第61話 恋(レン)

わたくしの一番古い記憶は、暴力です。


黒崎家は代々続く財閥の家系。その家柄は厳格でした。


物心がついたわたくしは、礼儀や作法を叩き込まれました。文字通り、叩かれながらです。お父様は出来の悪いわたくしに毎日のように暴力を振るいました。


それは黒崎家に代々受け継がれてきた呪いのようなもの。お父様もお爺様から、そうやって教育されてきたようです。お父様はその教育法に、何の疑問も持っていないように見受けられました。


優しく接してもらった記憶はありません。お父様からもお母様からも。


あの方たちに愛情はあったのでしょうか。


少なくとも、わたくしが愛情を感じることはありませんでした。


わたくしは、ただ愛されたかったのです。


でも、わたくしが普通の子どもではなかったことも事実です。

人の心を読めてしまうのですから。


この能力は物心がついた時には既に備わっておりました。何も分かっていなかった小さな子どもは、両親や大人たちの考えていることを無邪気にも口に出していました。それがどんなに異常なことなのかも分からないまま。


両親はわたくしのことを『得体のしれないモノ』として見ました。言い換えれば、恐怖の対象として、です。両親は正体不明なことを分かろうとする度量を持ち合わせておりませんでした。


与えられた恐怖を克服する短絡的な方法は、相手に恐怖を与えることです。教育方法としてだけではなく、お父様にとってわたくしは、恐怖から目を逸らし、排斥すべき存在として暴力を振るっていたのです。


【心を読む】能力。しかも勝手に読めてしまうのだとしたら…。


それがどんな世界かご存知でしょうか?


地獄です。


人は誰しもが醜悪な感情を持っております。それを表に出さず、ペルソナという仮面を被って生活をしています。しかし、わたくしにはそれが分かってしまうのです。幼い頃のわたくしは、自分の能力をコントロールできませんでした。


家では、両親のわたくしに対する嫌悪感が頭に直接響いてきます。


学校では、同年代の女子生徒から嫉妬の感情をぶつけられました。自分でいうのもなんですが、わたくしの見た目は良かったので。ですが、そのことで男性から欲望にまみれた劣情を何度浴びせられたか分かりません。


唯一の安らぎは、寝ている時間です。


ですが次第に夢の中にも両親や学友の悪夢を見るようになり、夜中に飛び起きることが多くなっていきました。


PTSD。


お医者様に診てもらったわけではないので、自己診断になりますが。わたくしの精神は不安定になり、死んでしまいたいと願うようになりました。


10歳の時、大きな変化が訪れます。


わたくしの中にもう一人の人格が現れたのです。


あとで本やインターネットで調べたところ、解離性同一性障害という精神疾患だと判明しました。世間一般でいうところの二重人格です。


『彼』はレンと名乗ってきました。そう、レンは男性なのです。


いよいよわたくしは精神が崩壊したのだと思いました。頭の中で誰かと会話しているのです。ですがレンはわたくしに優しくしてくれた初めての『人間』でした。


彼はわたくしを慰めてくれました。少しずつわたくしも彼を受け入れ始めました。彼は「アイを守るために、オレは生まれてきた」と言いました。


レンはわたくしに能力のコントロール方法を教えてくれました。何故かは分かりませんが、彼の方が能力について詳しいのです。また同時に護身術も教えてくれました。わたくしは非力です。悪意ある人間に対処するため、護身術を身につけました。


能力をコントロールできるようになったわたくしは、精神的にだいぶ楽になりました。しかしそれでお父様からの暴力が終わることはありません。


ある日、レンが語りかけてきました。


「アイを守るためには、クソオヤジを殺すしかない」と。


実際にその頃のお父様の暴力は、常軌を逸したものになっていました。何度か生命の危機を感じるほどに。以前は自らの死を望んでいましたが、それは諦観からです。愛情を知ることも無く、人生が終わってしまうことだけは避けたかったのです。私はレンに問いました。


「どうすればいいの?」


レンは答えます。


「アイは何もしなくていい。オレがサクッと殺してやるからよ」


とある日の真夜中、父親殺しの犯行は実行されました。


お父様が会社から出てきたところを、彼はナイフで切りつけました。人格をレンに明け渡していても、わたくしはその光景を見ることができます。


一瞬の早業でした。目撃者が2人おりましたが、レンはナイフの一振りで命を刈り取りました。そこに警察官が駆け付けました。わたくし『たち』を取り押さえようと。レンが能力を発動し、頸動脈にナイフを突きつけました。


大量の血を流しながらも、驚くべきことに警察官は両手を伸ばしながら取り押さえようとしてきたのです。レンもその行動に驚いてました。


(リョウタ…、ルナ…)


それが警察官の最期の想いでした。


この方の顔はわたくしの記憶に刻まれることになります。


この通り魔事件は大々的に報道されました。


しかし、わたくしに疑いの目がかけられることはありませんでした。家庭内暴力のことは、お母様も親族の誰もが口を閉ざしたからです。警察から見たら、わたくしにお父様を殺す動機が無かったのです。


中学校は実家から遠く離れた全寮制の学校を選びました。中高一貫の女子校です。


わたくしはようやく、黒崎家の呪縛から解放されました。能力を使わなければ、『普通』の生活を送ることもできます。心休まる日々。この頃はレンも表に出てくることはほとんど無く、たまに『会話』するくらいでした。


高校に進学してから、何人かの男性とお付き合いする機会がありました。


ですが、わたくしが『愛した』というより、『愛してほしかった』というのが実情です。両親から愛情を受けたことは無く、わたくしは砂漠の旅人が水を切らしてしまったかのように愛を渇望しておりました。


意図的に能力は封印しておりましたが、女には分かってしまうものです。それが愛情なのか欲望なのかは。数名の男性とお付き合いをさせて頂きましたが、わたくしが愛を感じることはありませんでした。


そんなわたくしに転機が訪れます。


大学進学後、とある大学教授と惹かれ合うようになりました。やがて交際が始まり、初めて体の関係を持つに至ります。年齢はわたくしよりだいぶ上でしたが、そんなことは関係ありません。人生で初めて愛される喜びを知りました。誰かを愛する喜びも。


あの頃がわたくしの人生の絶頂でした。


しかし絶頂など長くは続かないものです。春に降る雪のように、突然その恋は終わりを告げることになります。


ある日、「もう終わりにしよう」と別れ話を切り出されたのです。


彼には家庭があったのです。奥様とお子様がいらっしゃいました。彼はわたくしに何度も謝罪してきました。誠意を尽くして、です。能力で『聞いた』のだから間違いありません。奥様との関係は冷え切っているようでした。わたくしを愛していることも本心。


わたくしは諦めることができませんでした。


家庭を捨てて、わたくしと一緒になるように懇願しました。ですが彼は謝罪を繰り返すばかり。わたくしよりもお子様の将来を優先したのです。


それからは毎日スマホにメッセージを送り、彼を待ち伏せするようになりました。しばらくすると、メッセージはブロックされ、彼はわたくしを避けるようになっていきます。彼はわたくしに恐怖心を持つまでになってしまいました。


どうやら、わたくしの愛情は人よりも重いようです。


途方に暮れるわたくしにレンが語り掛けてきました。


「手に入らないなら、殺してしまえばいーじゃん」と。


それは途轍もなく甘美な言葉でした。そうすれば彼の全てを手に入れることができます。わたくしはレンの誘いに頷きました。レンは笑いながら言います。


「アイは何もしなくていい。見ているだけでいい。オレが終わらせてやる」


もしかしたら、レンは『もう一人のわたくし』などではなく、『本当のわたくし』なのかもしれません。だって、わたくしの願いを全て行動に移してくれるのですから。人の心は読めても、自分の心は読めないなんて、皮肉なことです。


ですが、彼を殺めることは叶いませんでした。


彼がストーカー被害を警察に相談したからです。警察はわたくしの実家にも連絡し、わたくしは強制的に家に帰ることになりました。黒崎家という牢屋の中に。

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