第9話 諷誦

『願いを聞き入れるのは、神ですか? それとも仏ですか?』


 答えへと導く為の問いは、様々な思いと共に繰り返される。

 その問いの度に出される答えに、また問いが重なり、答えが重なる。



「柊」

 蓮は声を天へと届ける。

「はい。では……参ります」

 柊の声が返ると同時に、ブワッと風が地から吹き上がった。

 あまりの強風に地を削るようにも土埃が舞い、依代に貼り付いていた符が、風を纏って辺りを回り始めた。

「依」

 蓮の腕に引かれ、僕は蓮の胸にしがみつく。

 蓮に守られながら、舞い散る符の行方を目に捉えていた。


 舞い降りてきた時にも思っていたが……凄い量の符だ。

 符同士が合い重なり、擦れ違うように離れ、風の流れに従って回る。

 風に煽られ、翻る衣。

 そんな強い風にも押される事なく、羽矢さんと回向はじっと天を捉えていた。

「羽矢」

 回向の呼び声に、羽矢さんは頷きを見せた。


「さて……清浄業処しょうじょうごっしょの法を説こうか」

 笑みを交えた羽矢さんの声が流れた。

 清浄業処……それは羽矢さんが領域とする処……浄界だ。

 羽矢さんは、ゆっくりと目を閉じ、ふっと短く息をつくと目を開けた。


光明徧照こうみょうへんじょう 十方世界じっぽうせかい 念仏衆生ねんぶつしゅじょう 摂取不捨せっしゅふしゃ


 全ての界に光を照らし、生きとし生けるもの全てを救う……。

 ……全ての界……か。


「……蓮……」

 僕は、蓮が何を思っているのかを見るように、目線を上げた。

 蓮の目線は羽矢さんへと向いていたが、風が吹き荒れる中でもその表情は穏やかだった。

「依」

「……はい」

 蓮の腕に力が入るのを、僕の体が感じ取る。

「よく見ておくんだ」

 蓮は、羽矢さんと回向の姿を真っ直ぐに捉えられるよう、僕の体を向き直した。

「離そうとしても離れられない。離れようとしても離れられない……問いに問いを重ね、答えに答えを重ねる……そうして辿り着いた先が真実だろう」

「はい」

 僕は、思いを胸に置くように、しっかりと返事した。

 隣に並ぶ高宮も、羽矢さんと回向の動きをじっと見守るようだった。



「ここに誓願す。第一に無三悪趣願むさんなくしゅがん設我得仏せつがとくぶつ 国有地獄こくうじごく 餓鬼畜生者がきちくしょうしゃ 不取正覚ふしゅそうがく


『何を信じるかって自由だよな』

 ……羽矢さん。


『冥府の番人、藤兼 羽矢、一つ問う。本当の地獄は何処にある?』

 回向……。


 羽矢さんの声に、回向の声が後を追う。


「重ねて法を説く。説一切法清浄句門せいっせいほうせいせいくもん 所謂そい


 諷誦ふじゅにより、互いの法力が重ねられる。

 だが……。

 回向の口から発せられる言葉は。


設害三界一切有情せっかいさんかいいっせいゆうせい不堕悪趣ふだあくしゅ


 生きとし生けるもの全てを殺しても、地獄に落ちる事はない……。


 そして重ねられる羽矢さんの言葉は。


「十八に至心信楽願ししんしんぎょうがん設我得仏せつがとくぶつ 十方衆生じっぽうしゅじょう 至心信楽ししんしんぎょう 欲生我国よくしょうがこく 乃至十念ないしじゅうねん 若不生者にゃくふじょうじゃ 不取正覚ふしゅしょうがく 唯除五逆ゆいじょごぎゃく 誹謗正法ひほうしょうぼう


 ただ……。


 舞い踊る無数の符。

 地から風が吹き上げたのは……。


 目覚めた依代。

 与えられた神号。

 神号が確立して、神となる……。


 地から吹き上がった風は。

 その符を追うように風が巻き起こっているんだと……気づいた。


 地から吹き上がる風が、より一層、強くなった。


「行けっ……! 羽矢……! 回向……!」

「「任せておけ……!」」

 二人の声が力強く重なり、同時に手が動きを見せる。

 羽矢さんと回向を目掛けるように、符を追う風が重さを纏った。


 ただ……。



 唯除五逆ゆいじょごぎゃく 誹謗正法ひほうしょうぼう


 ただ、人を殺すような重い罪、誹謗する者は除かなければならない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る