第8章 唐帝即位
さて、一時はどうなるかと思った謀反と包囲網をすべて跳ね除けた晋軍はついに梁へ王手を刺すことが出来るようになった。そこで珍しくも晋王は立ち止まった。「帝国を滅ぼすのは皇帝でなければならない」と考えたのじゃ。
前に滅ぼした河北三鎮の「燕」も帝国を名乗っておったが、内情は梁どころか当時の晋にも及ばないお寒いものじゃったからどうでもよかった。しかし、今度は三百年間続いた「前の唐」を滅ぼした仇である以上、新たな「唐の天子」として堂々滅ぼしてやらねばならない、といったところじゃろうな。
これに猛反対したのが文官の頂点に立つ宦官、張承業じゃった。この時期病の床に臥せっておったがそれを押して王の前に出てきて曰く、
「我が晋は恐れ多くも『李』姓を給うた唐帝室への忠誠で結束奮闘してきた国家ではないですか。それが自ら帝位に登るとは何事ですか。すべきことは先ずは梁を滅ぼし、(前の)帝室の遺族を求めて帝位に頂き、南方を征服して天下一統を回復することです!さすれば陛下の恩徳は唐の歴代陛下に勝るとも劣らぬものとして後世に輝くことでしょう」
晋王の返事はそっけないものじゃった。
「儂が帝位につくのは儂の意志ではない。天意がそうさせるのだ」
これは本音だったと儂は睨んでおる。何せ自分が中心に天が回っていると考える節があったからのう。
張承業は嘆いた。
「皆が戦ってきたのは元々唐室のためでした。なのに王がそれを奪ってしまうとは…老臣は主君を見誤りました!」
こんな露骨な発言には皆が息を呑んだ。怒り狂った晋王に真っ二つにされるのじゃないか――と恐れていたら意外というか、さらにそっけない返事がきた。
「お主も長くはあるまい。せいぜい養生せよ」
どうせすぐ死ぬ者には何を言われても平気、まあ儂らにもそういうところはあるかも知れぬがそれをズバッといってしまう晋王の酷薄さには一同ゾッとしたわい。
その後は即位に向かってバタバタじゃ。儂等武官は眺めておっただけじゃが文官共は死ぬほど忙しかったらしい。え、お主もその中にいた?それはご苦労。
改元して国号を「晋」から「大唐」に改め、即位。新天子こと李存勗はこの時三十九歳。皆に首を傾げられつつ晋王に即位した時から十六年がたっておった。その間は戦に継ぐ戦。その殆どにて前線に立ち勝利をもぎ取ってきたのじゃから、張承業はともかく武官で帝位に異議を唱えるものは誰もおらんかったな。
そしてその年のうちに梁を滅ぼすよう、命じられた。意外にも梁軍は最後になっても粘りに粘り、小部隊を小刻みに繰り出して儂らの後ろに回りこんで攻めてくる。あまりのしつこさに音を上げた将軍の一人が基地を放棄した時、晋…ではなくて唐軍の士気は最低に落ち込んだ。仕方がないので儂が提案した。
「いっそのこと、『基地』など全部放棄してしまえ。平野にて、沙陀の戦をするのじゃ」
ところが応とも否とも返事がない。業を煮やした儂は叫んだ。
「返事がないなら好きにやらせてもらう。次に帰ってくるときは大戦果を携えているか首になっているかどちらかだと陛下に伝えておけい!」
いつかキタイ相手にやった戦術の復元じゃ。百騎ごとに横一列にならべた槍の壁で敵兵を貫き、潰す。基地の輜重もふっ飛ばして迫ってくる「槍の壁」にはさすがの梁兵も手も足も出ず、殆どが戦死した。そしてそのまま開封城じゃ。籠城されると面倒じゃと懸念しておったが、守る兵が壊滅していたのであっさり制することができた。梁帝を探したが宮殿はもぬけの殻。賞金首の布告を出しておいてから陛下を迎えることにした。この時だけは陛下は珍しく喜んでおったよ。
「儂が天下を取ることが出来たのはお主の功績じゃ。天下の事はお主と共有しよう!」
予想だにしていなかった温かい言葉に儂の涙はなかなか止まらなかった。…が、この話実はオチがあってな、陛下が作っていた新曲のサビの部分の歌詞だったのじゃよ。後でそれを聞いて「あぁ、やっぱり」と力が抜ける思いをしたものじゃ。
やがて梁帝こと朱友貞の首が届けられた。「梁」は建国十六年で滅んだことになる。この時、降伏したものは殆ど殺された。
「何か不満があると梁を懐かしむに違いない」
それはそうだが、不満が出た時に対処するか、そもそも不満が出ないようにするのが天子ではないのか――と言いたいところだったが、せっかく回復した地位を放り出したくはないので黙っておくことにした。
ただ、例外があった。「銀槍兵(ぎんそうへい)」と呼ばれた親衛隊じゃ。本来は梁軍の主力のはずだったのじゃが疑心暗鬼に陥った梁帝が分割を計ったので反乱を起こし、開封陥落前に唐に寝返ってきていた。陛下は彼らも処分したい気振りをみせたが、儂が「彼らが降ってきたお陰で籠城戦をせずに済んだのですからむしろ厚遇すべきです」と口添えして天子の親衛隊、近衛兵にすることになった。
ところが、銀槍兵はすっかり天狗になってしまってな、「俺等がいなければこの街はまだ梁の手にあったのだぞ」などと吹いて回ったので、血の気の多い沙陀の兵と本当に血を見る喧嘩をあちこちで起こしてしまった。それを見た陛下は即座に銀槍兵から近衛兵の資格を取り上げて北方のキタイ防衛へと左遷した。儂の面子がややつぶれた形となってしまったが、これは銀槍兵の驕慢さを見抜けなかった儂の過ちじゃ。後日、意外な立場でこのことの責任を取らされることになる。
新しい「唐」は全てを「前の唐」に倣おうとした。まず、都は洛陽となった。この街は昔は黄河の支流の「洛水」のほとりにあったのだが、その後洛水の流れが変わり、川との連絡が悪くなった。物流の主役は船じゃからの、川から離れた街を首都とするのは如何なものかという意見は根強く、むしろ梁の都の開封をそのまま使ったほうが良いという意見もあったが陛下は全く耳を貸さなかった。
そして、朱温が一掃したはずの貴族官僚と宦官の生き残りが呼び戻され、昔の地位と権勢を与えられた。朱温が皆殺しをやった時に都にいなかった、ということは官僚と宦官のどちらも二線級以下になるわけじゃが、権勢欲だけは一人前でのう、早速「清流」と「濁流」に分かれて闘争を開始しだした。特に、これも「前の唐」どおり、武官の上の「監軍」に軍事のぐの字も知らない宦官をあてがってくれたのはいい迷惑じゃったよ。宦官にも張承業のような立派な人物がいないでもないが、基本的に「出世できれば」と自分の性器を平気で切り落とすような人間はどうにも信がおけない。まあ、儂のところに来た「監軍様」はロクに文書も読めない間抜けじゃったので、接待漬けにしたらあまり煩いことはいわなくなったが。
一方、「清流」たる貴族の方もいい加減で、本当に何百年もの家系を持つ者などとっくに消えていなくなっていた。では、今いる貴族は何者かといえば系図を買ったかデッチ上げたかどちらかじゃ。将軍のひとりに郭崇韜(かく・すうとう)という男がいてな、武官にしては珍しく文字も読めるし戦もそこそこ強い。出自は儂や李嗣昭と大して変わらぬ微賤の出じゃったのが、同じ「郭」氏の系図を買って何と「清流」の総帥になりおった。
陛下は何をしておったか?先王、いや先帝の墓前に朱友貞と掘り出した朱温の首を例の「三本の矢」の一本とともに捧げたまでは良かったが、その後全く動こうとしなくなった。これまでなら宮殿に腰を落ち着ける間もなく北のキタイか南の諸軍閥へ攻め込む筈じゃが、何もせぬ。それどころか儂等武官を遠ざけるようになった。「十六年も戦い通しだったから休みたくもなるだろう」と善意で捉えておったがどうやらそうではなかったらしい。
梁の滅亡と唐王朝の建国を機に論功行賞が行われたが、どう考えても褒美の額が小さい。「李嗣昭の家から没収した資産しか使っておらず、梁を滅ぼして開封で得た富は全て着服した」との噂が流れた。その時はまさか、と思うたが、この後の乱れっぷりを目の当たりにして陛下が壊れた、いや本性を剥き出したことを知ることになった。
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