第22話 変化

 羽矢さんを抱える回向は、呆れたように溜息をついた。

「……まったく……冥府の番人、死神も簡単に気を許す」

 回向は、蓮へと視線を向けると、羽矢さんを蓮に預けた。

「……そんな事ねえよ。羽矢の目は確かだからな」

 蓮は、羽矢さんを抱えながら、回向にそう言った。

「それなら……」

 回向は、羽矢さんの目元をそっと指でなぞった。


「その目を俺の為に犠牲にする事も、悪くはない……な」


『もし……お前の目を刳り貫けと迫られたら、俺は……俺の目を刳り貫くよ』


「ふん……素直じゃねえな。羽矢は気づいていたぞ。一人でこの山に登った時からな」

「それは……あんたの為だろう、紫条 蓮」

「はは。だから俺に嫉妬したのか?」

「……馬鹿言うな」

「本当に素直じゃねえな」

「そんなに簡単な事じゃない」

 回向は、嘆息めいた息をつくと、言葉を繰り返した。

「……そんなに簡単な事じゃない。そんな簡単に感情が割り切れるなら、ただ一つの答えだけが動く事なく決まっているなら、そこに絡む苦悩など気にする事もなく……それだけでいいはずだろう?」

「もっともだな」

 回向は、苦笑を漏らすと、少し明るくなってきた空を仰いだ。

 手にする錫杖をそっと揺らし、頭部に数個ついている輪……遊環ゆかんが音を立てる。

 次第に明るくなってきた空の下、回向の姿がはっきりと映し出された。

 赤茶色の長い髪が、そっと風に揺れる。

 スラッとした長身。地を踏み締める足が、力強さを物語る。

 そして……。


 羽矢さんが衣の袖を振ると黒衣に変わるように。

 錫杖を振った回向の衣の色が、白に変わった。

 その様を見る蓮は、クッと肩を揺らして笑い、回向にこう言った。


「捨てたもんじゃないな? 水景 回向……『俗聖ぞくひじり』とでも呼ぼうか?」

 蓮の言葉に回向は笑みを漏らし、ゆっくりと瞬きをすると、回向は蓮に言葉を返した。


半俗験者はんぞくげんざ……いや……『半俗験』とでも呼んで貰おうか」

「自己主張が強い事で、なによりだ」

ひじりの名がつく程、戒を守るつもりはないからね」

「成程」

 蓮は頷きながら、高宮を振り向いた。

「ある意味、本当に正直だな?」

 蓮の言葉に、高宮がふふっと笑う。

「それで? どうするんです? 藤兼さんが起きるまで、こうしていますか?」

「そうだな……」

 蓮は、そう呟きながら、回向に視線を変えた。

「置いて先に山を下りるか。羽矢なら一人でも平気だろ」

「それは俺に運べと言っているのか?」

「今の俺の言葉がそう聞こえたのか? それは不思議だな」

「あんたの目が、そう言っているんだよ」

「ああ、羽矢一人、置き去りにするのは心苦しいって訳か」

「言ってねえだろ、そんな事」

「お前の目がそう言っているんだよ、半俗験師」

「……」

 回向は、不機嫌そうな表情を見せながらも、羽矢さんを背負った。

 そんな回向を蓮はじっと見る。その視線に気づく回向は、不快に顔を歪めた。

「なんだよ? 山を下りながら、依代を確認したいんだろう? 行かないのか」

「よく分かったな。行くに決まってんだろ」


 ……蓮。

 思わず苦笑が漏れる。

 険しい山だ。道幅も狭く、足場も悪い。人を背負って下りるのは困難だ。

 だけど回向なら、十分可能な事だろう。


 思った通り、羽矢さんを背負っていながらも、回向の足取りは軽い。

 そして僕たちは、回向の後をついて、山を下り始めた。

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