第69話 観戦者たち
※ 今回のお話は飛翔編41話より後に読むことをオススメします。
×××
クライマックスシリーズファーストステージ第三戦。
ライガースとスターズの対戦は、わずかながらスターズが有利である、ように見える。
ここまで一勝一分のスターズは、この試合を勝つか引き分けるかでファイナルステージに進出。
対するライガースは、勝たなければいけない。
ただライガースの特徴といえば、リーグ最強のその打線。
大介と西郷だけで120本を打った今年は、まさに一発で一点を取ることが出来るという力を持っている。
一人で得点を取る力というのは、上杉相手には必要だ。
しかしさすがに上杉を酷使するスターズでも、最初から上杉を中一日で使ってくることはない。
ライガースの先発は山田で、スターズは福永。
ピッチャーとしてもやや山田の方が上であり、そして打線の差は言うまでもない。
「これはどうなるんだ?」
直史が問いかけるのは、レックス寮のメンバーではない。
既にここから出て行った樋口が、久しぶりにやってきている。
そして直史と隣り合って座り、その周囲に寮の選手たちが集まっている。
政治ヤクザと法律ヤクザの周辺に、舎弟どもが集まっている感じである。
樋口としては正直、スターズに勝ってほしい。
上杉を贔屓しているというのではなく、その方がファイナルステージが楽になるだろうからだ。
スターズは上杉とその子分による、私兵団のようなものだ。
カリスマ性があまりにも高く、FAを取っても行使する選手がいない。
ほぼ同じぐらいの年俸であれば、上杉と一緒にプレイするということを望んでしまう。
それは樋口としても、似たような感覚である。
高校時代、わずか四ヶ月ほど組んだだけであるが、上杉はとにかく別格であった。
一つ上の学年などは特に顕著で、それが残っていたため、甲子園を制覇したのだ。
まるで洗脳であったが、それが解けたのもまた、同じような別格のピッチャーに出会ったからだ。
逆方向のスタイルのようであるが、直史もまた至高の領域にあるピッチャーだ。
直史なら、上杉に勝てる。
そして上杉に勝ってしまえば、スターズはもう攻略できる。
最悪でも引き分けにはしてしまえる。
それが樋口による直史と上杉の戦力評価だ。
「レギュラーシーズンの力のままなら、ライガースが来ても問題ないんだが」
過去に直史は、しっかりと大介を抑えている。
この一年だけではなく、大学時代の日本代表と大学選抜の試合まで。
チームとしてはライガースを苦手としている。
だが一人の突出した戦力というなら、上杉の方が大介より上だと思う。
それでもチーム力の差で、ライガースが勝ちあがるというのが、順当だと樋口は考えている。
この二人の見ている野球は、解説者よりもさらに一段階上のものだ。
樋口などは将来、球団の監督になるような気さえするが、それは樋口の思想をしらない人間による。
もしそんな話がきても、樋口は自分に出来るのは、せいぜいがヘッドコーチまでだと思っている。
基本的に樋口は、他人の感情を傷つけることに躊躇がないのだ。
技術的なことだけなら、いくらでも指導できる。
またライガースの島本のように、継投のタイミングも監督に対しては助言できるだろう。
だが樋口は引退したら、上杉の手伝いをするのだ。
当初の予定とはだいぶ違ってしまったが、上杉を政界に入れることは規定路線だ。
あるいは上杉は神奈川から出てもらった、父の地盤は正也が引き継いでもいい。
上杉が今の時点で立候補しても、おそらく本人の人気とカリスマだけで、代議士にはなれるだろう。
そしてその時にこそ、樋口は色々と考えて秘書となっていく。
あるいは正也が新潟の方で何かをするなら、そちらの頭脳となってもいい。
その時には出来れば直史の頭脳もほしいな、と思っていたりする樋口だが。
試合は予想していたよりも、荒れた展開になった。
福永はともかく、ベテランの山田のこの姿は、ちょっと珍しいだろう。
樋口はスコアシートを何枚も用意して、配球やバッターのパターンを記入していく。
すると四回あたりから、バッテリーの配球もバッターの打球も、かなりの部分が樋口の予告の通りに進む。
野球というのはデータが重要だが、ここまで予測できるものではない。
だが樋口は実際にそれをやっている。
データはここのスコアに記されているものだけではない。
彼の頭の中には、どちらのチームのデータも相当に入っている。
だがそれを上回る存在もある。
「やっぱり白石が打ってきたか」
予測の範囲内ではあった。
だが簡単にホームランを打ってくる大介は、規格外である。
こいつを本当に抑えることが出来るのか。
樋口は直史がいなかったら、ちょっと無理だなと言ったかもしれない。
プレイオフで敬遠三昧などというものは許されないが、ある程度はさすがに敬遠もする。
実戦においてはそういうシチュエーションをどう作って、実際に歩かせるかまで考えないといけない。
ただ、直史には大介を止めてもらう。
止められなければまた、今年もレックスは、レギュラーシーズンで優勝しながら、日本シリーズに出られないチームになるだけだ。
五回までは本当に、打撃戦となっていた。
だが六回の表、ライガースはマウンドに第一戦を投げた真田を送る。
七回で降板したとは言え、プレイオフの試合で普段よりも消耗していたはずだ。
しかしここから、試合の様相は投手戦へと変わっていく。
二つの三振を含む三者凡退で、六回の裏を迎える。
そして、スターズも最強の札を切ってきた。
上杉のリリーフである。
「ここでか」
樋口としては、少し早いかなという感想である。
今年のレギュラーシーズン、上杉は肩痛の影響もあり、26試合しか投げていない。
普通の先発と同じ程度で、完全にローテを守ったピッチャーと同じぐらいの数字であるが、去年や一昨年などは32先発もしているのだ。
他の先発は普通に中六日で投げることが多い中、上杉は中五日と中四日の複合。
今年はさらに、負傷で休んでいた期間もあるのだ。
蓄積された勤続疲労は、突然に表れることが多い。
上杉は高校時代、練習試合程度であれば、三連投も四連投も、あるいはダブルヘッダーもやっていた。
樋口が止めようとしても、この程度なら問題ないと、最後の夏まで続けた。
実際に上杉が壊れることはなく、敗北したのは球数制限が理由である。
真田もまた、上杉と同じ中一日で、そして上杉に比べると故障が多い。
三年目などはかなりの期間を先発から外れる必要があり、日本シリーズでジャガースに負ける原因の一つともなった。
あれで選手生命は終わりかと思われたが、次の年にはキャリアハイの19勝。
それ以降もずっと、今年まで二桁勝利を続けている。
ちょこちょこ故障して、休みをとってまた投げるのと、限界まで投げ続けるのと、どちらがいいのか。
もちろん異常があればすぐに休むべきなのだが、上杉は責任感から、平気で無茶をやってしまうのだ。
そしてその無茶によって勝つ。
七年目の26勝0敗2Sなどという記録は、人間の限界を超えている。
直史だってそんなことは出来ない。
……出来ないよね?
交代した上杉はすぐさま、下位打線を三者凡退でしとめる。
ストレートの威力だけに頼ったものではなく、ムービング系で打たせるピッチングも見せた。
そして七回の表には、その上杉に打席が回ってくる。
プロ初年度は三割七本を打って、二刀流もいけるのでは、などと言われた上杉である。
DHのあるパ・リーグであれば、そこそこ現実的な話だったかもしれない。
今年も0.250と四本のホームランを打っているので、バッターとして見ても油断は出来ない。
しかしここは、さすがに真田が上回った。
ファールでストライクカウントを稼いだあと、スライダーで三振。
右打者の膝元に決まるスライダーは、上杉のような巨漢打者には、なかなか打ちにくいのかもしれない。
続く上位打線も、しっかりと油断なくしとめていく。
七回の表、スターズの追加点はない。
そして七回の裏。
「さあ、ここだ」
樋口がそう言うのは、誰にでもはっきりと分かる。
大介の四打席目が回ってくるのだ。
ここで大介を封じられたら、八回か九回、どちらでもいいがスターズが追加点を入れれば、もう大介の打席は回ってこない。
ランナーが三人出れば五打席目が回ってくるが、あまり現実的ではない。
ただ、真田から残りの二イニングで点を取るのも難しそうだ。
延長に突入した場合、ピッチャーの運用はどうするのか。
ライガースはおそらく、今年のセットアッパーとクローザーで抑えてくる。
しかしスターズは上杉を続投させるのではないか。
「いくら勝也さんでも、限界ってもんはあるぞ」
「え、あるんですか?」
樋口の呟きに、思わずそう返してしまう者もいる。
上杉は球数制限さえなければ、延々と投げていられる。
そんな勘違いをしている者も多いかもしれないが、実際のところはもちろん不可能である。
レベルの差が圧倒的な高校時代はともかく、プロの世界なのだ。
それに延長に入れば、そこで大介との五打席目の勝負だ。
樋口は上杉と一緒にプレイしながらも、それに心酔はしなかった。
極端にFA移籍がないスターズを見ても、ほとんどの人間は上杉のカリスマに魅了される。
だが樋口は純粋に、上杉をも上回る成績を残したピッチャーと組むことになった。
ワールドカップでの直史とのバッテリー。
あれが樋口の将来を、かなり変えたことは間違いない。
七回の裏、上杉はまたライガースの一番と二番を打ち取っていく。
ある程度は打たせて取ることを意識した、大人のピッチングだ。
おそらく、大介との勝負に集中するため、他のバッターとの対決では力を温存している。
それで抑え切れてしまうのだから、上杉はとことん規格外である。
そして大介の打席が回ってくる。
ツーアウトからの大介だ。
後ろに西郷が控えているとはいえ、ホームランでの一発を期待するべきだろう。
のしのしとバッターボックスに入る大介の姿を見て、ごくりと誰かが喉を鳴らす。
上杉も大介も、人を殺しそうな目をしている。
まさにそれぐらいの覚悟がなければ、お互いを抑えることはできないのだろう。
力と力の対決。
他の誰も及ばない、二人だけの世界だ。
そしてまったく別の方向から、その世界に入れる人間は、戸惑いがあった。
「上杉さんは、あれで本調子なのか?」
直史の問いに、樋口としてもすぐには答えられない。
「ボールを受けてみないと分からないが」
「そうか」
「何か気になるのか?」
「いや、動きが少ないような気がしてな」
抽象的な発言である。
樋口はテレビに目を戻し、違和感があるかどうかをチェックする。
画面越しでも感じる、上杉の気迫。
そしてそれに対して、大介も負けていない。
どちらが勝つのか。
分からないし、そもそも勝利条件が曖昧だ。
大介がホームランを打てたなら、それは大介の勝利でいいだろう。
だがそれ以外、たとえ長打だとしても、それは大介の勝ちになるのか。
ツーアウトである。
次の西郷が抑えられたら、一点は入らない。
そして上杉であれば、西郷であってもまず簡単に打てるものではない。
ホームラン数48本と、大介さえいなければホームラン王であった。
実際のところパのホームラン王は44本なので、西郷が取れてもおかしくない。
球場の違い、ホームランの出にくい甲子園をフランチャイズにしているという点では、西郷は他の球場なら、もっと打ってもおかしくない。
もっとも今年優勝したレックスは、40本を打ったバッターもいないのだが。
上杉と大介の勝負。
まずはアウトローに決まってワンストライク。
そして次にはチェンジアップを投げて、これもゾーン内に決まる。
「今のは打てただろ」
直史は呟くが、反応はない。
ゾーン内のチェンジアップであったなら、大介は自分のスイングスピードで、スタンドにまで運んでいけたはずだ。
それを振らなかったのだから、チェンジアップは狙っていなかったのだろう。
自分が相手なら、確実にチェンジアップを打ちにきただろうに。
ツーストライクに追い込まれた。
(打てよ)
直史としては、大介を応援している。
単純にチームとしてなら、スターズが勝ち上がって来た方がいい。
だが直史は、大介と対決するためにここにいるのだ。
上杉がどれだけ強かろうとそれは関係ない。
自分をここに引きずり込んだのだから、ここで打たなければいけない。
そしてファイナルステージで、直史と対決するべきだ。
スターズが勝ち上がってきても、上杉が第一戦に出てくる可能性は低い。
ここではライガースが勝つべきだ。そしてレックスと激戦を演じるべきだ。
上杉のストレートを、大介は打った。
175km/hのストレート。打球は重力の支配を逃れたかのように、空気を切り裂いて飛んでいく。
センターのフェンス直撃のボールが、強烈に跳ね返ってきたためすぐにセンターが捕球する。
そこからセカンドベースにボールが戻ってくるため、シングルヒットになってしまった。
どうせなら入ってしまえばいいのに。
直史はそう思ったが、周囲の観戦者も、大きく息を吐いた。
七回の裏、ライガースに得点はなし。
残り二イニングながら、延長の可能性が感じられるようになってきた。
延長。もしそうなったら、真田と上杉を、このまま投げさせるのか。
おそらく真田は交代するだろう。直史には分かる。
高校時代の真田を知っていて、そしてライガースのピッチャー事情も分かっている。
スターズは、上杉を代えるのだろうか。
代える代えないではなく、おそらく代えられない。
上杉が投げている間に勝たなければ、スターズは勝てない。
あるいは上杉が最後まで無失点で引き分ければ、それでスターズのファイナルステージ進出が決定する。
だから上杉が代わることはない。
(これで壊れないんだからなあ)
自分もたいがい壊れないピッチャーであるが、直史と上杉とは、スタイルが全く違うのである。
直史は限界を見極めて投げる。
故障らしい故障は、高校一年生の夏だけ。
そこからしっかりとトレーニングして、細かい傷を負うことはあっても、故障はしないようになった。
上杉と自分は、決定的に違う。
そしてその違いが、この試合でどう示されるのか。
(待ってるんだぞ)
直史は結局、明確に大介の勝利を願っているのだ。
上杉との対決は、結局はお互いのチームの打撃の差により結果が変わる。
本当に対決していると言えるのは、大介と対決するように、ピッチャーとバッターという立場でしか感じられない。
八回の表、ライガースは真田が続投に、スターズは三番から。
クリーンナップを前にして、真田もまたぐるぐると腕を回していた。
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