第65話 微笑み
レンの貫き手がリョウタの固い腹筋を貫いた。
「ガハッ!?」
リョウタの油断。それは、レンはナイフ術に長けていても、素手での戦闘は出来ないと思い込んでいたことだった。双葉トオル戦もロジャー戦も見ることは無かった。逆にレナ殺害のシーンが頭にこびりついていたため、想像すらしていなかったのだ。
リョウタの腹に、レンの指が第二関節まで埋まっている。
「くそッ!!」
起死回生の膝蹴りは空しく空を切った。
能力で攻撃を察知したレンが再び後ろに跳躍したからだ。
「カッカ!形勢逆転ってか?」
リョウタの口から滴(したた)る血液を見ながら、レンはそう言った。
「…そうでもないさ」
そう言いながらリョウタは、再び【自己治癒】能力を開放する。腹に空けられた穴が修復されていく。
(ここからは能力を開放し続けないとヤバいな…!)
そんなリョウタの思いもレンには筒抜けだ。
「めんどくせーなあ、その能力。テメーを殺すには、即死させるしかねーみてーだなぁ」
(! 急所だけはガードしないと死ぬ!まだ完治していないが、やらなければやられるだけだ!)
構えを取るリョウタにレンが告げた。
「しっかりガードしろよ~。無駄だろうがよッ!!」
お互いに全力。
レンはスピードを最高速度に上げ、無数の手刀と貫き手を繰り出す。能力を使用し、リョウタの攻撃は全てフットワークと上体の動きで躱していく。
リョウタは一撃必殺の連撃。正拳・裏拳・肘・膝・蹴りを撃ち込み続ける。受け技で防御するが、レンの攻撃はナイフ並みに鋭く、腕が血で染まっていく。
ナイフを持っていた時よりもレンの攻撃力は上がっている。片手のみのナイフ攻撃から両手を使用するようになり、手数が倍になったからだ。
戦況はレンの方が有利だが、最後の決め手を欠いたまま、10分以上が経過した。
「ハァハァッ。ゴキブリかよ、テメーは。ハァハァ…!そろそろくたばれッ…」
「フッ、フッ…。なんだ、もうバテたのか?」
「ハァハァ…うるせーよ」
お互いをダメージで見たら、リョウタの方が大きい。全身が血まみれなのだから。対して、レンに打撃はまだヒットしていない。能力でもリョウタが不利。そろそろ能力使用限界が近い。だが大局的に流れは変わりつつあった。
それはスタミナの差だ。
レンはその殺傷能力の高さ故、体力は低い。リョウタも同じ穴の狢(むじな)だったが、この2ヵ月間鍛え上げてきた差が戦局をひっくり返そうとしている。
(チッ、ここで勝負をかけるしかねーなぁ…)
レンが最後の攻撃を仕掛けようとしている。【心を読む】能力がなくとも、それはリョウタにも伝わった。レンがボソリと呟く。
「…行くぜ」
最大最速の左手による貫き手!
ガキッッ!!
ボキリッ!という音とともに、その左手が粉砕された。リョウタが右肘を振り下げると同時に右膝を振り上げ、真剣白刃取りのようにレンの左手を押し潰した。
「ちっくしょおッ!」
叫びながらレンは、リョウタの頸動脈に右手の手刀を振り切る!
そこからバッ!と血しぶきが舞った。
(オレの勝ちだ―――!――――――…?)
ズドオッッ!!!
途轍もない衝撃がレンの腹部に発生し、吹き飛ぶ!
レンにかろうじて見えたのは、左正拳突きを撃ったまま佇むリョウタの姿だった―――
リョウタが首元を押さえながら、ゆっくりと深呼吸した。
(…【自己治癒】が無ければ、出来ない選択だった。肉を切らせて骨を断つ、どころじゃない。頸動脈を切らせて正拳を撃つ。もう二度としたくないな…)
【自己治癒】を頸動脈に集中し、なんとか絶命を免れたリョウタ。その箇所はレナの傷と全く同じ部位だった。
残心し、注意深くレンを観察するが、起き上がる気配はない。能力で応急処置だけ施し、リョウタはレンに近づいた。
仰向けでレンは倒れている。左手は折れ、口からは大量の出血。リョウタの一撃は内臓にダメージを与えていた。その瞳の色は、赤から黒に戻っている。
リョウタは構えを取る。
あと一撃。
あと一撃で仇を取ることができる。父親とレナの仇が。
「素晴らしいひと時でした…」
小さな声がリョウタに届いた。
「…アイ、なのか?」
「ええ。ゴホッゴホッ!う…。さあ、言葉は無粋と申しましたよね?リョウタさん、わたくしは、あなたに殺されたいのです。その願いを叶えて頂けませんか」
「……」
「ああ、これは失礼しました…。このように寝そべりながらお願いするなんて、わたくしらしくありませんもの」
アイはそう言い、何度も膝をつきながら立ち上がった。
無垢なる白いワンピースには、彼女の血がよく目立つ。
「…さあ、どうぞ。リョウタさんの手で、わたくしを苦しみから解放してください」
そう言ってアイは微笑みを浮かべたまま目を閉じた。
リョウタはアイの本当の笑顔を、初めて見たような気がした。
動けない。
心は決まっているのに身体が動かない。
「う…ッ!」
1秒が永遠にも感じられる感覚にリョウタがいる中―――
ドンッッ!
銃声が鳴り響いた。
驚きながらリョウタが振り返った先には、一条がいた。
発砲の紫煙を纏う一条の姿が。
銃弾はアイの胸部を貫通。
アイはゆっくりと倒れていった。
「アイッ!!」
咄嗟の行動だった。崩れ落ちるアイをリョウタは抱きしめた。
コポコポと口から、ゆっくりと胸から、血を流し続けている。目は虚ろになり、体から力が抜けていく。誰が見ても致命傷だった。
「アイ、すまない…!」
リョウタは自分の発言に驚く。こんなことを言うつもりじゃなかったのに。
「…そ、それは、わたくしのセリフ…、です。も…、もしも、生まれ変わったら…、また、仲良くして、くださいますか…?」
「ああ!」
「あ、ありがとう…、ございます……」
その言葉とともに、アイは息を引き取った。微笑みを浮かべたままで。
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