第三十四話「夜の悲鳴」
城塞都市ドバーギンを出てから、かなり時間がたった。
すでに夕焼け空であり、日が暮れそうだ。
あたりは相変わらずの岩石地帯で、変わらない景色にやや嫌気が差す。
それに段々人通りも少なくなってきていて、メリカ王国の兵士くらいしかすれ違わなくなっていた。
二回ほど御者をしているサシャがすれ違う男に絡まれたが、ジャリーが一瞬で蹴散らしてしまった。
やはり、サシャのピンク髪は目立つようだ。
まあ単純に、サシャが可愛いから絡まれているというのもあるかもしれないが。
とはいえ、絡まれたのは二回だけである。
国境付近は紛争地帯で、兵士だけでなく盗賊や人攫いまではびこっているという話だったが、今はそうでもないのだろうか。
それにしても半日ほどで国境に辿りつくと聞いていたが、中々辿り着く気配がない。
国境には大峡谷があるという話だったが、見えているのは岩石でできた一本道と遠くに見える地平線のみである。
本当に道は合っているのだろうか。
そんなことを考えていると、サシャが振り返った。
「そろそろ日も落ちますし、ここで今日は休みましょうか!」
それを聞いて、先ほどから荷台で青い羽ペンを持ちながらウトウトしてジャリーの肩に頭を乗せていたジュリアは、パッと目を見開いて笑顔になった。
「ほんと!?
じゃあ早く降りましょ!」
ジュリアは朝からずっと荷台の中で俺とジャリーから、ユードリヒア語の文字の書き方を教わっていた。
最初は羊皮紙に自分の名前を書けるようになって嬉しそうだったが、次第に疲れてしまったようだ。
ずっと狭い荷台の中で揺られるのにも退屈していたのだろう。
やっと降りられるということで嬉しそうだ。
俺はジャリーが頷いたのも確認して、サシャに言った。
「そうだな。
今日はここで野宿にしよう」
そして俺達は、この何もない岩石地帯で野宿の支度を始めるのだった。
ーーー
もうすっかりこの面々での野宿にも慣れたものだ。
とはいっても、サシャが全ての支度をやってくれるので俺は何もしていないのだが。
このあたりは岩石地帯だから木々はないため、あらかじめドバーギンで買ってくれていた薪と、サシャの
それから食料も、ドバーギンで買っておいてくれていた肉と野菜をサシャが水魔術
サシャが作る料理は基本的にどれも美味しく、このスープもとても美味しかった。
ジュリアなんか「おかわり!」と言って、三杯は食べていた。
そうして、夕食の時間が終わる。
料理が上手なサシャはいいお嫁さんになりそうだな、なんて考えていると布を持ったジャリーが服を脱ぎ始めた。
それに合わせて、サシャも服を脱ぎ始める。
そしてジュリアは、恥ずかしそうな顔でこちらを睨んでくる。
俺はそれを見て、小走りで馬車の荷台の方へと退避した。
あれは何をやっているかというと、濡らした布で自分の体を拭いているのだ。
お風呂の代わりである。
風呂なんて入れるのは王族・貴族だけで、これが一般的な体を清める方法なのだ。
サシャとジャリーは、自分の裸体を俺に見られることを何とも思っていないらしく、俺の前でも当然のように脱ぎ始める。
まあ、俺がまだ五歳児だから当然といえば当然なのだが、俺の中身は五歳児ではない。
正直まだ体は五歳児だからか、女性の裸体を見て興奮するといったことはないのだが、流石に気が引けるので毎回馬車の中に逃げている。
それに、ジュリアは俺に裸を見られるのが恥ずかしいようで、いつもこのときは俺を睨んでくる。
あまりジュリアの機嫌を損ねたくもないので、逃げているというのもあるのだ。
そういえば、
サシャは一緒に風呂に入っていた仲なので、ルイシャ譲りのまな板胸であることは知っているのだが、どうやらジャリーはそうでもないらしい。
いつも黒い軍服のような物を着ていたので気づかなかったが、チラリと見えたジャリーの胸はかなりの物だった。
レイラと勝負できるくらいの物だな、なんて思いながら眺めていると次第にジュリアの視線が強くなってくるので、俺は急いで逃げた。
まあジャリーがあの大きさなら、ジュリアもその内あれくらい育つのだろう、なんて考えながら荷台に隠れるのだった。
さて、全員体を拭き終えると、たき火を消して就寝の時間だ。
基本的には、馬車の荷台の中で雑魚寝である。
サシャは俺を抱っこしながら横になって寝る。
ジュリアは狭い中で、腕と脚を広げながら大の字で寝ている。
そして、ジャリーは寝ていない。
そう、ジャリーは寝ていないのだ。
俺は、ジャリーが寝ているところを見たことがない。
ジャリーは俺が寝るときはまだ寝ておらず、俺が起きるときにはすでにジャリーは起きている。
一体いつ寝ているのだろうか、と思って聞いたことがあるが、ジャリーは「私は訓練しているから長期間寝なくても活動できる」と言っていた。
どんな訓練だよ、とは思ったが、きっとジャリーだから出来ることなのだろう。
そして、いつものようにジャリーが御者台に座っているのを眺めながらウトウトし始めたとき。
遠くから、悲鳴のような音が聞こえた様な気がした。
ジャリーの長い耳がピクリとしたのが分かった。
そして、ジャリーは右の方をジッと眺めている。
俺はすぐに、サシャが抱き着く腕をほどいて、ジャリーの元に近寄る。
「聞こえました?」
「ああ。
女の悲鳴だったな。
ここから割と近い。
あの岩壁のあたりだろう」
そう言いながら、ジャリーはここから三百メートルは離れているであろう岩壁をジッと見つめている。
月明りが照らされているとはいえ、正直見えにくいし、どの岩壁のことを指しているのか俺には分からない。
だが、確かに女性の叫び声が聞こえるような気がする。
すると、ジャリーが俺の方に振り返った。
「どうする?」
この質問は、おそらく様子を見に行くか、ここに留まるか、どちらにするかを聞いているのだろう。
俺は少し迷った。
感情論抜きで考えるなら、行かない方が良いと思う。
理由は、今が夜で、ここがどこだかも分からないからだ。
この暗闇の中、あまり土地勘もない場所を徘徊するのは危険だろう。
もし盗賊などに出くわしたら、戦闘になる可能性もある。
いくらジャリーがいるとはいえ、この暗闇の中では怪我をしないとは言い切れない。
しかし俺の感情を込みで考えるなら、行きたい。
理由は女性が襲われている可能性が高いからだ。
別に、正義の勇者気取りで颯爽と現れて女性を助け、その女性と結ばれるというような、城の書庫にあった本の物語のような展開を期待しているわけではない。
ただ女性が暴行にあっているのを見ないふりをして寝る、というのは寝覚めが悪いという話だ。
それに、近くで女性を襲うような人間がいる可能性がある、というのは気になる。
距離的に近いのであれば、こちらにやってくる可能性だってあるからだ。
だからこそ、女性を襲っている間にこちらから赴いて観察するのはアリだと思う。
敵の規模や種族を知るのは、いわば情報戦の一貫であり、重要なことだ。
そして、助けられそうであれば助ければいいのだ。
相手が思った以上に強そうであれば、逃げればいい。
そう結論づけた俺は、ジャリーを見る。
「ジャリー。
今すぐにジュリアとサシャを起こして、あちらに見つからないように近づきましょう」
「……分かった」
ジャリーは無表情で頷く。
そして、ジュリアとサシャを起こしはじめた。
その間、俺は耳をすます。
やはり、女性の悲鳴のような声が微かに聞こえる。
助けられればいいが。
そう思いながら、移動準備に入るのだった。
ーーー
起こされたジュリアは眠そうだった。
悲鳴が聞こえたから見に行く、と説明すると、
「えー!
そんなの無視すればいいのに!」
と、あまり行きたくない様子。
それとは対照的に、サシャは黙々と移動の準備をしていた。
そして、サシャはジュリアの方を見る。
「ほーら、ジュリア!
早く立って!
ジュリアは、私達の護衛でしょ?」
そう言って、ジュリアの手を引く。
「もう、しょうがないわね~」
サシャに手を引かれ、面倒くさそうに立つジュリア。
最近、サシャはジュリアの扱い方に慣れてきているように見える。
姉のようなサシャの振る舞いが微笑ましく感じるのは、俺だけだろうか。
と思ってジャリーを見ると、ジャリーもその様子を見て少し微笑んでいた。
そして、俺達は装備を整えて、先ほど聞こえた悲鳴の方に向かって静かに歩を進める。
隊列は、ジャリー、ジュリア、俺、サシャの順番。
相手に気付かれないように、今回はサシャには光魔術は使わないでもらった。
月の光だけを頼りに進むが、ジャリーはこういう隠密行動に慣れているのか、音を立てずに足早に進んでいく。
歩の速いジャリーを、一生懸命俺達は追うのだった。
そして、移動を開始してすぐに、目的の場所に到達した。
岩壁の裏から何やら声が聞こえてくる。
明かりがこちらまで漏れているのを見るに、おそらく岩壁を挟んだすぐ反対側に誰かがいる。
俺達は、岩壁に体を合わせて、耳を澄ませた。
「ぐへへへ!
この兄ちゃんが最後の護衛みたいだ!
お前ら、やっちまえ!」
「くっ!
俺が絶対にフレア様を守ります!」
「アルバ!
無理しないでください!」
何やら、物騒な声が聞こえる。
聞こえるのは、いかにも悪そうなドスの聞いた男の声。
そして、護衛と言われていた青年の声と少女の悲痛な声。
俺はこれを聞いて、まず驚いた。
言語が違うのだ。
壁の後ろから聞こえる声は、ユードリヒア語ではなく、イスナール語だった。
俺も勉強したばかりの言語だから、聞き取るので精一杯だ。
何を言っているのか聞き取れずに怪訝な表情をしているジャリーとジュリアと違い、後ろにいるサシャはその声を聞いて驚いている様子だった。
俺は壁際を伝って、相手にばれない様に顔をだして覗いた。
すると、そこには十人くらいの集団に囲まれた鎧姿の青年と高級そうなドレスを身にまとった銀髪の少女がいた。
青年は少女を守るように前に立ち、剣を構えている。
二人の足元には、何体か血だらけになった兵士の死体がある。
既にかなりやり合った後だということか。
これは明らかに襲われている。
十対二だと、流石に勝ち目はないだろう。
助太刀に入ろうにも、十人は多い。
とはいえ、今からジャリーとジュリアで奇襲すれば勝てる可能性は高い。
この十人くらいの集団は皆盗賊のような恰好をしており、剣を装備しているだけで鎧は着ていない様子。
フレディ二十体を一瞬で殲滅したジャリーだ。
ジャリーならば、十人くらいの盗賊ごとき、一瞬で倒せるかもしれない。
しかし、もし盗賊の中に強者が一人でもいたらどうしようか。
正直見た目はその辺の盗賊という感じで、あまり強そうには見えない。
勝てるだろか。
「うおおおおお!」
すると、盗賊の先頭の男が叫びながら剣を振り下ろした。
それを護衛の青年が剣で受け止める。
まずい、戦闘が始まってしまった。
このままでは、二人は盗賊達に殺されてしまう。
俺はすぐにジャリーの方に顔を向ける。
「ジャリー。
いけますか?」
俺は、ジャリーに小声で聞く。
すると、ジャリーは無言で頷いた。
確信を持ったようなまっすぐな目。
これは、いけるということなのだろう。
俺は、生唾をゴクリと飲む。
そして、口を開いた。
「あの二人を助けます。
ジャリーとジュリアは、背後から奇襲をかけてください。
サシャは後方から、魔術で援護だ」
それを聞いて、三人はうなずく。
次の瞬間。
ジャリーとジュリアは消えた。
俺が、盗賊の方に目を向けると、最後列の男の背後に二人はいた。
そして、瞬く間に二人の男の首が飛んだ。
「うわああああ!」
二人の奇襲に、盗賊達の中の一人が気づいた様子。
悲鳴があがる。
「業火に燃え盛る、炎の化身。
全てを燃やし恵みを与える、火の精霊よ。
火矢を放ち、かの者を貫け。
男たちの悲鳴が上がった瞬間、サシャの魔術が完成した。
放たれた火射矢が、中央にいたリーダー風の男に当たり、体が燃え上がる。
「ぐああああああ!」
「ひいい!」
「うわああ!」
中央の男が炎上しながら悲鳴を上げたことで、周りの男達が散り散りになる。
盗賊は陣形を作れず、パニック状態になっていた。
しかし、ジャリーとジュリアはその隙を見逃さない。
影法師でどんどん転移を繰り返しながら、男たちの首を刎ねていく。
逃げ腰の相手を殺すことほど簡単なことはない。
そして。
一瞬にして、盗賊風の男たちの殲滅を終えたのだった。
鎧姿の青年と貴族風の少女は、ポカンとした表情で、その様子をただジッと見ていた。
こうして、俺達はあっさりと二人を助けたのだった。
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