第五十話「ピグモン・バラライカ」
「わあ!
海が見えるわ!」
御者台でサシャの隣に座っていたジュリアは、トラを抱っこしながら、その場を立ち上がり、笑顔で叫んだ。
俺も荷台から顔だけ出して外を覗くと、馬車の前には水平線が見えるほどにあたり一面が水で広がっていた。
「ジュリア。
これは、海じゃなくて湖だよ」
「湖?」
俺が言うと、ジュリアはコトンと首をかしげた。
まあ、ジュリアが海と言ったのも無理はない。
この湖は、領土一国分はあろうかというほどの広さなのである。
もはや、目の前で見たら海のようにも見えるだろう。
「ああ、イスナール湖っていうんだ」
「そうなのね!」
そう言って、御者台の上で腕を組んで仁王立ちしながら、湖を見つめるジュリア。
そう。
ここが、本でも読んだ、ポルデクク大陸の九カ国全てに隣接する巨大湖、「イスナール湖」なのである。
本で読んだ話だと、この巨大湖の中心には、神であるイスナールを祀る小さな島があるということだったが。
そう思って、目をすぼめて湖の方を見ると、遥か遠くの方に建物の影のようなものがあるのが見える。
おそらく、あれがそうだろう。
なぜ、俺達がダマヒヒト王国の南東にあるイスナール湖の方まで来ているかと言うと、事前にフレアにこのルートを提案されたからである。
地図を見ると分かる通り、ダマヒヒト王国から東のべネセクト王国へ行くルートは、二つある。
一つは、ダマヒヒト王国とべネセクト王国の間にある山を越えるというルートである。
そしてもう一つが、今走っている、イスナール湖に沿って走るルートだ。
そして、フレアはイスナール湖に沿うルートの方が良いと提案してきたのだ。
理由は二つだった。
一つは、山を越えるのが危険だからという理由だ。
山の中には、モンスターや山賊が潜んでいる可能性が高い。
わざわざ危険な道を行く必要はない、という判断である。
それから、もう一つの理由は、どうやら俺達が向かっているべネセクト王国の首都ポリティカは、このイスナール湖に面したところにあるらしいからである。
そのため、イスナール湖沿いに移動した方が、早く着くという判断だ。
そもそも、イスナール湖は神を祀っている神聖な湖である。
湖の周りには、兵士がたくさん徘徊しているし、道もちゃんと舗装されている。
なので、安全性が高いルートなのである。
おそらく、そのことは俺達以外の者も知っているのだろう。
イスナール湖周りの道は、人通りが多く、馬車もたくさん走っていた。
ポルデクク大陸というだけあって、人族以外にも、
メリカ王国の街並みとは、えらい違いである。
などと考えながら、道にいる人達を眺めていたら、遠くにふと目にとまったものがあった。
道の脇に、防具と斧を装備した、冒険者風の恰好をした小太りの男が、木の板に四文字くらいのイスナール文字が書かれた物を掲げて、必死の形相で走る馬車を見ていた。
その文字が、なんて書いてあるのか読めない。
俺は丁度手に持っていた、フレアからもらった翻訳書を開いて、あの文字がなんて書いてあるのか調べてみる。
そして、その文字は最初に開いたページで見つかった。
それと同時に、俺は御者台のサシャを見た。
「サシャ!
馬車を止めて!」
俺の声と同時に、サシャが手綱を引いて、馬車を止める。
御者台で立ってたジュリアは、急停止した馬車によろめき、抱っこしていたパンダを守るようにして、荷台の方に転げる。
「もう!
なんでいきなり止めたのよ、エレイン!」
ジュリアは怒った様子で起き上がりながら、こちらを睨む。
だが、走行中に御者台で立つ、という危ない行為をしていたジュリアが悪いのだから、怒られる筋合いはない。
ジュリアの睨みをひとまず無視する。
そして、俺は素早く後ろから馬車を降りた。
「大丈夫か!」
声を掛けたのは、先ほどの板を持っていた小太りの男に向かってである。
近くで見て分かったが、男は獣人族のようである。
人族ではついていないであろう大きな耳が頭についている。
それから、豚のような大きな鼻と、ピンク色の肌がかなり特徴的。
おそらく、豚人族なのだろう。
小太りなのも、豚人族として特徴的である。
豚男は、俺に声を掛けられたことに気づくと、嬉しそうな表情で少し笑みを浮かべながら、持ち上げていた板を降ろした。
「その板に、『助けて』と書いてあったから来たんだが、何かあったのか?」
そう。
豚男の持っていた板には、イスナール語で『助けて』と書いてあったのだ。
豚男の必死な形相から、緊急の事態なのかと思い来てみたのだが。
今笑っている豚男の顔から察するに、まだ余裕はあるといったところだろうか?
すると、豚人族の男は口を開いた。
「え、えっと。
俺の名前は、ピグモン・バラライカ……ぶひ。
お母さんが、危篤なんだぶひ。
ベネセクト王国まで、馬車に乗せてもらいたい……ぶひ」
少しおどおどしながら、こちらを見て説明する男。
ぶひぶひ言っているし、やはり豚人族か。
なるほど。
母親が危篤なのか。
それは大変な事態だ。
だが、少し引っかかる。
「なぜ、母が危篤なのに、お前はこんなところにいるんだ?」
母親が危篤状態であるならば、近くで看病をするべきである。
なぜ、こんな道端に一人でいて、俺達の馬車に乗せてもらおうとしているのだろうか。
疑問点が絶えない豚人である。
それを聞くと、少し焦った様子で何かを考える素振りをしてから、またおどおどした調子で説明を始めるピグモン。
「そ、それは、ダマヒヒト王国で仕事をしていたんだぶひ。
そしたら、母が危篤だという手紙が来たから、べネセクト王国に今すぐ行こうと思ったんだぶひ。
でも、丁度お金がないときで困っていたから、べネセクト王国まで馬車に乗せてくれる人を探していたんだぶひ!」
なるほど。
仕事というのは、恰好から見て冒険者だろうか?
まあ、お金というものは必要なときに限って無いものだ。
俺も、そういう経験を生前何度かしたことがある。
少しおどおどした反応なのが気になるが。
乗せるくらいなら、してやってもいいかもしれないな。
なんて考えていると、後ろから無邪気な声が聞こえた。
「ねえ、ママ!
豚みたいな人がいる!」
後ろに振り返ると、トラの手を引きながら歩くジュリアと隣にジャリー。
その後ろにサシャがいた。
ジュリアが、トラの手を握っていない反対の手で、ピグモンに指を指して言っていた。
そして、すかさず隣のジャリーが、
「あれは、獣人族だ。
あの豚の容姿を見る限り、豚人族のようだな」
と、冷静に説明した。
ジャリーは、バビロン大陸の人間なのに、意外と他の生物に詳しいな。
トラのことも知っていたし。
と思いつつ、俺はジャリーに向かって口を開く。
「この人の名前は、ピグモン・バラライカ。
どうやら、ピグモンは、母親が危篤の状態にあって困っているようなんです。
母親は、べネセクト王国にいるようで、今すぐに行きたいらしくて。
俺達の馬車に乗せて行ってもいいでしょうか?」
と、俺は聞いてみた。
フレアのときもそうだったが、知らない人を馬車に乗せるときは、とりあえずジャリーに聞いてみている。
ジャリーは判断力に優れているうえに、俺の護衛でもあるからだ。
まあ、フレアのときはジャリーに反対されたが、結局俺が強引に乗せることに決めた。
結局決めるのは俺ではあるのだが、ジャリーの意見を聞いておきたいという判断だ。
「私はどちらでも構わん。
お前が決めろ」
と、ジャリーはそれだけ言ったのだった。
フレアのときは、ポルデクク大陸の者など乗せるなと、あんなに反対していたのに、今回はそうでもないらしい。
ジャリーの中でポルデクク大陸の者に対する考えが少し変わったのだろうか?
まあ、ジャリーがそういうなら、もう決まりだ。
「ピグモン。
お前を、べネセクト王国まで送り届けよう」
ピグモンに向かって言うと、ピグモンは少し微妙な表情になった。
「あ、ああ。
よろしく頼む」
小さめのトーンで呟くピグモン。
その態度に少し引っかかったが、まあ、母親が危篤ということで不安なのだろう。
俺は特に言及せず、馬車にピグモンを迎え入れたのだった。
ーーー
「べネセクト王国出身なのか?」
馬車に揺られながら、対面に座るピグモンに聞く。
その間、ジュリアは羽ペンで、ピグモンのほっぺをつついていた。
豚のような人間というのが不思議なようで、先ほどからジュリアはピグモンに興味津々である。
それを鬱陶しそうにしているピグモンを見かねて、ジャリーはため息をつきながらジュリアを捕まえて膝の上に乗せる。
ちなみに、パンダのトラは、俺の隣で大人しく座っていた。
ジュリアよりパンダのトラの方がちゃんとしているとは、どういうことなのだろうか。
「あ、ああ。
生まれも育ちも、ずっとべネセクト王国だったぶひ」
「ふむ。
じゃあ、べネセクト王国について教えてもらえるか?
俺達は、べネセクト王国に初めて行くんだ」
助ける代わりということで、俺は質問した。
正直、助けたのは、情報が欲しかったからというのもある。
土地勘のある人間と話せば、得られる情報もあるだろうと思ったのだ。
「べネセクト王国について?
具体的に何が知りたいんぶひ?」
「そうだな。
これから行くのは、首都ポリティカだ。
ポリティカの規模とかが知りたいな」
それを聞いて、苦い顔をするピグモン。
「ポリティカぶひか……。
ポリティカは大きな都市ぶひよ。
人も多いし、お店もたくさんあるぶひ。
俺が住んでいたのは、ポリティカの隣のワイナ区という貧民区で、いつも眺めていたから良く知ってるぶひ」
「首都の隣が貧民区?
普通、首都の周りも栄えてるものじゃないか?」
「いや。
べネセクト王国は、首都のポリティカ以外の地区は、全部貧民区ぶひ。
一部のお金持ちの貴族以外は、収入のない人で溢れているのがべネセクト王国という国ぶひ」
そう言って説明するピグモンの顔は暗い。
なるほど。
べネセクト王国というのは、貧富の差が激しく、貧しい国なのか。
収入のない人で溢れているというのは相当だな。
仕事がないのか、相当税制が悪いのか。
そのどちらかだろう。
つまり、このピグモンという男は、貧民区で生活することが出来ず、母を残してダマヒヒト王国に出稼ぎに来たというところだろうか。
その最中に、母の危篤の連絡を受けたのだろう。
可哀想だな、と思った。
そして、これ以上質問するのも野暮だなとも思った。
「そうか……。
母親のところに、間に合うといいな」
「あ、ああ……」
俺がそれだけ言うと、微妙な顔をしながらピグモンは俯くのだった。
ーーー
べネセクト王国の首都ポリティカまで、ダマヒヒト王国からおよそ十日弱かかるとフレアからは事前に教えられていた。
その間、豚人族のピグモンと行動を共にするということで、多少なりとも何か問題が発生することも予想はしていたが、特に何も起こらずに旅は進行していた。
特に何も起こらなかったのは、ピグモンが意外にも気さくな奴だった、というのが大きかったように思う。
ピグモンは旅中、最初こそ暗かったものの、段々と明るくなり、俺のみならずサシャやジャリーやジュリアにも話しかけていた。
ジャリーとジュリアがイスナール語を分からないと知るや否や、ボディランゲージで頑張ってコミュニケーションをとっていた。
時折、悲痛な表情を見せることもあるピグモンだが、そのおかげで、みんなからの印象も良いらしく、特に問題は起きずに済んだのだ。
「ぶひぶひ!
ジュリアちゃんのご飯食べちゃうぞ~!」
「あははは!
あげないわよ!
ピグモンって、本当ばかね!
豚肉にするわよ!」
今も、火を囲んで夕食を食べながら、言語も通じないジュリアと楽しそうにゲラゲラ冗談を言って笑い合っている。
いつの間にか、あんなに仲良くなったのだろうか。
そんなやり取りを見て、サシャとジャリーも微笑んでいた。
ピグモンが来てから、少し俺達の雰囲気も明るくなった。
馬車に連れてきて良かったのかもしれないと、このときは思ったのだった。
ーーー
そして、言われていた通り、十日弱の日数がたち、ようやくべネセクト王国の首都ポリティカについた。
聞いていた通り、イスナール湖のほとりにあった。
「街が見えたわ!
ピグモン!
あんたの故郷に着いたわよ!」
ジュリアは荷台を立ち上がって、大きな声で叫ぶ。
そう言って、ジュリアはピグモンの方を振り返った。
だが、ピグモンは元気があまりない様子。
「あ、ああ……」
ジュリアに名前を呼ばれてビクッとしながらも、小さく相槌をうつピグモン。
いつも元気だったのに、急にどうしたのだろうか。
そして、城門でクレセアにもらった通行証を見せて、首都ポリティカに無事入ることが出来た。
すると、ピグモンが口を開いた。
「……サシャちゃん、止めてもらっていいぶひか?」
サシャはその言葉に従い、馬車を止める。
そして、ピグモンは緊張した面持ちで、荷台置いてあった自分のナップサックを持つと、俺達を見回し始める。
「エレイン。
サシャちゃん。
ジュリアちゃん。
ジャリーさん。
ここまで運んでくれてありがとうぶひ。
俺はここで降りるぶひ……」
それだけ言い残して、荷台の後ろから降りるピグモン。
その動きは、やや足早である。
すると、ジュリアが荷台の後ろに駆け寄り、口を開く。
「ピグモン!」
その呼び声に振り返るピグモン。
「さようなら!」
ジュリアは覚えたてのイスナール後で、発音がまだ少し怪しいが、しっかりと別れの言葉を伝えた。
そして、それを聞いたピグモンは顔を歪めた。
それから、何も言わずにどこかへと歩き、いなくなってしまった。
別れの言葉はなしか。
まあ、ピグモンも何か思うところはあったということか。
そう割り切って、俺達はひとまず宿を探すのだった。
ーーー
宿を探して半刻。
ようやく、馬車を停められる厩付きの、良さそうな宿が見つかった。
そして、サシャが宿の脇に馬車を停めて、俺達は荷台の中の貴重品を宿に運び出す。
と、そのとき。
問題が発生した。
最初に気づいたのはサシャだった。
そして、サシャは青い顔をしながら俺に言った。
「エレイン様……。
ここにしまってあったはずの、イスナール金貨を入れた麻袋が無くなっています」
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