新章(弐) 二度と逢えぬ君に

第187話

「ご安心を……中将さま」

 傍らに控えていた尼君のひとりが助け舟を出してくれた。


「巫女さま。どうか、私たちをお傍に置いてくださいませ。慣れぬ生活は気苦労が大きいでしょう。畏れ多うございますが、私たちを友と思し召され、お世話をさせていただきとうございます」


「本当に!? あたし、すっごいバカなんだけど、友達になってくれる?」


 黄泉千佳は嬉しそうに同年代の尼君たちに微笑み、尼君たちも快活に頷く。


「巫女さまの真っ直ぐな御心は、生き残った者たちを奮い立たせてくれましょう」

「ひと通りの作法は心得てございます。畏れながら、巫女さまのお役に立てると自負しております」

「どうか、民をお導きくださいませ」


 尼君たちは腰を降ろそうとしたが、黄泉千佳ヨミチカは慌てて止めた。

「ありがとう、みんな! この世界のことは分からないことばかりだから、いっぱい教えて!」

 そして尼君たちの手を取り、それぞれの名を訊ねる。


 

 その様子を見守る大巫女は、月帝さまに小声で語った。

「何の杞憂も要りませぬ。王后さまの形見の衣を身に着けられた娘……新しき大地に選ばれたのです。さあ……お行きあそばされませ。我もこの地に残り、一族の魂と共に、泉の再生の手助けを致します」


 すると――美名月みなづきの身体から、幾筋もの光が抜け出た。

 それらは壁をすり抜け、消えて行った。

 美名月みなづきに憑依していたのは、大巫女の御霊だけでは無かった。

 神逅椰かぐやと宵の王によって国が滅した時に、命を絶たれた方丈一族すべてが憑依していたに違いない。


 かくして、御霊たちが放れた美名月みなづきは――元の三毛猫に戻った。

 同時に、四将たちの姿も装束も変化する。

 神巫人ミコビトの古の装束は、現世のラフな服装に変わり、髪型も現世のものになる。

 弦月も、月帝さまもスーツ姿に変わった。

 

 彼らの――長きに渡る宿命の闘いが終わった証である。


 この異世のもので残ったのは、一戸が所持していた『宿曜すくようの太刀』のみだ。

 異界の男の装束を目にした家来たちは、さすがに目の色を変える。

 黄泉千佳ヨミチカのスカート姿は見ていたが、、四将全員の異装は、さすがに奇異に映る。

 身体の線に合わせた衣装に、短い髪は高貴な身分とは縁遠く映る。



「……行っちゃうんだね」

 黄泉千佳ヨミチカは、また目を拭った。

 永遠の別れは、すぐそこに迫っている。

 尼君たちと家来たちは、床に座して頭を下げる。

 

 小君は――いま一度、裕樹に抱き付いた。

「父上……ありがとうございました……!」


 涙を浮かべ、正座してと顔を上げる。

 たちも習う。


「皆さまのことは忘れません! 我らが見た、皆さまの闘いの全てを記し、後世の者たちに伝えます!」


 雨月うげつが誓い、他の三人も姿勢を正す。

 チロと太郎丸は鼻を擦り合わせ、ミゾレがそれに交じる。

 甲板では二頭の馬も向き合って別れを惜しんでいる。



 ――月に帰ろう。

 ――我らの故郷へ。

 ――私たちが生まれた国へ。

 ――新しい世のために、我らは暫し眠ろう。


 

 月の民であった御霊たちの声が響く。

 先達の将たちの声も交じっている。

 静謐な祈りは無限を描く波紋のように、身体の隅々まで行き渡る。

 この異世に留まれるは時間は少ない。


「兄貴……俺ら、頑張るよ!」

「俺たちの子孫が、月の国を復活させるから!」

「安心して、家に帰ってくれ……!」


 神名月かみなづき水葉月みずはづき如月きさらぎも、泣きながら別れを惜しむ。

 今後は彼らが伝説の四将として、国を牽引するのだ。


 和儀も目を拭う。

 縫いぐるみを抱き締めた黄泉千佳ヨミチカの姿が、少しぼやけて見える。



(帰ろう……)

 懐かしい感触が、腕に触れた。

 アトルシオの父親だった。

 斜め前では、現世の父が微笑んでいる。


 他の仲間たちの身体も浮き上がっている。

 愛する人たちに支えられて。


 上野は、祖母君の手を取り――

 一戸は、母と異母妹と見つめ――

 月城は、村の子どもたちに囲まれて――



「ナシロっち……ありがとう!」


 黄泉千佳ヨミチカが叫んだ。

 和樹は、右手を差し伸べて応える。

 

「……元気でな!」


 伸ばした手は、もう届かない。

 互いの声も、吹く風に打ち消される。


 彼女が現世で過ごしたのは一ヶ月半だけだった。

 もっともっと、思い出を作ってあげていれば――。

 もっともっと、優しくしてあげていれば――。


 歪む視界の向こうの――白衣の巫女たちの姿は遠ざかる。


 周りが金色の壁と化し、身体は上昇して行く。

 第二の故郷とも、永遠の別れだ。

 目を凝らすと、星にも似た輝きが飛び交っていた。


 無数の御魂が地に降り、風に交じり、水に溶け入った。

 地と風からは火が生まれ、水は乾いた地を癒すだろう。


 仲間たちも、湧き上がる想いに浸っている。

 白炎の背に乗ったチロとミゾレも、寂しそうに鳴いている。


 舟曳先生と父は――顔を上げようとしない。

 愛した人々を記憶に留めるかのように、真下を凝視している。



 

 ――さようなら。


 手を振る影が見えた。

 長い黒髪をなびかせ、桜色の袖を揺らせて。


 その懐かしい声は、瞼に触れる。


 和樹は、左手で声を掴み――放った。

 それは、風にさらわれた花びらのように虚空に散った。

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