第71話 汚れた戦い その三
「……何だコイツは」
ルトの言葉が尋問室に響く。その声音は絶対零度それ。恐ろしいまでの敵意と、魔神格としての覇気が宿っていた。
だがそれも当然。目の前にあるのは、あまりにも常軌を逸した光景だ。異常という言葉すら生ぬるい地獄絵図だ。
──そこには氷漬けとなった怪物がいた。頭が蜘蛛の形をした蛇としか表現できない異形。それでいてサイズは平均的な成人男性と同程度であり、蛇の胴体は筋肉質な男の二の腕ほどもある。
「ランドバルド大佐。俺は法国について一般的な知識しか持っていないんだが……。もしやあの地域の人間というのは、体内にコレを飼っているのが『普通』の、俺の知る人類とは異なる種族なのか?」
「……まさか。元となった民族の差こそあれ、我々と同じ人類でございます」
「では諜報員の自決手段か? あの国はこんな術を開発するほど、頭の中が全方位に壊れているのか?」
「否でございます。少なくとも私の知る限り、このような自決のしかたは今回が初でしょう。新技術の可能性はなくはないですが、コレは流石に……。裏の者に倫理観など不要でありますが、それを抜きにしても狂気的にすぎる」
社会の闇にその身を浸からせるランドバルドをして、今しがた目の前で起きた光景には戦慄を禁じえない。
諜報員はまだ分かる。体内に毒を仕込むのと変わらない以上、行使を躊躇わないのは当然。使用者側からすれば、自決手段が増えただけにすぎないのだから。
異常なのは開発側だ。このような狂気的な手段を用意するなど、どう言い繕っても壊れているとしかいいようがない。
「……冗談抜きで正気が削られている気分だ。まずどうやってコレを体内に飼っていたんだ?」
「明らかに内部に納まる大きさではありませんな」
二人して首を傾げながら、腹を裂かれた状態で停止している諜報員の元に近づいていく。
ルトが咄嗟の判断で、怪物もろとも氷漬けにしていたのである。時間ごと凍結することによって、あわよくば命を拾えるかという判断である。……可能性は極めて低いとは、ルトも理解していたが。
「チッ。一縷の望みに賭けてみたが、やはり死んでるか」
「まあ、人間は脆いものですから……」
「アレを体内に仕込んでた人間を、脆いと評するのは甚だ疑問だがな」
少なくとも精神面において、わざわざ肉体にバケモノを仕込むような人間は、それも自決のために体内から食い破らせるような人間は脆いとは言えないだろう。
「しょうもない感想はさておき、状況の分析と整理をしよう。ランドバルド大佐。あの怪物の正体に心当たりは? 野生で存在するのか、という意味での問いだが」
「ありません。専門家ではないにしろ、私も情報を扱う者です。私が耳にしたことがないということ、つまりそういうことかと」
野生のバケモノ。すなわちこの諜報員が、個人的な事情から寄生されていた可能性。
だが返ってきたのは否定の言葉。ここまで特徴的な見た目、そして生態をしているのだから、多少なりとも存在が広まってないのはおかしいとランドバルドは語る。
ルトも納得の意見である。ということは、やはりコレは自然由来のマトモな代物ではないのだろう。
「ま、言葉に反応してた時点で分かりきってはいたことだが。法国が生み出した新種って線が濃厚か」
「……普通ならありえないと一蹴するところですが、あの国は『生命』を扱うことにかけては、我々の遥か先を行っておりますので」
「それにしたって限度があるだろうに……」
生物兵器。ルトの頭の中にそんな単語がよぎる。
それはリックの前世の世界、文明が遥かに発達した世界でたまに語られていた代物である。
本来の生物兵器は、細菌やウイルスが生み出す毒素を利用した大量破壊兵器であり、高度な技術と設備が前提となった科学の結晶だ。
流石にバケモノを利用したものはない。それは文明の進んだ別世界においても、空想として語られていた代物である。
だが、だからこそ問題なのだ。文明が遥かに進んでだ世界においても、物語の域を出なかった『空想科学』。それをこちらの世界で、ましてや一国で実現させたという事実が。
いくら相手が超大国であろうとも、いくら魔術という未知の技術があろうとも。理外のバケモノを生み出すことなど不可能なはず。
それはもはや神の──
「──」
唐突な閃き。それは技術の果てを知っているからこそ、気付くことのできた異常性。
確かに別世界には魔術は存在しない。だから同じ尺度で考えるべきではないのだろう。
だがあちらの世界の科学技術ならば、魔術で実現できる大抵の現象は再現できる。アプローチの過程は違えど、似たような結果に辿りつくことはできるのだ。
所詮は魔術も一つの技術。物理法則の範疇に収まるルールでしかなく、それ故に限界というものも存在する。
──遥かに発展した科学技術ですら届かない空想の産物など、魔術という未知の要素を加えたところで実現不可能なのだ。『医療大国』である法国とて、それは変わらない。
「そもそもの話、意味が分からない。何でこんな悍ましいバケモノを生み出そうと思った? 例え技術的に可能であったところで、こんなバケモノ無駄の極みだ」
「……閣下?」
怪訝な表情を浮かべるランドバルドを尻目に、ルトは深く思考に集中していく。
発想、技術、コスト。この怪物に対して、異常な点を挙げていけばキリがない。
だが最も疑問な点は、この怪物を造った目的が不可解すぎるということだ。
想定されるあらゆる使い方、それこそ破壊工作に使うとしても、わざわざ一から生命を創造する必要はない。
明らかに労力が釣り合っていない。新たな毒物でも開発した方が効率的かつ、技術的にも容易なはず。
「──だが前提が違ったら? あらゆる方面で、このバケモノを生み出した方が楽だったら?」
「閣下? いかがいたしましたか?」
その場合のみ、疑問は納得に変わる。というよりも、そうでなければ納得できる理由がない。
もちろん、これはルトの妄想だ。証拠が一切ない現状では、ありえないと笑い飛ばされる類の杞憂だ。
「ランドバルド大佐。一つ確認だ。我々がすべきは最悪の事態に備えること。『最悪』の回避こそが絶対の使命。そうだな?」
「……左様でございます」
──しかし、我ながら身に覚えがありすぎる。ルト自身もありえないことを実現させる、ありえないと呼ばれる存在だったのだから。
「では大公命令だ。検証で数名を消費させてもらう。最悪の場合、全てを使い潰すかもしれないが許せ。責任は俺が取る」
「……何かお気づきになったということでしょうか?」
「ああ。あくまで俺の妄想の域を出ないが、それを外れだと笑うためにも必要だ。──この一件、俺たちの想像以上に洒落にならん可能性がある」
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