第183話

 そこは無色透明でもあり、極彩色が溢れているようにも感じた。

 それは無数の喜びと哀しみの色だった。


 

 いつだっただろう……

 家族が号泣していた。

 高僧が、御仏の画の御手に渡した五色の糸を握らせてくれた。

 如月きさらぎ雨月うげつも、家族の元で最期の時を迎えただろう。

 

 彼らとは、また会える。

 けれど、今の家族とは……


 父上、母上、姉上……

 こんなにも早く逝くことをお許しください……


 けれど、八の宮さまにはお願いしてあります。

 父上の官職のことも、姉上の御腹の御子のことも……

 姫であれば、東宮さまの姉宮さまが養女に迎えたいと仰せでいらっしゃいます。

 ですから、何の心配にも及びません。


 どうか、御心しずかに見送ってください。

 また……お会いできるよう……



 

 


 一瞬の記憶の海に流された。

 千年以上前の記憶だった。

 

 だが抜け出した神名月かみなづきは、顔を上げる。

 異界の風は止み、上から落ちる花の薫香だけが箱舟を包む。


「地上……花窟はなのいわの地に出る!」

 

 箱舟の下を翔ぶ雨月うげつ如月うげつに知らせる。

 

 御魂の輝きに包まれた箱舟は、極彩色の結界をくぐる。

 御魂の輝きで、周囲の気色はおぼろげだ。

 だが、明らかに空気が変わったのは分かる。

 

 だが、突風は収まらない。

 大穴に吸い込まれるように勢いよく吹き付け、甲板に居た人々はそこに押し付けられて動けない。


「落ち着いて! 大丈夫だから!」


 美名月みなづきは寝殿で身を寄せ合う尼君たちに声を掛け、水葉月みずはづきは船首に立って人々を見守る。

 弦月は小君を抱き締め、たち四人は白炎の足元に貼り付き、黄泉千佳ヨミチカは太郎丸を抱いて何事か叫んでいる。


 

「穴を……『結界窟』を閉じる!」 

 

 如月きさらぎは、箱舟の脇から頭上に開いた大穴を見つめる。

 御神木が映えていた場所には、大穴が開いている。

 見下ろすと、灰色の雲とも水とも付かぬ渦が足の下で蠢いている。


「これを使え!」


 神名月かみなづきは、『白鳥しろとりの太刀』を放った。

 如月きさらぎは受け取り、戸惑い気味に刃を見つめる。


「構わない、使え! 『花の国』象徴たる太刀で、国を守るための刃だ。それに守護の力を封じて『結界窟』を閉じるんだ!」


 ――闘いは終わった。

 最後に、『白鳥しろとりの太刀』で『結界窟』を閉じて国の大地を守る。

 これは正しい使い方だと確信する。


「『白鳥しろとり』も本望だろう! 必要な時が来れば、次の持ち主の手に渡るさ!」

「しゃーない! やるぜえ!」


 如月きさらぎは、受け取った『白鳥しろとり』に念を込める。

 守護術の使い手としての、最後の使命である。

 

 念を受けた刃には、たちまち新たな文字が浮き出た。

 それは、死者の世界と生者の世界――ふたつの世界が交わることなく、かつ魂の循環が絶えぬようにとの祈りの文言だった。


 

「……行け!」


 如月きさらぎは、『白鳥しろとり』を両手で投擲した。

 銀色の光を放つ『白鳥しろとり』は音も無く――巨大な『結界窟』の中央に落下した。


 雲と波の混沌の渦の中に『白鳥しろとり』は消え、茶色の土が四方から押し寄せた。


 土は絡み合い、糸を縫い合わせたように一つの固まりと化し、地に開いた傷口を塞ぐように覆い隠す。


 わずか十秒ほどの変異であり、箱舟を打ち付ける突風も止んだ。

 雨月うげつは手を伸ばし、如月きさらぎの腕を掴んで引き上げる。

 

 彼も、力を使い果たしたようだ。

 神名月かみなづきも降下し、如月きさらぎを支えて箱舟に降り立った。

 ただちに彼らの羽は消えたが、外見は神巫人ミコビトのままだった。


「みんな……!」

 水葉月みずはづきが駆け寄り、仲間の腕を取る。

 四人の瞳は薄っすらと濡れ、口元には微笑みがある。


 長かった。

 

 多くの血が流れる中、不本意な形で離別した。

 けれど、心は変わらなかった。

 

 友への、仲間たちへの想い。

 闇に包まれた故郷への思い。

 

 為すすべなく命を奪われた人々への哀悼。

 


 そして今。

 三千年を経て、ようやくけじめが付いた。


 囚われていた御魂を解放し、闇を打ち払った。


 

 しかし――


「……都が……」

 美名月みなづきが、下を覗き込む。


 花の国の都――御神木を抱く宝蓮宮ほうれんのみやの王宮は、跡形も無かった。

 『結界窟』を塞いだ土砂に埋もれ、円形の墳墓のようにも見える。


 影と化していた家や邸は崩れ、朽ちた板が積み上がっている。

 木々は枯れ尽くし、放置された廃墟のような有り様だ。

 予想の範疇とは云え、惨い光景だった。

 花に包まれていた都は、黒と茶と灰色に塗り潰されてしまった。

 川の流れも無く、生物の生存は難しく思える。

 

 

 たが――動く人影があることに気付いた。

 影と化していた人々は、元の姿を取り戻したらしい。

 潰れた家屋の間の、大路を移動している。

 宙に浮く箱舟を見つけ、両手を上げ、叫びながら近付いて来る。


 廃墟に投げ出された人々には、この船は『ノアの方舟』の如き存在に映っただろう。

 輝く箱舟は、まさに『救いの箱舟』だと確信したに違いない。

 『大いなる慈悲深き御方』が、救いの手を差し伸べてくれた、と。


 

「千人ぐらい生き残ってるんだっけ?」

「ああ、そういう話だ」


 如月きさらぎ水葉月みずはづきは顔を見合わせた。

 地方の街や村に生存者は居るだろうか。

 自分たちの故国の『月窟つきのいわ』は――

 

 

「……人々の声に応えてあげて下さい」


 背後から、包み込むような声が掛かった。

 神名月かみなづき雨月うげつが振り返ると、舟曳ふなびき先生――いや、月帝さまが立っていた。

 在りし日の御直衣姿で、静穏なる威厳をたたえ――微笑んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る