第21話 六内

 この男……神司。

 だけど何故、神司が舟守を……。


 そう謎を抱えながらも、神司と共に僕は、深く、深く沈んでいく。


 呼吸が出来ない苦しさでもがく僕に、神司の手が僕の頭を抱えるように回った。

「……大丈夫……」

 囁かれる声が、顔と顔の距離を縮めてくる。

「や……め……っ……!」

 口を開けた途端に、水が入ってくる。

 苦しい……声も出せない。

 大きな動作も出来ない僕に、神司が額を重ねてくる。


 ……蓮っ……!


『依……お前だけは俺の側にいてくれるよな……』


 ……蓮……。


 ……壊れてしまいそうだった。


 苦しいと踠く中、重ねられた唇に呼吸をする事を許されている……胸に与えられた痛みは強くとも、息が出来ない苦しさからは解放されている事に、罪を感じた。

 目に見える姿も。耳元で囁かれる声も。沈みゆく水の中に感じる匂いも、口の中に入った水の味も。

 体に触れる手の感触……僕の中にとどめたくないものだ。


 僕は……。


 気が遠くなっていく中、僕の中で何かが動き出す。


 ああ……そうだ。

 僕は、もう……知っていたんだ。

 頭の中を響かせるように飛び込んでくる言葉……。


 僕は、神司を引き離すように腕を盾にした。

 僕を離さないと強く見開かれる神司の目を捉えながら、僕の口から言葉が流れる。


げん、視覚に置き、、聴覚に置き、、嗅覚に置き、ぜつ、味覚に置き、しん、触覚に置き、、知覚に置く。我が器をしょとし、境界を定める」


 言い終わると、ボンッと気泡が大きく弾けた。

 その勢いか、河の中から飛び出すように、僕の体は水から抜けた。

 河から抜け出すと、蓮と羽矢さんの姿が目に映る。


 ……解放された。


「依っ……!」

「蓮っ……」


 高く跳ね上がった僕の体は、河辺にいる蓮の元へと落ち始める。

 僕を受け止めようと、大きく手を広げる蓮の胸に。


 僕は飛び込んだ。

「依……」

 強く抱き締められる腕に包まれる体。

 耳元に流れるその声も僕は……。


 蓮……君じゃなければ……嫌だ。



「蓮……抱き合うのはいいが……依、奴はどうした?」

 羽矢さんは、辺りを見回していた。その様子からも、河から出てきたのは僕だけのようだ。

「……分かりません。ずっと……頭の中にあった言葉が口をついて……それで弾き飛ばして、逃げる事が出来たようです」

「弾き飛ばした? 依が、か?」

 驚いた顔を見せる羽矢さんだったが、クスリと笑うと僕の頭に手を置いた。

「まあ……よかったよ、無事で」


「あの舟守……神司です」

「神司……? 霊園で見掛けたと言っていた奴か?」

 蓮の言葉に僕は頷く。

「はい。間違いありません」

「羽矢……俺は下界に戻って、その神司を探す」

「ああ。俺は閻王に伝える事があるから、後から行く。門を開けるから、先に戻っていてくれ」

「分かった。依、行こう」

「はい」

「ああ、それから……」

「なんだ、羽矢?」


 羽矢さんは、クスリと笑みを漏らすと、河に向かって指を弾いた。

 水面がボコボコと気泡を作ると、徐々に波を立てる。

 突然、大きな水飛沫が上がり、水が大蛇の形を作った。

「俺の使い魔は消滅する事はない。形を変えるだけだ。依が戻って来なかったら、使うつもりだったが」

 羽矢さんは、再度、指を弾いた。

「追え」

 羽矢さんの声に、大蛇が水の中へと勢いよく潜っていった。

 ……流石は死神……。ただでは済まない。


 睨むように河を見る羽矢さんは、静かな低い声を響かせた。


「この代償……払って貰うからな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る