第114話 対決
直史は価値観はそこそこ普通の人間なので、自分の責任ではなくても、悪いことをしたなと思う人間がいないわけではない。
現在大阪ライガースの四番として、ホームランダービーのトップを走る西郷。
元は直史との対決のために、高卒プロ入りを考えていたのが、大学に入ってしかも同じ大学で、公式戦で戦うことがなかった。
大介のいなくなった今、40本以上のホームランを、高い確率で年間に打つ西郷は、日本のプロ野球のホームラン記録を、大学に行かなければ塗りかえられたかもしれない。
もちろんこれは直史の見方であり、西郷にとっては直史の変化球への対処と、武史のスピートへの対処をしっかりと身につけられたおかげで、それがなければここまで打てたとは思っていない。
一方的にではあるが、直史は西郷に、悪いことをしたな、とは思っているのだ。
だからせめてアメリカに行く前に、全力で叩き潰してあげよう、という気持ちがある。
……この間、ホームランを打たれた腹いせではない。
しかし、とも直史は思うのだ。
予想通り今日の先発は真田で、今年はここまで防御率が1点台で推移している。
直史に黒星をつけるための、全力の布陣。
直史としても去年のような、上杉との延長引き分けパーフェクトはごめんである。
それに上杉と違って真田なら、レックスの打線は打てる。
なぜかというと、左打者が比較的少ないからだ。
左打者であれば大介であろうが、上杉並に抑えてしまう真田。
だがそれでも、甲子園では一回も優勝できなかった。
ことごとくその前に、直史と大介が立ちふさがったからである。
あの頃の大阪光陰と比べて、ライガースは投打ともに、はるかに強力にはなっている。
対して直史の味方に、大介はいない。
だがそれでも、一点は取ってくれると信じられる。
そして一点取ってもらえば、そこからは自分の仕事だ。
(吉村さんが離脱してるから、ローテに穴は空けたくないんだけど)
それでも、勝つほうが優先だ。
両チーム共にエースを出す、首位攻防戦が始まる。
神宮球場は言うまでもなく、打者有利の球場である。
フェニックスのバッターなどは、神宮が本拠地ならば、あと10本はホームランを打っている、などと言ったりする。
ならばその本拠地で、一本もホームランを打たれていない直史はどうなのか。
球場がどうの、天然芝がどうの、もちろん統計的には大きな差異が現れてくるのだろう。
だが大学時代から数えて、直史は一度も神宮ではホームランを打たれていない。
プロ一年目にしても、神宮とそれ以外を比べれば、ホームの神宮で打たれたヒットの数は、アウェイのそれ以外の球場で打たれたヒットの半分ほどである。
球場に慣れているからとか、そういうことではないだろう。
ホームではヒットを打たれる可能性すら低いのは、内弁慶と言えるかもしれない。
……違うか。
とにかくこの日、ライガースは全力でレックスを、直史を倒しにかかる。
オーダーを見ると、去年までとは変わっているのが明らかだ。
大介の去った穴を埋めているのは、去年もスーパーサブ的に何試合か出場し、代打での起用も多かった山本。
オープン戦から打っていて、大江のいたレフトを奪っている。
今年31歳のシーズンで、ようやくの開幕スタメン。
大江は33歳だが、まだそれほどの衰えは見えない。
おそらく選手の調子を見て、起用する者を決めているのだろう。
ショートには守備的な選手を入れなければ、守備力が崩壊する。
ここでライガースが起用するのは、かつてショートを守っていた石井ではない。
さすがに年齢的に、再びのショートへのコンバートはつらい。
若手の森田が守っているが、守備的なショートだ。
二遊間は固めているが、その代わりそこにあまり打撃は期待できない。
1(中) 毛利 27
2(三) 黒田 30
3(左) 山本 31
4(一) 西郷 29
5(右) オマーン 24
6(捕) 赤尾 26
7(二) 石井 36
8(遊) 森田 20
9(投) 真田 27
これが本日のライガースのスタメンである。右が選手の今年の年齢だ。
全般的に高齢化が進んではいるが、それよりはむしろ円熟期の選手が多いと言うべきだろう。
若手の森田は身体能力からここに入っているが、今の時点ではあまり打撃は期待されていない。
むしろ打つだけなら、真田の方がOPSは高いかもしれない。
ライガースは大介のいた九年の間に、四度のリーグ優勝と五度の日本一に輝いている。
開幕から一ヶ月、セのチームでは得点力はナンバーワン。
だが明らかに、大介がいない分は下がっている。
首位攻防戦で、今年も満員の神宮球場。
直史が投げるならこうなるのだ。
一回の表から、直史は毛利を外野フライ、黒田と山本を内野ゴロで打ち取った。
「左右左か」
今日のライガースは、一番から八番までは交互に打者が並んでいる。
最後に真田も、右打者ではあるが。
対するレックスは、超ベテランの西片が不動の一番バッター。
だが真田を相手にして、左打者はつらい。
プロ野球でもう20年近くも飯を食ってきたが、真田ほど左バッターに対する正圧力が高いピッチャーは見たことがない。
この試合もまた、あっさりとスライダーで打ち取られてしまう。
1(中) 西片 40
2(遊) 緒方 26
3(捕) 樋口 28
4(左) 浅野 31
5(一) モーリス 25
6(三) 村岡 30
7(右) パットン 34
8(二) 小此木 20
9(投) 佐藤 28
レックスのスタメンの中で左打者は、西片とモーリスだけだ。
本当ならあと一人ぐらい左打者がいた方が、バランスはいい。
だが、こと真田が相手となると、このスタメンがいいのである。
とは言っても、真田が右打者に対して弱いわけでもない。
大阪光陰の後輩でもある緒方を、カーブで内野ゴロにしとめる。
今日は完投するつもりなのだから、無理に三振を取りにいくわけにはいかない。
そして三番は樋口。
レックスの中では一番厄介なバッターである。
負傷で10日ほど一軍から離れていたため、今年の樋口はまだ打点などが伸びていない。
ただそれでも、打率が三割台にはなって、得点圏でよく打っている。
ランナーがいないと打つ気になれない男。
そんなことを言われたりもしている。
(ただこいつは、いざというときにはホームランも打てるからな)
そう思いながら真田は、スライダーで外角すれすれを攻める。
樋口としてはこの最初の打席から、真田を攻略しようとは考えない。
ピッチャーはその日の調子によって、球質が変化するからだ。
だが今日の真田は、ほどほどに気合が入っている。
下手に三振を狙わず、カーブを上手く使っている。
そんな樋口に対しては、初級からスライダー。
ボールからストライクのゾーンに入ってくるバックドア。
相変わらずよく曲がる。
(見ていくつもりだけど、ストレートなら打つぞ)
二球目はアウトローいっぱいのストレートで、これなら打てる。
だが樋口は振らない。わずかにボールが手元で曲がった。
ツーシーム程度の変化とも思うが、打っていたら確実に打ち損ねになる。
平行カウントになった。真田の性格、球種、状況などを考えると、次は内角を厳しく突いてくるだろう。
投げられた球は、真ん中に近い。
(ここから――)
内角に曲がってくる。
ゾーンいっぱいのストライクだった。
追い込まれてしまったら、際どいところもカットしていかなければいけない。
内角を攻めてくるスライダーというか、さっきのはカットボールに近い変化だった。
アウトローにストレートを投げれば、読みが当たってもそうそう打てるものではない。
体が、内角の後の外角に対応できない。他のバッターであれば。
樋口なら出来る。
(まあ普通ならここから外角いっぱいのストレートをびったち決めてくるんだろうけど)
真田はそこから少し、定跡を外してくるのではないか。
あるいは定跡でねじ伏せにくるかもしれない。
(読みが確定出来ないな。この打席はカットしていくか)
そう思っていたところに、ほぼど真ん中のボール。
それが大きく曲がって、膝元に落ちてきた。
見事なスライダーは樋口の見逃し三振を誘った。
戦前の予想通り、投手戦になった。
直史はいつも通りの省エネピッチングであるが、真田も少しそれを意識しているらしい。
ただし相手の打線に対する警戒は、レックスバッテリーの方が隙がなかった。
両チーム合わせて最初のヒットは、レックスの八番小此木。
せっかくのランナーであるが、次がピッチャーの直史で、そこで送っても次は左バッターの西片である。
レックスのベンチとしては、それでも直史には送りバントをさせた。
とりあえずスコアリングポジションに足の速い小此木を置けば、何かが起こった時にホームを狙える。
ツーアウト二塁というのは、単打でも一気にランナーが帰ってこれる場合が多い。
バッター西片はここで、あえて左殺しのスライダーを狙う。
だが真田はカーブとストレートを外に集めて西片はサードゴロ。
バッターの心理を読みきって、あえてスライダーは使わなかった。
結局ヒットをつないで得点を取るというのは、難しいらしい。
両軍のベンチも、なかなか動くことは出来ない。
バッターにピッチャーを動揺させるための動きをさせても、それで動じるようなピッチャーではない。
本日は神宮であるが、あの夏の甲子園を思わせる、圧倒的なピッチング。
四回までを投げて直史はパーフェクトピッチング。
そして真田もヒット一本のほぼ完璧なピッチング。
一点で勝負が決まりそうな試合だが、一点も点が入りそうにもない試合でもある。
だがピッチャー同士の優越ははっきりしてきていた。
真田はスライダーを使うことによって、空振りを誘う。
だがそれでボール球を投げてしまうことはある。
フォアボールでランナーを出す。
ヒットは打たれなくても、そこでランナーを進塁させて、少しでも得点のチャンスは作る。
そういったチャンスを潰されると、むしろ相手の方の攻撃に勢いがつきそうなものだが、直史はそれを許さない。
淡々と波が引くのを待つ。
ここまで打たせて取ることを心がけていただろうに、その回は三者三振。
三振を奪うことも、やろうと思えば出来るのだ。
点が入らない。
あちらの点が入らないのは、それどころかランナーまで出ないのはいいが、こちらの点も入らない。
八回の表は、ライガースの攻撃は三打席目の西郷から。
延長にならない限り、おそらくこれが本日最後の打席になる。
真田もがんばっているが、球数は100球を超えた。
それに対して直史は、まだ80球に達していない。
バッターボックスに立った西郷は、あの日の直史から打ったホームランを思い出す。
だが今日の直史は、明らかに気配が違う。
ピッチングのコンビネーションの幅が違うのだ。
考えればあの試合はキャッチャーが樋口でなかったから、使えるコンビネーションも制限されていたのかもしれない。
違和感はあったが、それでも打ったという満足感はあった。
なんと愚かなことか。
個人の勝負にこだわってしまうのは、野球は個人と個人の対戦という場面があるから仕方がない。
だが負けた試合でホームランを打って、それで満足すべきではない。
振り逃げでみっともなく一塁まで駆けて、そこで一点を取って試合に勝つ。
それこそが本当の、やるべきことではないのか。
西郷の考えは、微妙なところである。
野球は確かに団体競技であるが、個人がその技量の全力を尽くした上で、チームの勝利に結びつくところがある。
それに単純に、個人にはその能力に合わせて、果たすべき役割が違う。
たとえ試合に勝てたとしても、レギュラーシーズンの一つきりの試合で、西郷にスクイズなどをさせるだろうか。
あるいは指揮官によっては、日本シリーズの優勝がかかっている場面でも、西郷にならば打たせていく。
なぜなら、それがプロとしてのあるべき姿であると思うからだ。
スピードのあるカーブから入った西郷の第三打席。
続く二球目は、スライダーが外に逃げていった。
そして内角を襲うツーシームを、西郷は打っていく。
だが変化したそのボールは、ファールにしかならない。
ツーストライクと追い込まれた。
ここからまだ二球ボール球が投げられるが、レックスのバッテリーは、無駄球を嫌う。
それは西郷が相手でも変わらないはずだ。
リリースされたボールの軌道は、ストレートのように見えた。
だが西郷のスイングが始動したところで、球が来ていないことが分かる。
粘り腰で、かろうじて当てたチェンジアップ。
だがそれはサードゴロで、西郷の第三打席は終了したのだった。
既に今年、一度のパーフェクトをしている直史。
九回の表が終わったところで、ランナーは一人も出ていない。
つまりパーフェクトをまたしても達成しているのだが、スコアは0-0のまま。
レックスが一点でも取らないことには、このパーフェクトも夢と消える。
九回の裏は、レックスの先頭は西片から始まる。
だがここまで一本もまともに打球が打てておらず、あまり期待は出来ない。
ただ西片はベテランだけに、それなりの勝算を持っている。
真田の球数はもう130球近い。
失投があれば打つ。
その失投は確かにあった。
だがそれは甘い球ではなく、西片の体に当たるものだ。
デッドボール出塁。
真田にとっては安牌の左打者、しかも俊足のランナーを出したところで、苦しくなってくる。
ライガースはここで、ピッチャーを代えてもいいだろう。
しかしここで、真田に任せる。
今年一度、リリーフが炎上して、真田の勝ち星が消えてしまったことがあるのだ。
ここは代える場面だろうに、とランナーの西片は思う。
そして代えないなら、それなりにこちらも出来ることはある。
緒方は送りバントの姿勢。
それに対して真田の投球は、ランナーに対しては無警戒だった。
初球スチール。
足を上げてモーションに入っていた真田は、サウスポーの自分から盗塁を仕掛けるなど、ここでは完全に想定外だった。
普通に送りバントでワンナウトをもらえばいいし、樋口の打席は歩かせてもいい。
だが緒方は、これに対してバットを引いて、そこからバスターで振っていったのだ。
真田はバントと決め付けてしまって、投げたストレートもありふれたものであった。
そして緒方の打ったボールは、一塁線上を飛んでいく。
フェアグラウンドに着地したボールは、当然ながら長打コース。
そして西片は俊足だ。
緒方もまた、ここは普通に二塁を狙う。
ライトの判断としては、三塁に投げるというものであった。だがここは選択肢を考えれば、ホームに最初から投げるべきであったのだ。
西片はそこで三塁も蹴って、ホームへと走る。
ライトからの返球は、それを見て乱れた。
サードはベースから離れてそれをキャッチするが、体勢が悪くなっている。そこからホームにボールを投げても、これまたわずかに送球が乱れる。
送球エラーの重なる、サヨナラツーベース。
ネクストバッターズサークルで待っていた樋口の、サヨナラヒットの出番はなくなった。
この日の敗戦投手真田は、打たれたヒットはわずかに二つだけであった。
そして忘れかけている人もいたかもしれないが、直史はパーフェクトを達成した。
いやもちろん、本当に忘れている者などいなかったろうが。
九回を投げて94球のパーフェクトピッチング。
投げるたびに、それは記録となっていく直史であった。
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