第108話 凡人の足掻き
レックスのローテ調整で、自分のローテを飛ばされたのは吉村であった。
次に投げるのは甲子園のライガース相手で、それまでは二試合に投げて0勝1敗。
負けがリリーフについた試合も、自分が崩れてリードされていた試合であった。
今年は開幕に間に合うように仕上げたつもりであった。
だがオープン戦から気づいていたことだが、球が行っていない。
(肩も肘も、パワーが上手く伝わってないのか)
レックスのサウスポーは、先発には金原と武史がいる。
今は投手タイトルが一部の怪物に独占されている時代だが、おそらく今後数年は、それは直史と武史の佐藤兄弟によってなされるだろうな、と事情を知らない吉村は思っている。
投手王国レックスは、先発三人が左だ。
だがその中で吉村は、ローテをしっかりと回せていない。
一年目から二桁勝利と、新人王の有力候補にも上がったものだ。
だがその年も、そして高校時代も、二年目以降もずっと、シーズンの途中で肘が痛むようになっていた。
これが靭帯であるなら、トミー・ジョンという安易だが分かりやすい選択があったろう。
だが吉村のガラスの肘は、靭帯の損傷ではない。
純粋にもう、肘の軟骨が脆くなっていて、騙し騙し使っていくしかない。
あるいは丸々一年ほど、完全に休ませるか。それでも元の状態には戻らないだろうが。
ルーキーの一年目から、一軍で投げられたのは幸運だと思っていた。
新人王の選考でも、玉縄には負けたものの、貯金では勝っていたのだ。
ただ玉縄が、優勝したチームで完全にローテを守ったというのが、選出の大きな理由になった。
一軍の監督はあれから代わったものの、二軍の布施はずっと代わらなかった。
その布施が入団当初、一年は二軍で鍛えようと言っていたことの意味を、今になってようやく痛感している。
ただ今からあの時に戻っても、やはり一軍で投げることを選んだだろう。
大舞台で投げたいと思うのは、ピッチャーの本能なのだ。
体格にそれほど恵まれない吉村は、全身を使ってなお、肩や肘に負担がかかる投げ方をしていた。
特にスプリットは、肘への負担が大きかった。
だがそれなくして、これまでの成績を収められたとは思わない。
(なんとか150勝はしたいんだけどな)
この数年、吉村は二桁勝利に届いていない。
もっとも投げればかなり勝てるので、休み休みでも確実に一軍に戻って使われることは使われる。
去年もそうで、16先発で9勝2敗であった。
本格的に長く休むべきか。
あるいはもう割り切って、壊れるまでやるべきか。
そう思っていた吉村は、武史のノーヒットノーランを見た。
出力が根本的に違う。
そして怪我の兆候も見えない。
去年のような事故さえなければ、武史はローテを完全に守って投げられる。
毎年最低でも20勝をする。
20先発ではない。20勝だ。それをもう四年間続けている。
そしてこの五年目に、三度目のノーヒットノーラン。
直史と上杉に次ぐ、三度のノーヒットノーランというのは、史上三位タイ。
(とんでもない時代に生まれちゃったもんだな)
上杉と直史、パワーと技術を、どんどんと塗り替えていく二人がいる。
だが上杉は、おそらく再起不能だろうが。
その穴を埋めるかのように、武史は160km/h台後半のストレートを、ポンポンと投げ込んでいた。
今のレックスは間違いなく、プロ野球史上最強の投手陣をそろえている。
先発四人はエースクラス、そのうち二人は超エースクラス。
またリリーフ陣も、長くイニングを投げられるピッチャーと、勝ちパターンのセットアッパーからクローザーへと、安定して投げられる。
タイトルを取ったり、そして年間の登板数もかなり抑えたりと、安全な範囲で使えている。
佐藤兄弟の本当の強さは、勝ち星や防御率ではない。
その圧倒的な完投能力によって、リリーフ陣を休ませている。
これによってレックスは、試合の終盤に極端に強くなっている。
今なら休めるか、とは思う。
だが休んで治ったとして、まだ自分の場所があるのか。
次の登板で上手く結果が出なかったら、その時こそ考えよう。
甲子園でのライガースとの第三戦が、吉村の次の登板予定になっている。
ライガースとの第一戦は、今季初めて勝利の方程式が、完全に機能した形となった。
先発の佐竹は六回を投げて一失点、余裕をもったままマウンドを降りる。
昨日の試合も終盤、利根と鴨池でシャットアウトしているが、第二戦の先発予定は直史。
完投してくれるのが前提の、リリーフ陣を休ませるつもりが満々の首脳陣である。
ここまでの直史は三戦三勝。
防御率0という相変わらず頭のおかしなことをやっている。
そしてこれが第四戦目。
そう思っていたところに、雨が降って試合は中止である。
こういう場合普通のローテは、一試合飛ばして中13日とかになることもある。
だが直史の場合は、投げれば勝てるスーパーエース。
よって後ろに一日ずれることになる。
すると吉村の先発も、一試合ずれる。
投げるのはカップス相手の三連戦初戦となった。
昨年よりは確実に落ちたとはいえ、ライガースの打線は間違いなくカップスよりは強い。
今年のライガースで目玉となっているのは、今年31歳のシーズンでようやくスタメンになった山本。
外国人の補強が上手くいかなかったライガースで、ようやく大卒から活躍の機会を手に入れた。
元々打力には定評があったのだが、外野が埋まっていたため、なかなか代打などではその真価を発揮することが出来なかった。
29歳の吉村が、自分の限界を感じ始めている。
だが同じプロの世界では、ようやくこれからが活躍の時代だと、意気揚々とプレイする者もいる。
人間のピークは、人それぞれだ。
そう考えると吉村のピークはプロ入り初年で、あとはそれをどうやって維持していくかが問題だったように思える。
27歳でプロ入りして、いきなりMVPを取るようなやつもいる。
ああいうのと比べれば自分は、果てしなく凡人である。
吉村はもう、下手なプライドは持たない。
プライドがなければプロとしておしまいだとも言われるが、プロの生活は見ている人間にとっては夢かもしれないが、選手にとっては現実だ。
なので生活していくために、必要なことはしなくてはいけない。
「ナオ、ちょっと相談があるんだけど」
ライガースとの第三戦、試合を前にした直史に、吉村は話しかけた。
直史は基本的に、やられたらやり返す人間である。
それは倍返しどころではなく、10倍返しぐらいにはしている。
ただ、高校一年の夏、直史の白富東を負かした吉村に対しては、特に悪感情を持っていない。
確かに試合には負けたが、ピッチャーとしての勝負では負けていない。
それにその前の春の大会や、次の夏においてしっかりと、勝っているからだ。
そんな直史に対して吉村は、投げ方へのアドバイスというか、佐藤兄弟がどんな感じで投げているのかを尋ねたのだ。
直史が認識しているのは、吉村は確かにレックスの一員であるが、完全に柱として考える分には、故障が多いということ。
それに今季はいまいち、球が走っていないとも言われる。
先発ピッチャーに必要なことは、最低でも五回、出来れば六回まで投げて、試合を壊さずにリリーフ陣に回すこと。
確かに今年の吉村は、それが出来ていない。
「故障をしないためならまず、スプリットの投球割合を減らすことでしょうけどね」
それは確かにそうなのだが、スプリットは吉村の生命線だ。
現在の吉村の球種は、他にチェンジアップとカーブにスライダー。
だがどれも決め球としては弱く、やはりスプリットが必要になる。
球種別に見れば、ストレート以外ではスライダーとスプリットが多い。
だがスライダーはあくまでも、コンビネーションの中で使っていくものだ。
とにかく選手生命を延ばすためには、まずスプリットの球数を減らすことだ。
あとは他の球種を磨いていく。
配球を考えれば、もっとスライダーを使っていけるような気がするのだ。
「吉村さんのスライダーは、ゾーンから逃げていくタイプに主に使っているから、左打者の背中側から、内角に入るタイプのはあまり投げてませんよね」
「あんまりスライダーには自信ないからな。デッドボールになったら困る」
普通のストレートなら、内角の際どいところも狙っていけるのだが。
そのあたりが鍵かな、と直史は思う。
真田のスライダーが、まさに大介からもなかなか打たれなかったのは、変化量もあるがそのスライダーが、背中の方から突然現れるように見えるからだ。
左打者に対して吉村は、それほど成績がいいわけではない。
だがスライダーで内角を攻められるようになれば、単純に攻め方が増えるという以上に、もっと大きな武器となる。
「当てるのがいやなんだよなあ」
「当てればいいじゃないですか」
味方の吉村に対しては、直史のアドバイスはひどいものがあった。
スライダーを変化させて、左打者の内角を攻める。
それは確かに、デッドボールを増やすかもしれない。
だが吉村のスライダーに腰が引けるようになれば、他の全ての球種も威力が増す。
直史の流儀ではないが、デッドボールの効果をいかに利用するか。
それもまた投球術であろう。
こんなことを言っていながら、直史自身はデッドボールなど投げない。
「せっかくだし今日の試合で、このスライダーを確かめてみましょうか」
容赦などするわけもない直史であった。
去年のレギュラーシーズンはライガースと三試合しか対戦していない直史だが、大介がいなくなった今年、早くも二度目の対決というのは少し皮肉である。
吉村と話して、今日の課題はスライダーと決めてある。
右打者へのフロントドアスライダー、ボールに逃げていくスライダー、そして左打者の懐をえぐるスライダー。
岸和田と話し合って、どれぐらい使うかを確認していく。
岸和田としては、直史のコンビネーションには、少しでも縛りは入れたくない。
確かにスライダーも決め球の一つではあるが、それはあくまでも選択肢の中の一つ。
決め球として、あるいはカウントを取るためでも、優先的に使うのは違う気がする。
直史も岸和田の言いたいことが分からないでもない。
だがせっかくだから、何か一つを中心に、組み立てる配球を使いたいのだ。
ならばカーブでいいではないか、と岸和田は思うのだが。
直史のカーブは七色のカーブとも言われる。
スローカーブ、パワーカーブ、ドロップカーブ、普通のカーブ、これをコースに投げ分けて、しかも二段ドロップなどと言われるような変化を見せるカーブもあるのだ。
確かに高校入学時ぐらいまでは、カーブが直史のピッチングの多くを占めた。
だが当時は全体的に出力不足であったため、あまり使用の偏りはなかった。
シュートやシンカー、またスライダーやスプリットなども、当時から既に使えた。
なのであくまでも、コンビネーションで勝負するのが直史だったのだ。
今は違う。
今はもう、ほとんどどんな球種であっても、好き放題に投げられる。
特に効果を発揮するのが、ストレートとカーブのコンビネーション。
そして縦のカーブを印象付けたところで、横のスライダーを投げれば、ほとんどのバッターはついていけない。
大介にはその程度では通じなかったが。
首脳陣や岸和田を交え、ライガースのバッターを攻略する配球を考える。
だがやはり下手にフロントドアのスライダーを交えると、選択肢が狭まれてしまう。
「でも今まで一つの球種にこだわったこともないし、一度ぐらいは試しておきたいかな」
強行と言うほどではないが、直史はこだわっているように見える。
ライガースの打線を見れば、比較的右打者が多い。
厄介な毛利はともかく、主砲の西郷が右打者だ。
また大江や黒田なども右であり、新外国人や、最近三番に入っている山本は左である。
この中で直史が注意するのは、やはり西郷ぐらいである。
西郷を相手に縛りを入れて投げて、どれだけ打ち取れるのか。
難しいからこそ、やってみる価値はあるだろう。
甲子園での三連戦、初戦は佐竹が勝利し、二戦目が雨で流れて、三戦目が直史。
ピッチャーの名前で観客が呼べるのは、さすがというものだろう。
対するライガースも、新外国人のワグナーが先発。
ワーグナーではなくワグナーらしいが、国によって違うのだろうか。どうでもいいことだが。
一回の表、レックスの攻撃は先頭の西片からだが、ワグナーのストレートには手が出ない。
やはり年齢を重ねると、スピードボールについていくのが難しくなるのか。
続くバッターも打ち取られて、レックスは先制出来ず。
そして一回の裏の、ライガースの攻撃が回ってくる。
先頭の毛利は、とにかくねちっこくランナーに出ようとするバッターだ。
そしてランナーとして出れば、かなりの確率で盗塁も決めてくる。
ライガースの初回の得点を防ぐには、まずこの毛利はしっかりしとめなければいけない。
直史の考えるスライダーによるピッチングは、左打者用のものではない。
だからここは自由に、打ち取ってしまえばいい。
まずはストレートを内角に投げ込み、そこからさらにシンカーを使う。
リリースした瞬間の軌道は体に当たるようなものだが、そこから利き腕がわに曲がって内角いっぱいに入る。
腰が引けていると、これに手を出しても内野ゴロにしかならない。
左打者相手に内角攻め。
右のピッチャーの場合は、そこそこ投げやすいコースである。
これが右打者であると、途端に内角攻めが難しくなるピッチャーはいる。
もっともその場合も、アウトローを主体に投げればいいのだが。
右投手がシンカーで左打者からフロントドアの内角攻めをするのは、けっこう難しいものがある。
直史はなんとなく空間上に線を描いて、その上にボールを走らせているが、普通はそういうやり方が出来るものではないのだ。
三球目は左打者のアウトローやや外を、ほんのわずかスライド成分を含めて投げる。
するとぴったりバックドアでボールがアウトローいっぱいに決まるのだ。
このあたりのキャッチング技術は、岸和田も立派なものである。
二番の大江は、右打者であるのでまさにバックドアスライダーの実験対象だ。
アウトローのストレートをぴたりと決めたあと、内角ぎりぎりに背中から曲がってくる球は、のけぞりながらなので打てない。
これでツーストライクにしてから、最後は普通に逃げるスライダーで打ち取った。
三番の山本も左打者。
左右左右と続いていくライガースの打順は、大介のいた去年と変わらない。
この山本は一応去年も対決しているが、基本的に代打で出ることが多かった。
あとは終盤の守備固めで、外野を守っていたのだ。
直史は別に、バッターとの対決に情熱を燃やすタイプではない。
よってここはあっさりと、打たせて取ってスリーアウト。
問題は次の西郷だ。
西郷は右の強打者であり、外のボールも引っ張るだけのパワーがある。
強打者ではあるが器用に内角のボールも打てて、左方向のスタンドに運ぶことが出来る。
フロントドアのスライダーでも、逃げずに打ってくるのが西郷だ。
なので直史は予定を変更する。
「せごどんの打席は、こっちがリードするまでは、普通の配球でいこう」
二点以上差がついていれば、ホームランを打たれても大丈夫。
そんな呆れた計算をしながら、直史は他のバッターへの配球を考えるのだった。
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