第184話

月黄泉王君つくよみのきみさま!」


 雨月うげつは、声を張り上げた。

 『月黄泉王君つくよみのきみ』は月帝さまの尊称であり、現役の『近衛府の四将』のみが使うことを許されていた。

 

 雨月うげつは『宿曜すくようの太刀』を左に置き、敬意を込めて片膝を付いて、こうべを垂れる。

 他の三将たちも同様にかしずき、彼らのたちも慌てて従う。


 霊界で初めて会った時は、月帝さまと気付かず、礼を欠いた言動で接した。

 現世で御姿を知った後も、部活の講師と生徒の間柄を挟んだゆえか、重々しい接し方はしなかった。


 だが、今は違う。

 目の前におられる主君は、国の崩壊に際し、自ら血を流して黄泉の泉に身を投じた献身的な御方である。

 

 自分たちの力及ばぬ厄災であったにせよ、主君に自害を選択させたのは恥ずべきことた。

 まともに顔を上げることが出来ない。

 

 

 そんな事情を知らぬ家来たちは、慣れた様子で正座して頭を深々と下げる。

 尼君たちも神殿の出入口で拝礼し、黄泉千佳ヨミチカ美名月みなづきも真似をしようとしたが――



「みなさん、どうか遠慮せずに立ってください。今の私は、みなさんの敬意を受けるに値せぬ存在なのです。主人あるじたるものは、忠誠と引き替えに褒美を与えます。けれど今の私には、与えるべき褒美を持っていないのです。」


 月帝さまは――後方に立つ弦月を見つめ、首を縦に振った。

 霊界に於いての、上司と部下の関係である。

  

 上司の心中を察した弦月は――後ろに隠れている小君の手を取り、一同に告げた。

「みんな、その方の望み通り……跪くのは止めよう」


 それを聞いた四将たちは、こっそりと目を合わせる。

 お仕えする帝の意を察しても、素直に従えるものでは無い。

 褒美の有無の問題でも無いのだ。


 

 全員が逡巡する中――かん高い声が上がった。


「……あたし、立っちゃいますっ!」

 黄泉千佳ヨミチカは、パパっと顔を上げて立ち上がった。

「みんな立とうよ。先生がそう言ってるんだから」


 先生――。

 その意味を知らぬ者は多いが、それでも立つことには躊躇ためらいがある。。



「……怖いもの知らずの娘よ」


 美名月みなづきの口から、老買いを感じさせる声が漏れた。

 それは、明らかに美名月みなづきの口調とは異なる。


「……よく参られた。方丈の大巫女よ」

 月帝さまのお言葉に、四将たちも顔を上げる。


 方丈の大巫女――。

 と云うことは、方丈翁に近しい人物にたがいない。


 四将たちは上半身を起こし、直立する美名月みなづきを見つめる。

 その表情も、天真爛漫な美名月みなづきとは別種である。



「そう……そなたらを導いたのは、我が弟である」

 

 美名月みなづきに、方丈の大巫女さまが憑依している――。

 事態を察した四将たちは、そちらに向かって拝礼した。

 

 自分たちを導いてくれた偉大な導師への敬意。

 そして哀悼を込めて。である。


 この大巫女も、あの日に命を落としたことは容易に察せられる。

 だが、この時の為に、御魂となって待ち続けておられたのだろう。



「……ふん。そなたらの旋毛つむじなんぞ見ても楽しゅうないわ」

 大巫女は舌打ちした。

 その言い回しは――悪ふざけが好きな方丈翁に似ていた。


 如月きさらぎは――そっと目尻を拭う。

 彼が誰よりも情に厚いことは、三人が良く知っている。

 兄の所業に心を痛めて以来、ずっと心に仮面を付けていたのだから。



「そこの娘、来い」

 大巫女は黄泉千佳ヨミチカを手招きし、寝殿の出入口に右手を差し伸べた。

 

 すると――寝殿内を覆っていた白袖の結界が畳み込まれるように剥がれ、大巫女の右腕に絡み付く。


「生き延びた者たちが集まるまで、まだ時間が掛かる。それまで、身支度を整えよ」


 大巫女が腕の白絹を抜き取ると、それは白き長袴と数枚の袿に変化した。


「比丘尼たちよ、この娘を召し替えよ。月の王帝よ……我の意が分かりますな?」

「はい。この国は、『大いなる慈悲』を必要としております」


 月帝さまは、大巫女に会釈した。

 四人の尼君たちも、大巫女の言いつけに従い、黄泉千佳ヨミチカを寝殿に入れ、入り口の御簾を降ろす。


 大巫女は船縁に手を掛け、廃墟と化した街並みを凝視する。


「月より参られた神巫人ミコビトたちよ。この地を去る前に、希望を残して行かれよ」


 大巫女の声は、切々と響いた。






「いったい、どうなっているのだ!?」

「あれは、夢で見た船だ!」

「声が聞こえたよ。『神巫人ミコビトの闘いを見よ』って」

「あの船は、神話の『天の鳥舟トリフネ』だよ!」


 影から復活した人々は、身分高きも低きも寄り添い、口々に叫ぶ。

 頭上に浮いているのは、この世のものとは思えぬ金色に輝く船である。

 

 恰幅の良い貴族の男も地に座り、手に数珠を巻いて祈っている。

 その横では、カゴを背負った老女がひれ伏している。

 

 幼い兄妹は固く手を取り合い、魅せられたように箱船を見上げたまま動かない。

 その足元に座っていた四匹の犬の家族が、ワンワンと吠え出した。


 


 輝きに包まれた箱舟はゆっくりと――地に降りて来た。

 どよめきが湧き、立っていた人々も地に腰を落とす。


 箱船は微風さえも起こさず、地より五尺ほど上で静止した。

 畏怖に震える人々は、少しずつ目の位置を上げていく。


 左弦を見せて制止した箱舟には、御使いと思しき方々が立ち並んでいた。


 船首には白馬。

 船尾には黒馬。


 中央には、薄紫の髪を結い上げう異国の装束の少女。

 その左後ろには、白きうちき姿の若き巫女。

 右後ろには、気品ある直衣姿の公卿。

 公卿の手前には、黒い犬を抱いた少年が居る。


 彼らを挟み、異国の装束の若者たちが右に二人と、左に二人。

 その背後には、扇で顔を隠した比丘尼が四人。


 いずれも輝く御魂に囲まれ、この上なく神々しく見える。



「花の国の民よ。我は、黄泉の泉を守る方丈氏族の大巫女のキヨリである。そなたらは、長き黒い眠りから目覚めたのだ。闇の王に支配されたこの国は、ここに集う四人の『神巫人みこびと』により解放された」


 風が運ぶ大巫女の声は、人々の耳を震わせ、記憶の中にと染み込んだ。

 人々は、最後の時を思い出す。

 空から巨大な棘が伸び――家を、畑を、家族を押し潰した。

 

 棘の直撃を逃れた者は、影と化した。

 そして、影の街で暮らし続けた。

 ぼんやりした黒い夢の中で――。

 

 ――都は、廃墟であってはならない。

 ――友や、弟が暮らさねばならない。


 人々は、そんな神逅椰かぐやの望みのままに、影芝居を演じていたのだ。

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