第79話 三度目の正直と、二度あることは三度ある

 四回の裏、アウトにはなったもののレックスの攻撃は、小此木と緒方がそこそこいい当たりをした。

 しかしパーフェクトは途切れない。

 真田と投げ合うと、本当に一点差の勝負になることが多い。

 いや、そうでもないな、と直史は思い直す。

 一点が重い勝負が多いのだ。


 五回の表はその一点を一人で取れる、西郷からの打順である。

 今年は48本のキャリアハイのホームランを打っているが、西郷は打率と出塁率も多い。

 大介がいなければ西郷は、二冠ぐらいは取っていてもおかしくはない。

 その西郷に、ふわりと重さを感じさせないシンカーから入る。

 それを痛打した西郷であるが、ボールはレフトのポールを切れていく。


 球が軽すぎた。

 そんなはずはないのだが、それが西郷の感想だ。


 そもそもどれだけ優れたバッターでも、三割打てば一流と言われるのが野球だ。

 高校最後の夏の大介などは、八割を超えていたが、あれは別の生物である。

 狙い球を絞って、それを振り切る、

 それが基本なのだが、直史相手には通用しない。


 一流のバッターは、狙い球を絞ったらそれ以外は打たない。

 それは西郷も分かっているはずなのだが、シンカーに手が出てしまう。

 誘引するそれはいったいなんなのか。

 打てると思ってしまう欲だ。


 直史の投球術というのは、純粋に打ちにくい球と打ちにくい球を組み合わせるだけではない。

 樋口と二人で考えて、悪魔のような誘いでもって、打ちやすそうな球を混ぜてくる。

 もちろん手元でしっかり曲がったりと、本当に打ちやすいだけの球ではない。

 だが好きなコースに投げられて、それをわずかに外されたら、力んでしまって凡打を打ってしまうことになる。


 直史は西郷に対しては、大介に次ぐレベルの警戒をしている。

 同じセ・リーグには井口なども厄介なホームランバッターとして存在するが、それでも西郷の方が厄介だと評価している。

 ただ処理する方法としては、大介と違って歩かせてしまってもいい。

 大介と違って足がないので、かき回される心配が少ないからだ。


 そんな西郷に対しては、カーブの後にスルーを使う。

 バットコントロールで追いかけたものの、掬い上げるところにまでは及ばない、

 強めの内野ゴロを、しっかりと処理してくれるサード村岡。

 色々とネタでエラーを期待されているようだが、実際のところ守備力は高いのだ。

 西郷を抑えても、30本を打っているグラントがいる。

 だが今日の直史は、ホームランを打たれないことを考えて投げている。

 単打までは打たれるかもしれないが、逆に言えば単打までしか許さない。

 グラントのようなホームランか三振かというバッターは、ゆるい球でしとめることが出来る。


 続く黒田も打ち取って、この回も三者凡退。

 五回の表の時点で、直史のパーフェクトは継続中である。




 先に均衡を破ったのは、レックスの四番浅野。

 真田にとっては不運であるが、レックスのクリーンナップは右打者が多い。

 クリーンヒットにて先頭打者として出塁し、初めてチャンスらしいチャンスを作る。


 ここでレックスはある意味大胆な策に出る。

 長距離砲の五番に送りバントをさせたのだ。

 一点がほしいという、切実な願いであろう。

 だがそれでワンナウト二塁として、点が入ると思うのか。

 ただ左の五番であっただけに、真田相手にはそれもありかと思えたが。


 六番バッターの村岡は、前後をホームランバッターに挟まれているが、基本的にはアベレージヒッターだ。

 浅野の足は遅くないし、おそらく打つのと同じタイミングで、走らせていくのだろう。

 かなりの賭けになるが、どうにかして膠着状態を打開したい。

 直史ならば一点を取れば、勝ってくれるという無茶な信頼感がある。


 ヒット一本でいいのだ。

 ヒット一本を打てば、自分の役割を果たせる。

 点が入るかどうかは、かなり運の部分が大きいだろう。

 ただそのヒット一本を打つのが難しい。


 真田の伸びのあるストレートと、縦に割れるカーブ。

 これに加えて右打者に対しては、シンカーを使ってくる。

 時にはスライダーも使い、左打者に対してだけの球種ではないと見せ付ける。

 特に今のように、追い込んでからは。

「ットライ! ッターアウッ!」

 ボールからわずかにゾーンに入ってきたように見えるスライダー。

 ミットの位置からすればストレートなのだが、ベースを過ぎてから内側に入ってきたような気もする。

 ただしこれは審判の責任にするのは酷であろう。


 真田もまた直史と同じように、ゾーンを上手く使うピッチャーだ。

 それでいて受ける印象は、本格派というものなのだ。

 奪三振の数は、むしろ直史の方が多いのに、技巧派と与える印象。

 やはりコントロールや、球種の数がそう思わせるのか。




 五回の終了した時点で、両陣営のピッチャーの成績はどちらもすごいが違う方向におかしい。

 直史 49球 三奪三振 被安打0 四球0

 真田 62球 八奪三振 被安打一 四球0

 第一戦はなんだったのかと言いたくなるぐらい、ピッチングスタイルが変わっている直史。

 だがこれこそが、本来の数字ではないかとも言える。


 しかし凡退が多くても、その内容が違う。

(外野まで運ばれているし、内野ゴロが多い)

 樋口はそう懸念している。

 一番アウトで確実性が高いのは三振。

 続いては内野フライで、内野ゴロは案外内野安打やエラーになることも多い。

 

 特に大介に対しては、二打席目を外野に運ばれたことを、かなり危険視している。

 レギュラーシーズンでも、最後にはヒットを打たれた。

 樋口でさえ信じがたいことだが、大介は直史に適応してきているのだ。

(ナオのやつもたいがいおかしいけど、白石はまだ成長中ってことか?)

 ホームラン数は今年キャリアハイであったし、打率も終盤で負傷するまではキャリアハイであった。

 ホームラン記録の更新を狙わなければ打率の方でキャリアハイを上げただろう。

 需要の高いホームラン記録の方を優先してしまったが。


 真田の球数も見るに、完投ペースである。

 球数は確かに総計も重要なのだが、一イニングに何球投げたかも重要になる。

 ピッチャーが指先の微細なコントロールを保てるのは、およそ15球まで。

 25球を超えると、かなり無理がかかってくるとも言われる。

 直史は11球が最高で、真田は15球が最高。

 なんとかして真田を潰さないと、直史の消耗が激しくなる。


 日本シリーズは四日間の感覚が空くが、それで回復しきれるのか。

 こと直史の体力については、樋口は楽観ししていない。

 今シーズンもライガースとの試合では、脳の疲労で途中降板があった。

 野球は統計と確率のスポーツであるから、大介の打ったボールも、ほんのわずかの差でヒットになる可能性はあったのだ。

(白石の反射的なバッティングを、どうやって封じるんだ?)

 ベンチからではどうしても見えないものがある。

 岸和田は悪いキャッチャーではないが、とにかく直史は性能がピーキー過ぎる。

 直史自身が、かなりの部分を組み立てていくしかない。

 相棒の苦慮する姿に不謹慎かもしれないが、それを見ているのは面白い樋口であった。




 六回の表のライガースの攻撃は、下位打線である。

 だが七番の孝司はキャッチャーとしてはかなり打っている選手であるし、一応直史のボールで変化球打ちの練習をしてきた。

 キャッチャーであるので、この打席だけではなく、あと一打席は間違いなく対決の機会がある。

 あまり手の内を晒すわけにはいかないので、直史はカーブを投げた後にストレートという、オーソドックスなスタイルで内野フライに打ち取った。


 球数は少ないが、問題は球数を多くすることによる、肉体的な疲労ではない。

 コンビネーションを考えることによる、脳の酷使である。

 肉体の制御も脳が司っていることであるが、思考はさらに疲れるものだ。

 かつては角砂糖を舐めていたものだが、今ではさらに分解しやすいラムネを試合中に常食している。

 脳が使うエネルギーというのは、巷で想像されているよりも、ずっと多いのだ。


 八番の石井は三振で打ち取ったが、九番の真田である。

 ピッチャーだからといって甘くは見られないのは、ちゃんと分かっている。

 それほど大きくはないがバネのある体からは、長打を打つパワーが生まれてくる。

 バッティングというのはセンスによるところが多い、と言われている。

 だがそのセンスも、分解してみればどういう要素で成り立っているかは分かる。


 真田には間違いなく、ピッチャーでなくてもプロでやっていけるセンスがある。

 直史は敵の分析に無駄な手心を加えることはない。

 高校時代は大阪光陰で、三番や五番などのクリーンナップも打っていたのだ。

 今もピッチャーとしては高い二割台の打率だが、勝っている試合では無理に打とうとはしていない。

 なので打たれても無理はないのだ。


 初球からスルーを投げた。

 この鋭く伸びるボールに、真田は反応はしたが手は出さない。

 二球目はストレートを外へ。わずかに外れてボール。

 ストレートの軌道が残っているところに、カーブがゆったりと入っていく。

 真田はそれを打った。

 セカンドの頭を越える、ふわりとした打球。

 浅いところに着地したので、ライトも間に合わない。


 真田に続いて、直史もこれでヒット一本を献上。

 しかしまさかと思った、ピッチャー真田の打球であった。




 真田もまた、自分である程度の配球を作れるピッチャーだ。

 だからこそ直史のボールが、次はカーブだと読めたのだろう。

 読めてもなかなか打てないのが直史だが、真田は自分に対する直史の警戒度が、それほどではないと感じていた。

 実際のところは直史も、相当に警戒はしていたのだ。

 だが八番の石井で、楽にアウトが取れた。

 やや安易な組み立てだったことは否定できない。


 ベンチに戻ってきた直史だが、あまり樋口と話す暇もなく、ネクストバッターズサークルへ向かう。

 八番の岸和田が凡退して戻ってきてから、話しかけていく。

「真田には打たれたな」

「すみません」

「まあカーブだからな。ジャストミートじゃなく、ポテンヒットに近い。それはいい」

 問題は別のところにある。

 一つはこれで、あと二人ランナーが出たら、大介の四打席目が回ってきてしまうということ。

 そしてもう一つは、岸和田がバッターボックスで、何かを狙っていることだ。


 バッティングの評価もそれなりに高い岸和田だが、今日の役割はあくまでキャッチャーだ。

 実際に真田が良すぎるというのもあるが、ここまでは完全に凡退である。

 だがキャッチャーの嗅覚とでも言うべきか、樋口には岸和田も、最後の打席あたりには、何かを狙っているのが感じられる。

(延長になりそうな試合だ)

 今のイニング直史は、15球を投げた。

 ごく平均的な球数であるが、毛利が粘ろうとしてきたのだ。

 最後は内野フライでしとめたが、直史の想定よりはやや多い球数のはずだ。

 かといって岸和田にこれ以上を求めるのも酷だろう。


 六回の裏のレックスは、あっさりと三者凡退。

 いよいよ終盤に入ってくる。

(白石がワンナウトから打席に入ることが出来るのか。長打狙いを捨ててヒットで出たら、盗塁をしてきてもおかしくないか?)

 樋口はそう予想するが、直史は今季盗塁を許していない。

 そもそも塁に出ているランナーが極端に少ないからであるが。


 グラブを持ってマウンドに登る直史。

 大介の三打席目。そして下手をすればこれが最後の打席。

 点を取られた上で、最後の打席になる可能性もある。




(一人出たか)

 真田にヒットを打たれたのは、油断といえば油断かもしれない。

 だが真田は打っても不思議ではないと、直史は最初から考えていた。

 だから失望もしていなければ、ショックも受けてはいない。

 ポストシーズンのプレイオフでの、初めてのパーフェクト達成なるかと、観客も視聴者も楽しみにしていただろう。

 さすがに甘い。そう都合よくはいかない。


 その裏、直史にも打席は回ってきたが、完全にいつも通りの振らずの三振。

 自分のやることはひたすら相手を抑えることだと、開き直っていると言ってもいい。

 そして七回の表。

 先頭は二番の大江から。

 大学時代は強打で鳴らした大江だが、プロではそこまでの長打力はない。

 それでも攻撃的な二番で、本来なら油断出来る相手ではない。


(油断か)

 真田に打たれたことを、油断で片付けていいのかと考える直史である。

 その後の毛利は抑えたので、パターンを見抜かれたとは考えにくい。

 だがやはり真田には、執念のようなものがあるのだろう。


 彼の野球人生において、完全な挫折と言えるのは、直史の存在だけである。

 同じピッチャーとして、一度も勝てていない。

 バッターとして打っても、その場では少し気持ちがいいが、本質的にはずっと負けている。

 メンタルで真田は打った。

 直史はメンタルでは負けない。


 大江を相手に、内野ゴロでしとめる直史。

 ただやはり今日は三振が少ない。

 意識的にそうしてはいるのだが、普段は二つある頭が、1.5になっているのは、それだけ余裕がなくなってくる。

 ワンナウトランナーなし。

 そして大介の第三打席が回ってきた。




 単打まではいいと考えるべきか。

 だが下手に塁に出すと、大介の足ならかき回してきてもおかしくない。

 二塁に進んでしまえば、西郷は敬遠したほうがいいのか。

 しかしそうなるとダブルプレイでしとめない限り、九回の最終打者が大介になる。


 大学時代、日本代表と対戦した壮行試合を思い出す。

 あの時はもう二度と対戦の機会はないだろうと、無理やり四打席目を作った。

 だがプロの世界では、直史はチームの勝利を意識する。

 大介との勝負を避けるつもりはないが、無理に対戦の機会を作ろうとも思わない。


 ゆっくりとバッターボックスに入った大介は、足場をしっかりと固める。 

 そのすらりとバットを構える姿は、いつも通りにどこにも力が入っていないように見える。

(味方が点を取ってくれなければ、さらにもう一回勝負しなければいけないわけだ)

 はっきり言って、大介は直史に合ってきている。

 それでも確実に点が入るなどとは思わないが、色々と頭を使わなければいけないことが多い。


 ベンチの中から樋口は考える。

(バットの構え方も、いつもと全く変わらない。多分打席を重ねるごとに、どうやって打ち取ればいいのか難しくなってきているんだろうな)

 それはそれで仕方がないが、なんとか打線の方は援護が出来ないものか。

 樋口の場合は自分のミスによる怪我ではない。

 なので意味のない罪悪感など抱かないが、ここで力になってやれない己の身は残念なものがある。


 キャッチャー岸和田も、必死で己の頭を働かせる。

 直史は、どんなボールでも投げられるのだ。

 ならば岸和田が、変に遠慮をすることもない。

(勝負です)

(当然だな)

 ベンチから申告敬遠が出るはずもない。

 これが、本当に最後の対決になるのかもしれないのだ。

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