは無い。

好機と見たか、蜘蛛たちはいっせいに身を縮め、糸を巻き戻しながら飛び掛って来た。


「くそっ!」


 セオが数匹の蜘蛛を迎撃したが、動けないアキに向かう全ての蜘蛛を打ち落とすことはできない。

数匹がアキの体を牙で挟み込む。


「ぐっ……」


 肌にはさみの様な鋭いものが喰い込む感触。

 硬い鱗で覆われた体を切断する程の圧力は無いが、身動きが取れない。


「セオ、離れてろ……!」

「……おう!」


 セオが飛び退るのと同時に、自分の体に向かって吹き出したのは《火炎吐息ヒート・ブレス》だ。

 衣服が焦げる臭いとともに、白い糸がどろりと溶け出してゆく。

 身体を赤色の火炎が包んだが、アキの体自体は熱に耐性がある……何とか耐えられるはずだ。

 火勢に巻き込まれた数体にそのまま火が燃え移り、牙が離れた。


「来てククール! 《空割クウカツ》……良く狙って!」

「クォ!」


 栗鼠も数が多い。

 三組計六体の栗鼠の内、真ん中を指差したイツミに応え、飛び出したククールが一鳴きして水平に体を一閃させる。


 生み出された薄緑色の光刃が凄まじい速さで空を裂き、攻撃しようとしていたの二体の体を同時に上下に分割した。


「えぇい、当たって!」


 その間にカホは足元の石を拾い投石を繰り返して、イツミへの反撃をどうにか牽制けんせいしようとする。

 アキは熱で溶けた糸をを引きちぎりながら、火の中でもがく一体を剣で突き刺した。


 自由になったアキを再び糸で絡めとろうとして動きを止めたその内の一体。

 セオはそれを黙って見ていることは無かった。


「フッ――《強打ハード・ブロウ》!」

「もいっちょ《空割クウカツ》!」


 セオは立て続けに二体の蜘蛛を素早く蹴り潰し、栗鼠の方を向く。

 怯んだ栗鼠の狙いの定まらない石弾は逸れて木に弾け飛び、すかさずイツミが命じさせたククールの真空波が再び命中した。


 大勢は決した。

 残った数匹はこちらの猛反撃に戦意を失くし、そのまま森の奥へと消えて行った。


「もういいぞカホ、後は逃げた……」

「ふぅふぅ……ふぅ~。い、今手当てします……わわっ」


 所々に貼りついて未だ燃えている上衣を破り捨て、アキは上から水を被る。

 傷があるのか、じわりとした痛みが体を包んだ。


「悪いが……治療を頼む」

「す、すごい筋肉ですよね、えへへ……《軽治癒ライトヒール》」

「へ~……そんな感じなんだ。面白~い」


 カホは少し顔を朱く染めて、視線を俯けながらスキルを使い……興味津々と言った体で寄って来たイツミが物珍しそうに見た。

 胸部の一部と腹部だけが白っぽい鱗に覆われていて色が違うからだ。


「触ってみていい?」

「やめろ……ペットや見世物じゃないんだぞ」


 アキは彼女を手で追い払い、程無く、所々が柔らかい緑色の光が包み、浅く傷つけられた体を癒してゆく。


「ありがとう……これがマルバさんの言っていた奴らの連携か……受けていたのが他の誰かだと危なかったね」


 治療を終えた体を荷物から出した外套に包むと、イツミが残念そうに口を尖らせる。


「肝が冷えたぜ……甘く見てたかもな」


 流石にセオも大汗を浮かべていた。

 ごく短い時間の戦闘だが、命の危険すらあったのだ。運が良かったと言わざる負えない。


「やっぱりこういう時にスキルが物を言うな……アキの《火炎吐息ヒートブレス》にしろ、イツミの幻獣ククールにしろ……俺のは地味だからちょっと悔しいぜ」

「状況次第だと思うけどね。僕のスキルも水場じゃ効果を発揮しないだろうし、イツミのスキルは現状では無駄打ちできないから……消費が少なくコンスタントに使用できるセオのスキルに頼る場面も多いと思うよ。新技も含めて色々これから試していけばいいんじゃないか?」


 今回はたまたま火に弱い敵だったからアキのスキルが効果を発揮しただけだ。

 セオには自身の攻撃力を増加させる《攻気アタックオーラ》と言うスキルもある。

 上手く活用すれば、小回りを利かせつつ高い攻撃力を発揮することができるだろう。


「……そうだな。精々精進する……しかし、ああも気配を消されるとなぁ。なるべく固まって行動した方がいいのか?」

「……いや、ある程度分散しておいた方がいいとは思う。僕とカホ、セオとイツミで別れて、何かあれば互いでカバーできるようにしよう。次から糸は燃やせるように着火剤と松明は各自ですぐに取り出せるようにしておいてくれ。イツミ、もうククールは維持できないんじゃないか?」

「あ、うん……多分もう十分かそこらで消えちゃうと思う」


 ククールを胸に抱いたイツミが、情報を呼び出し魔力の残量を確認した。


「これ以上は長居出来ないな。戻ろう……今のところ無理する必要は無いからね。カホ、先導してくれ」

「わかりました、ええと……こっちです」


 カホが金色の鎖につながれた《導の跡アシュレト》をスカートのポケットから取り出す。

 指差す方向にはアキ達の天幕があるはずだ。


「どうかしましたか……?」

「いや……何でもない。行こう」


 前を歩き出したカホが、アキの視線に戸惑いを見せた為、目を逸らして隣に並ぶ。


(油断するな……彼女達は仲間じゃない。僕に仲間なんていない……)


 あの時咄嗟とっさに周囲に頼ってしまった事が悔しい。

 ――これでは駄目だ……自分の力だけで切り抜けられるようにならなければ。

 

 こみ上げる思いを飲み込みながら、アキは大地を踏みしめ進み出した。




 ――最近ようやくといったところか、真面目に働くようになったマルバに、アキ達は魔物との戦闘に関して指導を受け始めた。


 といっても勧められるのは基礎体力の訓練、走り込みが主だ。レベルの上昇による恩恵は確かに彼らの身体能力を底上げするが、それとは別としてこういった地道な訓練も決して無駄にはならないし、僅かなりとも経験値も加算される。


 魔物との戦闘だけがレベルを上げる手段では無いという事だ。

 「全ての判断や行動……何を考えて何を為すか、目の前の苦境に対し、どう向き合って対処してするか。その経験こそがお前達を次の格位クラスへ導くはずだ」……マルバはそう言っていたが、それならそうと早く言っておいて欲しかったとアキは思う。


「ただ漫然と自分より弱い魔物だけを狩っていてもある程度で頭打ちになるんだ。そういって成長を止めた奴らを《停滞者プルーター》と言ってな、《クァジ》から湧き出す魔物の処理などに対応する為の人員としてずっとこき使われるのさ。どこかで死ぬまでな」


 この脅しめいた言葉に女性陣は眉をしかめたがアキとセオはもうそろそろ慣れてきてしまって表情を変えない。

 少し面白くなさそうなマルバに、おずおずと手を挙げたカホが質問する。


「……その、それって、本当に私達でないといけないんでしょうか。ウォルナンドさんでしたっけ……あの仮面の人みたいに魔法みたいなのが使えるなら、ご自分達でその《陰海ウィゲル》?とかの探索をしたらいいのではないかと思うんですが……。何というかわざわざ外部の人間を連れて来てっていうのはひどく非効率に思えて」


 微かに批判の成分を含ませたカホの言葉に、ついアキは身構える。だがマルバの叱責は無く、唇を歪め理解を示すように頷く。


「今は良いが、訓練終了後は階級名で呼ぶようにしろ、ウォルナンド極導、マルバ上導……等というようにな……他の者に示しがつかん。質問についてだが、当然いくつか理由がある。ウォルナンド極導の言った事……チキュウの者が特殊な力を扱えるという事がまず一つ。そして、貴様らの言うマホウとやら……この世界にでは《導術マジェル》というものがそこまで万能なものでは無いということがもう一つ。《導術マジェル》はごく一部の、限られた者にしか扱えない技術なのだ」


 マルバの詳細な説明が続いてゆく中、セオが隣でメモを取り出す……真面目な彼らしい。


「この世界の人間は九割方が《導術マジェル》を扱う力、《導力マナ》を持たずに生まれて来る。そして、残り一割の者の中でも《導術マジェル》を扱えるのは一割程度と言われている」


 マルバは地面の砂を握り取り、さらさらとこぼした。


「《導力マナ》というのは、繋ぐ力と言われている。この世界にある色々な物質や、目に見えぬような小さな生き物まで、ありとあらゆるものが、各々の性質に準ずる力を内包していて、《導力マナ》はそれらと繋がることで、様々な現象を引き起こす力を得ることができる、ということらしい」


 わかったような、わからないような……全員がそんな顔をして考え込む。


「へえ……それじゃ、マルバさんもそれを使って、あの仮面の人がやったみたいに火とか、氷とかを何も無い所から出したりできるんですか?」

「いや、俺にはできんよ。その辺りも順を追って説明するから少し待て。とにかく……簡単に言えば目に見えない不思議な力があって、それを操ることが出来れば、色々な現象が起こせるということを納得しろ。まあ専門家には位相がずれた極小の異界との接続部を開口し、そこから力を誘引し支配することで……とか小難しい話を聞いたが、言われても良くわからんだろう。俺にも分からん」


 セオの質問は空振り、彼は手の平を上に上げて、口をへの字に曲げる。


「そして……この《導術マジェル》というのは誰も彼もが使えるわけではない。扱うには天性の感覚が必要で、それを持たぬ者は何をどう努力しようが、永遠に使えん。それを感覚的にできるのが《導士マイス》だ。そして、さらにそれも二つの型に分かれている」


 彼は簡素な図を交え、長い説明を続けていく。

 《導士マイス》として認められたものは各国専門の教育機関で選別を受け、二つのタイプへ分けられる。

 一つは内循系。自身の内部に扉を開いて《導力マナ》を循環させ、常人以上の身体能力や、超感覚を発現する型。

 もう一つは開放系。自身の外部に扉を開いて、他の物質等の《導力マナ》を活用、制御し周囲に様々な影響を与えることの出来る型。


「どちらが導士マイスとして優れているかと言うと、間違いなく《開放系》の方だろう。それゆえかは知らんが圧倒的に開放系導士の数は少ない。精々が全導士の千分の一未満。つまり、ウォルナンド極導のような導術らしい導術を使えるのは千人に一人……戦闘向きの人材となるとそれこそ何万人に一人かもな。彼らの存在は希少で、単純に人工として散らすには勿体なさすぎるんだ」

「そういうものですか? ……でも、希少だという点においては、私達だって同じはずじゃないんでしょうか」


 納得できないのかカホはやや不満気な言葉を漏らす。

 それを予測していたように、マルバは笑みを深めた。


「もちろんそれだけじゃあない、むしろこちらの方が問題でな。決定的なのは、《陰海》の中では導術の威力が酷く弱まるんだ……その規模が広い程な。内循系はまだ良いが、開放系導術においてはほぼ使い物にならない。攻略に参加させること自体が無意味なんだ。こちらの世界の生活での重要な生活基盤を担う、導術マジェルで稼働している設備を動かすには導士の存在が不可欠となる。生活面でも貴重な人材だから、いたずらに消費する訳に行かん。……少なくとも今はまだその時ではないと考えられている。納得はいかんだろうが、無理にでもお前達にどうにかして貰うしかないのさ」

 

 彼らにすれば地球人は丁重に扱うべき客人などでは無く、召喚して呼び寄せた使い魔とか、下手をすればそれ以下の駒でしかないのだろう。

こちら側の人間の命と等価ではなく、果たすべき役割をこなしたなら生死すら問わない、軽い命。


「ですけど……」

「やめなよカホ、それ以上は無駄だ」


 言い募ろうとする彼女をアキは制した。

 勝手だと叫べば、その通りだろうが……彼らがこの行いを悔い改めることは無いだろう。マルバにいくら意見したことでアキ達の立場が変わることはあるまい。

 余計な事を口に出しても心証を悪くするだけだ。


「こちらの人間からしたら、僕らなんてただの道具でしかない。命令を聞いて魔物と戦ってくれれば、犬猫だろうが人形だろうが何でも構わないんだから。彼らとの距離感を誤って、下手に不興を買えば何をされるか分からないよ」

「おいおい、全くトカゲの坊主は人聞きの悪いことを言ってくれるな。そう不安がるな……外に出ても、貴様らの身柄はその《ケスラ》により《導士団マイズ》の団員として保証されている……基本的に俺達と変わらんよ。だからあからさまにお前らを見下して扱う者も多くはいまい。ただ一つ……忠告があるとするなら、貴族関係の奴らだけは気を付けろ。奴らにはとってお前らの存在は希少な玩具位にしか見えていない。手元に置くために何をして来るか分からんから、身辺には気を付けることだ……」


 それで話は終わったのか……膝を打つと立ち上がり、そのままマルバは訓練の再開を促す。


「さてと……自分の身を護りたければ、まずは体を鍛えろ。強くなって覚えがめでたくなれば少しは待遇も変わるし、心の安定も買える。俺達にしても役に立つ味方は多いに越したことは無いしな。さあさあ走れ……根本的な体力が無ければ話にならんのだ、動いていれば気分もましになるだろう」

「かったるぅ……」


 イツミがうつな声で舌打ちを漏らし、のろのろと班員達は動き出す。

この世界について少しばかり知ることが出来たが……心のもやは未だ晴れないまま、アキ達は鮮やかに広がる青い空の元、健康的な汗を流すのだった。

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