第139話 因縁の果て
直史には明白な弱点がある。
ただその弱点は、本人の弱点ではない。
直史が投げると味方打線の、援護力が低下するのだ。
直史はおおよそ完投するので、その先発した試合を見れば、味方の平均得点は3.88点。
これはレックスの平均得点である4.65をかなり下回る。
対戦する相手が向こうもエースばかりなら、そういうこともあるかもしれない。
だが今年の直史は中四日体制をする前から、あまりエース対決をしていない。
そもそも向こうが避けてくる場合が多いからだ。
エースをわざわざ投げさせても、平均で防御率から一点や二点は取られる。
そうやってどうにか防いでも、こちらが一点も取れずに負ければ、せっかくエースを消耗させた意味がない。
もちろん全てが避けられたわけではなく、今年も真田とは五月に早くも対戦している。
しかしまさにその試合こそが、1-0でレックスが勝利した試合となったのだ。
神宮にライガースを迎えて行われる、このクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第一戦。
真田の気合は相当のものだろう。
「一点ぐらいしか取れないかもしれないな」
「二点はほしいな。ホームランの一発が怖い」
樋口の言葉に相変わらず、安全な点を口にする直史だ。
今年は確かに、西郷にホームランを打たれている。
西郷はまさに、当たりが悪くてもパワーで持っていける、ホームランバッターだ。
実のところはそういうところでも、ちゃんとスイングスピードが出るように、技術で打っているのだが。
下半身から腰のあたりまでの回転が、ボールを飛ばすのに必要だ。
腕の筋肉はほとんど、バットを保持するためだけのもの、というバッターさえいる。
点差が開けば開くほど、直史のピッチングは自由度が上がっていく。
そうなればさらに打てなくなっていく。
だがそんなことを言いながら、一点差の試合で一人もランナーを出さないなど、直史の謙遜は本人は真面目なのだろうが、あまり真剣に受け取らないほうがいいと思っている樋口である。
初回のライガースの攻撃は、一番の毛利から。
地味に有能な一番バッターとして、今年も高い出塁率を誇っている。
(こいつは足があるから変にボテボテのゴロを打たせると、内野安打になる可能性もある)
そして出されたサインに対して、直史は頷く。
投げられたのはシンカーで、それに対して毛利はバットをすっと出した。
(セーフティ!)
意外ではあったが、三塁方向への直史の動きは速い。
自身のフィールディングで一塁で殺し、まずはワンナウトである。
樋口も飛び出していて、直史と目線が合う。
「高校野球みたいな戦い方だな」
「ああ、それは言えてる」
直史の洞察の通り、ライガースは渾身の力でこの試合を取ろうとしている。
粘り強いバッターの毛利が、初球からセーフティバントの出塁を目指すというのがそれであった。
レギュラーシーズンの戦い方では、この短期決戦は勝てない。
それをライガースはかなり極端に解釈している。
そしてそれは間違っていない。
ライガースの二番は黒田で、かなり攻撃的な打線となる。
だがいつまでたっても記憶から嫌なことを忘れない直史は、黒田に対してはかなり厳密に、打てないコンビネーションで三振を取った。
三番はスタメンで使われないのはもったいないと、散々言われていた山本。
今年に入ってから打ちに打ちまくって、三割20本塁打70打点と一気にブレイクした。
31歳の遅い春である。
大介がいなくなってから、やはりライガースの打線は片付けるのが楽になった。
とにかく大介の打順から逆算して、他のバッターまでどうやって打ち取るかを考えなくていい。
カーブでセカンドゴロを打たせて、スリーアウトチェンジ。
まずは一回の表を10球以内に終わらせた。
初回からチャンスが来るとは思っていない。
去年はゴールデングラブ賞も取った直史は、大学野球を経由してきたピッチャーとして、やはりフィールディングもかなり上手いのだ。
もっともそれは高校時代から、かなり守備もやってきたからだが。
三人で終わらせたレックスに対して、ライガースはどうするか。
真田は投球練習の時点から、静かに燃えている。
だいたい中学時代から世界レベルで戦ってきた選手が、気が強くないわけがないのだ。
対する直史もなんだかんだ言いながら、死ぬほど負けず嫌いなところは同じであろうが。
真田が脚光を浴びていたとき、直史は死ぬほど地味に一人で練習をしていた。
レックスは現在、小此木が一番を打っている。
高卒二年目ということを考えると、西片が離脱したとは言え、たいした出世速度である。
去年中途半端に一軍でデビューしなければ、新人王候補になっていたかもしれない。
もっともそんなものよりも、チームの勝利に貢献するのが小此木の野球だ。
右打者の多いレックスは、それだけで真田相手にはある程度有利である。
真田の左殺しっぷりはまだまだ続き、左がクリーンナップにいるだけで、真田相手だと得点力が落ちる。
今時右打者が多いレックスの方が、むしろ異常ではあるのか。
小此木相手には、さすがに年季が違うところを見せようとする真田。
だが小此木は真田のカーブの落差にも、しっかりとついていく。
カーブの練習台としては、散々に直史につき合わされているからだ。
鋭い打球は二遊間に飛んだが、今年が二年目の森田はショートとしてほぼ守備特化。
ちゃんと反応してしっかりとキャッチして、小此木が俊足を飛ばしても間に合わないフィールディングと送球を見せる。
(生意気に当ててきた)
真田はそう認識しているが、小此木としてはそう難しいボールでもなかったという感想だ。
去年の結果から見ても、真田を相手に左打者は戦力五割減といったところか。
それを思えば西片を出さないのも、妥当なところなのだろう。
キャッチャーとしてほぼ全試合スタメンで出た孝司は、苦しい試合になるのではと想像する。
ただここからの真田は、やはりエースであった。
後輩の緒方、そして首位打者樋口を打ち取り、三者凡退。
両チームのエースがその力を見せ付けた。
実際、真田はいいピッチャーだなと思う樋口である。
コントロール、球威、変化球、そしてメンタル。
成功体験から培われたメンタルの強さは、危険なボールを投げることを恐れない。
ただ直史のような、メンタルの揺れを全く感じさせないような、それでいてここぞという時に見せ付ける要素にはかなわないと思う。
直史の精神性と技術は、本来のピッチャーの育成からすると歪だ。
ピッチャーはある程度、我が強いほうがむしろ望ましいと言える。
その背中にエースの責任を背負ったとき、実力以上の力を発揮する。
それがエースの本領だと言われるものでは、と樋口は考える。
投手の分業制だの、球数制限だの、そういった理論で説明できる部分。
そういうものを超越しているのが、エースの力だと思うのだ。
上杉は間違いなく、無敵のエースであった。
敗北の要因はむしろ、その力を拘束する球数制限などのルールにあった。
だがプロの世界で、大介と戦い最もその打撃を抑えながらも、時々は負けている。
なぜ直史が負けないのか、樋口には理解できない。
ワールドカップで初めて組んで、大学では選任で組んで、そしてWBCやプロでも組んでいる。
それなのに理解できないところが、いまだ直史にはある。
人格面で理解出来ないところも多い。
節制と自律が直史の精神性であるが、それがあまりにも行き過ぎている。
むしろこれは歪みであろうと思えるが、精神の柔軟性が全くないわけでもない。
(こんなのと結婚して、本当によく大丈夫なもんだな)
樋口にだけは直史も言われたくないだろう。
二回の表の西郷との対決。
この先頭打者として西郷と対決することが、直史にとっては危険だと、樋口は分かっている。
ここまでの失点内容を見れば、直史は打たれたヒットをまるで統計的に分散させているようで、得点には結び付けていない。
流れで連打、というものが存在しないのだ。
なので流れとは関係のない一発というのが、本当に恐ろしい。
数多の外国人助っ人を押しのけて、今年のホームラン王に輝いた西郷。
打点王との二冠であることも、見逃してはいけない。
古いタイプの、まさに四番打者。
これに対して直史は、まずはカーブから入る。
普通ならタイミングを外させるボールなのだが、西郷はしっかりと懐に入るまで待てる。
だがその想定よりもさらに遅い、そして落差のあるカーブは、見逃せばボール球になるものであったろう。
それを振っていった西郷は、ボールがレフトに切れてファールになるが、飛距離だけは出ていた。
パワーで持っていくファールは、ピッチャーを萎縮させることもある。
だが直史は、単にストライクカウントを増やしただけと考える。
二球目はスライダー。
リリースした軌道からはぶつかるように見せて、そこからゾーンに入ってくるフロントドアではなく、ゾーンからボールに逃げていく変化だ。
西郷はこれを、ぴくりともせず見逃した。
(ならこれはどうよ)
サインに頷いて、直史が投げた外角へのボール。
これは西郷は振っていったが、わずかに沈むカットボール。
バットの先の方で打って、打球のスピードは出たものの、一塁線を切れていく。
ツーストライクで追い込んだ。
だがスライダーは見逃されている。
(外で勝負してるから、ツーシームかシンカーで打ち取れる気もするけど)
だが樋口が出したサインは、またも外に変化するスライダーであった。
西郷はこれに手を出さない。
どうやらスライダーは捨てていく方針らしい。
(ここまで変化球を投げたら、次はストレートで攻めれば三振が取れるかもしれないけど)
それは試合全体の中では、まだ先の話になりそうだ。
膝元に落ちていくシンカーを、西郷は見送った。
これもボール球で、フルカウントになる。
そして決め球は、これだと樋口は決めていた。
直史の投げるボールの中で、体感速度は一番速い。
スルーがゾーンの中を通っていく。
西郷の振ったバットが、ボールに当たる。
しかしわずかにかすった程度の、ボテボテのピッチャーゴロ。
ボールの上を叩いたということもあるが、タイミングも遅れていた。
軽く処理してワンナウトである。
フルカウントまで投げさせられたが、これは一回で球数を少なく出来たからだ。
ここからどうやって最終的な辻褄を合わせるか、考えていかないといけない。
(四打席目は勝負したくないな)
樋口はそんな感想を抱いたが、すぐに頭を切り替えていく。
投手戦の様相になった。
ただ直史が完全に相手をパーフェクトに封じるのに対して、真田は数本のヒットやフォアボールを許している。
右バッターが多いため、必殺のスライダーが必殺にならないのが大きい。
だが右バッターに対しても、膝元に入ってくるスライダーは、充分に脅威ではある。
エース対決の緊迫した投げあい。
だがそれとは別に、直史は五回までを投げて、また一人のランナーも出さないという完璧なピッチングをしている。
(少しだけ球数が多いか)
ベンチで一人座る直史を見ながら、樋口は首脳陣と話し合う。
試合を動かさないといけない。
直史に頼ってばかりでは、たまたまの一発で試合が決まりかねない。
五回の裏はレックスは下位打線ということもあり、やはりここでも動かない。
ただレックスは下位打線に、ロマン砲のホームランバッターを置いていたりする。
そこが上手く真田とかみ合うかと考えたが、やはりそれは都合のいい想像であった。
六回の表まで、直史はパーフェクトを続ける。
そしてこの裏、レックスは二番の緒方からという好打順。
真田相手に右打者からで、ここで点が入らなければかなりまずい。
そうは思っても都合よく、点は入ってくれない。
ワンナウトで樋口に回る。
真田はここまで、ヒットが単発三本と、フォアボールが一つ。
ヒットを単打で抑えているところが、失点を防いでいる理由だろう。
ランナーは一塁までなら、サウスポーの真田からはよく見える。
牽制も上手い真田からは、ランナーを二塁に進めるにも、送りバントや進塁打を都合よく打たないといけない。
(ワンナウトか……)
樋口はここで、一発を狙っていくべきかどうかを考える。
そんな賭けにしかならないことは、樋口は普通は考えない。
だが非論理的ではあるが今日の真田は、連打で一点が取れる雰囲気がないのだ。
右打者に対してもスライダーは懐深くに突き刺さり、長打にしにくいボールとなっている。
あとはカーブも、狙ってホームランを打つのは難しい。
樋口は読みで打つバッターだ。
なので平均的なピッチャーからは、読んで長打を打っていける。
だが真田のようなスーパーエースクラスであると、長打を狙っていくのは難しい。
(コツコツ打っていくしかないか)
カーブをしっかりと弾き返してセンター前ヒット。
ランナーとして出たが、これで真田が揺らぐことはない。
七回の表、ライガースは三者凡退。
パーフェクトが見えてくるが、バッテリーはあまりそれを考えない。
それ以前の問題として、お互いが無得点で0が並ぶ。
真田はヒットを打たれても、そこから大きなチャンスにつなげない、洗練されたピッチングを続けているのだ。
自分の力を知った上で、そこから出来ることをする。
打線が弱いわけではないレックスを、上手く抑えている。
(点がほしい)
自らもバッターボックスでは振っていくが、ヒットは打てていない。
同じ無失点であっても、全く活路が見出せないか、ピンチを切り抜けていくのかで、印象はだいぶ変わる。
無援護のままマウンドに登る真田は、正直苦しい。
だが同じ無援護の直史は、ベンチの中でも平然としている。
周囲に集まるのはほんの数人で、わずかに言葉をかわす程度。
ライガース側が気迫を込めて対決するのとは、全く余裕が違うように見える。
負けられない。
(負けてたまるか!)
この回は真田も三者凡退でしとめて、試合を動かさない。
直史としても、本当に余裕で投げているわけではない。
怖いのは一発だ。
西郷はもちろん恐ろしいが、他のバッターも二桁を打っているのがスタメンに四人いる。
またピッチャーの真田ですら、今年もホームランを打っているのだ。
どれだけ配球を組み立てても、それが相手の狙いと合わさってしまうことはある。
その一発を恐れて直史は投げているため、やや球数は多くなっている。
八回の表裏も、どちらも得点が入らない。
なおかつ直史はパーフェクトを続けている。
頭をよぎるのは、あの夏の甲子園。
もしここで12回までを投げて引き分けとなったら、それは再試合にはならない。
一勝のアドバンテージがあるレックスの方が、引き分けはありがたいのだ。
腹を括る。
12回まで投げて、0行進を続けてやる。
ここでの引き分けは、勝ちにほぼ等しい。
ならばそこまで、真田と共に投げてやる。
ライガース側も、覚悟はしていた。
ここで長く投げれば、真田をもう一度使うのは難しいかもしれない。
だがほぼ負けるのが確定の直史と引き分ければ、それはそれでいい。
(パーフェクトだけは阻止してみせる)
ライガース打線はそう考えるが、点が入らない気がする時点で、バッターとしては負けているのかもしれない。
九回の表を終えて、ランナーは一人も出ていない。
レックスの九回裏の攻撃は、三番の樋口から。
ここぞという時に一発を打ってくる、クラッチヒッターだ。
ここでもまた、その打撃は冴える。
先頭打者としてノーアウトから、レフト線のツーベースヒット。
レックスはサヨナラの最大のチャンス。
だがベンチの中の直史は、過剰な期待はしない。
真田はいいピッチャーだ。
あの灼熱の中で対決した自分が、それは良く分かっている。
この厳しい状況でも、簡単に点が入るわけはない。
四番の浅野は内野フライに打ち取られ、五番モーリスの打球はレフトフライであったがタッチアップが出来るような位置でもない。
そして六番村岡には、カーブを使って三振。
(いい勝負だな)
直史はまだ110球を超えたところで、体力の限界は遠い。
レックス首脳陣も、崩れるなら直史ではなく真田が先だと計算する。
どうでもよくないことだが、直史は九回をパーフェクトで抑えている。
またも参考パーフェクトが成立するあたり、やはり直史には援護が少ないのであった。
×××
※ 先行公開していた群雄伝を投下しています。
時系列はやや前のあの事件関連です。
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