第70話 汚れた戦い その二

 薄暗い尋問室。その中心に置かれた氷塊。中には氷漬けとなった神兵が一人。


「ではコイツの凍結を今から解く。それとも何か指示はあるか?」


 ランドバルドと二名の尋問要員、一名の記録係が配置についたのを確認し、ルトはオーダーの有無を訊ねる。

 それは立場が上であっても、ここから先は専門家の指示に従うというルトの意思表示。気遣い不要の主張による、作業の円滑化を求めてのもの。

 ランドバルドは正確にその意図を読み取り、簡潔にオーダーを告げていく。


「閣下、質問です。この者を目覚めさせることなく、周囲の氷のみを消すことは可能で?」

「可能だ。意識のみ凍結させておけばな」

「ではそれをお願いいたします。危険物、自決用の毒の所持をまず確認したく思います」


 拘束した際に身体検査を行い、危険物などを押収するのが本来の手順。

 だが今回に関しては、ルトの魔法によって不意打ち気味に氷漬けにされているため、所持品を検めることができていないのだ。

 本題に移る前に、不確定要素の排除。わずかな怠慢によって、在庫が減るなどあってはならないのだから。


「了解した。──ほれ」


 オーダー実行。神兵の意識は凍結させたまま、表面の氷のみを消失する。

 氷という支えを失い、神兵がドサリと床に転がった。だが意識が覚醒する兆しはゼロ。力なく倒れたままだ。


「これで大丈夫だ。意識だけが目覚めない、つまり熟睡しているような状態だ。肉体は正常に活動しているから、体内まで覗くことができるはずだ」

「感謝します。では検査開始。針の一つも見逃すな!」

「「はっ!!」」


 ランドバルドの指示に従い、二名の尋問要員が神兵の身体を検めていく。

 一人が手早く衣服を脱がし、危険物のチェック。もう一人は口内を筆頭に、身体中をくまなく探って自決用の毒物の有無を調べていく。


「武器の回収、完了です。上着の袖と腰周りに、暗器の類が四点隠されていました」

「毒物、回収完了。場所は口内。奥歯の一部に穴が開けられており、そこに丸薬が仕込まれておりました。有事の際には奥歯ごと噛み砕いて使用する物と思われます」

「結構。あの国らしい凝った仕込みだ。記録後、丸薬は鑑定にまわせ。毒の特定ができたら報告。可能ならば解毒剤を用意し、持ってくるよう伝えろ」

「はっ!」


 瞬く間に神兵の手札が暴かれ、潰されていく。やはり専門家は頼もしい。あまりにも鮮やかな手際に、素直な賞賛を述べたくなるほど。

 だがこの場においてそれは無駄。故に吐き出すのは賛辞ではなく、ランドバルドたちとは異なる専門家としての意見。


「ランドバルド大佐。俺からも一点、伝えておきたいことがある」

「何でしょうか?」

「──面白いことになっているぞ。どうやらそいつは、もう神兵ではなくなっているようだ。神威が、使徒の祝福が消えている」

「なんと……!」


 ランドバルドが目を見張る。ルトの報告は、それだけ予想外の代物であった。


「……理由はお分かりになりますか?」

「ああ。というか、よく考えれば当たり前のことだった。神兵と関わったのが初だったせいで、頭からすっぽ抜けていたがな」


 ポリポリと気恥しそうに、ルトは自らの頭を掻く。

 ルトはもっとも新たな魔神格である。言ってしまえば若輩であり、どうしても魔神格同士の戦いに疎い部分があるのだ。

 以前行ったアクシアとの模擬戦が初であり、だからこそ今まで忘れていた。異なる神威がぶつかった際、どうなるのかを。


「神威同士は干渉するんだ。同程度なら拮抗するし、一方が弱ければ押し流さて呑み込まれる。コイツにも同じことが起きたらしい」

「……つまり閣下の凍結の力によって、使徒の祝福が掻き消されたと?」

「みたいだな。話を聞く限り、使徒の祝福は単純な強化だ。肉体そのものを変質させる効果ではない。ついでに言うなら、神威が常時供給されているわけでもない。だからこうして消えてしまった」


 思い出すのは、謁見の間で行われたアクシアとの模擬戦。

 あの時、アクシアが無意識に放っていた熱波は、ルトのまとう神威によって減衰され無効化されていた。

 対してルトが放った氷による攻撃は、防がれはしたが無効化されたわけでなかった。

 つまり一度物質として現界すれば、運用が限定される代わりに根本から掻き消されることはない。

 逆に物質ではない現象に関しては、応用が効く代わりに神威の過多で為す術なく無効化されてしまう。

 そして使徒の祝福、神兵の力は物質ではなく現象。更にいえば、一度掛けてしまえばそれまでの独立した強化だ。

 人よりも遥かに優れた力を授かろうとも、所詮は魔神格の眷属。主からの後押しなければ、敵対する魔神の力に抗うことは不可能。

 グラスに入った水だけでは、津波に抵抗することはできないのと同じだ。


「……長いこと諜報の世界に身を置いておりましたが、初耳ですな。ハイゼンベルグ夫人も気付いておられなかったのでしょうか?」

「可能性はある。そもそも神兵がアクシア殿に近付く理由がない。単純な諜報活動ならば、神威を知覚できるアクシア殿は全力で回避するだろうしな」

「確かに。そして戦闘ともなれば、一瞬で灰にされて終わり。気付かない可能性は十分にある……」


 炎神アクシアと使徒スターク。長きに渡り戦い続けた宿敵同士であるが、だからこそ分からぬこともあるのだろう。

 魔神同士が直接矛を交えるならまだしも、その眷属との戦いなど一瞬で終結してしまうのだから。

 それを抜きにしても、この大陸にいる魔神格の魔法使いはわずか三名。

 判明していない事実、いやそもそも検証すらされていない事柄が存在していても不思議ではない。


「いやですが、これ大発見かもしれません。閣下やハイゼンベルグ夫人が、その地にいることが前提ではありますが、定期的に今回のような掃除をしていただければ、神兵を無力化することが可能になるかと」

「……神威だけで掻き消すことができれば、だろうな。魔法として発動させたから、祝福が消えた可能性もある。それでは意味がない」


 神威だけならば、魔神格にしか知覚できぬ代物であるために問題はない。証拠すらなく無力化することができるだろう。

 だが魔法として発現させる必要があるならば、その手は使えない。凍結にしろ燃焼にしろ、明確な現象として発現するために証拠は残る。

 神兵、表向きは他国の人間として潜入している人物に対し、名分なくあからさまな危害を加えれば面倒なことになる。


「今回は俺が完全に、それこそ体内どころか意識まで凍らしたからな。それが原因の可能性もある。アクシア殿と意見を交えた上で、その辺は要検証だろう」

「かしこまりました。では、上にはそのように報告しておきます」

「ああ。こちらもアクシア殿に手紙を出しておく」


 思わぬ成果が転がり込んできたが、最低限の打ち合わせのみに留める。

 あくまで目的は尋問。本題から逸れることはよろしいことではない。


「俺からの報告は以上だ。もう意識の凍結を解いて大丈夫か?」

「椅子に縛りつけますので、少々お待ちを──はい。もう大丈夫でございます」


 二人の兵士によって、意識のない神兵、いや諜報員が椅子の上にセットされた。更に手は後ろで、両足は椅子の脚に縛りつけられて身動きを封じられる。

 神兵であった頃ならば、この程度の拘束など無意味に等しかったであろう。

 だが今ならば、ただの諜報員に戻った今ならば、この拘束でもランドバルドたちなら十分に対処できる。

 正直な話、もはや凍結の魔法を解除する以外に、ルトの役目は消失したようなものだ。

 立ち会うと宣言した以上は、最大限の協力をするつもりではあるが……。下手な協力は逆に邪魔にしかならないと考え、大人しく一歩後ろに下がることにした。


「では解除だ」


──だからこそ油断した。


「──からよぉ、なんっ!?」


 魔法を解くと同士に諜報員の口から言葉が漏れる。氷漬けとなる直前まで、なんならかの会話をしていたのだろう。

 だからこその驚愕。即座に状況を把握しようと姿勢を動かし──


「っ、汚辱せよ!!」


 それはあまりにも短い言葉である。舌を噛み切ろうとしたわけでもない。ただ意味もない言葉が吐き出された──はずだった。


「貴さまっ!?」

「なんっ……!?」


 ……暗器も、自決用の毒も奪った。四肢も拘束した。吐き出された言葉も呪文の類ではなく、魔力が動く気配すらなかった。

 故に反応が遅れた。この場にいた全員が異変を察知し、動こうとしたその瞬間には、全てが手遅れだった。


「ッャァァァッ!!」


──諜報員の胴体を引き裂きながら、悍ましき怪物がルトたち目掛けて襲いかかった。

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