第115話 パーフェクトの呼吸

 解説をしていたアナウンサーが、劇的なサヨナラに興奮して、直史のパーフェクトが成立したのを忘れていた。

 後からヒーローインタビューで、直史と緒方が呼ばれたとき、ようやく気が付いたのである。

 佐藤直史は、呼吸をするようにパーフェクトをする。

 ゴッドブレスならぬパーフェクトブレス。

 いや、いったいそれはなんなのだ。ムー帝国の遺産か何かなのか? いや、それはゴッドボイスです。


 現役では上杉と直史が複数回達成しているパーフェクトだが、本来はそうそう達成できるものではないのだ。

 ノーヒットノーランまでならともかく、パーフェクトとなると高校野球の地区予選レベルでも難しい。

 だから複数回達成している江川は化け物なのだが、その化け物を超えて妖怪となってしまったのだ直史である。


 11年で200勝した上杉は、おそらく野球殿堂に選ばれる。

 また日本球界は九年だが、大介もおそらく選ばれるだろう。前例がいるからだ。もっともあの女性関係を不祥事と思われれば、話は別だろうが。

 薬物をやっていたわけではなく刑事罰を受けたわけでもないので、そこはむしろ世論が後押しするのではなかとうか。

 だが直史は果たして、選ばれるような選手になるのか。活躍期間が短すぎる。

 それでも一年目だけで、ノーヒットノーラン三回、パーフェクト二回、参考パーフェクト一回。

 シーズンの防御率などの数字を、軒並み更新してしまった。

 ちなみに直史の場合、プロに来なければあと二年後、特別表彰でアマチュア殿堂入りした可能性が高い。

 大学四年間無敗、自責点0というのは、それほどのプレイヤーであるのだ。


 今年にしてもまるで、一年目はまだお試し期間であったとでも言うように、六戦目にしてノーヒットノーラン一回とパーフェクト二回。

 大介も永遠の記録になりそうな一年目を、あっさりと二年目に抜いたものだ。

 その大介がいなくなってしまった今年、直史を止められるバッターがいるのか。

 有力候補であった西郷は、三打席凡退で敗北した。

 もちろん今年、一本ホームランを打ったのは評価される。

 だが結果的に直史には、勝てていないのだ。


 


 インタビューが終わった直史は、自分がさほど疲れていないことに驚いた。

 プロでは今までにないほどの余力があるのは、ライガースと対戦するということで、自然と体がその準備をしていたからだろう。

 そう、大介の存在を含めて。

 実際は大介はいない。それがこれだけ楽になるとは。

 やはりピッチングはメンタルだ。


 もっともさすがに集中力を使った直史は、帰宅への運転は球団の職員に任せた。

 大介以外のバッターにしても、ライガースはリーグで一番強い。

 それでも西郷にさえ気をつければ、どうにか抑えることが出来る。

 やや少な目の12奪三振だが、そこそこ外野にフライが飛んだので、今日の成績はかなり運が良かったとも言える。


 全てのバッターを三振に取るのでもない限り、ノーノーもパーフェクトも、運次第のものだ。

 ゴロの打球が常に野手の正面に飛ぶわけではないし、フライが守備範囲内に飛ぶとも限らない。

 だから直史は運がいいピッチャーと言えるのだが、単純にそうとも言えないだろう。


 自宅に到着すれば、愛する妻が風呂を沸かして待っていてくれて、腹に食べ物を入れて眠りに就く。

 その前に眠っている娘の顔を見て、ホッと息を吐く。

 野球選手モードからパパさんモードに戻って、また次の登板を待つ直史であった。




 した方は慣れていても、される方は慣れてはたまらない。

 ライガースは必死で抵抗したつもりであったが、直史はほぼ完全に無駄球を放らず、ゾーン内のコンビネーションで勝負した。

 全力投球のストレートは、いったいどれぐらいあっただろう。

 それほど力を入れているとは思えないが、球速表示よりもはるかに速く感じるストレート。

 その理由は一つにはスピンの量があるのだろうが、他にはクイックモーションもまた理由の一つであろう。


 とにかくタイミングが取りにくいのだ。

 そのくせいつも早いわけではなく、時にはゆっくりと投げることもある。

 タイミングをどこで合わせればいいのか。

 リリースした瞬間では、もう遅すぎる。

 また時々リリース位置が変化して、カーブを投げてくることもある。


 器用さを極限まで高めたような、力と力のぶつかり合いを拒否するピッチング。

 だが三振が取れないわけでもない。

 球数をろくに投げさせることも出来ないのだから、何を言っても負け犬の遠吠えだ。

 そんな精神状態のまま、二連戦の二戦目を行う。


 レックスは今年、負けが先行している古沢。

 それでも五試合のうち三試合はクオリティスタートに成功しているし、そのうちの二回はハイクオリティスタートだ。

 要するに、調子の波が大きいのだ。

 二回に捕まって早期降板した試合は、星が頑張ってくれたものの、負け星は消えることはなかった。


 ただ、今日の古沢は調子が良かった。

 もちろん正確に言えば、ライガースの調子が悪かったのだが。

 六回までを投げて一失点で、後ろの三人につなぐ。

 豊田、利根、鴨池の勝利の方程式は、今年も健在である。

 とは言っても二試合ほどホールドに失敗しているのだが。


 今日は問題ない。

 七回に豊田が投げて、八回は利根がつなぎ、九回は鴨池が封じる。

 三人で被安打一の好投で、見事この連戦を勝利した。




 ゴールデンウィークも終わり、交流戦がそろそろ見えてくる。

 このあたりで雨による試合中止があり、そこでローテが調整される。

 今年のレックスの首脳陣としては、直史と武史で45勝はしてほしい計算をしている。

 無茶な数字だと思うが、去年は二人で44勝しているのだ。

 しかも二人合わせて、40試合を完投している。

 単に勝ち星を積み重ねたい上に、完投してイニング数を食った貢献は大きい。


 今年も直史と武史のローテを離すことによって、二人が完投した場合に、リリーフ陣を休めることが出来るようになっている。

 また点差がある程度ついていると、勝利の方程式の三枚を使わずに済む。

 ただ登板数が年俸に関係するリリーフ陣は、ある程度無理をしてでも登板数かイニング数を稼ぎたい。

 もっとも無理をして投げて成績を悪化させても、それはそれで問題となる。


 直史がパーフェクトを達成した二日後、武史もまた一失点完投で六勝目を上げた。

 武史であっても点差があるなら、もっとリリーフに出番を与えるべきではないのかと、家でその試合を見ていた直史は思った。

 ここ最近は雨のため試合が順延するが、直史や武史レベルであると、登板感覚は一日後ろにずれる。

 これがイニングを食うだけの先発であれば、一度ローテを飛ばされて、中13日などとなったりもする。

 レックスは吉村が二軍に落ちていたが、この試合日程のため、五人のピッチャーで中六日で回せる。

 直史の七戦目はカップスを相手に被安打二の無失点完封。

 そしてまたも球数は100球を超えなかった。


 続くはフェニックスを相手に、今季三度目の三連戦。

 初戦を佐竹で落としてしまった時点で、誰かが気がついた。

 開幕はフェニックスを相手に勝ったものの、続く二戦目と三戦目は敗北した。

 そして二度目の三連戦の時も、一勝二敗で負け越している。

 さらにはこの三連戦で、初戦を落とした。

 つまり今年のレックスは、フェニックスを苦手としているのではないか。


 単にピッチャーの弱いところが当たっているとかなら、まだ分からないではない。

 だが一度は豊田がホールドに失敗し、そしてこの試合は佐竹がスリーランを打たれて負けた。

 WBCの影響もあって開幕投手も務めた佐竹であるが、今年はやや調子が悪い。

 単純に負け星がついているし、防御率も悪化している。

 それでもローテから外すほど、悪い数字になっているわけではない。


 だが第二戦の古沢も、ホームランを打たれて六回を四失点。

 そこから逆転も出来ず、連敗してしまったのだ。

 だが三戦目の先発は武史。

 ここで負けたらそれこそ、今年のフェニックスは本当に蘇ったと言えるのだろう。

 しかし三戦全部を落とすほど、ピッチャーの調子は悪くない。

 ヒットこそ三本打たれたものの、四球なしの完封。

 これで武史は直史に追いついて、やはり七勝目である。




 兄弟によるハーラーダービーが加速してきた。

 それも無敗同士の競争である。

 去年は武史が開幕で怪我をし、また直史もローテを飛ばすことがあった。

 だが今年は二人ともが、完璧なピッチングで勝ち星を増やし続けている。


 過去の例から見ると、同一球団から15勝以上のピッチャーが二人出ると、そのチームのリーグ優勝の可能性は極めて高くなる。

 特に15勝というのが難しくなった、21世紀以降ではそうだ。

 ちなみに唯一の例外は、去年のライガースである。

 山田と真田がそれぞれ17勝したが、レックスは直史と武史が20勝以上、金原と佐竹も15勝以上していたのだ。

 リリーフ陣を整備しないと、現代野球では勝てない。

 その概念を吹き飛ばすような、去年のレックスの先発陣であった。


 今年はまだ一つも負けがついていなかった金原も、ようやく負けが一つついた。これで5勝1敗。

 だが直史はまたも完封し、八勝目を上げる。

 しかし交流戦前の対スターズ戦、武史もまた今季八度目の先発。

 これを完封勝利し、直史を同じ八勝で追いかけるのである。


 今年は上杉がいなくなり、大介も海外移籍し、面白い勝負は少なくなるのではないかと思われていた日本のプロ野球。

 だが相変わらず直史がノーノーやパーフェクトを連発し、そして兄弟がハーラーダービーのトップを争う。

 レックスを中心として、また大きな対決の構図が出来上がっている。

 もちろん当人たちとすれば、そんなことは意識もしていないのだが。


 直史が勝ち星のトップとなると、すぐに数日後に武史が追いつく。

 なんだか感じなくてもいいプレッシャーを、直史が感じているように見えるかもしれない。

 もっとも直史としては、武史はどこかでポカミスをするだろうな、と思っている。

 そして武史も、直史に勝てるとは思っていない。

 それでも世間というのは、分かりやすい対決の構図が出来ると、そこに競争を煽ってしまうのだ。

 

 去年の武史は、21勝1敗で奪三振のタイトルを取っていた。

 普通なら沢村賞を獲得していたところだが、直史が無敗で、最多勝、最高勝率、最優秀防御率、最多完封で上回っていたため、獲得することはなかった。

 今年はここまで、勝ち星、勝率、完封数で両者が並び、防御率では直史が上回り、奪三振では武史が上回っている。

 しかしこのままでいくなら、今年もやはり直史が沢村賞を取るだろう。

 既に二度も、パーフェクトを達成しているからだ。


 同じ時代に生まれてきたことが不幸、あるいは年度さえ違えば、ということはよく言われる。

 ただこの言葉は、武史よりは真田に送られるべきであろう。

 最高の年は19勝3敗という数字を残したが、同じ年には上杉が23勝3敗という数字を残した。

 武史は上杉が途中離脱した、己のルーキーイヤーに22勝0敗の投手五冠で沢村賞を取っているのだから。

 上杉さえいなければ、とは何度も言われたことである。

 だが上杉がいなくても、今度は直史が無茶な記録を叩き出してくる。

 沢村賞だけではなく、他のタイトルもほとんどが数人のピッチャーに独占されるこの時代。

 間もなく終わるこの時代であるが、それでも同時代のセのピッチャーは不運であったのは間違いない。




 交流戦が始まる。

 今年は戦国時代だと言われていたパ・リーグの成績は、それでもおおよその予想通り、福岡コンコルズが首位を走っていた。

 対するのは正也が抜けて投手力の落ちたジャガースに、東北ファルコンズ、千葉マリンズの三チームが、ほぼ横並びとなっている。

 レギュラーシーズン争いよりも、三位争いが激しくなりそうな、そんなパ・リーグ。

 レックスがまず神宮で迎え撃つのは、北海道ウォリアーズである。


 ウォリアーズもまた、エースの島がタイタンズに移籍して、今年はチーム力が落ちている。

 さらに今年が怪我なく終われば、おそらく後藤にFA権が発生する。

 そこでまた移籍されたら、打線ががたがたになる。

 一時期ほどの貧乏球団とは違い、今のウォリアーズはそこそこの資金力はあるのだ。

 なんとしてでも後藤は引き止めなければ、育ってきている若手の戦力も、上手く活かすことは出来ないだろう。


 この三連戦は、金原から始まり、直史、佐竹青砥という順番でローテが回る。

 青砥は元々先発で投げることも多かったが、佐藤兄弟が入ってことによって、そのローテからは外れてしまった。

 現在はロングリリーフや谷間のローテ、あとはローテが怪我などで離脱すれば、その間にローテを回すことが多い。

 今の場合であれば吉村の代わりであり、吉村が復帰するまでに数字を残せば、先発ローテを奪い取ることが出来るかもしれない。

 吉村がサウスポーなので、そのあたりの兼ね合いはあるだろうが。


 ここまでのウォリアーズの先発を見ていれば、直史も自分と当たりそうなのが誰かは分かる。

 知り合いであった。もちろんプロに入る前からの知り合いだ。

 そして高校や大学で対戦した相手でもない。

「能登と当たるのか」

 そのうちあるかな、とは思っていた直史である。


 クラブチームマッスルソウルズで、直史と同じチームであった能登。

 あの頃の直史は、自分がプロに入ることなど全く考えていなかったため、能登に対しても他の選手に対しても、教えられる技術は全部教えていた。

 教わったからといって、その技術を使えるわけではないのだが。

 能登はそして、ドラフトで指名されて、念願のプロ野球選手になった。

 直史のおかげだと言っていたが、全ては本人の頑張りと工夫である。

 

 リーグが違うのと、ウォリアーズが日本シリーズに勝ち上がってこないこともあって、これまで投げ合うということはなかった。

 だがお互いにローテに入っているので、投げ合う機会自体はあったのだ。

 瑞希もまた、能登のことは知っている。

 マッスルソウルズの中では、直史に次ぐ二番手として投げていたのだ。

 都市対抗にも助っ人として呼ばれて、そこからスカウトにかかったとも言える。

 二軍で一シーズン投げたあとは、一軍でも中継ぎをして、そこから先発という感じでポジションを移動してきた。

 島が出て行ったため、今の先発陣は層が薄い。

 ここいらでちゃんと数字を残せば、ローテーション投手として数年は、その地位を脅かす者は出てこないだろう。


 などと考えていても、実際にどうなるかは、予告先発を聞くまでは分からない。

 第一戦は金原が投げて、七回途中から豊田に代わって勝利。

 そして第二戦は、やはり能登が先発となって出てきたのだった。


 不思議な縁である。

 だが野球を続けていれば、こういうことはあるのだろう。

 直史がウォリアーズと対戦する機会は、おそらくこれが最後になる。

 その最後に投げ合う相手が能登というのは、どこか感慨深いものである。

「あれもまた、夢をかなえた一つの例なんだろうな」

 プロに入っただけではなく、そこから一軍で数字を残すようになった。

 野球選手としては、かなり苦労人の類である。

 だからと言って、全く手加減するつもりはない直史であるが。


 これがこの日本で、遣り残したことの一つなのか。

 早めの風呂に入って、早めに就寝する直史。

 ラスボスを相手にした、能登の挑戦が始まる。

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