第135話 葬送
盛大な葬儀にはならなかったが、葬儀の外ではファンが集まって、イリヤがかつてよく歌った場所などで、その死を悼む行為があった。
洒落にならなかったのは、後追い自殺をする人間が、10人以上も出てきたことだった。
確かに歌手や俳優など、ファンがもう生きていけないと自殺する例は、あるにはあった。
しかしその数がそんなにも多く、しかもネットで集まって集団自殺を図る人間たちまで出て、社会的な問題にまでなった。
同じような影響力のあるミュージシャンたちが必死でメッセージを送ったが、この件が原因と見られる自殺者は29人。
つまりあの青年はイリヤを殺したことによって、それ以上の人間を殺すことにもなったわけだ。
イリヤが生きていたら、どうしただろう。
案外薄情な彼女のことだから、死ぬのはその人の自由、程度のことは言ったかもしれない。
直史や大介たちは、身内側の人間として、イリヤを送る葬儀に参加した。
ツインズはまだ歩くのは難しかったため、二人がそれぞれ車椅子を押すことになった。
イリヤには兄が三人いて、母親と共にアメリカに来て、少し迷いはしたが、アメリカの墓地に葬られることになった。
彼女が一番長く、そして濃く生きていたのは日本時代だったかもしれないが、それでも彼女の音楽性はアメリカが故郷と思われたのだ。
殺人犯の身元や動機も、おおよそは分かった。
元はイリヤのファンであった青年は、イリヤが表舞台からしばらく姿を消して、そして妊娠していることを知らなかった。
だが大介の件でイリヤもメッセージを届けていたし、その時に彼女が妊娠していることを知って、裏切られたと感じたらしい。
それはネットでの書き込みからも確認が取れた。
州外の人間で、銃自体も普通に手に入った。
あまりにも身勝手で思い込みの激しい、愚か者の銃弾。
しかしそれは、世界を大きく揺るがしてしまった。
「俺のせいか」
「違うだろう」
大介の呟きに、即座に直史は返した。
だが返してから、その理由を組み立てる。
大介の扱いに関連して、メディアに露出したことが、イリヤに対する殺意になった。
しかしそれは今ではなくても、いずれは知られたことであるし、そもそも大介には何も責任などない。
人間には、他の大多数の平凡な人間に、大きな影響を与える者が存在する。
イリヤがそうであり、大介だってそうだ。
その影響は、いいものばかりではない。
ただ世間の邪推は、イリヤの子供の件を、大介と絡めて考える極端なものもある。
もちろんそんなものも、大介の責任ではない。
勝手にイリヤのファンになって、勝手に裏切られたと感じて、逆恨みで殺人に至る。
それならばファンをやめればいいだけの話だ。
無料の連載小説の展開が気に入らなくて、もうブクマを外しますと言っているようなのは、まだしもまともなのだろう。
逆恨みであってもレベルが違う。
桜は出産時に早産だったことが、むしろ肉体へのダメージは少なく、一週間もしないうちにかなり動けるようになった。
ただ椿は足の筋肉まで損傷しているので、治癒してからもしばらくはリハビリの必要はあるだろう。
およそ日本を発ってから二週間、そろそろ直史は帰国を考える。
白石家佐藤家双方の母親がやってきているし、フォローするための球団のマネージャーもいる。
大介もそろそろ、シーズンに復帰することを考えなければいけない。
直史は自分が、薄情な人間なのかと考えなくもない。
大介は友人であり、妹たちは大怪我をし、また子供が生まれたばかり。
ただこの状況になれば、もう出来ることはほとんどない。
死を悼まないわけではない。
だが死にいつまでも浸っているわけにはいかない。
もちろんその死者によっては、悼む期間も変わるだろう。
大介はなんだかんだ言いながら、情に厚いタイプだ。
ニューヨークではイリヤのおかげで、色々と助かったことも多かっただろう。
それにイリヤの露出が増えたことによる、犯人の衝動的な殺人。
責任はないが、因果関係はある。
それに双子の感情にも引きずられている。
直史の価値観は、ある程度保守的だ。
だからこういう時こそ、男ならばと立ち上がらなければいけない。
「俺たちに出来ることは、自分にしか出来ないことをするだけだ」
帰国の前日、直史は大介に帰国を告げるため、病院に会いに来た。
「男ならどれだけ辛くても、歯を食いしばってやらないといけない場面があるだろう」
大介にとって必要なのは、悲しみの中に沈んでいることだろうか。
おそらくは違うはずだ。
祖父の病気と死の中でも、素振りだけは続けていた大介。
彼にこれだけの影響を与えたのは、もちろんイリヤの死である。
そしてその死を、周囲が騒ぎすぎている。
直史は冷酷に、そんなことも思った。
そんな直史も、ここのところ全く、ピッチングをしていないのだが。
大介はここから、まだ試合に出なければいけない。
MLBも残りは10試合ほどある。
大介は記録のためにも、そしてポストシーズンの戦いのためにも、もう立ち上がらないといけない。
もちろん周囲がそれを強制するのは難しい。
だから直史は、自分はもう大丈夫だという姿を見せる。
イリヤは死んだ。もういない。
だが彼女を憶えている者がいる限り、そして彼女の音楽が存在する限り、人々の胸の中では生き続けていくのだ。
帰国した直史を待っていたのは、予定の公開などしていないにも限らず、無神経なマスコミであった。
無言でタクシー乗り場に向かう直史であったが、それに対してマイクを近づけるマスコミはいる。
「佐藤選手、何か一言を」
「無神経なマスコミに辟易している」
直史はそう告げて、さっさと家に戻った。
今回は瑞希がアメリカに向かうことはなかった。
イリヤはあくまでも友情の範囲内であったようだが、直史のことを好きだったのだ。
それに瑞希は自分がその場に行けば、記録してしまうことを憂慮していた。
嫌な性分だが、もう思考に染み付いてしまっている。
純粋に友人のことを、悼むことも出来ない自分が怖くて、アメリカには行かなかった。
それでも日本のテレビでさえ、葬儀と鎮魂のイベントを数多く報道し、瑞希にさえインタビューをしてくるマスコミはいたが。
イリヤは死に、大介もツインズも、そして直史も瑞希も、全員が被害者だ。
ようやく戻ってきた直史を見て、悲しい目をしたまま胸に飛び込む。
そして瑞希を抱きしめる直史も、ようやく悲しみを散らすことが出来るようになった。
球団へと連絡し、まずは練習への合流を告げる。
直史は一度登録を抹消されていた。
残された中で、先発に間に合いそうなのは二試合だけ。
ただしここまで長い間、ボールにすら触らなかったのは、プロの入ってから初めてだ。
大介とキャッチボールでも、しておけばよかったのだろうか。
アメリカに持っていった荷物の中には、グラブも入っていたのだから。
ただそんな気分にならなかったのは確かだ。
「SNSとかで何か伝える?」
マスコミの歪曲報道と言うか、詳しい事情を知らない報道は、色々と憶測も呼んでいた。
瑞希のつながりからまともな媒体を通して、何か発言することも出来た。
だが今の直史は、そういったものを必要としていない。
やるべきことをやる。
今の直史は、野球をやるべきなのだ。
直史がアメリカに行っている間に、レックスは優勝を決めていた。
ライガースと三位フェニックスとの差もそれなりで、クライマックスシリーズへの進出と順位は確定している。
あとはBクラスの順位争いだが、そちらはどうでもいい。
直史がグラウンドに戻ってきた。
監督の布施はわざわざ声をかけてきたが、直史の状態がどうなのか。
アメリカのニュースは数日間、イリヤの殺害についてばかりを報道していた。
その中に埋もれるように、大介がチームから離脱していることも知らされた。
家族が銃弾を受けて、平気で試合に出られるような、そういったタイプの強いメンタルを、大介は持っていない。
だが直史は生来の、薄情とも見える理性において、こうやってグラウンドに戻ってきている。
ピッチングの練習はしていなかったが、日課のストレッチなどはしていた。
ならばボールの調子はどうなのか。
既に優勝も決まっている今、直史が期待されるのは、クライマックスシリーズに向けて、存分に力を発揮すること。
そのために残されたレギュラーシーズンで、どれだけのピッチングが出来るのか。
ブルペンで直史のボールを受けた樋口は、とりあえずストレートのコントロールは狂っていないと判断する。
しかし変化球が、完全には制御されていない。
ボールをしばらく握っていなかっただけで、それなりに鈍るのは当然だ。
それでも充分に通用自体はしそうなのが、直史の直史たる所以であるか。
全ては試合で試すしかない。
残りはおそらく、先発で投げる機会は二回ぐらいか。
リリーフで試してもいいのでは、と布施などは思ったのだが、樋口は普段どおりの先発を主張した。
そしてそれを、直史も了承したのであった。
さすがに今日の直史は、援護がないと厳しい。
対スターズとの最終戦、戻ってきた直史は、敵地神奈川スタジアムであるのに、拍手で迎えられた。
世の中に野球選手は数多かれど、身内が銃撃を浴びたなどという経験を持つ者はそうはいない。
精神的なショックを引きずっているだろうとは、誰もが察したことだ。
(今日は忙しくなりそうだな)
打順を五番に下げてもらった樋口は、そんな覚悟をしている。
それでも試合は、レックス有利に進んだ。
直史はわずかなコントロールの乱れを感じながらも、樋口のリードに導かれていく。
ただやはり、指先の感覚がはっきりとしない。
初回からランナーを出し、苦しい投球になる。
だがチームを盛り立てるのもエースなら、チームが必死で背中を守るのもエースだ。
フォアボールを出しながらも、ランナーを前には進めない。
直史はわずかな指先の感覚の狂いに悩みながらも、配球で相手を封じ込める。
この試合の直史は、確かに調子が悪かった。
フォアボールも出したし、連打も食らった。
そして失点にもつながったが、それでもチームメイトがそれを援護する。
エースが投げれば勝つ。
それをレックスの人間は、絶対のものとしている。
七回を投げてヒット四本のフォアボール二つと、充分な数字。
そしてなんとも人間らしい、一失点。
だが試合自体は、レックスが圧倒していた。
直史に26個目の勝利がつく。
これによって年間の無敗最多勝記録で、上杉に並んだのであった。
中四日で、もう一試合投げてもらうべきだろう。
布施はそう判断したし、コーチ陣も同じ意見だ。
中四日でないと、もう試合が残っていない。
あとはポストシーズンのクライマックスシリーズにつながる。
そして直史も、投げることには同意する。
長くもないはずだが、試合から離れていた。
そしてボールに触れていない間に、感覚が鈍っていた。
レックスのチーム力なら、直史がいなくても日本シリーズに勝てるかもしれない。
だが自分に出来ることがあれば、やってしまうのが直史だ。
最終戦は、ライガースとの二連戦の二戦目。
リーグ二位のライガースと最終戦を行うのは、クライマックスシリーズでの対決をうかがう上でも、大切なことだ。
今のままの直史では、果たしてライガースを抑えられるのか。
そして勝ったとしても、その先の日本シリーズ。
パの代表はおそらく、福岡コンコルズになるだろうと見られている。
打線が整ってきているコンコルズに、直史はちゃんと投げられるのか。
疲労が抜けていることだけは確かだが、今はピッチングの感覚を取り戻さないといけない。
中四日なので、そう多くの投げ込みをするわけにもいかない。
それでも直史は軽いキャッチボールなどをして、体調を整えていく。
アメリカへの往復で、確かに少しバイオリズムは乱れていた。
だがそれを理由にして、自分の負けを正当化などはしたくない。
直史の周囲の人間は、さすがに直史も人間なんだな、と思っている。
本人すらも、ここまで調子が狂うとは思っていなかった。
クラブチームなどで野球から離れていた間、それなりに期間はあった。
だがあれは半年以上、復帰するまでの時間が取れたのだ。
27勝目という数字には、インセンティブはつく。
だが直史は勝利を、別の価値で捉えようとしている。
シーズン序盤から終盤まで、ほぼ直史は圧倒的なピッチングで、他のチームに絶望を与えてきた。
だがポストシーズンともなれば、チームはシーズンとは別の、戦略でもって戦いにくる。
出来ればライガースを、もう一度折っておきたい。
逆に折られることも、覚悟はしているのだが。
幸いと言うべきか、ライガースはクライマックスシリーズに備えて、真田と山田あたりは、投げさせてこないであろうと思われる。
直史はひたすら、相手を封じることだけを考える。
しかし打線にしても、ずっとこれまで相手を封じてきた直史を、また援護するチャンスを与えられるのだ。
佐藤直史のためのシーズン。
ずっとそう言われてきて、確かにそうだと誰もが認めた。
しかしこの九月に、まさかとも思える事件が起こった。
それは確かに世界を揺るがして、その一部が日本のプロ野球にも伝わったというものだ。
復帰した武史が負けたり、あるいは他にもイリヤの友人には、大きなダメージを与えた。
だが直史は喜びはともかく、悲しみで自分のパフォーマンスを落としたくはない。
もしそうなってしまっては、悪意の思うままではないか。
ペナントレースの最終戦、確かにこれには、直史の記録もかかる。
だが本当にかかっているのは、直史のエースとしての使命感。
揺らいだ己自身への、自分の信頼。
それを取り戻すために、直史は投げなければいけない。
最後の最後で直史は、これまでとは全く違った、己のためだけのピッチングをすることになる。
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