第185話

「間違いない。夢の中で、巨大な黒い影と闘っていた御方たちだ!」

「『大いなる慈悲深き御方』の御使いだ!」

「ああ、我らは助かったんだ!」


 人々はひれ伏し、歓声を上げ、涙を流す。

 牛車の屋形の中に座していた女たちも、転げ落ちるように外に出てくる。

 この国を救った神の御使いを、この目で拝ばねば――との一心からである。

 


「我が友たちよ、心して我が言葉を聞け!」


 美名月みなづきに憑依した大巫女は、威厳に満ちた言葉を紡ぐ。


「闇の王は、この国をおおいに荒らした。ここに集う其方そなたらの他に、生き残った者は居らぬ。王君さまも王后さまも……春宮の姫さまも、もはや此の世の人にあらず。闇の王に身を捧げ、国の大地だけは守り抜いたのだ」



 途端に、激しい号泣が渦巻いた。

 最期が近い日々――

 王君さま、王后さま、姫さまは、牛車で王都を回り、人々を励まし続けた。

 屋形の御簾も取り払い、御顔を出して、手を差し伸べられた。


 あの気高くて優しい方々は、もう居ない――

 人々は枯れるほどの涙を流し、互いの身分など忘れて抱き合う。

 あるのは、尽きぬ悲しみだけだ。



「友よ……我もまた、死した者である。この神巫人ミコビトの御声を借り、最後の務めを果たす。この船に残る春宮の姫さまの御意思を伝える」



 その言葉が終わった瞬間――号泣は止み、息を呑む音だけが響いた。


 大巫女は結い上げている髪を下ろし、かんざし代わりの白い花を両手で捧げ持つ。

 白い花は光と化し、巫女の身を覆った。


 巫女の髪は宙に跳ね上がり、薄紫色から黒へと変貌していく。

 額に施された赤い化粧けわいは消え、黒髪が額を覆う。


 巫女は両手を下ろし、一歩前に出て、人々を眺めた。

 その御顔立ちは、紛れなく――この国の姫君である。


 人々の沈黙は歓声に変わり、喜び交じりの涙顔に変わる。


「玉花の姫さま!」

「姫さま、姫さま!」

「お声を! どうか我らに、お声をお聞かせください!」



「この国の民よ……よく、ここに集ってくれました。ありがとう……」


 巫女の口から発せらせれたのは、人々が知る澄んだ御声である。

 顔の雰囲気も巫女とは変わり、得も知れぬ気品が漂う。

 歓喜が濡れ、人々は膝を立てて首を伸ばし、少しでも長い拝謁を願う。



「されど、多くの命が奪われ、土地は荒れ果てました。それでも、こうして皆が集い、肩を寄せ合っていることは、この上なき喜びです。大いなる希望です。されど、私の伯父が治める月の国の大地は焼け、水は枯れ果てました」


 姫君は肩越しに、伯父である月帝さまを見た。

 月帝さまは数歩進み出て、人々にゆっくりと会釈する。

 人々は公卿の身分を察し、恭しく頭を下げた。

 月帝さまも、穏やかな御声を発する。


「我がきょうだいたちよ。長き苦しみを耐え抜いてくれたこと、賞讃に値する。我もまた、この世では死者にすぎぬ。この魂は、此処には長くは留まれぬ」


 その言葉を、人々は激しい衝撃で受け止めた。

 国の王家は滅び、隣国の帝も亡くなった。

 そこには、生者は残っていないらしい。

 尊い身分の御方々の魂は、大いなる御加護の下で、最後の御言葉を述べることが許されたのだ――


 人々はそう信じ、地に伏せて号泣する。

 隣国滅び、この荒廃した地で、どう生きてゆけば良いのか――

 為す術を思い付かず、いっそ姫さまと共に――と覚悟を決める者も居る。



「きょうだいたちよ。いま一度だけ、前を向いて立ち上がって欲しい」

 

 月帝さまの御顔が引き締まる。


「ここに立つ四人の神巫人ミコビトは、闇の王によって異界に流されていた我が家臣の『近衛府の四将』である。大いなる御意志の導きでこの地に帰還し、闇の王を打ち倒した。そして、白き袿を纏うは異界の勇敢なる巫女である。新たな種子と共に、この地を蘇らせるために訪れたのだ」


 白袿姿の黄泉千佳ヨミチカは、無言で頭を下げた。

 肩まであった髪は、長い布で結び纏めており、輝く御霊の中に立つ姿は神々しい。


 人々は月帝さまの御言葉を信じ、歓喜して両手を振る。

 『近衛腐の四将』たちの処刑の噂は知っていた。

 

 だが、異界に流されただけだったのだ――

 これからは四将さまと巫女さまが、この地の再生に手を貸してくれる――


 凛々しい四将たちの立ち姿、巫女の愛らしい姿に、人々の希望は膨らむ。



「民よ、私の最後の願いを伝えます」


 姫君は語り掛ける。


「この地に生き残りたるは、千人。年を経て、その数が五千人に増えたら、朱鷺色の結界を超え、月の国に移り住んで欲しいのです。八百人と男と八百人の女、家畜、稲や麦、野菜や果実の種……それらを携え、彼の地をも復興させてください……」



「もちろんです、姫さま!」

 若い男が叫んだ。

「私の父は、漁師でした。川や湖が復活すれば、生け簀で魚や藻も運びます! 私たちの孫の代になれば、良い生け簀が作れるでしょう!」


「我らは、恩を忘れぬ民です!」

 狩衣姿の老齢の男も言う。

「若い頃のように、土を耕しましょうぞ。腰はすっかり曲がりましたが、くわを持つ力は衰えておりませぬ!」


「私の邸の蔵は無事でした……貯えの米も多分……皆で分け合いましょう!」

 

 貴族の女が言うと――子どもが笑顔で指差した。

「御船の下から、水が!」


 その通り――宙に浮く箱舟の下から、水が染み出した。

 湧き出す水は土を濡らし、たちまち大きく広がって行く。


 人々は、『大いなる慈悲深き御方』の御恵みだと、泣きながら手を取り合う。

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