後唐演義
崩れ
序章 天子、語り始める。
西暦九三〇年頃の中国、洛陽。
現在も中華人民共和国河南省の中核都市である洛陽は、古くは紀元前の東周に始まり、漢、晋、魏といった中国北部(華北)を根拠地とする各王朝の首府になった伝統のある都市である。「上洛」「洛中」というように「洛」の字は「みやこ」を意味する程に、何度も中国の中心となった。
そしてこの物語で扱う時期には「唐」王朝の都だった。
しかし、「みやこ」と呼ぶにはどこか疲弊した雰囲気がある。天子=皇帝のおわす宮中をよく見ると焼け焦げたり叩き折られた建材が隅に押しやられている。つい数年前にこの「みやこ」で大暴動が発生し、前の天子までが巻き添えをくらって死んでしまったのだ。その傷跡は未だに宮中に残っているが、今の王朝には片付ける余力がない。
目を外に転ずれば、南方では軍閥が独立国として割拠し、北方では新興の騎馬民族が虎視眈々と国境線を伺っている。ほんのちょっとの弾みで天地がひっくり返ってもおかしくない情勢となってから既に四半世紀が経つ。この、「唐」も例外ではない。何せ出来てから十年も経っていない王朝なのだ。
詳しい人は既にお気づきだと思うが日本は八九四年に遣唐使をやめている。混迷するばかりの中国に見切りを付けて、独自の文化の追求へと舵を切ってから三十年が経過している。東端の島国にも見放された「唐」王朝はその後もしぶとく生き残っていたのか?否。一度は死んだ。これから語られる「唐」とは、前の王朝と何の血縁もない連中が後継を主張して立ち上げた短命な王朝であり、後世からは、少なくとも前半は絢爛たる世界帝国であった唐王朝(六一八〜九〇七)と区別して、「後唐(こうとう、九二三〜九三六)」と呼ばれることになる。
その「後唐」の都、洛陽の宮殿の中を書類を抱えて小走りに進む者がいる。残念ながらこの役人の名は記録に残っていない。業務とはいえ、宮中を通ることができるのだから下っ端ではないはずだが、それでも忘れられてしまう辺りからも、この時代の混乱ぶりが伺えよう。
小走りなのは急いでいるからではなくて宮中ではそういうルールだからだ。
天子を前に悠々と歩くのは恐れ多いからとか、何かけしからぬ武器を隠し持っていても小走りならチャラチャラ音がなるのですぐバレるからとか諸説あるが、多分全部あたっているのだろう。それだけ「天子」=皇帝とは勿体ぶった存在なのである。我が国でも江戸時代、殿中においては大名や旗本が長袴を履いてノソノソ歩 いていた。速度こそ違えどやっている事の動機は大して変わらない。
この役人の当座の仕事も宮殿の西端にあった書類の束を整理して、東の書庫に届けるいうだけのものだった。急ぎの仕事ではないが、宮殿を通るとなると小走りにならざるを得ない。「宮殿」とされる一角に足を踏み入れた途端に反射的に前かがみになってチョコマカ走りだす。
今日も、いつもの通りいつもの場所で前傾姿勢に入った。そして前進――しようとした瞬間に頭上から
「うぉい」
と間延びした声がかかったので思い切り顔から床にぶつかった。
「すまんのう、後で手当はくれてやる。ちょっと付き合え」
声をかけてきたのは時の皇帝だった。六十を過ぎ、流石に老いは隠せないが、贅肉ひとつない引き締まった体格、顔にある無数の向こう傷から叩き上げの軍人出身であることは誰にだってわかる。
後の時代ほど皇帝がとにかく絶対に偉い!という君主独裁が確立してはいないが、天子が玉座から降りてきて一介の役人に声をかけるということはあり得ない話である。宰相やその下の学士といった上級官僚など然るべき序列を通じて命令が下る、というのが通例なのだ。役人の頭は真っ白になった。それにかまわず、「天子」は話を始めた。
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