10.ティールームにて 疲労回復編

 スパルタ部屋のあった3階から1階へ降りて、ティールームへ向かう途中のことだった。


 夕方で日が傾き、暗くなり始めた廊下の片隅から異様な気配を感じた。


 前を行く案内役のメイドは気づいていないようで、どんどん先へ行ってしまう。


 ヒタ、ヒタ、と気配がする方から足音がして、少し目線をそちらに向けると人影らしきものが見えた。


 まさか、あのアルフリードの幽霊屋敷みたいな家から、この世のモノざるものが憑いてきてしまったんじゃ……


「どうして、誰も教えてくれないの……」


 やばい、やばい、やばい

 なんか呟いてる……


「どうしてぇ……」


 ガシッと私の手首が掴まれた。


 ヒイイィッ


 ボサボサの暗めの金色の長い髪が視界に入ってきた。


 髪の隙間から見えるこの顔は……


「お母様!?」


 上品で美しかった顔は一気に老け込んだように、すっかりやつれてしまっている。


 そういえば昨日は帰ってきたらすぐに眠ってしまったし、いつもなら家族全員が顔を合わせる朝食はお兄様に朝早くに起こされて、2人きりで取った。その後はずっと部屋に缶詰で勉強させられていたし……


 自分のことでいっぱいいっぱいで気づかなかったけれど、帰ってきてからお母様を見るのは、これが初めてだった。


「エミリアが急に婚約だなんて……いつも旦那様はそう……私はいつだって蚊帳かやの外なのよ……!」


 お母様は私を掴んだままヘナヘナとその場にしゃがみ込んで子どものようにワンワン泣き出した。


 どうやらお父様もお兄様も、何が起こったのかお母様に十分説明していないようだった。


 すっかり取り乱しているお母様の背中をさすりながら、何からどう話せばいいのか思案していると…



母君ははぎみ、ご挨拶が遅れて大変申し訳ありません」


 振り向くと、ティールームの方から部屋に差し込む夕日を背にして、アルフリードが歩いてきた。


 お母様の前にひざまずくと、その手を取って口付けした。


 泣くのを忘れたように、彼の優雅な動きにお母様は見入っていた。


 口付けして目線を合わせてくる私もやられたあの技で、お母様の頬にみるみる血色が戻っていくと、面持ちがフワフワとしたものに変わっていった。


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「突然、女騎士のイリスがエミリアがいない、エミリアがいないと騒ぎ出して、部屋に行ってみたらベッドの足から長い白いのが窓の外に向かって伸びているじゃない? それはもう、わたくし面食らって倒れそうになりましたのよ! 騎士団の集まりとかで人手は出払っているし、いくら探しても見つからないと思ったら、旦那様と無事に戻ってきたのは良かったけれど、今度は突然お嫁に出すなんて言い始めて! あの子が生まれた時は一生外へは出さないと言って、この人は何を言ってるのかしら? と飲み込むまでに何日もかかったのに、今度は……」


 3人でティールームに移動してから、お母様は先程の憔悴しきった様子が嘘みたいに、マシンガントークを繰り広げていた。


 向いに座っているアルフリードは嫌な顔一つせず、時折あいづちを打ちながら微笑んで私の隣にいるお母様の話に耳を傾けている。


 私はというと……大量の貴族たちの情報を頭に押し込められた上に、この状況。疲れ、特に頭の疲弊度がMAXに達しつつあった。


「はあ……やっとスッキリしてきましたわ。アルフリード殿どのは本当に聞き上手だこと、うちの旦那様やラドルフにも見習ってもらいたいわ」


 お母様は言葉通り憑き物が取れたようなスッキリした顔をして、前に置いてあるお茶のカップに手を伸ばした。


「そんな事おっしゃらないでください。そうだ、今日はこちらをお持ちしました」


 爽やかなに笑みを漏らすと、アルフリードは脇から箱を取り出してテーブルの上に置くと、フタを開けた。


 これは!


 そこには丸い形をした白いムースに土台にはベリー系のジュレが固められ、周りには繊細で色とりどりの複雑な飴細工あめざいくであしらわれた綺麗なスイーツが並んで入っていた。


 今まさに私が欲しているのはこれだ……頭の疲労には、糖分以上に効くものはないのだから。


「皇城のパティシエに頼んで作ってもらいました」


「まあ! 帝国最高峰の菓子職人の結晶だわ……こんなに貴重なものを頂けるだなんて!」


 お母様はキャッキャとはしゃぎながら、メイドに取り分けるように伝えた。


「昨日はエミリア嬢も相当参っているように見えたから、少しでも元気を出してもらいたくて。もしかして、甘いものは好きではない?」


 いえいえいえ! むしろ、それがないとHPゼロで戦闘不能になる寸前ですから。


 彼の好意に甘えてはいけないと思いつつも……今回は仕方がない。


「……大好きです」


 アルフリードが、一瞬目を見開いて嬉しそうに笑った。


 皿に取り分けられたそのお菓子をナイフで切ってフォークで一口運ぶと、白いムースの甘さと、それとはまた違ったベリーのジュレの甘酸っぱさが口の中に広がり、一気に幸福な気分に満たされるようだった。


 思わず目を瞑って味わうことに集中してしまっていたのに気づいて目を開くと、爽やかに、でもどこか控え目に微笑む端正な姿のアルフリードが視界に入ってきた。


 美味しいお菓子に、目の前には目の保養になるような美男子、それはただただ癒しの空間でしかなく、私の疲労度は一気に回復されていった。

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